マッドが安っぽい酒場の、一番奥の席で酒を手酌で注いでいる時、唐突に古びたウエスタン・ド
アが開いた。
粗末な作りの酒場の中は、三つ、四つのランプがあるだけで奥まった部分はとても暗かったが、
開かれたウエスタン・ドア越しに覗いた夜空は、酒場の中よりも尚暗かった。月も星も出ていない、
曇天である所為だ。
西部にしてはやけに湿っぽい風が流れ込んできたのを感じてマッドが顔を上げれば、そこにはド
アが開いて幾許の時間も経っていないにも拘わらず、いっそ夜よりも深く暗い影が落ちていた。背
の高い影は、それだけでも闇が深く感じられると言うのに、男の纏う空気が輪をかけている。
マッドは今にも傾けようとしていたグラスを、男の出現如きでは手を止めずにそのまま傾けて、
味のほとんどしないアルコールを喉に通す。通してから、別にそちらを優先する必要もなかったな、
と、案の定の不味い酒に顔を顰めた。
「で、何の用だ?」
ぬっと聳え立つ男に、マッドは視線だけを動かして問うた。
誰もこちらを見ようとしない。場末の酒場だ。脛に傷を持つ輩がいてもおかしくないこの場所で
は、例えそこにいる人間が誰であろうと、口を出すのはご法度だった。
マッドのように、時も場所も関係のない賞金稼ぎならばともかく。
そんなマッドをこうして見下ろす男も、そうした不文律に身を寄せつつもそこに寄りかからぬ男
だ。マッドが此処で顔を顰めても、顔色一つ変えずにいる事だろう。
現に、マッドに視線だけとはいえ睨まれても、頬骨一つ動かさない。
代わりに、マッドに何かを言われる前から表情が硬い。
「なんだ?随分と面白い顔してやがるじゃねぇか。何か変なもんでも食ったか?でも、それで俺に
話しかける理由が分からねぇんだが?てめぇが腹痛起こしてようが、水虫になってようが、俺に
はどうしてやる事も出来ねぇよ。」
「何故、殺した?」
マッドのよく動く口を遮るように、マッドを見下ろす男――賞金首サンダウン・キッドは低く問
いかけた。
サンダウンの問いに、マッドは器用に片眉だけをひくりと上げる。そして、ふん、と鼻先で嗤っ
た。
「てめぇが何の事を言っているのか、分からねぇな。というか、俺は賞金稼ぎだからな。賞金が掛
かってる奴なら、必要だったら殺しもするぜ。」
「女でもか?」
「当たり前だろ?」
「賞金が掛かっていなくてもか?」
マッドはあっけらかんとして答える。そして、サンダウンの次の台詞にふふん、と何か合点が言
ったかのように口元を吊り上げた。
「あんた、俺が女からの決闘を受けて立ったのを見てたんだな?」
いや、見ていなくとも噂にはなったのかもしれない。
何せ、賞金稼ぎマッド・ドッグが、女から、しかも娼婦から決闘を申し込まれたのだ。誰もが眼
を疑う光景に、マッドは平然とそれを受けて立ち、何ら手加減ないままに女を撃ち落した。
「つっても、俺が責められる謂れはねぇだろ。あの女が勝手に決闘を申し込んできたんだから。決
闘なんだから負けたら死ぬ事くらい覚悟してるだろうが。あんたみたいに、相手を殺さねぇなん
て真似、俺はしねぇしな。」
だが、マッドは決闘の作法を間違えたわけでも、踏み躙ったわけでもない。マッドはあくまでも
古来からの決闘の作法に則って、女を撃ち落しただけだ。サンダウンにとやかく言われる筋合いは
ない。
けれども、サンダウンは何が納得できないのか、青い眼を顰めている。
「あの、子供達は?」
「あん?ああ、あの金持ち連中を襲おうとしてた餓鬼共か。あいつは金持ちの家に忍び込む前に、
その家の使用人を殺してる。情状酌量してやる必要もねぇし、大体あいつらだって銃を持ってん
だ。手加減してやれってほうが無理だろ。」
というかあんたよく俺の仕事知ってるな。
マッドの笑い含みの声に、サンダウンはやはり表情を変化させない。それどころか、眉間の皺が
微かにだが深くなっているような気がした。
「なに?あんた俺の仕事にそんなに興味があるってわけ?これまで何人もの人間に愛の告白はされ
た事あるけど、そいつらだって俺の仕事を逐一調べたりしなかったぜ?あんた、そんなに俺の事
が気になるわけ?」
「何故、殺した?」
サンダウンは、再びマッドに訊いた。
マッドの揶揄するような言葉など、聞いていないような、底冷えするような声だった。その声に、
マッドはしかし笑みを引っ込めない。ただし、サンダウンの言いたい事ははっきりと理解している。
どれだけ相手が多勢であろうが、なんであろうが、マッド・ドッグともあろうものが女子供相手
に、銃を持っていたからという理由だけで撃ち落すはずがない。西部一の賞金稼ぎが、女子供を屈
服させるのに殺し以外の手を持っていないはずがない。
しかし、マッドは何ら頓着なく彼らを殺して見せた。
「気に入らなかったからさ。」
サンダウンの言葉に、マッドは今度こそ笑いながら、しかし本気で答えた。
「あいつらが気に入らなかったからさ。だから殺した。」
黒い視線でサンダウンの青い双眸を見据えて、戸惑いなく吐き捨てた。言葉の一片さえも手抜き
をせずに、それこそ愛の告白よりも魂を込めて吐き捨てた。
途端に、今まで無表情だった男から、微かにうろたえた気配がした。
「……それだけか?」
「他に理由なんかねぇよ。」
よもやマッドがそこまで本気で切り捨てるとは思っていなかったのか、サンダウンは戸惑ってい
る。かさついた声が、本当かと問うている。
これまでマッドが、なんら無意味に命を刈り取ってこなかったと思っているからだろうか。或い
は、マッドが嘆きの砦として機能している事を良く知っているからか、マッドが何ら躊躇いなく、
助けられるはずの命を撃ち落した事が信じられないのか。
そんなサンダウンの甘ったるい考えを、マッドは今一度切り落とす。
「あんた、なんか勘違いしてねぇか?俺は気に入らなかったら、女だろうが餓鬼だろうが、容赦な
く撃ち落すぜ?あんただって、牙が届くようになりゃあ撃ち落すさ。当たり前だろ。てめぇ、ま
さか俺を聖人君子だとでも思ってんのか?」
そうとも。
マッドは気に入らない賞金首は、悉く撃ち落してきた。マッドの機嫌を損ねた相手は、例え賞金
が掛かってなくとも、死の淵に蹴り落としてきた。
女だから、子供だからと言って、そこから逃れられるわけがない。
「あの女も、餓鬼も、俺の気に入らなかった。だから殺した。それだけだ。」
「………何が気に入らなかった?」
マッドの言い分に、サンダウンはふと思い直したように問いかけ直した。そう、サンダウンは聞
き方が悪かったのだ。何故と問われれば、気紛れなマッドは気に入らなかったからと答えるしかな
い。
「他人の金でのうのうと生きてやがったからさ。」
サンダウンの正しい問いかけに、マッドはようやく真を答えた。
義賊の奪い取った金で、のうのうと生きる事に慣れて、義賊が殺された途端に一人では生きる事
が出来なくなったと喚き散らしたからだ。
義賊の恋人だ、仲間だと喚きながら、銃を振り回した。
「だから、殺してやったのさ。」