クリスタル・バーでは、うらぶれた感じ以上にやさぐれた空気が醸し出されていた。賞金稼ぎと賭博師が、煙草と酒を片
 
 手にカードと睨み合っている。うすら寒い罵り合いを会話にして、互いの表情を読み取りながらカードを出しあっていた。



 賭博師は微笑みを浮かべて賞金稼ぎを眺めやる。馬鹿にしているともとれる、嫌になるくらい落ち着いた笑みだ。それは
 
 賞金稼ぎの神経を無意味に逆撫でする。



 本来ならば、誰よりも冷然としているはずの、マッドの。



 賭博師に見守られ、マッドは苦々しい表情でテーブルに己のカードを叩きつけた。ただし、表情に反してそのカードは、
 
 燦然と輝くロイヤルストレートフラッシュであった。
 





 薔薇の名前










 今朝、眼が醒めて――枕の向こう側に髭面の男がいる事には眼を閉じて――マッドは薄く笑った。昨夜現れた二人組の賞
 
 金稼ぎ。彼らの事は、マッドも同業者として少しばかり知っている。



 ロッシュとクレイグ。

 人狼ロッシュと冷鬼クレイグ。

 粗野で暴れ者のロッシュと、冷酷非情なクレイグ。



 激しやすいロッシュを芯から冷たいクレイグが操っている。他の人間の批評はともかく、マッドの眼にはそう見えている。

 そしてその判断はあながち間違いではないだろう。



 昨夜あの二人に投げつけたように、決して彼らは三流の賞金稼ぎではない。銃の腕云々は別にして、あの二人の眼に留ま
 
 った賞金首が無残な末路を辿った事は聞いている。それは、ロッシュの激情よって齎され、クレイグの非情により煽られ
 
 たものだろう。



 マッドにしてみれば、あまり付き合いたいタイプの同業者ではない。或いはロッシュ一人とならば、まだ可能性はあった
 
 のかもしれないが、クレイグとは死んでも一緒にいたくない。その事は向こうも分かっているだろうが。だが、分かって
 
 いて近づくのが、あの二人だ。



 やれやれ、と身を起こす。視界の端に砂色の金髪が映った事はこの際無視して、マッドは仕方ないと考えた。あの二人を
 
 相手に出来る人間は、この町にはいないだろう。事が起きても、この町の保安官では――彼を卑下するつもりはないが些
 
 か相手が悪い――きっと対応しきれない。ならば、あの賭博師が立ち去り、奴らがそれを追って何処かに失せるまで、自
 
 分が相手をしてやるしかないだろう。



 賭博師の事を思い出して、マッドは先程まで面倒だと思いながらも浮かべていた笑みを消す。賭博師である事をとやかく
 
 言うつもりはない。そもそも西部での賭博師の地位は決して低いものではないのだ。マッド自身、何度か手を出した事も
 
 ある。



 問題は、あの男の話す言葉と口調。マッドがあまり望んでいないものを、全て持っている仕草を見せつけている。ロッシ
 
 ュやクレイグも相手にしたくないが、こちらはもっと相手にしたくない。しかし、ロッシュとクレイグを相手にする以上、
 
 それは不可能な事のように思えた。そして、あの二人と同じく、向こうもマッドに気付いて近づいてくるような気がする。



 騒ぎが起こる事は嫌いではないが、騒ぎ方がマッドの好ましくない様相を見せている事に、旅芸人の一座で上向きだった
 
 機嫌が、再び下降し始めた。そしてその下降し始めた機嫌の予測は、マッドにとっては一番望まない形で当たる事になる。








 部屋から出ようともしないサンダウンに付き合う義理もないマッドは、昨夜の吹雪で再び足跡一つない白へと変貌した地
 
 面へと足を踏み出す。雪を踏みしめる、さくりとした感触に寒気が走った。膝まで埋まりそうな深さのそれに悪寒を感じ
 
 ながら、やはり雪を楽しむ事はどうしたって出来そうにないと思う。ずぶずぶと沈んでしまいそうな道を歩いていると、
 
 自分のほかに雪に足跡を付けている者がいる事に気付いた。まだまだ未発達のそれは、何かを転がしたような跡と一緒に
 
 点々とある。周囲を見渡せば、足跡の持ち主はすぐに見つかった。自分の身体の半分はある雪玉をどうにかして持ち上げ
 
 ようとしているビリーは、雪だるまを作っているらしい。一番下の雪玉に対して、上の雪玉の比率が大きいような気もす
 
 るが。



「よう。」



 雪玉を持ち上げる事に何度も失敗している子供に近寄り声を掛けると、ぱっと顔を輝かせた。



「あ、兄ちゃん!」



 先程まで熱心に触れていた雪を放り出し、雪に足を取られるのではないかと思うくらいの勢いで駆け寄って来る少年は、

 この天変地異を恐れる気持など一片も持ち合わせていないようだ。放り出された作りかけの雪だるまの丸みが、少し悲し
 
 い。



「おじちゃんは?」



 何故あの男の事を自分に問うのか。
 
 
 
 少し眉根を寄せたマッドだったが、子供の言う事なのでそこは突っ込まずにおく。



「さあ………寝てんじゃねぇの?」



 葉巻に手を伸ばそうとして、そういえば雪で全部駄目にした事を思い出す。内心で舌打ちするマッドには気付かず、ビリ
 
 ーはマッドの答えに、ふうんと頷いている。



「ねぇ、昨日、また人が来たって聞いたんだけど?」

「耳が早ぇな………。誰に聞いた?」



 小さく苦笑すると、ウェインが朝一番で保安官事務所に報告しに来たという答えが返ってきた。



「なんだか危なそうな人達だって言ってたけど。」

「まあ、間違っちゃいねぇだろ。」

「でも、おじちゃんとお兄ちゃんがいるから大丈夫だよね。」



 どう考えても自分とサンダウンも『危なそうな人達』に分類されると思うのだが。だが、この少年にそんな事を言っても
 
 無駄である事は、マッドは重々承知している。



「これから、アニーのとこに行くの?」

「ああ………昨日は最高だったって言ってやらねぇとな。」



 幾分か悪戯混じりの声で放ったマッドの台詞を、幼いビリーは額面通りに受け止めた。



「うん。昨日のアニーは綺麗だったもんね。」



 まあそれはそうなのだが。マッドの台詞の中に孕んだ――実際は何もなかったが――大人の意味合いを少年が嗅ぎ取るに
 
 はまだ早いのだろう。苦笑しっぱなしのマッドは、それを口元から消さずに、雪に覆われたサクセズ・タウンを見回した。

 そして、おやと思う。以前この町を訪れた時は気付かなかったが、町の中央から少し外れたところに、今にも崩れそうな
 
 小屋が、白に掻き消されそうになりながら立ちつくしている。



「なんだ、ありゃ?」



 ぼそっと呟いたマッドに、ビリーは怪訝そうな顔を作ったが、マッドの見る方向にある建物に気付くと、すぐに頷いた。



「教会だよ。」



 簡易的に作られる事の多い西部の町では、神の家である教会は最後に建てられる。町が落ち着き、確実に人が住まうよう
 
 になってから、神が座す場所は作られるのだ。それがあるという事は、サクセズ・タウンも一頃は人が定住する道を歩も
 
 うとしていたのではないだろうか。



「前は神父さんがいたんだけど、死んじゃってからは誰も行かないんだ。」



 死んだ。それはクレイジー・バンチの襲撃の所為だろうか。マッドの疑問は、次のビリーの言葉によって掻き消される。



「ううん。病気だったみたい。歳をとった人だったし、それもあったんじゃないのかな。」

「へぇ………。」

「うん、ピアノとか自分で弾いて、讃美歌とか歌ってた。」



 さりげなく紛れ込んできた、微かな刺。それが確かに心臓に突き刺さる。少し表情を消して、押し潰されそうな教会を見
 
 つめていると、小さな口笛が背後から聞こえた。



「これはこれは。西部一の賞金稼ぎが子供と一緒にいるなんて、もしかしたら俺は千載一遇とも言える光景を眼にしている

 のかな?」



 気取った声と口調。誰なのか、振り返らずとも分かる。ビリーが幼い顔に鋭いものを孕ませて、背後に忍び寄っていた男
 
 を睨みつけた。



「随分と早いお目覚めじゃねぇか。ブレント・グリーン。」



 彼の名を――本名かどうかは知らないが――正しく呼んでやると、賭博師は西部には似つかわしくない洗練された笑みを
 
 浮かべた。尤もその笑みはマッドも既に習得しているもので、リリーやファビアン相手には散々使用しているが。



「おや。君に知っていて貰えるとは光栄だね。」

「その道じゃあ有名だからな…………。」

「君ほどじゃあないさ。」



 何かおかしな言葉を口走りそうなブレントを見て、マッドは傍らにいるビリーに告げた。



「ビリー、お前はどっかで遊んでな。間違っても町から出るんじゃねぇぞ。」



 一瞬むっとしたようなビリーだったが、マッドの眼に有無を言わせない光が宿っている事に気付き、何も言わずにほった
 
 らかしにしていた雪だるまのもとへと戻って行く。その後ろ姿を気配だけで見送って、マッドはブレントを眺める。する
 
 とブレントは小さく首を傾げた。



「何か、俺は口にしてはいけない事を言ったかな?」

「未来では言ってそうだな。嘘であっても真実であっても。」

「それが私の商売道具だ。仕方がない。」



 賭博――この場合はポーカーなのだが――では、イカサマのテクニック以上に、言葉で相手を翻弄する技術が必要になっ
 
 てくる。ブレントはその事を言っているのだ。



「さて、こんな寒い場所で立ち話もなんだ。酒場に行ってゆっくりしようじゃないか。」

「………………。」



 正直なところ辞退したいが、辞退して宿に戻っても部屋にはサンダウンが居座って――同室である以上それは仕方ない事
 
 なのだが――いる。狼と虎に挟み打ちされたような気分になって、それでもマッドは薄い笑みを口元に刷く。



「てめぇがくだらねぇ事を言わねぇなら構わねぇぜ。」

「善処しよう。」



 同じように薄い笑みを浮かべた男は、完璧な所作で身を翻すと、雪の中さえ一部の狂いない足取りで酒場へと向かってい
 
 った。しかし、その後を追ったマッドは、すぐにその行動を後悔し、機嫌を最下降にまで低下させる事になる。

 







 酒場に辿りつくと、ブレントはすぐさまカードを広げた。 その光景に、もはや賭博が中毒と化しているのではないかと
 
 マッドは疑う。そんな疑いを余所に、ブレントは微笑んだ。



「実を言えば、昨夜あった時から、君とは勝負をしたいと考えていたんだ。何せ最近、あの賞金稼ぎ達のように喧嘩っ早い

 者達しか相手にしていなかったからね。純粋にゲームを楽しむ事が少なくなっているんだよ。」

「だったら眼がね違いだな。俺もあいつらとそう大差ねぇよ。」

「いや、そんな事はないはずだ。俺の眼に狂いがなければ。」

「じゃあ狂ってやがるんだな。」



 言い捨てると、ブレントは笑みを絶やさずに、そうだなと言った。



「じゃあ間違いかどうか、この勝負で決めようじゃないか。」



 何、と怪訝な顔をしたマッドに、ブレントは穏やかな笑みを消し、代わりに酷く狡猾に笑った。



「賭けるのは金じゃない。負けたほうが、勝った者の質問に答えるんだ。」



 瞬間、表情を消したマッドを面白そうに眺めやって、賭博師はねっとりと囁く。



「俺が勝ったら、君の名前を教えて貰おう。それで良いだろう?」



 良いわけあるか、と呻きそうなマッドはそれを寸でのところで止め、しかし表情は消したまま言う。



「悪ぃが、俺はてめぇの事で知りたい事なんざねぇよ。」

「だったら、これでどうかな?」



 ブレントが差し出したのは、数本の葉巻。それもマッドは好む銘柄だ。それを見て、マッドは舌打ちした。葉巻がなくて
 
 口寂しいのは事実だ。何か気を逸らしたい時に、葉巻がないのは面倒臭い。少し苛立った気分で、マッドはブレントの前
 
 に座った。その様子に賭博師は満足したように頷き、



「始めようか。」



 マッドにとっては決闘よりも重要な戦いの始まりを告げた。











「けれども、君の指は、銃を扱うには些か繊細すぎると思うんだ。」

「普通の指だ。」

「そうかな?それにしたって、西部一の賞金稼ぎを名乗るには、その手は美しすぎる。」

「…………馬鹿にしてやがんのか?」

「まさか。」



 ブレントはカードを手にしたまま肩を竦める。



「おそらく、艶めかしい楽器の色に似合うだろうと思っただけだ。きっと映える。」

「……………。」



 マッドは微かに殺気に似た気配を立ち昇らせる。マスターが怯える程度の。そしてそれはブレントには効果がない。



「声も仕草も、この西部にはない空気だ。」

「てめぇほどじゃねぇよ。」

「そうかい?少なくとも俺に負けてはいないよ。まるで南部の貴族だ。」

「はっ。本当の貴族様が何言ってやがんだか…………。」

「君に言われたくはないね。」



 一瞬、睨み合う視線。それを解いたのはブレントだ。ふわりと微笑み、諭すように言う。



「怒らないでくれ。私は自分と同じ人間に会えて嬉しいんだ。」

「残念ながら、俺はあんたと同じ人間じゃねぇよ。」

「ああその通りだ。同じ人間などいるわけがないだろう?けれど君と俺は同じ部類の人間だ。」

「気持の悪ぃ事言うんじゃねぇ。てめぇと同じなんざ、例え事実であっても嬉しくねぇな。」

「しかし事実だ。それは曲げられない。」

「少なくとも俺は、てめぇみたいに歪んだ状態で生きてるつもりはねぇ。」



 すっとブレントの眼が細くなる。同時に消える表情。対するマッドは酷く苦々しげだ。そんなマッドに、賭博師は囁いた。



「…………Tu fui, ego eris.」



 微かに見開かれるマッドの眼。その表情の変化に、色を失くしていたブレントの顔に、再び笑みが戻って来る。マッドの
 
 唇が微かに震え、今にも射殺せそうな視線をブレントに送る。散々マッドの心を揺さぶった男は、その視線をあっさりと
 
 躱し、会心の笑みを浮かべて己のカードを広げた。美しく並ぶストレート・フラッシュに、賭博師は勝利の視線を賞金稼
 
 ぎに向ける。そんな賭博師に、マッドは苦い表情を崩さずに、繊細な手を叩き壊せそうな勢いでカードをテーブルに押し
 
 当てた。



 その瞬間、賭博師の笑みが失せた。



 表情とは裏腹に並ぶカードは、麗しいロイヤルストレート・フラッシュだった。それを眼前に叩きつけたマッドは、苦々
 
 しい表情を消して――ただしそれ以外の表情も作らず――賭博師に告げる。



「俺はてめぇみたいに曲がったりしねぇよ。」



 そんな事になるくらいなら壊れてやる。



 低く囁き、マッドは葉巻を引っ掴むと賭博師の前を離れた。