舞台の上で悪魔が駆け巡っている。魑魅魍魎が周囲の闇の中で蠢く中、鋳造の為に灯した炎を浴びて、悪魔に魂を売り渡
 
 した裏切り者の青年が、ゆっくりと数を数えている。



 一つ、二つ、三つ…………。



 口角はめくれ上がり、炎によって顔に引かれた影は、まるで彼自身が悪魔そのものであるかのよう。その背後で、ゆらり
 
 と真の悪魔が立ち上がっている。低い深い声は木霊のように闇の底で響いている。そして、薄く嗤う。



「よかろう!地獄の門にかけて!明日はお前か、奴だ!」



 作り上げられる銃弾の数に、銃撃の魔王の声が重なった。瞬間、青年が叫ぶ。



「ザミエル!ザミエル!」



 叫ぶ声が、一瞬、あの世界で聞いた呪詛と重なった。そして、それが自分に目掛けて投げつけられたような気がして、サ
 
 ンダウンは芯が冷えた様な気がした。






 幕開けの夜









 マッドの代わりに現れたサンダウンに、リリーは少し驚いたような表情こそ見せたものの、直ぐにあの好奇心と生気に満
 
 ちた眼差しをサンダウンに向けた。そして、舞台が終わるまで、ある部屋で待っていて欲しいと告げられた。



 ある部屋――それは舞台が一望できる小部屋だった。リリーをエスコートする役目の人間には、特等の席が与えられるら
 
 しかった。舞台を一望できる席は、リリーとファビアンの名声を知る者ならば、妬みの対象とさえなるものだろうが、し
 
 かし一切の興味のないサンダウンにしてみれば、やたら広い席――五人くらい座れそうな小部屋に一人で放り込まれても、
 
 何もする事がない。
 
 
 
 というか、そもそも自分は何故こんな所にいるのか。

 マッドが買ってきた服を、半ば無理やり着せられて――服を着たサンダウンへのマッドの反応は『まあいいんじゃねぇの』
 
 という微妙なものだったが――リリーのもとへと向かわせられたのだが、これならば最初から大人しくアニーのほうに行
 
 ったほうが良かった。保安官時代に培った知識を総動員して、なんとか粗もなく此処まで来れたが、長年気ままな放浪生
 
 活をしていた為、どうしても肩が凝る。


 
 ちらりと客席に視線を向けると、どうしたって目立つ男の姿があった。すらりと背の高い所作の綺麗なマッドは、ごみご
 
 みとした客席を何事もないように闊歩している。彼が同伴しているのは、ブロンドを華やかに結い上げたアニーだ。マッ
 
 ドが見立てたというボルドーのドレスは、マッドが自信満々に言っていた通り、確かに彼女に似合っていた。
 
 
 
 はたから見れば、存分に似合いの二人なわけだが、少し耳を澄ますと紳士と淑女が交わす言葉とは程遠い、言い争いが聞
 
 こえてくる。聞いていれば、淑女としての扱いに慣れていないアニーがいちいちマッドの行動に突っ込んで、マッドもそ
 
 れにいちいち応酬しているという、他愛のない遣り取りのようだが。その二人を、頭二、三個分低い所で、これまた正装
 
 したビリーがおもしろそうに聞いている。
 
 

 そんな三人の様子は、舞台が幕開けてからも変わらない。流石に声高な言い合いではなかったが。アニーが時折何事か呟
 
 き、それにマッドが薄い笑みを浮かべて答え、そこにビリーが何かを尋ね、更にマッドが答えるというような遣り取りを
 
 繰り返している。気安そうな彼らの雰囲気に、安堵のような何とも言えない気分で眼を細めて眺めていると、耳元で囁か
 
 れたようなねっとりとした声が舞台から突如湧き上がった。



「私は此処にいる………。私は此処に在る。そう、此処に在るのだ。」



 はっとして舞台に眼を向けると、それはちょうど魔王が現れる瞬間だった。










「いかがでしたか?」



 魔王の衣装を解いたリリーは、普段の溌剌とした瞳に戻っている。狩猟の悪魔ザミエルを演じていた時に浮かべていた、
 
 虚ろでありながら心底人間達を嘲っている色は何処にも見当たらない。しかし、リリーの質問に、残念ながらサンダウ
 
 ンは答える事が出来ない。
 
 

 善良な青年を唆す醜い男と、その背後で死の翼を広げている魔王のやり取りは、サンダウンの中で未だ蟠る、冷たい世界
 
 の事を否が応にも連想させた。何が似ているというわけでもない。ただただ根底に広がる、底冷えする人間の悪意のよう
 
 なものが一致したというしかないのだが。
 
 

 しかしそんな感想を言ったところで、あの世界の事を知る者はこの世には自分しかいない。それ故、戸惑わせてしまう事
 
 は眼に見えている。だから、サンダウンはとりあえず先程の劇の名前を問う事にした。



「『魔弾の射手』………ドイツの作曲家、ウェーバーのオペラよ。」



 リリーは鈴の鳴るような声で答えた。



「若き狩人が恋人を得る為に、悪魔の囁きに身を委ねてしまうお話。その悪魔の囁きは自分の仲間から齎される。人の弱さ

 を描いた作品とでも言えば良いのかしら?」

「……………。」



 朗らかな声に、サンダウンは短く頷くしかない。マッドならばもう少し何か言えたのかもしれないが、不気味さと己の中
 
 にある凍えを暴かれたような気持ちになっているサンダウンには、何も言えない。そんなサンダウンの様子にリリーは何
 
 を思ったのか、笑みを少し薄め、首を捻って辺りを見回した。



「あまり、舞台を見てくださらなかったようね。」



 聞けば酷く辛辣な言葉だが、リリーの口調はころころと笑っている。



「舞台からずっと見ていたけれど、ずっとあちらばかりを気にして。」
 


 あちら。



 リリーの視線の方向には、何やら賑やかな男女と子供の一組が。劇が終わってもまだ何か言い合っているのか、マッドと
 
 アニーの間には軽妙に言葉が飛び交っている。



「気持ちは分からないわけではないわ。とても目立つ人だから。」



 リリーが誰を指し示しているのかは、違えようがない。西部の武骨さの中からは、はみ出してしまっている。しかしリリ
 
 ーやファビアンのような人々の中にいても突出している。それが良い事なのかどうかはサンダウンには分からないけれど。



 眺めているうちに、どうやらエスコートは終了したらしい。アニーは足音を立てて階段を駆け上がり、部屋に閉じこもっ
 
 てしまう。ビリーも保安官と一緒に帰って行く。一人残されたマッドは、くるりと身を翻して、裏切り者の青年を演じた
 
 ファビアンに話しかけていた。いつも口元に浮かべている皮肉な笑みとは別の、徹底的に洗練された機能的な笑み。アニ
 
 ー達と話していた時は思う存分放たれていた熱が、再び消え去ったような気がした。



 ファビアンと連れだって何処かに歩き去っていく後ろ姿を、何の手だてもなく見送っていると、リリーがひっそりと言っ
 
 た。



「宿まで、送ってくださらない?」



 エスコートするべき相手を放り出しているサンダウンに、リリーの瞳には何処までも笑みが浮かんでいる。まるで、何も
 
 かもを見透かしているようだ。本当は何も知らないのだろうけれど。サンダウンはリリーの手を取ると、雪が再び降り始
 
 めた外へと歩き始めた。











 本格的に吹雪始めた頃、マッドはふらりと部屋に帰ってきた。その手に一冊の本を携えて。それを見咎めていると、マッ
 
 ドは小さく笑みを浮かべた。



「今日の劇の、原文さ。」



 中央に防波堤のように枕が積まれた――マッドが自分とサンダウンの間に割り込ませるように積んでいる――ベッドに腰
 
 掛け、マッドはぱらぱらと本を捲っている。



「あの座長はなかなか勉強熱心だな。訳された本じゃあ細かいニュアンスまでは分からないってんで、ドイツ語の原文を読

 んで、それから台本を作ってる。」



 最終的には翻訳するんだから同じではないのか、とサンダウンは思ったが、そこは黙っておく。それよりも、やはりマッ
 
 ドはあの劇の内容を知っていたのだ。劇中にアニー達とこそこそ喋っていたのは、劇の内容をアニーとビリーに分かりや
 
 すく説明していたのだろう。



「シェークスピアと違って、そんな昔の話じゃねぇんだよ、これ。」



 せいぜい60年くらい前に作られたんだっけか、とマッドは言う。



「今回の劇は、原作の中の一幕だけだからな。ちょっと分かりにくかったかもな。」



 あの後マックス――悪魔と友人に唆されて魔弾を使ってしまう青年――が魔弾を射撃大会で使うんだ。魔弾を鋳造して終
 
 わりだった劇の続きを、マッドが低く囁く。愛しい者を手に入れる為に、魔弾を使う。しかし最後、魔王ザミエルが現れ
 
 る。



「俺はこの話、あんまり好きじゃねぇんだけどな。」



 ファビアンとリリーの演技は良かったけれど、と付け足しておいて、マッドはしかしそれ以上は作品については触れなか
 
 った。代わりに、にやっとした笑みを浮かべてサンダウンを見上げる。



「で、どうだったよ?」



 何がだ。

 急に話を振られて怪訝な顔をするサンダウンに、マッドはむっとする。



「なんだよ。せっかく人がエスコート役を代わってやったんだぜ?リリーとなんか話くらい出来ただろうが。このまま部屋

 に戻ってこなくたって良かったんだぜ?」



 それはベッドを占領できるという思惑で言っているのか、それとも思い違いでなければ、この男は何かとんでもない勘違
 
 いを、さっきからずっとしているんじゃないだろうか?

 呆れを通り越して軽い怒りさえ覚えるサンダウンに、マッドは口を尖らせる。



「はっきりしねぇ奴だな。なんなら俺がリリーに頼んで部屋代わって貰っても良いぜ?それとも、代わりに恋文でも書いて

 やろうか?」
 


 いらん。



 軽い怒りのあまり、一瞬、ベットに境界線のように置かれた枕をひっぺがすどころか、そのまま押し倒してやろうかと気
 
 が狂ったような事を考えた。
 
 
 
 しかし、それを実行する機会は終ぞなかった。階下が突然慌ただしくなり、ウェイン夫妻の声が切迫したように繰り返さ
 
 れているのだ。何事かと眉を顰めたサンダウンに、マッドはのそのそと窓辺に寄って外を見る。所々に家々の灯りを受け
 
 て瞬く雪の中、小さな山を見つけた彼は、すっと眼を細めた。その表情はマッドが獲物を見つけた時に浮かべるものと同
 
 じだ。もしくは臨戦態勢に入る直後の。



「招かれざる客、みたいだな。」



 行ってやれよ、とマッドはひらひらと手を振る。



「俺よりもてめぇが行ったほうが、あいつら安心するだろ。それに寒いから俺は動きたくねぇ。」



 後半部分に思いの丈をありったけ詰めて、マッドはベッドの上で毛布に包まる。黒い頭だけ見せた男は、きっと梃子でも
 
 出てこないだろう。そんなマッドに溜め息を吐いて、サンダウンは一人扉を開けて、階段から階下を覗き込む。オレンジ
 
 色の灯りが灯ったカウンターの前には、黒い染みが出来ており、その上には溶けきらない雪の塊が転がっていた。それら
 
 の真ん中で、薄暗い影が雪塗れで立っている。夜半に現れた客は、少し高い声でウェインに告げていた。



「悪いが少し匿ってくれないか?追われてるんだ?」



 発言の内容とは裏腹に、何処となく笑い含みの声。その口調に、サンダウンは眉を顰める。



「追われてるってのは?」



 ウェインが宿の帳面を片手に、やや不審げに灰色のコートに身を包んだ男に聞いている。すると男は軽く首を竦めた。



「ならず者どもが気に食わないっていう理由で善良な者を追いかけるのは、良くある事だろう?」



 とてもではないが善良そうに見えない男に、ウェインは眉間に皺を寄せる。厄介事の臭いを嗅ぎ取ったのだろうが、しか
 
 しこの雪の中放り出すわけにもいかないのだろう。闖入者である男とは違って、性根から善良であるウェインに、無慈悲
 
 な事が出来るわけがない。そしてそこの事に、男も気付いている。



「おっと………そうこうしているうちに、追手が来てしまったな。」



 困ったように眉根を寄せ、しかし口元から笑みを消さない男の言うとおり、吹雪の音に混じって鋭い馬の嘶きが吹き込ん
 
 だ。はっと身を固くするウェインよりも先に、激しく宿の扉を叩く音が響き渡る。がんっという鈍い音と共に扉が蹴破ら
 
 れ、風の泣く声が一際大きくなった。がたがたと開け放たれた扉が、風に煽られて激しく揺れる。それと共に広がる冷気。

 その中を血気盛んな二人の男が割って入って来る。



「追いついたぜぇ………ブレント。」



 粗野な声と手入れも碌にされていないような髪と髭。二人とも、荒々しい西部の色をしている。それに対して、追われて
 
 いるブレントと呼ばれた男は、追い詰められているにも拘わらず、飄々とした笑みを浮かべている。



「おやおや、こんな吹雪の中、俺を追いかけてくれたのか。そんなに俺の事が好きかい?ロッシュ?」



 馬鹿にしていると言うよりも、相手の神経を逆撫でする為に練り出された台詞は、その目的を違える事なく荒くれ者達の
 
 神経を煽ったようだ。



「そんなふざけた口叩きやがれるのも此処までだ!その毛の生えた心臓撃ち抜いて、1000ドルの賞金を戴いてやらぁ!」

「俺としては、1000ドルは少し安いと思うんだがね。そう、あの牧場主に言っといてくれないか?」

「ああ……てめぇの死体を引き摺ってからな!」



 かちり、と跳ね上がる荒くれ者ロッシュの銃口。騒ぎを聞きつけて、宿に泊っているファビアンやリリー達も部屋から顔
 
 を出してきた――顔を出してないのはマッドだけである。銃弾の餌食なりそうな宿の、主人であるウェインは、それでも
 
 以前のクレイジー・バンチに比べるとましだと感じているのか、微かに蒼褪めるだけでなんとか平静を保っている。しか
 
 し、これ以上が限度だろう。サンダウンはそう判断し、階段を素早く降りると荒くれ者と男の間に割り込んだ。その瞬間、
 
 ウェインの安堵の溜め息が零れる。ぴくんと、ロッシュと呼ばれた血気盛んに吠えている男の眉が跳ね上がった。



「なんだぁ、てめぇ?邪魔しようってか?」

「……………。」



 沈黙して冷めた眼差しで見ると、いっそう逆上したらしい。



「黙ってんじゃねぇよ、この野郎!」

「待て。」



 黙っていたもう一人が、ようやく口を開いた。今にも引き金を引きそうなロッシュを抑え、口の端だけに笑みを浮かべて
 
 サンダウンを見据える。



「サンダウン・キッドだな?」



 その言葉に、ロッシュは相棒とサンダウンの顔を見比べ、ブレントは口笛を吹く。その言葉はリリーとファビアンにも聞
 
 こえていたらしく、小さなざわめきが波になった。



「5000ドルの賞金首が味方になってくれるのか………心強い。」



 ブレントは微笑んで呟く。しかしサンダウンはそれに答えるつもりはない。そんな二人を見て、サンダウンの名に一瞬戸
 
 惑っていたロッシュが、にたりと笑みを深くする。



「へっ。こいつは都合がいいじゃねぇか。まとめて6000ドルの賞金かぁ!」

「悪いが、そいつの首を取るのはてめぇじゃねぇ。」



 素っ気ないくらいにあっさりと、ロッシュの言葉を切り捨てたのは、ロッシュの相棒でもサンダウンでもブレントでもな
 
 かった。 



「サンダウン・キッドの首を撃ち取るのは、このマッド・ドッグ様だ。てめぇら三流の賞金稼ぎが割り込む隙なんかねぇん

 だよ。」



 階段を降りながら、眠りを誘う夜と同じくらいとろりとした黒い髪を揺らし、ベッドに潜り込んでいたはずのマッドが、
 
 ゆったりと笑う。その登場に、反応したのはロッシュの相棒だった。彼は口の端に浮かべていた笑みを僅かに広げる。



「マッド・ドッグ………おかしな話だ。サンダウン・キッドを追っているあんたが、サンダウンと同じ宿で仲良くやってる

 なんてな。」



 ロッシュを押し留めた相棒――ロッシュは彼をクレイグと呼んでいた――は、意味ありげにマッドを見る。挑発という意
 
 味を込められているのだろうが、それをマッドはやんわりと受け止めた。



「この寒空の下、てめぇらの為に墓穴なんか俺は掘りたくねぇからな。」



 お前だってそうだろ?とマッドはウェインに話を振る。突然話しかけられたウェインは、しかし頷いてみせる。



「この町じゃ、この季節、誰も墓穴なんか堀やしないよ。撃ち合いをするのはいいけど、後始末はあんたらでしてくれ。」

「ウェイン……あんた、甘いぜ。騒ぎを起こすんなら宿には泊めねぇくらい言ってもいいんじゃねぇのか?」



 壁にうっとりと凭れて、夢見心地の雰囲気でそう言うマッドは、実は本当に眠いのかもしれない。





 言葉をなくした賞金稼ぎに、ふわりと背を向けて部屋に戻るマッドは、最後に一つ欠伸を落とした。