太陽が天頂を通り過ぎてしばらくした頃にクリスタル・バーを訪れたのは、すこぶる美女だった。クリスタル・バーにい
 
 た男全員の視線を集めるほど。グラスを磨いていたマスターが、小さくピュゥっと口笛を吹いた。

 

 黒を基調にした赤いレースの縁飾りのついた、やや派手なドレスに身を包んだ美女は、しかしその派手さに負けないほど
 
 生気に満ちた眼と表情をしている。高く結い上げたブルネットのカールした髪が一房落ちた表情の中で、大きな鳶色の瞳
 
 はきらきらと輝き、ふっくらとしたサクランボ色の唇は笑みを湛えている。

 

 ゴールド・ラッシュの波が引いたサクセズ・タウンのうらぶれた感とは対照的に、都会的な洗練された空気を醸し出して
 
 いる。そしてその麗しい手を引いてエスコートしているのは、彼女以上に洗練された仕草で酒場のドアを開いてみせたマ
 
 ッドだった。





 役者達の集い








 サンダウンが酒場の扉を開くと、真っ先にビリーが飛びかかってきた。



「おじちゃん!」



 腰のあたりに飛びついてきた少年を振り解くでもなく、ただ寡黙な目で見下ろすサンダウンに、その様子を、笑みを浮か
 
 べて見ていたアニーが、声を掛ける。



「どう?人心地ついた?」



 昨日、雪だるま状態で町に飛び込んできた事は、すでに周知の事実となっている。アニーの背後では、マスターもにやっ
 
 としていた。



「ま、当分あったかくなる事はないだろうし、それまでゆっくりしていったら?此処にはあんたを売るような真似する奴は

 いないし。」



 そんな事する奴はあんたが担ぎ込んだあの男くらいよ。

 賞金稼ぎであるマッドの事を指し示し、アニーはそれで、と訊いた。



「その、あんたが担ぎ込んだ凍死寸前の賞金稼ぎは?」



 まさかまだ眼を覚まさないの?

 微かに眉を曇らせるアニーに、ビリーも騒ぐ。



「そうだよ!あの兄ちゃんは?!」



 賑やかしい男が白い顔を曝して硬く眼を閉ざしていた姿は、流石に衝撃ではあったらしい。そもそもこの町の住人は、騒
 
 がしいマッドしか知らないのだ。そんな男が、今にも死にそうな眠りの縁にいたというのは、善良な彼らにとっては不安
 
 を醸し出す要因にしかならないのだろう。尤も、彼らの心配を余所に、当の本人はぴんぴんして、しかもサンダウンと同
 
 室になった事に拗ねてい部屋に閉じこもっているわけだが。
 
 
 
 その事を端的に告げると、ビリーは安心し、アニーは安心を通り越して呆れた表情を見せた。



「相変わらずって事ね………あんた達は。」

「……………。」



 さりげなく自分も含められた気がするが、そこには敢えて口出しせずにいよう。あの悲しい世界で出会った仲間達の中で
 
 紅一点の少女に、いらぬ事を言ってコテンパンにされた少年達の事を知っている身としては、女性の言う事に下手に抵抗
 
 しないほうが賢い事を学習している。



 アニーとビリーとマスターの会話に、専ら聞き役に徹する事を決めた――というか、サンダウンに彼らの会話に口出しす
 
 る必要が果たしてあるのか――サンダウンは、時折酒を頼む以外は声を発しない。それでも久しぶりに間近で聞いた人々
 
 の会話は、他人と関わらない生活を余儀なくされているサンダウンにとっては、それはそれで楽しいものではあった。現
 
 に、気がついた時には昼を過ぎてしまっている。



「ああ、仕事をほっぽり出して喋りすぎたな………。」

「いいじゃない。どうせ客だって来ないんだし。来たってクリントとかジェンマとかでしょ。」



 自分の仕事を思い出したマスターに、アニーが現実を突きつけるような台詞を吐く。それにマスターは傷ついたような溜
 
 め息を零した。



「お前ね……それでも偶には行商の人とか来るじゃないか。」

「こんな雪の中来ないわよ。大体、この町に住んでいるジェンマ達だって来ないじゃない。」



 開店休業よ、とアニーがずけずけと、マスターとこの店の今後を考えさせるような事を言っている間に、ちらりと話題に
 
 上った若者達が雪塗れになりながら酒場の扉を開いた。



「ううっ………寒い。マスター、なんかあったかいものを。」



 服の袖をびっちょりと濡らし、ジェンマがマスターに物凄く漠然とした注文をする。その背後で、クリントが俺も!と叫
 
 んでいる。



「ちょっと、あんた達!店の床濡らさないでよ!」



 若者達からぼたぼたと零れて床に染みを作る滴に、アニーが叫ぶ。しかし彼らはそんな事を一向に気にせず、少し慌てた
 
 ように身振り手振りで話し始める。



「いや、アニー、それどころじゃないんだって!」

「そうそう。今、町の前で馬車が雪の所為で立ち往生してたんだけど、誰が乗ってたと思う?」



 椅子に座る事もせずに喚き立てる彼らは、気を持たせるようにそこで一息区切って、そして仰々しく告げた。



「西部を流れる旅の舞台役者、ファビアン・デンボーとリリー・グリース!」

「劇団『コキュートス』の一座さ!」

「なんだって!」



 真っ先に反応したのは、そういった芸能に一番通じているマスターだ。



「ファビアンとリリー!あの美男美女が!この町に!」



 興奮した面持ちで叫ぶマスターとは対照的に、アニーは酷く冷静に、ああと頷いている。



「お兄ちゃんが見てる厭らしい雑誌の端っこにちょっと名前が載ってたわね………その人達、そんなに有名なの?」

「お前!なんて失礼な!あの二人は最近めきめきと名前を伸ばしている俳優だぞ!どこの劇場からも引く手数多なのに、旅

 芸人として各地を回り、自分達の実力がどのくらいなのかを見極めようとしているんだぞ!そんな役者根性溢れる役者だ
 
 ぞ!」



 熱く語るマスターに、子供のビリーはきょとんとして、それでも辛うじて理解出来た言葉から、己の理解した内容を紡ぐ。

 因みにサンダウンは完全に世俗から切り離されているので、話には全くついていけない。



「つまり、旅芸人?」



 今、ビリーの頭の中ではマラカスが盛大に鳴っているに違いない。ビリーの知る旅芸人といったら、あの些か陽気すぎる
 
 きらいのある、頼りなさげなメキシコ風の三人だ。そんな誤った認識を改めるべく、マスターが慌てたように補足する。



「いや、確かにそうだが違う、違うぞ!ビリー、お前が想像しているのよりも彼らはもっと麗しい!」



 実物を見れば分かるはずだ、と言ったマスターに、ジェンマは首を竦める。



「ま、もう少ししたら来るとは思うけどさ。」

「でも、俺達もまだ話をしたわけじゃないんだ。」



 どことなく気落ちしたように、ようやく椅子に腰を落ち着けた。



「馬車を雪から引き摺り出したのは俺達なのにな。」

「ずるいよな。」



 先程とは打って変わって重苦しい気配を放ち始めた若者達に、アニーは軽く舌打ちした。



「一体どうしたってのよ。その役者達となんか逢ったの?」

「何もなかった。本当に、何もなかった。」



 重々しくジェンマは告げると、怨みがましい視線をサンダウンに向ける。しかしサンダウンには、そんな眼で見られる理
 
 由が分からない。だが、色事が盛んな時期である若者達には、十分に理由があったようだ。



「あんたの相棒が連れて行っちまった!」

「そう、しかもリリーの手に口付けまでして!」



 何の話かが、分からない。
 
 というか、誰が相棒だ。

 誰の事かは分かるけれど。



 話が分かったのはアニーだった。彼女は己のブロンドを軽く払うと、そりゃそうよと若者達に追い打ちをかける。



「ま、当然の話じゃないの?あんた達に役者の相手が務まるわけないじゃないの。この町の事しか知らないのに、話をして

 ボロが出て終わりよ。」



 あんた達が一端にエスコートしてる姿なんか想像もつかないわ。

 ぐさりと心臓を突き刺すような台詞をアニーに言われて、若者達はテーブルに突っ伏す。しくしくという泣き声まで聞こ
 
 えそうなくらいだ。



 しかしその泣き声は、開け放たれた扉の音で掻き消された。扉から覗く白い銀世界から雪崩れ込んできた、ギリシャ彫刻
 
 を思わせる彫りの深い顔。何処となく大げさで、けれど不快に思わないのは様になっているからだろう。夢見るような眼
 
 差しをした男は、颯爽とうらぶれた酒場を横切り、カウンターの前までやって来る。



「初めまして。私は劇団『コキュートス』の座長、ファビアンです。雪で馬車が埋まってしまいまして、少々御厄介になり

 ますが、よろしく。」

「は、はい。なんなりと!」



 何故だか背筋を伸ばして答えるマスターに、ファビアンは笑みを一つ投げると、今度はテーブルに伏している若者達のも
 
 とへと行く。



「先程はありがとうございます。本当ならもっと早くお礼を言うべきでしたね。」

「い、いいいえ!」



 こちらも、ぴんっと背筋を正す。

 何故だ。



 緊張でこちこちのマスターと若者を、興味のないアニーとビリー、そしてその方面に全く疎いサンダウンはただただ眺め
 
 るしかない。そしてその、微妙な空気を更に掻きまわすように酒場の扉が穏やかに開いた。扉に添えられているのは細く
 
 繊細な指だ。その手のもう片方は、酒場の中をざわめかせた美女の腰に添えられている。ブルネットの髪の豊かな美女は、
 
 きらきらと眼に光を灯して、うらぶれた酒場を蔑む事もなく優雅に立ち入る。



 なるほど、確かに美人だ。
 
 

 サンダウンは洗練された彼女を見て、そう思う。足音一つにも隙がなく、アルコールと葉巻の匂いしかしない酒場に、ま
 
 た別の甘やかな匂いが漂ってきそうだ。確かに、西部の武骨な――しかも田舎じみた――若者達にはエスコートは難しそ
 
 うだ。それを平然と伴えるのは、この場ではファビアン以外には一人しかいないだろう。その一人が、彼女の腰に臆する
 
 事なく手を添えて、酒場の中でも最も良い席へと導いている。



 賞金稼ぎの顔を引っ込めて、何処かの貴族のような立ち振る舞いでリリーをエスコートし、彼女の為に椅子を引くマッド
 
 の表情は、多分、サクセズ・タウンの人間の眼から見れば、奇怪な事この上ないだろう。先程も言ったが、彼らはマッド
 
 の賑やかしい一面しか知らないのだ。骨の髄まで洗練された仕草も声も、きっと愕然とするような内容に違いない。



 アニーも想定外だったマッドの様子に、サンダウンは軽い一瞥を投げる。サンダウンは、マッドが見せるその滑らかな仕
 
 草を知っている。声も、その乱暴さを除けば美しい発音をしているのだ。長い付き合いの間で見てきたその体躯は、この
 
 荒野の中ではとても都会的だ。しかし、そのサンダウンでさえ見た事がないくらい、今のマッドは何処かの名門の子息か
 
 何かのように振舞っている。ファビアンやリリーと交わす声は低く落ち着いて、それが即席のものでない事を告げている。



 そこだけ切り取ったかのような光景から、サンダウンは眼を逸らす。もしかしたら、あちらがマッドの本分なのかもしれ
 
 ない。サンダウンの本分が実は守る事であるように、マッドの本分も本当は徹底的に洗練された場所にあるのかもしれな
 
 い。それはサンダウンの中に、酷く苦いものを垂らしこんだ。



 マッドが聞けば、きっと怒るような理由だ。

 サンダウン自身、何様だと思っている。



 マッドは別に、自分のものではないし、そんな事を思うつもりもない。マッドはサンダウンと違って、まだ世界と繋がっ
 
 ているのだ。知り合いも多ければ、居心地の良い場所もたくさん持っているだろう。だが、サンダウンにしてみれば、彼
 
 以外に付き合いが長い者はそうそういないのだ。そんな相手が、不意に知らない表情を見せる様は、あまり気分の良いも
 
 のではない。
 


 まるで、世界から締め出されたようだ。



 都会の空気に身を委ねて、荒野から眼を逸らしている姿に、サンダウンはそう思わずにはいられなかった。

 この酒場が、あの悲しい世界と同じような色をしているような気がした。