空は相変わらずの曇天。あの乾いた、しかし濃い青色を見せる気配は一向にない。むしろ、今にも灰色の雲間から雪を振
 
 り落としそうだ。稲光さえ走らせそうな空を窓硝子の中から見上げ、マッドは溜め息を一つ零した。



 この様子だと、おそらく夜になれば再び雪が降り積もるだろう。仮に晴れたとしても雪が積もった地面の上は、馬にして
 
 は異様に神経の太いディオでさえ走りたがらない。その上、目印が隠された中を移動するのは危険行為だ。従って、当分、
 
 この町からは出られそうにない。
 
 
 
 白い雪に囲われた宿の一室に、サンダウンと一緒に詰め込まれる羽目になった事もある意味不幸ではあるのだが、それ以
 
 上にマッドにしてみれば、娯楽施設の乏しい町に閉じ込められた事のほうが問題だった。




切欠達の登場





 宛がわれた部屋――嬉しくない事にサンダウンと同室な上、同衾せよと言われた――に足音高く戻ってきたマッドは、む
 
 すっとした表情で窓辺に肘をついて外を見ていた。安っぽいがウェイン夫妻が毎日掃除しているらしく、宿の窓は全て曇
 
 り一つない。澄んだ硝子の中から、白銀の世界を見ていると、妙に落ち着かない気分になる。白で覆い尽くされた、本来
 
 煤けた茶色のはずの世界は、まるで上辺を取り繕う事に慣れた己のようだ。



 その事が気分を逆撫でするのだと気付けば、もはや機嫌は下降の一途を辿るしかない。サンダウンと同室だとか、そんな
 
 他人の所為――サンダウンに助けられた事が原因の一端である以上マッドの所為でもあるのだが――に出来ない事実に、

 マッドからはふつふつと表情が消えていく。しかも今此処には、怒鳴り散らせる相手もいないのだ。



 そうなると、後はもう享楽に身を任せるしかない。とにかく、自分の一番深い淵で叫ぶ置き去りにしたもの達を忘れる為
 
 に、一時的な快楽に身を任せてしまいたい。だが、こんな小さな町にある娯楽施設と言えば、ちっぽけな酒場くらいだ。



 いつものように葉巻に手を伸ばそうとして、そういえば雪で駄目になった事を思い出す。あの酒場に売っているだろうか
 
 と考えながら、自分が好んでいる物は置いていないだろうなとも思う。



 当てもなくぼんやりと視線を漂わせると、白の中に黒い足跡を付けている男の背を見つけた。今は雪に覆い隠されている
 
 砂と同じ色の金髪が揺れて、遠ざかっていく。その脚はあの酒場を目指している。



 まあ歓迎される事は間違いないだろう。マッドにとっては5000ドルの賞金首でしかないサンダウンだが、この町ではそれ
 
 以上にこの町を救った英雄なのだから。そう言う意味で考えるのならば、この町に辿りつけたのはサンダウンにとっては
 
 幸運だろう。この非情な雪の中を突っ切ってサンダウンを狙うならず者はいないだろうし、いたとしても住民に宿や食糧
 
 をネタに止められる。天災と人災の二つに守られ、サンダウンは絶好の休息の機会に恵まれているに違いない。



 マッドでさえ決闘を申し込む気にもならない白銀の世界をふらふらと歩いている見知った背中を、意味もなく視線で追い
 
 かけていると、不意にサンダウンが振り返った。まさか、これだけ離れているにも関わらず視線を感じたわけでもあるま
 
 い。しかし確かにその空色の眼と、己の眼が合った。ぎくりとして、慌てて視線を逸らしてから、なんで眼を逸らす必要
 
 があるんだと自分に突っ込んだ。別に疚しい事があるわけでもないし、そもそも眼を逸らしたところで、窓硝子と光の屈
 
 折に遮断された自分の姿が見えるわけでもない。そろそろと視線を窓の外に戻すと、サンダウンは既に背を向け歩き出し
 
 ていた。ほら見ろ、あの男だって気付いていないじゃないか。



 無意味なくらい安堵した自分の事にはもう眼を瞑り、マッドは男の影を呑みこんだ建物を眺める。クリスタル・バーと書
 
 かれている看板も、今は氷が張り、更にその上に白い雪が塗されて霞んでいる。いつか見た時にはタンブル・ウィードが
 
 走り去っていた、酒場の前を貫く大通りも深く雪が積もっている。点々と立ち並ぶ雪だるま達は、子供であるビリーが作
 
 ったのか、それとも珍しさに大人達も参加したのか。無邪気とも言えるその光景に、しかしマッドはやはり心躍らせる気
 
 にはならなかった。



 一人部屋に閉じ込められて、心を何処かに飛ばす事も出来ず、結局自分の中に広がる淵を眺めるしかなくなり、何となく
 
 いじけた様な気分にもなってげんなりと溜め息を吐く。淵から湧き出るのは、何処にもない幻の光ばかりで、それに手を
 
 伸ばす事の愚かしさをマッドは知っている。しかし過去の残滓であるそれらにしがみ付けば楽になる事も分かっているの
 
 だ。そしてそれが、余りにも見苦しい事も。



 ちらちらと過去の残像が視界に映り始めた事に、窓辺に凭れたマッドは、自分の機嫌が、悪いと言うよりも沈み込んでい
 
 る事に気付き始めた。何の娯楽施設もない町に閉じ込められている所為かと一瞬思ったが、享楽は所詮気分を晴らす為の
 
 手段で、気分が沈み込む原因とはならない。大体、娯楽がない事は荒野を彷徨っている時もそうだ。枯れた草木しかない
 
 砂地で夜を越える事はざらだし、突然の雷鳴に潰れかけた小屋に駆け込んで閉じこもる事もある。しかしその時でも色ん
 
 な事は思い出すが、これほどまでに気分が沈む事はなかった。



 おそらく、いろんな要因が重なっているからだ。荒野にいる時は、基本的にいつも周囲に気を配って、空気を張り詰めさ
 
 せている。しかし今はそれがない。サンダウンが休息を得ているように、マッドも神経を使う必要がない。



 それと、この、雪。



 上辺だけ取り繕うこの雪が、マッドの内側を引っ掻いている。

 きっとそれが原因だ。



 これ幸いとばかりに瞼の裏側で踊っている過去の残影に、苦い息を一つ落とし、マッドは眼を閉じる。享楽に身を任せら
 
 れないのなら、眠りにつくしかない。そもそも考える事に慣れている思考は、余計な間があれば、いらぬ事を考えてしま
 
 う。それを中断させるには、別の場所に意識を持っていくか、眠るかしかないのだ。



 窓辺から身を放し、開けたベッドに身を投げようとした時、白に塗り潰された大地を踏み潰す音が聞こえた。



 ぎしぎしと車輪が悲鳴を刻む音。

 馬の抗議を意味する嘶き。

 時折聞こえる悲鳴とも罵声ともつかぬ声。

 それらが、雪を踏み潰し損ねた様な、ぎゅっぎゅっという音を不規則に上げているのだ。



 閉じていた眼を開き、再び窓の外を見やると、雪で良く分からなくなっている町の入口を示す、柵が途切れた場所に、馬
 
 車が一台停まっている。正確に言えば、雪に車輪を取られて動けなくなっていると言うべきか。必死に雪を掻きわけよう
 
 とする馬が諦めたように止まり、そうこうしているうちに、馬車の扉が開いた。



 ひらりと身軽に舞い降りたのは、黒い髪をふわりとさせた男。やや濃い目の眼鼻立ちだが、十分に色男の部類に入るだろ
 
 う。彼は雪に降りこめられたというのに、それを楽しむかのような笑みを口元に湛えてサクセズ・タウンを見回している。

 そして、その手が大きく開かれ、招くように馬車の扉に手を掛けた。それに導かれるように、もう一つの影が白銀の世界
 
 に舞い落ちる。



 黒と見間違えるほどの濃い赤のレースが雪の上に広がった。ひらひらと風に揺れるドレスを纏うのは、ブルネットの髪と
 
 湖水のような瞳を持った女だ。溌剌とした光を湛えた彼女は、魅惑的と称するのに差し支えない。美男美女の登場に、し
 
 かしそこからは恋人同士のような甘い空気はない。何者かと訝しむ答えは、彼らの後に続いて現れた小さな楽隊達ですぐ
 
 に出た。



 旅芸人の一座か。

 それもなかなか麗しい部類に入る。
 
 洗練された隙のない動きは、舞台役者のそれだ。



 しかし流石の雪でうまく動く事が出来ない彼らに、マッドは身を起こした。閉ざしていた部屋の扉を開いて、階段を降り
 
 る。そしてカウンターで新聞を読んでいるウェインに声を掛けた。



「お客様みたいだぜ。」



 動けない彼らに手を貸す為、好みではない白い世界への歩き出した。



 雪の中、歩行に困難を極めていた一団は、さくさくと雪の中を歩くマッドにすぐに気がついた。はっとして立ち止る彼ら
 
 に、マッドは薄く笑んで見せる。如才ない動きで被っていた帽子を取り、胸の前で掲げて軽い会釈をする。もはやどうし
 
 ようもないくらいに染みついて、しかも付け焼刃ではなく完璧なその所作は、マッドの意図したとおりに――むしろそれ
 
 以上の効果で――劇団員達の警戒を解いて見せた。
 
 

 笑みを湛えた黒髪のふんわりとした色男――察するに彼が座長だ――は、友好的にその手を差し出す。その男と、その背
 
 後に付き従う女を改めてじっくりと見やり、マッドは、ああと思い至った。彼らは、西部では有名な俳優達だ。一つの劇
 
 場に根を下ろす事はないが、その名はあちこちで聞く。



「初めまして。我々は旅芸人の一座で『コキュートス』と言います。私は座長のファビアン。」



 にこやかに言う男の名は、確かに聞き覚えがあった。それに対して、媚びない程度の、しかし敵意がない事を示すには十
 
 分な笑みを浮かべて、マッドは答える。



「ああ、名前は知ってる。ファビアン・デンボーとリリー・グリースだろ?」



 後半は背後の美女に向けて言うと、魅惑的な笑みが返ってきた。ファビアンには握手を、リリーには指先への口付けを送
 
 ってから、マッドは宿を顎で示す。その言葉に心底ほっとしたような笑みを見せ、ファビアンは嬉しそうに言った。



「ありがとう。この雪で困っていたところで。」



 行こう、と劇団員達を促す彼に、リリーは微笑んで、そしてマッドへ視線を向ける。



「お名前をお聞きしてもよいかしら?」



 決して不快に思わぬ程度の好奇心を込めて尋ねる女に、マッドはこの荒野での己の属性を躊躇わずに答えた。



「賞金稼ぎのマッド・ドッグだ。」