どうしても茶色の印象の濃い西部の大地は、しかし今、白銀の化粧に覆われている。西部は決して温暖な気候ではないが、如何せん
 
 乾いている為、息の白くなるような季節になっても、まとまって雪が降る事などないのだ。基本的には通り雨が激しく過ぎ去るだけ
 
 で、例え雪が降っても乾いた大地に全て飲み込まれて、積もる事はない。泣いて化粧崩れを起こしたように、泥の表情を見せるのが
 
 常だ。



 だが、肌を突き刺すほどの凍えた水分を孕んだ空気は、気紛れでも起こしたのか、数日間の吹雪を巻き起こした。



 乾いた大地でも受け止めきれないほどの白い水。



 それは、サンダウンでさえ見た事のない西部の景色を作り上げている。




 雪の宿






 宿代は自分が払うと言って、マッドは聞かなかった。雪の中で行き倒れていたところをサンダウンに助けられた事が、マッドにして
 
 みれば余程不覚だったのだろう。これで貸し借りはなしだからな、と息巻いてウェインに数日分の宿代を叩きつける様は、そんなに
 
 嫌がらなくてもいいだろうと言いたくなるほどだった。
 
 

 気持ちは分からないでもない。人一倍プライドが高く、他人に弱みなど決して見せないマッドの事だ。サンダウンに助けられるくら
 
 いなら、凍死したほうがましとまでは言わないだろうが、バッファロー達に弄ばれたほうが良かったくらいは言いかねない。



 尤も、サンダウンはそんな事で貸しが出来たなどとは思わないのだが。
 
 

 確かに雪の中でくずおれたマッドの姿を見た瞬間、心臓が凍りつきそうになったが、それ以上に、白の只中に身を投げ出した身体に
 
 ある種の造形美を感じもした。黒い髪が雪の中に散った様や、雪を積もらせた長い睫毛など、どんな芸術家も作り上げる事が出来な
 
 いのではないかと思うほどの美しさだった。そんな一級品の美術品を無料で見た挙句――どうやらマッドはころりと忘れているよう
 
 だが――その身体のかなりきわどい部分まで見て抱き締めたのだ。それは貸しが返ってきたどころかお釣りを払いたいくらいの役得
 
 だった。口が裂けてもマッドには言えないが。



 さて、その宿代を払う際に実はもう一悶着あった。名高い賞金稼ぎであるマッドは、二人分の宿代を景気良く払ってみせた。しかし、
 
 ウェインとその夫人は、食事代は確かに二人分受け取ったが、奇妙な事に一人分の部屋代しか受け取らなかった。眉を顰めるマッド
 
 の後ろでサンダウンも首を傾げていると、夫婦は申し訳なさそうに言った。
  


 二人で一つの部屋を使って欲しいと。



 これにマッドの癇癪が破裂した。
 
 それはもう、盛大に。



「冗談じゃねぇ!なんで俺があんなおっさんと一つの部屋に詰め込まれなきゃなんねぇんだ!俺にはあのおっさんの顔みて喜ぶ趣味な

 んかねぇぞ!ってか、どう考えたって俺になんの得もねぇだろうが!あんなのがいたって部屋が辛気臭くなるだけだ!あんなの厩で
 
 良いんだ厩で!」



 まるでサンダウンに人権などないかのような口ぶりで――しかも最終的には『あんなの』呼ばわり――清々しいくらい小気味よく吐
 
 き出される台詞に、夫妻は苦笑いを浮かべる。しかし、マッドの言葉には頷かない――頷かれて厩に放り込まれてもサンダウンも困
 
 るが。



「勘弁しとくれ。こっちとしては二人で一つの部屋を使ってくれたほうが助かるんだ。」



 ゆったりとマッドを抑えるウェインには、クレイジー・バンチに怯えていた男の気配は微塵も感じられず、宿の経営者としての性根
 
 の座った表情が伺える。



「なんせこんな大雪は初めてだ。毛布一枚だって貴重なんだ。そうなると一つの毛布を大勢で使ってくれたほうが助かる。もちろん見

 ず知らずの相手とそんな事をしたくはないだろうが、幸いあんたらは顔見知りだし、二人でこの町を救ってくれた仲だろう。」



 一緒の部屋でも問題ないじゃないか、という宿の主人に、マッドの米神に血管が薄くではあるが浮かんだ。



「待てよ………その口ぶりだと、部屋が一緒どころか一緒の毛布を使えって事になんねぇか?」

「ああ……そうだな。是非、そうして欲しい。」



 マッドの口が一瞬ポカンと開かれ、次の瞬間、ディオのガトリング以上の勢いで言葉が連続して吐き出された。



「てめぇ自分が何言ってやがんのか分かってんのか?!一緒の毛布を使えって事はベッドも一緒って事だろうが!俺にこのおっさんと

 一緒の部屋を使うどころか、一緒に寝ろってのか!?」

「いいじゃないか。さっきまで一緒に寝てたんだし。」

「思い出させるな!」



 ウェインの余計な一言で、先程までの己の醜態――全裸でサンダウンに抱き締められて温められていた事――を思い出し、マッドは
 
 一人、宿のカウンターの前で悶える。しかしそれでも、サンダウンに実はその身体のきわどいところまで見られた事に思い至らない
 
 あたりは、何だか色々と流石である。
 
 

 一人で色々と忙しいマッドを置き去りに、ウェインは寡黙に佇むサンダウンに視線を向ける。



「あんたは構わないんだろう?」

「ああ…………。」



 言葉少なに頷くサンダウンに、マッドの、少しは構え!という言葉が飛んできた。それはあっさりと黙殺してやったが。
 
 

 何を言っても現状が変わらない事を理解したマッドは、低い唸り声を一つ落とすと背を向け、足音高く階段を駆け上がって行った。
 
 三段跳びくらいで駆け上がった脚は、足音から察するに三歩で廊下を突っ切り、宛がわれた部屋へと辿りついたらしい。大きな音を
 
 立てて閉じた扉に、サンダウンは小さく嘆息した。カウンターではウェインが、苦笑いを顔に残している。



「相変わらず元気だねぇ。」



 ウェイン夫人の言葉は、マッドに向けられたものだ。以前この町を訪れた時も――クレイジー・バンチを倒した時の事だが――マッ
 
 ドはこの町に蹲っていた恐惰を引き裂くような声と行動を持っていた。



「それにしても昨日は驚いたなぁ。あんたが玄関を蹴り破る勢いでやってきたんだ。何事かと思った。」



 ウェインはのほほんと昨日の夕べの事を語る。それに夫人も頷く。



「しかもあの賞金稼ぎを抱え込んで、吹雪と一緒に雪崩れ込んできたんだ。驚くなっていうほうが無理さね。」



 マッドの持っていた地図と方位磁針を頼りに訪れたのは、この西部で唯一、サンダウンとマッドの二人を同時に受け止めてくれる町

 だった。かつて自分達が救い上げた町の宿に、雪を旋毛のように巻き込んで、サンダウンはその扉をもどかしげに半ば蹴り破るよう

 に開いた。



 腕に意識のないマッドを抱えて。

 全身を雪の塊で装飾されて。



 吹雪の中、きっと予想だにしていなかった珍客に、ウェイン夫妻は口をあんぐりと開けて固まっていた。その二人に、腕の中の今に

 も沈みそうな熱に言葉一つ取り乱さずに、泊めろと言えたのは、サンダウンにとっても驚きだった。



 力ないマッドの身体を確かに美しいと思いはしたが、それはすぐさま死の恐怖にすり替わった。そんな簡単に彼が死ぬはずがないと
 
 思い、実際、今現在、ぴんぴんしているけれど。それでも馬を走らせている間、徐々に奪われていく体温が、恐ろしかった。まるで、
 
 彼を世界から奪う為に、この天変地異とも言える吹雪が巻き起こったのではないかと思うほど。
 
 
 
 それは、この男を殺し、殺される事を望んでいるサンダウンを嘲笑うかのよう。お前の望みなど叶えるものかと、身の内に巣食って
 
 いる絶望やら憎しみやらの大笑が、白い吹雪の中で悲鳴のように回転していた。その、引き摺りこまれるような淵からサンダウンを
 
 引き戻したのは、他ならぬマッドの手にしていた地図と方位磁針だった。マッドがぎりぎりまでその命を諦めていなかった事に安堵
 
 すると同時に、あの女の嬌声のような笑い声は遠くに消え去った。
 
 

 いつものように軽口と雑言を飛ばすマッドは、やはりその眼に生き生きとした光を灯している。それをサンダウンが眩しそうに見て
 
 いる事など、彼は知らないだろう。宿の一室に籠ってしまった、そのくせ気配を惜しみもせずに漏らしているマッドに、もう一度低
 
 く嘆息する。



 そんなサンダウンに、何も知らないウェインが屈託なく言った。



「そういや、あんたらが来てるってのを聞いて、ビリーが会いたがってた。あの日からビリーはあんたの話ばっかりだ。」



 会ってやってくれ、との言葉にサンダウンは内心で苦笑いしながら、しかし顔は無表情で頷いた。



 自分に救われたと思っている町、そして人。

 けれど、自分よりもマッドのほうが彼らを救った事に、彼らは気付いていないのだ。



 吹雪の中で一つの命が消える事に、世界が滅ぶ事よりも恐怖していた自分などよりも、その恐怖をあっさりと打ち払ったマッドに、

 その眼を向けたほうが良いのにと思いながら、サンダウンは酒場に向かうべく白い世界へと足を踏み出した。