さようなら、さようなら。

 町のあちこちから、別れの言葉が零れ落ちている。白い雪が解け、乾いた荒野の色が勝り始めたそ
 
 の日、招かれざる客の最後の影が消え去ろうとしていた。



 めっきりと人気の少なくなったサクセズ・タウンは以前の静けさを取り戻し、代わりに三つの墓標
 
 が新たに立ち並んでいる。クレイジー・バンチの面々と同じく、誰も詣でる事がないだろう新しい
 
 墓は、やはり花一つ与えられずに朽ちていくのだろう。
 
 

 尤も、墓すら与えられないサンダウンにとっては、詣でる人間がいるいないの差など分からない。

 うらぶれた墓地の一画を一瞥し、慌ただしく出発の準備をする華やかな劇団員の様子へと、再び眼
 
 を向けた。


 



 別れの曲













 結局あの後、こっそり部屋を抜け出した事がばれ、アニーに二人して怒られた。延々と続く説教が、
 
 途中から演説の様相になったあたりで、マッドが貧血を起こして倒れなければ、おそらくあと一時
 
 間は続いていただろう。そのマッドはと言えば、熱をぶり返して再びベッドに横たわっている。



 ただ、サンダウンとしてもほんの少しだが良心が咎めないわけではない。確かに一番最初に無理を
 
 したのはマッドだが、それに拍車を掛けるような真似をしたのはサンダウンだ。貴族の道楽としか
 
 思えない矜持に付き合わされた事への憤りと、最後の最後までそれを決定的に咎めなかったマッド
 
 に苛立ちを覚えた。その感情のままに、マッドの中に何かしこりのようなものを残す事に成功した
 
 黒い物体に、傷ついた身体を容赦なく押し付けた。その瞬間にマッドの眼に走った怯えに似た色に、
 
 結局、彼らと対峙してもマッドの奥深くを占領している残像は消え去っていない事が分かった。



 何故、どうして。何の為にお前はここまで傷つく必要があったのか。その深くにある傷は癒せない
 
 ままで。サンダウンが眼の前にいるにも関わらず、背に押し当てられたピアノの感触に身を捩る姿
 
 は、サンダウンが望んでいたものではなかった。
 
 

 硬い表情など、見たくもない。

 いつものように不敵に笑っていたのなら良かったのに。

 肝心なところで、マッドの世界の根幹に、サンダウンは楔を打てずにいる事が露呈してしまった。



 いっそ、あのピアノを壊してしまおうか。意味のない事だと分かってはいるが、そうでもしないと、
 
 またマッドをあの黒の前に引き摺り出して、何か良からぬ事をしてしまうかもしれない。そうなる、
 
 その前に。



「これでお別れね。」



 視界を華やかな影が通り過ぎ、甘い匂いと声がサンダウンの周囲を打った。いつかこの町に現れた
 
 時と同じ装いで、リリーは変わらぬ笑みを浮かべている。



「結局貴方達は、私に一度も眼を向けてくれなかったわね。」



 初めてだわ、こんな事。ころころと笑う彼女は、やはりひどく楽しそうだ。そう言えば、以前から
 
 そんな事を言われ続けている気がするが、仕方がない。サンダウンが彼女を見ていないのは、サン
 
 ダウンとしても自明の理だ。そして誰を見ているのかも。



「彼にも別れの挨拶を言っておきたかったのだけれど、熱を出しているみたいだから。」



 お礼を言っていた事を伝えておいてちょうだい。その台詞に怪訝な表情をすると、あの夜の事だと
 
 言われた。



「あの時、町の人達は私達も彼らの仲間だと思っていたみたいで。それを止めてくれたのが彼だった

 から。」



 クレイグが仕掛けた罠に嵌った町人達を、そこから掬い上げたのは、動く事も本当ならばままなら
 
 ないはずのマッドだった事は、サンダウンも知っている。頷くと、リリーは小さく笑った。



「少し、安心しているんじゃなくて?」

「………………?」

「私達が、彼を連れ去ってしまわない事を。」



 それは、どういう意味で言っているのか。思わず目線に力を込めると、そのままの意味よ、と返さ
 
 れた。だが、連れていくというのは、何処へ。彼らが今から行く末か、それとも彼らの根底に横た
 
 わっている濃退廃的でしかし華やかな世界へか。



「けれど誰が望んでも、彼が頷かない限りは連れていけないわ。きっとそれは未来永劫。本当は、も

 しかしたら連れていけるかもしれないと思った時もあったのだけれど。」



 訂正するわ、と囁いた彼女は、とても重要な事を告げるように丁寧に言葉を紡ぐ。



「彼は、私の知っている人には、似ていないわ。」



 ブルネットの髪が涼やかに揺れた。



「似ている似ているとばかり思っていたのだけれど、根本が完全に違っているのね。指先や立ち振る

 舞い、賑やかな事が好きなところ。でも、彼女はあんな限界状態で笑う事はできないわ。そしてそ
 
 の笑った顔は、誰にも似ていないの。」



 整然と並べられていく言葉は、舞台の上で告げる台詞のようだ。作られたかのような言葉達に、サ
 
 ンダウンは、ああと気付く。一流の旅芸人として華やかな世界を生きる彼らは、きっとどんな話し
 
 方をしてもこんなふうになってしまうのだろう。それが本音であっても。



「とてもじゃないけれど、私達には連れていけないわ。」 



 きっと枯らしてしまうから。そう告げた声に微かに哀しみが混じっていたのは、本音を本音と出来
 
 ないからか。



「行くわ。」



 淡々と告げた女性とは、きっと二度と逢う事はないだろう。本来ならば混じり合う事はない道筋だ。

 サンダウンの住まう世界では、彼らはきっと生きられない。



 別れを惜しむ声をサンダウンは出さなかった。リリーは雪解けの道を歩き、本来あるべき場所へと
 
 戻っていく。きっと、哀しむ声は今だけだ。この町を去り、新たな町に行けば、彼女達はいつもの
 
 華やいだ言葉で自分を埋め尽くすのだろう。それが如何に欺瞞に満ちていても。


 
 冷たい風が吹く。まだ、湿り気を帯びた風が。



「行っちまうんだな。」



 劇団員が全員馬車に乗り込んでから、背後でぽつりと声が落とされた。その声にサンダウンは振り
 
 返らなかった。



「熱は。」



 動いて大丈夫なのか、と言外に含ませると、背後の気配が笑った。



「あんなの、一時的なもんさ。」



 だがそれでもまだ動くには早いだろうに。咎めるように首を捻って肩越しに見やると、そこにはや
 
 はり笑みを浮かべたマッドがいた。



「ああいうのは身体の防御反応みてぇなもんだから。傷口も完全じゃねぇがだいぶ塞がったし、後は

 勝手に治まる。」



 そういえば最初に倒れた時以降、基本的な傷の処置は、マッドは自分自身で行っていた。確かに一
 
 人で荒野を彷徨う以上、ある程度の応急手段はサンダウンも出来るが、マッドのそれは付け焼刃と
 
 は違った様子を見せていた。そこから覗くマッドの過去は、やはりマッドをまだ絡め取るものなの
 
 だろうか。



「結局、何にもなかったよな。」



 その台詞に、サンダウンは呆れた様な色を視線に混ぜた。銃で撃ち抜かれて何もなかったとは、ど
 
 ういう神経をしているのか。



「俺は、最初の頃はあんたがリリーに気があるのかと思ってたんだぜ?」



 にやっと口の端に笑みを浮かべたマッドに、そういえばそんな事を言っていたなと思い出す。



「けど、何にもなかったよな。まあ、あんたは賞金首だし、何にもないほうがどっちにとっても良か

 ったんだろうな。」

「お前は……………。」



 言い掛けてサンダウンは止めた。自分でも何を言おうとしたのか分からなかったからだ。しかし中
 
 途半端に止められた言葉をどう受け止めたのか。



「結局、何もなかったんだよ、俺にも。」



 それは、何一つ根幹が変わらなかった事を指しているのか。傷を負うほど過去の残像を打ち払って
 
 みても、まだピアノに触れられない事を。その事を理解しているマッドの声は、どこか自嘲気味に
 
 聞こえる。 
 
 

 白い世界ではまるで別世界の住人のように映えていた黒い髪が、さらりと揺れた。



「リリーが、お前の事をこう言っていた。」



 積荷を積み終えて、馬を鞭打った馬車を一瞥し、サンダウンはいつもよりも遥かに平坦な声で告げ
 
 た。訝しげに首を傾げるマッドの眼線に合わせ、感情一つ零さないように言う。



「誰にも似ていない。」



 大きく見開かれた眼の色は、満天の夜空と同じ、透き通って何処までも深い色をしている。零れ落
 
 ちそうなくらい開かれた瞳に、サンダウンは涙が零れるのではないかと思ったほどだ。



 悲嘆、歓喜、安堵。



 それほどに、その眼の中には様々なものが坩堝のように渦巻いている。だが、泣くかというサンダ
 
 ウンの予想は杞憂に終わった。マッドは次の瞬間にはいつもの笑みを浮かべている。



「そうか。」



 短い声。
 
 
 
 しかしそこにある柔らかい響きに、サンダウンは気付く。そして失敗した事にも気付いた。その言
 
 葉は、あの冷えた教会の夜に口にしてやれば良かったのだ。そうすれば、マッドの過去を丸ごと包
 
 み込めたかもしれないのに。
 
 
 
 しかしもう遅い。八つ当たり気味にピアノに押し当てた身体に、それを挽回する機会は、これから
 
 あるのかも分からない。
 
 

 突然、暗澹たる気持ちになったサンダウンをよそに、マッドは何も気にしていないような表情を浮
 
 かべ、同じように何事もないような口調で言った。



「でも、今更じゃねぇか、それ?」

「……………?」

「俺に、このマッド・ドッグ様に似た奴がごろごろいて堪るかよ。」



 特に、あんたには。

 黒い瞳が、悪戯めいて輝いた。白い世界ではなかなかお目にかかれなかった光。



「俺みたいなのが何人もいたら、あんたはとうの昔に掴まってるだろうが。なあ?」



 ああそうだ勝負は俺の怪我が治るまでお預けだから逃げんじゃねぇぜ。
 
 

 勝手にそう告げて、マッドはくるりと背を向けた。いつもと変わらぬ背筋。その頭上に戴く空は青。



「寒いから俺はもう部屋に戻るぜ。あんたは?」



 付け足しのように聞くマッドにその後を追う事で答えると、マッドが小さく笑い、宿の扉に手を掛
 
 ける。秀麗な指が、扉にほんの少し残っていた雪を払い落した。
 
 
 
 
 何処かで鋭い鳥の声が聞こえた。
 
 冬の終わりは、近い。