轟いた一つの銃声と倒れた二つの身体の音に、それ以上の興味も向けずにサンダウンは床に這いつ
 
 くばったマッドに近づく。辛うじて開かれた瞳が微かに濁っているのを見て、サンダウンは息を呑
 
 んだ。
 
 

 腰を抜かして同じように張っているブレントなど放り出して、マッドの身体を抱き起こす。蒼白の
 
 顔にじわりと浮かんだ汗は、痛みの所為だ。抱き起こした瞬間に腕に広がったぬめりが、撃ち込ま
 
 れた銃弾が、決して身体の浅い位置を抉ったのではない事を教える。



「いてぇよ、馬鹿………。」



 零れた声に安堵するも、その顔色の悪さが改善されるわけでもない。むしろ、サンダウンが触れれ
 
 ば触れるだけ、マッドの身体からは血の気が失せていくようだ。爆ぜるような熱も冷え込んで、息
 
 を吹きかけただけで失われる。
 
 
 
 明滅する星の瞬きのように細かく震えていた瞼と睫毛が、遂に閉ざされた。意識を失ったのだ。





 銀の冠











「大丈夫、大丈夫よ。お兄ちゃんはね、昔、お医者さんになろうとしたのよ。血が苦手で結局なれな

 かったけど、それでも勉強だけはちゃんとしてたから。」



 宿屋の廊下に、アニーのそんな声だけが凛々と響く。ストーブも焚いておらず、酷く寒いはずのそ
 
 こは、けれども集まった人々の体温と、噎せ返るような血臭で、汗をかくほどに熱い。彼らの眼は
 
 一様に不安に揺れ、それは声を張り上げているアニーも同じだ。



 雪に降り込められた日、この宿の扉を蹴破るように入ってきた時と同じ――いや、それ以上の勢い
 
 で、同じようにマッドを抱きかかえて――足音高く戻ってきたサンダウンに、その場にいた全員が、
 
 眼を見開き、何を言えば良いのか分からないと言うように喉からひゅっと音を立て、その場に立ち
 
 尽くした。
 
 

 サンダウンが抱え込んだマッドの顔色は、あの時以上に白く濁り、何よりもその身に纏う装飾は雪
 
 の白ではなく、死を連想させる血の赤だ。部屋に連れて行かれ、その顔が横たえられたベッドのシ
 
 ーツの色以上に白く見えたのは、青味がかっていた所為か。



 医者の手解きを受けた事があるマスターが呼び出され、夥しい血の色に卒倒しかけて、それでもど
 
 うにか治療を始めたのは一体どれくらい前になるのか。誰も入るなと、吐きそうな表情をしつつ、
 
 きっぱりと言い切ったマスターは、その扉をぴたりと閉ざしてしまって、中の状況は一切窺えない。

 マスターが立てる音以外の、マッドが立てるはずの音は、呻き声一つさえ聞こえない。



 弾は急所を外れていた。

 貫通もしていた。

 それに、マッドはさっきまで生きていた。

 重傷だが、血さえ止まれば大丈夫だろう。

 血さえ、止まれば。



 その瞬間に思い出されるのは、弧を描くように吹き上がった血の色だ。夥しいほどに流された、赤。

 ああ、大丈夫だ。そんなはずはない。マッドはその赤でさえ呑み込めそうな黒い瞳をしている。け
 
 れどあの眼は、閉ざされる直前、白く濁っていた。



「でも、一体、何故?」



 そう尋ねる保安官の顔も、血の気が失せている。担ぎ込まれたマッドの血の臭いに当てられたのだ
 
 ろう。保安官だけでなく、その他の皆も色を失っている。



「撃たれたのは分かる。だが、何故?」



 保安官の眼差しはサンダウンから、ゆっくりとテーブルの上に固く組んだ指を乗せて俯いている賭
 
 博師へと向かった。



「教会にこの男がいると思い、そして教会へ行った。そこまではいい。だが、それで何故、彼が撃た

 れるんだ。何故、神父と賞金稼ぎが彼を撃つんだ。」

「最初に言っただろう、奴らは俺を狙っていると!」



 唐突に、ブレントが立ち上がり、バンとテーブルを叩いた。



「ならず者が善良な一般人を追いかけていると!最初に俺は言ったはずだ!」

「それは聞いた。1000ドルの賞金が懸けられている事も。だが、我々はその理由を知らない。」

「理由など、ならず者にあるとでも!?」

「…………脅されていた。」



 サンダウンが低く言葉を吐く。その台詞に歪んで生きる大貴族の末路は震えた。



「かつての友人に。そう、言っていたな。」



 それが、関係あるのか。
 
 

 サンダウンはブレントを一瞬たりとも見ない。けれどその声音だけで、ブレントの心臓を縮みあが
 
 らせるには十分だったらしい。面白いくらい跳ね上がった肩が、サンダウンの言葉が事実であると
 
 言っている。だが、事実を捉えるにはそれだけでは不十分だ。全てを解している男は、今、赤い夢
 
 に呑み込まれかけ、加害者はサンダウンの凶弾で斃れた。ならば、すべての発端であるブレントが、
 
 全てを話す責務がある。



「さっさと話しなさいよ!あんたの所為で、人一人が死にかけてるのよ!」



 アニーの叱咤が、響き渡った。狭い木の廊下に反響する声に、けれどもブレントは口を開かない。

 じりじりと焦れていく時間。その時間の間に、何か一欠片でも事実を知らねば、マッドの命が削り
 
 取られていくような気がして、堪らないのに。再びアニーが口を開こうとした時、ずっと黙ってい
 
 たリリーが、おかしいわと言った。



「確かにこの人は、もとは大貴族グリーンフォールド家の長だったのかもしれない。けれど、今は西

 部を渡り歩く賭博師。確かに賭博で稼いだ財産はあるかもしれないけれど、わざわざ1000ドルもの
 
 賞金を懸けてまで捜し出し、脅迫する意味はあるのかしら。」



 脅迫して、何を引き出すの?

 グリーンフォールドの隠し財産があるとでも。

 そうでなければ。



「何かの、情報か………。」



 偽物の神父とクレイグとロッシュが、以前から手を組んでいたのか、とマッドは彼らに訊いていた。

 答えは分からない。だが、きっとマッドの考えていた通りだろう。何故なら、あの偽物の神父はこ
 
 う言っていた。こいつもブレントと一緒に連れて行こう、と。つまり彼らの間ではブレントを連れ
 
 ていく事が、取り交わされていたのだ。そして、神父が捜していたのはオールブライト家の遺産。
 
 グリーンフォールドとオールブライトの両家で婚姻がなされていたのだから、



「ミサの後に教会に忍び込んだのは、神父がオールブライトの遺産を捜すと思ったからか。」



 つまりこの男は気付いていたのだ。神父が偽物で、尚且つ自分を狙っている事に。そして恐らく、
 
 神父もその事に気付いていた。だから、わざわざミサを仕掛けて、廃屋同然の教会に近づく振りを
 
 したのだ。ブレントをおびき寄せる為に。



「だが、そんな手の込んだ事をしてまで欲しがる情報を、この男が持っているのかね?」



 保安官は首を捻る。確かに1000ドルの破格の賞金と手間を懸けるほどの情報が、何処にあるのか。

 それとも、それは貴族の内でしか分からない事なのだろうか。これ以上は近付くな、と。



 いいや。

 マッドは明確すぎる答えを言っていたではないか。



 ――――あんたの妻となる予定だった女は、脅迫のネタになる。



「その情報は、オールブライト家の娘に関して、か…………。」

「…………!」



 ブレントの顔色が目まぐるしく変わった。血の気が失せたかと思うと、一気に紅潮し、色を失う。



 この町で死を迎えた老オールブライトの娘。彼が気にかけていた娘。偽物の神父が、遺産を持って
 
 いってやりたいと嘯いていた娘。恐らく、偽物の神父もまた、ロッシュとクレイグと別口で彼女に
 
 迫ろうとしていたのだろう。だが、全くの偶然で、ブレントを追っていた二人と見える事になった。
 
 だから、互いに知らぬ顔をして、裏では共闘した。



 この事に、マッドは何処まで気付いていた?



 その時、扉が突然開き、転がるようにマスターが部屋から出てきた。



「うう、血が、血が………吐く………。」

「ちょっとお兄ちゃん!大丈夫なの?!」

「ああ、アニー………吐きそうだ。洗面器を………。」

「誰もお兄ちゃんの容体なんか聞いてないわよ!」

「ああ、彼なら大丈夫だ……止血はした。後は彼の体力に………ぐふっ。」



 力尽きて倒れるマスター。それを見下ろす事もせず、アニーは微かに眉を顰めもう出来る事はない
 
 って事ね、と呟く。そしてマスターなどいないかのように首を傾げる。



「オールブライト家の娘………でも、それが1000ドルの賞金を懸けてでも手に入れたい情報?なんで?」



 倒れたマスターの頭上で飛び交う視線。けれど、それでもブレントは声を上げない。石になったか
 
 のように口を閉ざし、押し黙る。その頬から顎にかけてのラインは、頑ななまでに凍りついている。



「どうして言わないの?!死人が出て、あんたを庇って人が撃たれたのに!なんで黙ってられるのよ!」

「言って何になる!」



 アニーの糾弾を撥ね飛ばす勢いで、ブレントが叫んだ。



「彼女の事を言って、何になるんだ!俺は一度として助けてくれと言った覚えはない!勝手に庇って、

 銃に撃たれたのはあの男だろう!俺は、彼女の事を言うくらいなら、あの場で死んでも良かったん
 
 だ!」

「な………。」



 何よそれ、とアニーが愕然とした声を出す。他の皆も同じだ。あまりにも傲慢そのものの言葉に、
 
 愕然として言葉を失っている。まだ、貴族でいるつもりなのか。大勢の奴隷達に傅かれていた、
 
 あの頃のように、マッドを奴隷か何かだと思っているのか。
 
 

 歪んだ貴族の末路は、マッドが口にした以上に、浅ましい。
 
 

 そんな無言の非難に気付いたのか、歪んだ貴族は、仕方ないだろう、と叫んだ。



「愛しているんだ!」



 誰の命よりも、まだ。



 血を吐くように叫び、ブレントはそのまま力を失って、よろよろと椅子に倒れ込む。



「まだ、愛しているんだ…………。」



 口に出せないほどに。
 
 
 
 けれど、それで皆が怯んでも、サンダウンには受け入れてやる余地はない。ブレントが情報として
 
 さえ語らぬ名も知らぬ女を、何よりも大事だと言うのなら、何を以てしても代わりにはならぬとい
 
 うのなら。
 
 

 サンダウンにとってのその存在は、マッド以外に、いないのだ。常に変わらず、きりきりと引き絞
 
 った弦のような緊張感を孕んだ、けれども何よりも信用できる存在は、きっと誰にも代わりが出来
 
 ない。
 
 

 ブレントは愛しているのだと叫んだ。だが、それ以上にサンダウンはマッドの命を自分のものだと
 
 思っている。だから、ブレントがマッドを己の奴隷のようにその命を語るのならば、その肥溜にも
 
 似た口に銃弾を叩きこんでやっても良い。その、歪み切った手で死の冠をマッドに載せようなども
 
 ってのほかだ。



 廊下に、奇妙な沈黙が舞い降りる。嘆く賭博師と、それを物言いたげに、けれども糾弾の言葉を詰
 
 まらせる住人達と。そして糾弾こそ口にしないが、それ以上の殺気で賭博師を貫くサンダウンと。

 何も解決せぬまま、無意味な膠着状態が、だらだらと続く。



 そこに、ガン、と何かがぶつかるような音がした。音がするのは、マッドがいるはずの部屋の中
 
 ――正確には閉ざされた扉からだ。
 
 

 ぎょっとしたのはその場にいた全員だ。だが、そんな彼らに頓着せず、雑な音が扉の周辺から聞こ
 
 える。何かが擦る音、崩れる音。その他にも色々。何がそんな音を立てているのか、いや、部屋の
 
 中にいるのは一人しかいない。それならば自ずと答えは絞り込まれてくる。
 
 
 
 ああ、けれどけれど、そんなはずは。だって、部屋の中にいる男は、その頭上に今にも死の手から
 
 受け取った冠を戴こうとしていたはず。
 
 
 
 そして、その扉が、どんな力技を使ったのか知らないが、遂に抉じ開けられた。
 
 
 
 蒼白で、汗を全身に貼りつかせて、震える指先で壁を掴んで、身体を支えて。
 
 それはもう、寧ろ神業の領域だ。



「あんまり、虐めてやるんじゃねぇよ。」



 血の気のない白い唇が、それでも弧を描いた。