華やかでありながら極度の緊張を孕んだ空気というのは、貴族達にとっては馴染みの深いものなの
 
 だろうか。北部の農村地と西部の乾いた風の中で生きてきたサンダウンには、所謂社交界というも
 
 のが持つ、煌びやかでありながらも、その裏で狡猾に計算しいて血腥い策略を張り巡らせる人間関
 
 係は、到底理解できない。
 
 

 保安官であった時代に、僅かばかりに政治的駆け引きの空気を感じた事もあった。治安の悪い西部
 
 では、町の有力者と無法者が手を組んでいる事も多かったからだ。
 
 

 しかしそこには華やかさは微塵もなかったし、そんな裏で蠢く策謀よりも、現場に流れる夥しい血
 
 の色のほうが、遥かに人を従わせる力を持っていた。それ故、軽妙な音楽と美しい衣装、そしてな
 
 らず者達の荒廃した気配が立ち昇る中で、軽やかに踊ってみせる姿は、奇怪なものに見えた。






 虚飾の舞踏









 放浪するようになってから――要するに賞金首になってから、ならず者達に絡まれる機会は格段に
 
 増えた。それはサンダウンの賞金に眼が眩んでいる他に、やってきた闖入者へ自分の力を誇示する
 
 為という意味合いも兼ねているのだろう。
 
 

 今宵、二人組の賞金稼ぎと賭博師が、どちらの意味で絡んできたのか、サンダウンには量りかねる
 
 が。
 
 
 
 サンダウンが酒場に入る前から、彼らはそこでポーカーに興じたり酒を飲んだりしていたらしい。

 昨夜の大騒ぎを忘れたかのように、賭博師のブレントと賞金稼ぎのクレイグは毒々しい言葉を投げ
 
 合いながらもカードを出し合い、クレイグに比べるとまだ陽気な部類に入る相棒のロッシュは、劇
 
 団員達に声を投げかけている。リリーとファビアンの前で金をばら撒き、俺の奢りだと叫んでいる
 
 様は、豪快な性格に見えなくもない。
 
 

 そんなならず者を尻目に隅でサクセズ・タウンの若者達はほそぼそと食事をし、マスターとアニー
 
 は黙々と注文を捌いている。普段に比べれば、クリスタル・バーは盛況なのだろう。劇団員達の声
 
 やならず者達の叫びは、マスターもアニーも珍しいものに違いない。
 
 

 しかし、賑やかだが妙に纏まりのない空気に、サンダウンは、ああと気付いた。
 
 
 
 本来、その中心にあるべき男がいない。賑やかな空気の中でいつも中央に座している男が、何処に
 
 も見当たらないのだ。そう言えば、朝出て行ったきり、その姿を見ていない。
 
 

 白い雪の中でなら、対照的な黒の髪は目立ちそうなものだが――そうでなくても目立つが――宿か
 
 ら眺めた風景の中に彼の姿は見当たらなかった。ならば酒場に行ったのだろうと考えていたのだが、
 
 その酒場にもいないとなると、何処に行ったのか。
 
 

 この町には、マッドが好むような娯楽の場はない。だからといって、まさかこの雪の中別の町に向
 
 かったわけでもないだろう。マッドが聞けば、何処にいようが俺の勝手だろうがと言うような事を
 
 考えるサンダウンの前に、ぬっと影が持ち上がった。見れば、酒を飲んで悪酔いしたのか、ロッシ
 
 ュがリリーとファビアンから離れて、眼の前に来ていた。



「サンダウン・キッド………へっ、てめぇでもこんな場所に来て、物を食うとはな……。」



 まるでサンダウンが、珍獣が人外であるかのような物言いだ。
 
 

 しかしすぐに、思いなおす。
 
 

 サンダウンが人目につくような時間帯に酒場を訪れる事は少ないし、そもそもこの広い荒野でサン
 
 ダウンを追いかけ見つける事は難しい。サンダウンの行動を読み取れるほど、長い間追い続けてい
 
 る者ならともかく、普通の賞金稼ぎでは限度があるだろう。サンダウンが普通の人間と同じように、
 
 ものを食べ、酒を飲んで眠る事をちゃんと見て、知っているのは、多分、マッドだけだ。



「そういや、てめぇの尻追っかけてるあの犬はどうしたよ?あれか、腰が痛くてまだベッドの中にい

 るのかねぇ?やっぱりてめぇら、デキてやがったか。」



 かかか、と笑う男に、相棒の低く不気味な笑い声が重なる。すっと沈黙が落ちた酒場は、緊張感と
 
 いうよりもゴースト・タウンによく見られる寒々しい薄気味悪さに満ちている。背を向けて低く笑
 
 いながらポーカーをしているクレイグの前で、その対戦相手であるブレントが、やはり荒廃した匂
 
 いを纏って言った。



「彼なら今朝、見かけたな。この俺と戦い、かくも見事な勝ち逃げをしてみせた。イカサマかどうか

 は分からないが、少なくとも俺は気付かなかったな。」

「『荒稼ぎのブレント』を落としたか………。とりあえずカードの腕は一人前のようだな。」



 くくっとクレイグは笑い、カードを投げ遣りとも言える乱雑さで配る。その声と態度に、ブレント
 
 が小さく囁いた。



「さて………カードの腕だけかな。」

「あ?」



 賭博師の言葉を聞き咎めたのはクレイグではなく、ロッシュだった。人を馬鹿にするくらい優美な
 
 態度のブレントは、絵に描いたような西部の荒くれ者であるロッシュの癇にいちいち障るのだろう。

 しかしブレントはそれに気付きながらも、その態度を崩そうとしない。



「君の相棒はちゃんと分かっているみたいだよ?俺の言いたい意味が。」



 その言葉にロッシュはカードを配る相棒を見るが、クレイグは不気味な笑みを湛えたままだ。しか
 
 しその笑みは、どこかで見た事があるもので、サンダウンは僅かに眉を顰めた。だが、それに思い
 
 至るよりも先に、宵闇を区切っていたウエスタンドアが、軽い軋みを立てて押し開かれた。ロッシ
 
 ュの暴言にもブレントの囁きにも動じなかったサンダウンが、その音に視線を動かす。正確に言う
 
 ならば、そこから立ち昇った気配に。
 
 

 空が雪雲に覆われている所為で、常よりも濃い宵闇を背負って、マッドはオレンジの灯りが影を深
 
 く落とす酒場に入ってきた。ばらばらに好き勝手に動いていた空気が、一気に纏め上げられる瞬間。

 それは主役の登場で弾き締められる舞台のようだ。コートに手を突っ込んで固いブーツの音を響か
 
 せる姿は、寒さの所為か少し頬が白い。
 
 
 
 酒場の薄暗い光を受けて、視線の集中する花道を歩くマッドの前に、空気を読めぬ酔っ払いのよう
 
 にロッシュが立ち塞がった。下卑、粗野。そのどちらともとれる笑みを浮かべ、己の顔をマッドに
 
 近づける。



「随分と遅いお出ましじゃねぇか。それともあれか?恋人が恋しくなったか?」



 マッドはロッシュがサンダウンに浴びせかけた言葉など知らないだろう。しかし明確に何かを嗅ぎ
 
 取ったらしい。だが、それに対するマッドの態度は冷ややかだが、同時に穏やかでもあった。



「ああ………お前みたいな三下には、羨ましい恋人だろ?」



 口元に笑みさえ刷いて、マッドはロッシュの脇をそのまま通り過ぎる。ロッシュの言葉を抑え込ん
 
 だその笑みに、ようやく気付いた。先程からクレイグが浮かべている笑みと、ブレントが湛え続け
 
 る笑みの本質は同じだ。そしてそれは、今マッドが浮かべている笑みと同じでもある。洗練されな
 
 がらも退廃的で、しかし優雅でさえある。ただし、ブレントやクレイグのそれよりも、マッドのほ
 
 うが遥かに深い。



 しなやかにロッシュをやり過ごしたマッドは、何の戸惑いもなく、カウンターの隅にいるサンダウ
 
 ンの隣に陣取った。ゆったりと美しい動きで葉巻を咥えて、火をつける。甘い独特の香りがふわり
 
 と広がった。
 
 
 
 数時間しか離れていなかったのに、妙に久しぶりに逢ったかのように感じるのは、おそらくマッド
 
 が纏う空気が、常日頃サンダウンに向けるものと格段に違う所為だ。そのマッドの空気が解けて、
 
 普段通りに戻る前に、酔っ払い特有の絡みでロッシュが執拗に追いかけてくる。それを操る指は細
 
 く、繊細だ。
 
 

 その手はブレントが言ったように、カードを捲る事だけに特化しているのではない。銃の扱いにも
 
 長けている。だがブレントが揶揄したのは、マッドが賞金稼ぎである根幹をなす銃の取り扱いにつ
 
 いてではなく、もっと別のものについて告げているのだ。それが何なのかサンダウンが完全に窺い
 
 知る事は出来ないが、それは恐らく貴族的な空気が漂う何かなのだろう。
 
 
 
 何処となく普段と違った空気を放つマッドと、その隣に座るサンダウンに、忘れ去られていたロッ
 
 シュが怒鳴り声を上げた。



「てめぇ、誰が三下だぁ?!」



 拳を振り上げて殴りかかろうとするロッシュを止めたのは、マッドでもサンダウンでもなく、相棒
 
 のクレイグだった。



「ロッシュ。」



 低い笑い含みの、しかし何処か底冷えする声は、ロッシュの身体の動きをその筋肉一筋まで凍りつ
 
 かせた。拳を振り上げたまましばし硬直したロッシュは、相棒とサンダウンとマッドを見比べ、や
 
 がてのろのろとその手を降ろした。そして後ろ髪を引かれるかのような様子で二人の背を睨みなが
 
 ら、相棒のいるテーブルへと戻って行った。その光景にサンダウンはおろか、マッドも興味を示さ
 
 ない。
 
 

 葉巻が半分まで縮んだところで、ようやくマッドが普通の口調で言った。



「ガキの相手は疲れるぜ。ビリーの奴が、昨日の劇の続きを教えてくれって言うから、ずっとそれの

 話をしてた。」



 笑みも普段の彼が浮かべる皮肉っぽさのあるものに戻っている。

 

「最後はめでたしめでたしで終わるから、ビリーは安心してたけどな。」



 だが、確かマッドはあの劇を好きではないと言っていなかったか。しかしそれ以上、マッドがあの
 
 劇について何らかの言及をする事はなかった。それは、不意に背後に近づいていたリリーとファビ
 
 アンの所為もある。
 
 
 
 近づいてきた都会の空気に、マッドの笑みが再び変わる。表情のくるくると変わる男ではあるが、
 
 こういうふうに笑み一つでも時と場合によって変える事ができるのは、そういう事が必要だったと
 
 いう事か。くるりと椅子を回転させ、マッドは煌びやかな俳優二人を相手にする。



「よう、あんたらも流石に暇になったかい?」



 ぞんざいだが徹底的に端正な発音に、ファビアンは微笑む。



「部屋で劇の練習などはしているんですが、部屋だとどうしても音楽がないので。」

「ああ、マスターに練習をしても良いのか交渉したのか。」

「ええ。幸い快く了承していただきました。」



 カウンターの向こう側で、マスターが上機嫌でグラスを磨いている。そのマスターに微笑みかけて
 
 から、ファビアンはマッドにも笑いかける。ファビアンがマッドの隣に座って話をし始めたので、
 
 必然的にリリーがサンダウンの隣にやってくる。サンダウンとしては、やってこられても困るのだ
 
 が。



「退屈そうね。」



 紅を挿した唇で艶やかに微笑み、リリーはサンダウンに言った。



「もしかしたら、私達はお邪魔だったのかしら。」



 囁く言葉は、ファビアンと話し込んでいるマッドを指差している。彼女の眼が悪戯な光を灯してい
 
 るのは、一体何を揶揄するつもりなのか。サンダウンが推し量りかねていると、一心不乱に練習し
 
 ていた楽団達の音楽が変調する。緩やかなワルツから、軽やかなジルバに。本来、酒場で流れてい
 
 たならば女をダンスに誘うような音楽なのだが、サンダウンにその気はないし、そもそもサクセズ・
 
 タウンには誘うような女がいない。



「私を誘ってはくださらないのかしら?」

「………………。」



 沈黙でもって返したサンダウンに、リリーは小さく笑う。冗談よ、と囁き、彼女はひらりと立ち上
 
 がる。その急な気配の動きに、演劇についてファビアンと何やら話をしていたマッドが顔を上げる。

 その顔に浮かんでいたものを見て、サンダウンは見てはいけないものを見てしまったような気がし
 
 て、眼を逸らした。
 
 

 リリーに淑女に対する最大限の礼を尽くして手を取るマッドの眼には、はっきりと貴族の眼差しが
 
 浮かんでいたのだ。彼女をダンスに誘う仕草は、どれを取っても申し分がないほどに名門貴族の色
 
 を出しており、そこには西部の賞金稼ぎとしての顔はない。
 
 
 
 優しく手を取って腰に手を添えて舞台――要は酒場の真ん中に美女を誘いだしたマッドは、リリー
 
 を腕に抱いたまま軽やかに踊りだした。西部特有の荒っぽい踊りではない。やはり、どこか貴族的
 
 な優美さを孕んでいる。田舎ではお目にかかれない流暢な動きで踊る二人は、否が応にも視線を集
 
 める。尤も、リリーもマッドも視線を集める事には慣れているので気にしていないが。
 
 

 楽しそうな二人の様子を眺めていると、ファビアンも同じくらい楽しそうに話しかけてきた。



「彼は、いいですね。」



 うっとりと夢見る眼をしたファビアンは、くるりくるりと踊って見せる男を見つめている。



「その動き一つ一つが良く目立つ。あれが生来のものなら、舞台役者としては羨ましいの一言です。

 ああいうのは、訓練ではなかなか出せないものですから。」

「派手なだけだよ。」



 唐突に割り込んできたのはアニーの声だ。常よりも低い声は、機嫌が斜めである事を示している。



「いちいち言動が派手だから、目立つんだよ。それだけの事よ。」



 何故だか刺のある視線でマッドとリリーを見るアニーは、カウンターの上に、やや乱暴に酒を注い
 
 だグラスを置いた。デレデレしてさ、と呟くアニーが抱く苛立ちに、サンダウンも思い至らないわ
 
 けではない。
 
 

 この雪の中迷い込んできた人々に関わる瞬間、マッドの周囲には透明な薄い膜が張り巡らされる。

 それは、所謂賞金稼ぎであるマッドの表情を知っている者からしてみれば、酷くもどかしい距離感
 
 に見えるのだ。しかもその膜を纏う事で、マッド自身の熱が失われるわけではない為、場の中心は
 
 動かないので注目しないわけにはいかない。そして、マッドが彼らと接触する時にその膜を纏う理
 
 由は、きっと彼ら――ロッシュを除いて――の中にあるものがマッドの中にも存在しているからだ
 
 ろう。
 
 

 リリーとファビアンの煌びやかさや、ブレントの慇懃さと無礼さが混濁したところや、クレイグの
 
 退廃したような空気。そして彼らが一様に持つのは、今は何処にもない貴族の空気だ。地上最後の
 
 貴族達は、南北戦争の折に農民達で構成されている北部軍が、貴族の集まりである南部軍を打ち破
 
 った事で消え去っている。
 
 

 マッドがサンダウンの過去を知らないように、サンダウンもマッドの過去を知らない。だが、その
 
 薄い膜が彼の過去を漠然と物語っている。





 音楽が止まった。二人の動きが止まる。マッドがリリーを椅子へと導いて、二人の身体は離れた。

 舞台の一幕のような光景が終わって、ようやく一点に集まっていた視線が解かれる。それでも、淡
 
 い笑みを浮かべるマッドは、まだ纏った薄い膜を解こうとはしない。そのマッドに、普通に聞けば
 
 何事もないように聞こえるが、実際は底深くに皮肉を湛えた声が投げかけられた。



「Dum aurora fulget, adulescentes, flores colligite………若いというのは素晴らしいな。それ

 が例え一瞬の事だとしても。」



 サンダウンには分からぬ賭博師の言葉に、マッドの肩が微かに揺れた。そこを突くように、クレイ
 
 グも低い笑い含みの声で言う。



「だが、どうせいずれは死に向かう。Pallida Mors aequo pulsat pede pauperum tabernas regumque

 turris………西部一の賞金稼ぎであっても逃れられんだろう。」



 すっと帳のように降りた険呑な空気。彼らが放つ言葉を知らずとも、そこに漂う空気が不穏である
 
 事は、サンダウンでなくとも分かる。しかしそれにしても、何故いちいち分かりにくい言語で話さ
 
 ねばならぬのか。彼らの間では話は成立しているようだが。



 否。
 
 

 サンダウンはマッドの表情から微かに笑みが差し引かれたのを見て、マッドも分かっているのだと
 
 いう事に気付く。そして、あの二人がそれを分かって言っているのだという事にも。
 
 
 
 それはまるで、彼らだけに分かる信号のようだ。だが、マッドはそれを誉れとは思わなかったらし
 
 い。マッドの口元にある笑みが、酷薄なものへと変貌する。そして彼は、賭博師達を振り返ると、
 
 きちんとサンダウンにも通じる言葉で言い放った。



「てめぇら、いつまで過去の栄光に縋ってやがるつもりだ。それが、曲がった人間のなれの果てか。」



 だったら俺はごめんだ。
 
 その瞬間に彼が纏ったのは、西部の凶暴な光だった。