マッドは傍らにある温もりに安堵していた。夢現の中でも感じるその温もりは、マッドが幼かっ
 た頃と変わらず、マッドをすっぽりと包みこめるほど温かい。その事に、自分も成長したはずなの
 に、と悔しく思うよりも先に、懐かしさと安心感に襲われて、結果懐いてしまうのだから、やっぱ
 り対して昔と変わっていないのかもしれない。
  その安心感に誘われて身を擦り寄せると、それに応じるように抱き締められる。マッドがどうし
 て欲しいのかを知りつくしたように、男はマッドをあやす。
  俺はもう子供じゃないんだ、とマッドが呟いたところで、男の腕の中で身体を弛緩させている以
 上説得力はない。
  何せ、マッドにとってサンダウンは、幼い頃に誰よりも適切な愛情を傾けてくれた相手だった。

  保護者、というのではない。ただ、南北戦争によって父親を失い、それによって残された母親も
 精神を患い、それ以降マッドは正式な保護者からほとんど愛情らしい愛情を注がれた事がなかった。
  勿論、母親がマッドを愛していなかったわけではない事は、知っている。実際、精神を患う前の
 母親はたおやかで、慈しむようにマッドを育てた。けれどもそれは父親という寄る辺があってこそ。
 父親を失ったばかりの、しかも治安の悪い一画で、母親が女手一つで子供を育てるのは容易ではな
 い。いつ、英雄面した北部軍が襲い掛かってくるかわからないのだ。それらからマッドを守る為に、
 母親がマッドを小さな部屋の中に監禁した事が、理解できぬわけではなかった。
  だが、幼い子供にとって、外の風は空気と同じだ。駆ける事は呼吸と同義だ。それを奪われて、
 屍のように冷たい床に転がって生きる少年に、どんな意味があったのか。
  そんな時に金の雨のように扉を開いてやってきた、下界の風を伴う男に、マッドが惹かれぬはず
 がなかった。

  サンダウンが、子供をあやすのに適した人物なのか、と言えばそれは丸っきり見当違いだろう。
 根本的に無口で、もそもそと喋り、話と話の間を持たせる事が出来ない男は、多分、普通の子供か
 ら見ればつまらない大人でしかない。
  けれど、少なくとも外の空気に飢えていたマッドにとっては、サンダウンしかいなかったのだ。
 閉じ込められた子供の願いを聞き入れ、慣れないだろうに、朴訥としながらも外の話を語る男だけ
 が、マッドに適切な愛情を注いだのだ。
  夜になると何処かに消えていく母親に代わって、こっそりと部屋の中に忍び込み――今思えば、
 それはサンダウンの社会生活を考えれば危険な事だ――夜の闇と冷たさに震えるマッドを抱き上げ
 てくれたのは、マッドの幼少時代、後にもサンダウンだけだった。

  それを、成長した今でもサンダウンに強請るのは、自分でもどうかと思う。けれど、サンダウン
 の傍にいるとどうしても甘えたくなるのだ。
  そもそも、母親が患ってからは、マッドが誰かに甘える事が出来たのはサンダウンと一緒にいる
 時だけだった。それも、僅か半年程度の事で、それ以降マッドは一人で生きていかなくてはならな
 かった。幸いにして生活費は父の残したものがあり、それによってマッドは大学まで行く事ができ
 た。だが、その他の諸々――他人との接し方や社会生活の仕方などは、全て自分一人で学びとらな
 くてはならなかった。
  そして、老いた母を置き去りにして西部に来た後も、基本は同じ。銃の腕でなんとか賞金稼ぎの
 頂点に君臨した後は、甘えるどころか甘えられる事のほうが多い。誰かに頼るよりも頼られる事の
 ほうが多い。それは王者の権利であり義務だった。孤独ではないが、孤高である身体は、何処かに
 身を寄せる事は出来ない。
  その身体を抱きとめる事が出来るのは、必然的にマッドよりも強く、そしてマッドが幼い頃に身
 を委ねたサンダウンに限られてくる。
   
  きゅっとサンダウンの服の裾を掴むと、サンダウンが少し身を起こした。それと同時に、白い光
 が瞼を突き刺し、マッドは思わず眼を背ける。どうやら既に日は昇っており、それでも起きないマ
 ッドの安眠を守る為に、サンダウンは影になっていてくれていたらしい。
  どこまでも自分を甘やかす男に顔が綻びそうになっていると、サンダウンが耳に優しい低い声で
 囁いた。

 「………起きるか?」
 「んむー。」

  ぐりぐりとシーツに顔を押しつけ、反対の意を示す唸り声を上げると、少しばかりサンダウンが
 困惑したような気配が漂ってきた。
  もしかして、呆れられたのだろうか。
  これまでマッドが甘えても、サンダウンは何も言わなかった。それを良い事にマッドはサンダウ
 ンにべったりと張り付いていたのだが、もしかして大人になっても子供っぽいマッドに実は呆れて
 いたんじゃないだろうか。
  恐る恐る眼を開けると、眼を朝の白い光が突き刺す。と同時に、思いのほか近くにあったサンダ
 ウンの顔に、びくりとする。

  はっきりと言っておくが、マッドには男に抱かれて――性的な意味合いも含めて――喜ぶ趣味は
 ない。
  だが、サンダウンは別だ。サンダウンに抱き締められればマッドは例えようもなく安堵するし、
 甘えても良いような気分になる。それは、どちらかといえば子供が親の温もりを求めるようなもの
 だ。
  けれども。

  ――攫っていくぞ。

  あの時、サンダウンは確かにそう言ったのだ。
  眼の前で何処かに奪い去られ、そして何処かから奪い返したあの日、サンダウンはマッドを抱き
 締めてそう言った。
  その言葉は、額面通りに受け止めたとしても、はっきりとマッドを要求する意図を孕んでいた。
 要求の内容は、まだ分からないけれど。だが、サンダウンが未だにはっきりと口にしない要求が、
 もしも、子供だった頃のマッドではなく今現在のマッドに向いているものであったなら。
  子供に求めないで、大人に求めるもの。
  よもやサンダウンがマッドに経済力を要求する事はないだろうから、あと、考えられるものと言
 えば。

 「此処の近くに、街があるのを、知っているか………?」
 「街?」

  サンダウンの言葉に、碌でもない方向に突っ込んで行きそうだった思考回路を止め、その言葉を
 繰り返す。サンダウンを見れば、サンダウンは少し何かを迷っているようだった。視線を彷徨わせ
 て、言葉を選んでいる。

 「……大きいが、しかし人で賑わっているとは言えない。交通の要所からは離れたところだからな。
  ただ、かなり大きな金鉱があったから、それに伴って大きくなっただけの街だ。金鉱も掘り尽く
  され、あと数年もすればゴースト・タウンになるだろう。」
 「で、なんでその街の話が出てくるんだ?」
 「……もうすぐ落ちぶれるとはいえ、かなり大きな街だ。色んな物が揃っている。」
 「要は、その街に行かないか、って事か?」
 「ああ…………。」

  非常にまどろっこしい説明だ。街に行くのに誘うのに、何故こんなにまどろっこしいのか。マッ
 ドが顔を顰めていると、サンダウンは何を思ったのか、マッドからすっと身を離す。

 「………お前が嫌なら、いい。」
 「いやいや、俺はまだ何も言ってねぇぞ。」

  あっさりと消極的な結論を出したサンダウンに、マッドは焦る。離れていた数年間の間に、サン
 ダウンに何があったのかマッドは知らない。ただ、その月日がサンダウンから希望や貪欲性を奪っ
 たのは確かだった。諦める事に慣れ過ぎた表情を浮かべるサンダウンは、もしかしたらマッドでさ
 え諦める事がいつか来るのかもしれない。  
  それを想像して身震いし、マッドはシーツにへばりついていた身体を起こす。

 「街があるんだろ?だったら行こうぜ。あんたが誘うって事は、賞金首やら賞金稼ぎやらが屯して
  るような街じゃないんだろうし。そこで、久しぶりに普通の宿に泊まっても良いんじゃねぇの?」
 「そうか。」

     行く、と告げたマッドに対して、サンダウンの返答は素っ気ないものだった。だが、微かに安堵
 の気配が漂ったのは気の所為か。
  ならば行くぞ、と淡々と身支度する男を見て、マッドも慌ててベッドから這い出し、身支度に取
 りかかった。