07: 喧嘩咲く午後  *戯言の続きのような








「分かったよ…………。」


 青空の下に絞り出された声は、晴天とは対照的に地を這うようだった。

 眼に灯る澄んだ光はどす黒い炎で覆われていて、一般人なら眼を逸らしてしまうほどだ。

 その姿にサンダウンは咄嗟に何か言わなくてはと思ったが、それよりも早くマッドはサンダウンに背を向
 けてしまっていた。
 
 完全に拒絶の意を示すしなやかな背中に、サンダウンは息を呑む。




 彼のその背中を好ましく思っていた。

 何の気負いもなく鮮やかな空を背負って現れる姿に、忘れかけていたものの肌触りを思い出す事ができた。

 凶暴な光と共に世界の断片を従える背中が、サンダウンに人としての感情を忘れさせまいと、それらの切
 っ先を突き付ける。

 その背中が、今、サンダウンを拒絶している。



 まるで海の底に置いて行かれてしまったように途方に暮れるサンダウンに、マッドは叩きつけるように言った。



「てめぇの事なんぞ、もう、知るか。俺は、俺のやり方じゃなく、只の賞金稼ぎのやり方に、戻す。」


 一体、何を何処に戻すというのだろう。

 酷く断片的な情報しか述べてくれないマッドは、もはやサンダウンを振り返ろうともしない。

 ぬばたまの闇のように黒い、己が愛馬へと歩を進める姿に、サンダウンはただただ虚脱感に襲われるしか
 ない。



 彼の言葉の裏に翻る真意を、サンダウンは完全に嗅ぎ取る事が出来なかった。

 しかし『戻す』という言葉は、確実に逆行を意味している。

 おそらく―――いや、間違いなく、サンダウンとマッドの間にあった何かを。



 何とかして彼を止めなくてはいけない。



 頭の中で焦燥感に塗れてそう叫んでいる自分がいるが、一つの言葉も見当たらないまま、マッドが黒い馬
 に跨ることを許してしまっている。
 
 その間、マッドの眼は一切サンダウンには向けられない。
 
 いつもなら嬉々として、怒りを込めて、熱を灯した眼にサンダウンを映すのに、その瞳は頑なに逸らされて
 いる。


 
 マッドを背負った黒馬が、馬首を翻す。


 
 その去り際。

 一瞥。

 それさえもなかった。


 
 結局、一言も言葉を声にする事が出来なかったサンダウンは、呆然として世界が遠ざかっていくのを見て
 いた。









 

 ある真夜中、サンダウンは険呑な空気に気付き、浅い眠りから浮上した。

 自分が小さな野営をしている周辺を、囲むようにして大勢の気配がざわついている。

 サンダウンは、そのばらばらな空気に眉を顰めた。

 

 自分の首に掛けた5000ドルという法外な賞金を考えれば、幾多の賞金稼ぎが狙いを澄ませている事は嫌で
 も理解できる。

 闇に乗じて首を刈ろうとする者も、今までに幾度となくいた。

 しかし今回は、今までと違い、数が多い。

 サンダウンの首を取る為に、賞金稼ぎという賞金稼ぎが手を組んだとでもいうのだろうか。

 包囲網のように、ざわめく気配は息を顰め、その機会を伺っているようだ。
 


 今すぐに逃げ出すのは、集中砲火を浴びる可能性が高すぎて、危険だ。

 しかし、このまま包囲網が狭まっていくのを黙って見ているわけにもいかない。

 逃げ出すのならば早いほうがいい。
 
 その為には奴らの半分――いや、四分の一の気を、一瞬でもいいから別の方向に向ける必要がある。


 
 サンダウンは、そっと胸元を探る。

 目的の物は、すぐにサンダウンの手の中に転がってきた。

 つるりとした表面のそれは、オイルがたっぷりと入った小さな小瓶だ。 

 いつだったか、マッドが作った火炎瓶。

 彼はそれをサンダウンに渡したまま忘れてしまったようだが、サンダウンは覚えている。

 ここ数週間、姿を見ていないという事実は捩じ伏せ、サンダウンはそれを自分から遠く離れた場所へと放
 り投げた。

 そして、地面に落ちる寸前で、その小瓶を銃で撃ち抜く。

 

 銃声と共に広がった炎。

 瞬間、周りを囲んでいた気配のばらつきが、更に大きくなる。

 何人かは、そちらに意識を持って行かれ、残る者達は一瞬にして殺気だったようだ。

 だが、サンダウンはまだ動かない。

 いや、サンダウンが動く暇も与えずに、凄まじい銃撃が四方八方から巻き起こったのだ。

 

 しかし、それこそがサンダウンの狙いでもあった。

 ばらつく気配。

 それは取り囲む賞金稼ぎ達の統率がとれていない事を意味している。

 何も考えずに銃を撃ち始めた事からも、彼らが烏合の衆である事は明白だ。

 暗闇の中、銃を撃ち続ける彼らは、サンダウンを挟んだその正面で同じく銃を撃っている味方に気付かない。

 あちこちで始まった同士撃ち。
 
 上がる断末魔が、徐々に増えていく。

 互いに撃ち合いを始めた後、火炎瓶に気を取られた連中が体制を立て直す前。

 それこそが行動を起こす時だ。  



 サンダウンは身を起こすとすぐさま愛馬に跨り、混乱している賞金首達を蹴散らしていく。

 罵声と怒号が飛び交うが、賢い愛馬は、馬というよりも崖を渡り歩くカモシカのような動きで、彼らの混
 乱しきった銃弾を躱していく。

 時には何人かを後ろ足で蹴飛ばしながら。


 
 はっと、サンダウンは振り返った。

 その瞬間を狙い澄ましたかのように、周囲の混乱とは全く無縁の、恐ろしく研ぎ澄まされた銃弾が脇を掠
 めていく。

 冷然とした弾道を辿った先にある瞳に、サンダウンは喉が凍りついたような気がした。

 夜の闇に溶けてしまいそうな黒髪。

 その下にある瞳には、何の熱も感じられない。

  

 ああ、。


 
 みるみる遠ざかっていく、誰よりも冷酷な立ち姿に、サンダウンは呻いた。

 彼が最後に放った『戻す』というのは、こういう意味だったのか。



 彼は、今まで彼のやり方で、サンダウンを捕えようとしてきた。

 賞金稼ぎが賞金首を捕える方法は、別にどんな方法であっても構わないのだ。

 闇に乗じようとも、大勢で襲いかかろうとも、罠にかけようとも、それこそ人質をとっても構わない。

 わざわざ決闘なんて真似をする必要はないのだ。

 にもかかわらず、サンダウンに対しては決闘を繰り返すのは、彼なりの、ある種の意志表示だったのだろう。



 だが、それはたった今、確実に潰えてしまった。

 誰よりも決闘でサンダウンを倒す事に拘っていたマッドが、あの烏合の衆の中にいたのだ。

 それは、マッドがサンダウンをただの賞金首としか見なくなった事を意味している。





 夜の中に投じられた悲鳴による喧騒から遠ざかりながら、サンダウンは腹の底に沈んでいた絶望が浮かび
 上がってくるのを感じた。











 原因は、きっと、自分にある。

 マッドは短気なように見えるが、心底から怒るという事はあまりない。

 仮に怒ったとしてもその場限りの事であり、次に会う時はけろりとしている。

 そんな男が、自分のやり方を捻じ曲げるほどに怒りを抱く理由。

 それは、自分が吐いた言葉にあるのだろう。
 

 
 人の心を散々見透かすような台詞を言っておいて、アルコールの所為でまったくそれを覚えていない彼に、
 腹が立った。

 腹立ち紛れに、吐き出した、言葉。



『…………一体、お前の何を信用しろと?』



 その瞬間の、マッドの表情の変化は何と言えば良いのだろう。

 色を失い、凍りつき、更にはその顔にひびが入ったのが、確かに見えた。

 明るい光を灯す瞳が曇り、傷ついたように震えた。

 後悔した時には既に遅い。

 口に出した言葉は取り消せない。

 マッドの琴線を切ってしまった言葉を取り消せる言葉はなく、彼はサンダウンから飛び立ってしまった。

 彼が、その背に世界を負ってサンダウンに熱を届ける事はないのだ。




 彼が、世界が、遠ざかっていく足音を聞いたような気がした。





 

 



 
 執拗に追いかけてくる賞金稼ぎ達。

 大多数は二流、三流の者達で、サンダウンに敵わないと知るや尻尾を巻いて逃げていく。

 群れていてもそれは同じだ。

 数で圧倒できない事が分かるや、彼らは武器を放り出し、命乞いをする。

 しかし中には手練れた者もいて、確実にサンダウンに疲労を蓄積させていく。

 だが、その中に、彼の姿は見えない。



 いる事はわかるのだ。

 統率こそされていないが、こうして図ったかのようにサンダウンを狙う賞金稼ぎが次々とやってくるのは、
 きっと、彼が焚きつけたからだろう。

 彼が、賞金稼ぎのやり方で、本気になって仕事をしているのだ。

 なのに、その姿はあの日以降見る事がない。

 気配さえ、感じさせてくれない。



「………っ!」



 愛馬を走らせていると、空気に微かな違和感を感じた。

 咄嗟に馬首を翻し、方向転換した瞬間、進行方向から炎と煙が爆音と共に噴き上げるのが見えた。

 サンダウンを狙った、殺す為だけの罠。

 誰が、など考える間でもない。

 物陰から飛び出してきた賞金稼ぎ二人を撃ち抜き、サンダウンは馬を走らせながら周囲を探る。

 その間も、まるでサンダウンの行く場所を予想しているかのように跳ね上がる罠の数々。

 そして罠の合間合間に訪れる賞金稼ぎ達。

 サンダウンを殺す事も狙っているだろうが、それと同時に、死ななくても確実に神経と体力を奪うように
 仕向けられている。

 歯噛みしそうになるのを堪え、更に気配を探る。


 
 何処だ?

 一体、お前は、何処にいる?

 お前は、まだ、来ないのか?  

  

 賞金稼ぎ達を振り払い彼らの呻き声を置き去りにして、砂埃でけぶり始めた世界は、燦々と輝く太陽の
 所為で一層白くくすんでいく。

 声も馬蹄の音も遠ざかった時、背後で銃声が響いた。

 微塵も気配は感じなかったが、すんでのところでそれを避ける。

 振り返った先にいた姿は、最後に見た時と変わらない。

 彼が来たという事は、他の賞金稼ぎ達は脱落したとみて間違いないだろう。

 
 
 黒馬に跨ってバントラインを掲げる彼には、一切の躊躇いもないようだ。

 一言もなく放たれる銃弾は、卑怯なくらいサンダウンの胸の内を痛めつける。

 だが、それよりも。



 サンダウンは、マッドの手綱に狙いを定める。

 

 彼を取り戻さなくては。

 

 自分が自分でいられる為に。



 違える事なく撃ち抜かれた手綱。

 驚いて後ろ足で立ち上がる黒馬から、マッドの身体が振り落とされる。

 彼が地面に落ちるよりも早く馬から飛び降りて、距離を詰める。

 だが、受け身を取ったマッドの手が回転し、バントラインの銃口がサンダウンに向けられる。

 そして、引き金に指が掛かる。

 しかし、その引き金が引かれるよりも速く、サンダウンの放った銃弾が、その手から銃を弾き飛ばした。

 その衝撃にマッドが眉を顰めるのと同時に、サンダウンはその身体を地面に引き倒した。



 見下ろした彼の眼には、どろりと濁った炎が灯っている。

 こんな眼が、見たいのではない。

 

 何か言おうと口を開いたサンダウンは、視界の隅でマッドの手が閃いたのを見て、反射的にその腕を抑え
 込んだ。

 サンダウンのこめかみに今にも届きそうだったマッドの手。

 そこに握られているのは、砂に塗れた尖ったナイフだ。

 冷ややかな光を弾いているそれを見て、サンダウンは暗澹たる気分になった。

 今まで幾度となく銃口を向けられてきたが、まさか、銃での決闘に執着する彼が、ナイフで自分を殺そう
 とするとは思わなかった。
 
 
「放せ…………。」

「…………。」


 低く吐き捨てられた台詞に、沈黙で拒否の意を返す。

 瞳に吹き上がった、黒い炎。


「………放せっつってんだろ!」


 怒鳴り声と共に、マッドの身体は跳ね起きようとする。

 腕を抑え込んで、身体の上に乗り上げて、今にも暴れ出して飛び立っていきそうなマッドを縫い止める。  
 
 ぎりぎりと人を殺せそうな視線で睨み上げる眼と、自分の眼を合わせ、しばらくの間、見つめ合う。

 今にも爆ぜそうな光を宿す瞳を見つめ、一向に抵抗の力を抜かない身体を引き寄せた。

 

 唐突に抱き締められたマッドは、驚きで一瞬だが身体から力を抜いてしまう。

 その隙をサンダウンが見逃すはずもなく、まだ手の中に握り締められていたナイフを払いのけた。

 ぱさり、と乾いた音を立ててナイフが転がる音に、マッドは再び身体に力を込め、逃げようと身を捩る。


「………っ、何の真似だよ、てめぇ!」

 
 はっきりと怒りを込めた声に、サンダウンが言葉を探していると、マッドは捲くし立てるように続ける。


「ああ、あれか。てめぇも人の身体で楽しもうって腹かよ!だから、俺を今まで殺さずにいたってか!
 は!所詮てめぇも他の賞金首と同じかよ!」


 底冷えするような侮蔑を込めて吐き捨てられた台詞に、サンダウンは引き寄せていたマッドの身体を引き
 剥がし、再度地面に押し付ける。

 
「………っ!」

 
 衝撃に小さく息を呑んだマッドの首に、サンダウンの武骨な指が掛かる。

 サンダウンの手は、片手でマッドの首を抑え込めるほどに大きい。

 見開かれたマッドの眼に、サンダウンも苦々しく言い放つ。


「…………自分が既に分かっている事を、わざわざ人に訊くな!」


 何、と問い質す暇も与えず、サンダウンはマッドの唇を自分のそれで塞ぐ。

 噛み付かれるような口付けは、まるで恋人同士がするそれのように深く、熱く。

 思う存分にマッドの口腔を蹂躙したサンダウンが離れた時には、マッドは短く断続的な息を吐いていた。

 喘ぐ首筋には、それでもまだサンダウンの手がかかったままだ。

 その状態でも、マッドは更に激しい怒りを込めてサンダウンを睨みつける。


「一体、てめぇは、何の話を、してやがるんだ!」

「お前が自分で言って、忘れた話の事だ………………!」

「ああ?!」


 火花でも飛び散りそうな睨み合いの中で、マッドが再び吠える。


「俺が、いつ、何を言ったよ!」

「お前が酔っぱらった時の話だ!」


 サンダウンの押し殺した、が、確かな苛立ちが込められた声に、怒りに身を任せていたマッドが素に戻る。


「酔っぱらった………?」


 マッドは自分が訊き咎めたサンダウンの言葉を、自分の口でも繰り返す。

 一気に力が抜けて、同時に怒りも抜けていくマッドは、それに反比例するように顔を蒼褪めさせていく。


 何やら、思い当たる事があったのか。


 マッドの次の言葉を待っているサンダウンの顔を、マッドは恐る恐るといったふうに覗きこむ。


「俺、なんか、した?」


 やっぱり覚えていないのか。


 一瞬期待したが、そううまくいくわけがない。

 遠い眼をしたサンダウンに、マッドはさっきまでの怒りは何処へやら、青くなったり赤くなったりして、
 慌てたような声を出す。


「っ……おい!俺は何をしたんだ!遠い眼をしてねぇで教えろ!」

「知りたいのか…………。」

「う…………。」


 言葉に詰まったマッドだったが、気を取り直して、というか勇気を振り絞って更に詰め寄る。


「だ、大体、俺が酔ってなんかしたとして!それで、なんで、あんな事する必要があるんだ!」

「…………あんな事?」

「〜〜〜〜っ!」
 

 マッドの顔色は赤で固定された。


「てめぇ!人様の唇奪っといて何だその態度は!」

「…………ああ。」


 その事か。

 というか、何を今更。

 大体、


「酔っていた時、あれほど人を誘っていたお前に、そんな貞操観念があったのか…………。」

「……………!」


 じりじりっと、マッドがサンダウンから距離を取ろうとする。


「…………さ、誘っていたって、念の為に訊くけどよ、誰が、誰を。」

「お前が、私を。」


 間髪入れずに答えてやると、サンダウンから離れようとしていたマッドが石のように固まる。
 
 次の瞬間、マッドは自ら離したサンダウンとの距離を自分で詰め直し、サンダウンの胸倉に掴みかからん
 ばかりの勢いで、食ってかかった。


「てめぇ!まさか誘われてねぇだろうな!おい、眼ぇ逸らすな!俺の眼を見てちゃんと否定しろ!頼むから!」

 
 なんだか泣きそうになっているマッドに、サンダウンは溜息を吐く。

 
「何もしてない。」


 その前にお前が眠った。

 そんな余計な事まで言わないけれど。



 とりあえず何事もなかったと知り安堵しているマッドは、何もなかった事と誘われなかった事は同義では
 ないという事に気づいていない。

 安堵してその他諸々の色んな事――口付けされたりだとかその辺り――を忘れているマッドの眼には、
 もう、あのどす黒い炎は見られない。

 あるのは、普段通りの明るい光だけだ。

 ようやくいつもの様相を見せ始めたマッドの耳元に、つ、と顔を寄せ、サンダウンは囁いた。


「済まなかった。」


 マッドが何も覚えていない事は残念ではあるが、もとはと言えば、くだらない事に怒った自分が悪いの
 だから。

 言いそびれていた謝罪を耳朶に残し、サンダウンは立ち上がる。

 突然の言葉にぽかんとしているマッドを置いて、愛馬に跨る。



 走り出す間際に振り返ると、マッドはまだ首を傾げている。

 その背には青空が広がっていた。
  
 それに小さく笑みを浮かべると、愛馬を走らせる。

 明日、また、彼には会えるだろう。

 いつものように、世界を従えた彼に。

 



  
  




  
 尤も、次の日に会ったマッドは、口付けされた事を思い出しており、怒り心頭なわけで。



 再び、壮絶な喧嘩が始まる事は言う間でもない。  









 
Mad afternoon tea party