サクセズ・タウンでの共闘の後、マッドに小さく『これで貸し一つだぜ』と口にされた。
  あれはマッド自身も自ら首を突っ込んだようなものではないかと思わなくもなかったが、しかし
 マッドがいなければ、あれだけのならず者相手に渡り合う事は出来なかったであろうから、やはり
 これはマッドの言う通り『貸し一つ』なのだろう。
  だが、マッドがそれを返せという時の事など、サンダウンには見当もつかない。
  マッドは基本的に大概の事は自分でしてしまうだろうし、そもそもサンダウンに頼るくらいなら
 手近にいる賞金稼ぎ仲間に頼むだろう。マッドには助けてくれる仲間が、サンダウンと違って大勢
 いるのだ。わざわざサンダウンの手を借りる必要もない。
  だから、マッドがサンダウンの手を必要とする時など、サンダウンには思いも浮かばなかった。
 硬い頭をせいぜい悩ませて出てきたのは、サンダウンの首を要求する時の台詞にマッドが使うくら
 いだった。しかしマッドが、本気で、サンダウンの首をそんな貸し一つで要求してくるとは思えな
 かった。
  だから、町でばったり出くわした黒い賞金稼ぎが、『あの時の貸しを返せ』と言ってきた時、一
 体どんな天変地異が起きたのかと思った。




  You owe me





  町の交易所の前で出くわした賞金稼ぎは、いつもはきゃんきゃんと吠える口を抑え込んで、まじ
 まじとサンダウンを見ると、件の台詞を吐いた。

 「あんた、あん時の貸し返せよ。」

  唐突に、しかもサンダウンがマッドから言われる事はないと思っていた言葉を吐かれたものだか
 ら、サンダウンは咄嗟に本気で怪訝な顔をしてしまった。
  その顔を見たマッドは、サンダウンが貸し借りの件を忘れてしまっているのだと思ったらしく、
 口を尖らせた。

 「なんだよ、忘れたってのかよ。」
 「いや……。」

  忘れてなどいない。だが。

 「……何故、急に。」
 「あん?いつ返して貰おうが、そんなの俺の勝手だろうが。」

  ごもっとも。
  それとも何か用事でもあんのかよ、と賞金首は明らかに時間の有り余っている賞金稼ぎに問い掛
 ける。むろん、サンダウンが頷くはずがない。頷けるはずがない。何せ、死に場所を求めて放浪す
 るサンダウンは、暇だった。

 「暇なんだから、良いじゃねぇか。ちょっと今晩付き合えよ。」

  何にだろうか。酒を飲むのに付き合えというのだろうか。しかしそれなら、普通に娼婦や賞金稼
 ぎ仲間で良いだろうに。
  怪訝に思うサンダウンだったが、今度は顔には出ていなかったようだ。マッドもそれを指摘した
 りしなかった。代わりに、マッドはいつものように勝手に話を進めていく。

 「とりあえず、これ持っとけよ。なくすんじゃねぇぞ。で、夜になったら酒場の前で落ち会おうぜ。」
 「…………。」

  なんだ、これは。
  無言でマッドに問うたつもりだった。そうすればマッドはサンダウンの表情を読んでくれる。が、
 今日に限ってマッドはサンダウンの表情を読もうとしない。或いは無視したのか。それなら勝手に
 見るぞ、と内心で呟いた。
  腹の中で、そんな事をぶつぶつと呟いていると、そんなサンダウンに再び不穏なものを感じたの
 か、マッドが怪訝な顔をする。

 「言っとくけどな。服装の事は気にしなくて良いんだぜ?そんな大層な場所に行くわけでもねぇん
  だ。」

  誰もそんな心配していない。
  一体、この男は、サンダウンの表情から何を読み取ったのか。
  しかし、サンダウンとてマッドが何の為に『貸しを返せ』と言ったのかが分からなかった。だか
 ら、サンダウン自身も分からない神妙な顔をしていたとしてもおかしくない。何せ、西部一の賞金
 稼ぎが、西部一の賞金首に『貸しを返せ』と言っているのだ。普通の人間ならば、余程の事があっ
 たと見ておかしくない状況だ。
  だが、その台詞を口にした当の賞金稼ぎ本人は、少しばかり表情が硬いものの、それ以外は実に
 普段通りであった。その軽口でさえ普段の軽さを保っていた。けれども、それさえも演技であるの
 ではないかとサンダウンが疑うほどに、マッドは名実ともに西部一の賞金稼ぎであった。そして、
 サンダウンもその事実を正しく評価していた。
  だから、サンダウンがマッドの言葉を深く考えたとしても、それこそ何らおかしい話ではない。
 むしろ無法の風が吹き荒ぶ荒野だからこそ、サンダウンの慎重さは重きを置かれればこそ、軽んじ
 られるものではなかった。
  故に、サンダウンはマッドから包みを渡されて、マッドが立ち去った後も、今夜訪れるのっぴき
 ならぬ事態というものについて深く考えていたのである。
  だが、マッドはサンダウンにそれほどのヒントを残していったわけではなかった。せいぜい、彼
 には有るまじき借りの返済要求が、事態の重さを物語っているだけだった。
  後は、サンダウンの手の中に押し付けられた、茶色い紙の包みだけが、この状況を説明してくれ
 るものだろう。一見すれば何処にでも有りそうな茶色の包みは、その包みに印字された文字から判
 断するに、マッドがその前に立っていた交易所で使われているものだろう。では、マッドはこれを
 交易所で買ったのか。そしてそれは、マッドの口ぶりからすると、今夜必要なものらしかった。
  が、茶色の包みと、そこに印字された黒い文字を見ても何も分からない。その包みの外形から何
 かを判断するのも非常に困難だった。
  その時、サンダウンの中に躊躇いがなかったかと言えば、嘘になる。
  幾ら相手が賞金稼ぎとはいえ、預かった包みを勝手に開けて中を見るのは、流石に気が引けた。
 しかし、何の予備知識もなく、賞金稼ぎにの言う通りにするのは非常に危険だった。だから、サン
 ダウンは躊躇いがちに、茶色の包みに手を掛けたのだ。
  だが、それこそ大きな嘘だ。
  包みを空けながら、サンダウンは頭の片隅で思った。
  サンダウンは、マッドが何かとてつもなく卑怯な方法で自分を仕留める事はないだろう事を知っ
 ているし理解している。この呼び出しが罠ではない事など、重々に承知しているのだ。だから夜に
 どんな結末が待っていようと、それはサンダウンの首を絞めるものではないはずだ。
  にも拘らず、自らの危険を理由にマッドに託された包みを見たサンダウンは、言い訳を削いでし
 まえば、単純に中身が気になったから――ひいてはマッドの事が気になったから、という理由にし
 かならない。しかし、それを肯定してしまうには、サンダウンは長く生き過ぎた。せめてマッドと
 同年代だったなら、その危ない気持ちを抱いて、そのまま粉々に砕けでも良いと考えたかもしれな
 い。だが、粉々に砕けるのはサンダウンだけではなくマッドも一緒であると分かるほど歳をとった
 今では、そんな単純な感情だけで動く事は出来なかった。
  包みを解くという短い行為の間、ぶつぶつとそんな事を延々と考え続けるサンダウンは、自分で
 思う以上に面倒臭い人間なのだろう。
  けれど、そんな思考を止めるには、マッドから預かった包みの中身は十分過ぎた。はらりと眼の
 前に広がったそれを見て、サンダウンは、文字通り、自分の青い眼を点にするしかなかった。




  その夜、酒場で落ち会ったマッドは、サンダウンを一軒の廃屋に連れていった。何かの際に見つ
 けたのだという、以前は何処かの成金の屋敷だったのかもしれないというくらい随分と立派な廃屋
 に、サンダウンは油断なく視線を彷徨わせる。いつ、何処から、何者が現れるのか分からない。
  しかし、そんなサンダウンを余所に、マッドは迷いのない足取りで廃屋の中を歩いていく。そし
 て、此処だ、と随分と広い部屋の前で脚を止めた。
  割れた窓硝子から覗き込んだ月に照らされ、何もかもが押し流されたような、寒々とした部屋が
 広がる。もしかしたら、何者かが忍び込んで、此処にある幾許かの品物を盗んでいったのか、部屋
 の中はがらんとしていた。あるのは、埃と、朽ちた木材のみ。
  その中央に、流石に持って行く事は出来なかったのか、一台のピアノが無言で佇んでいる。その
 黒い外骨格に、つやりと月光を受け止めていた。

 「キッド、あんた俺が預けたもん、持ってきただろうな。」
 「………。」

  持ってきた。
  持ってきたが。
  無言で差し出すと、マッドはそれを受け取り――サンダウンが包みを解いていた事には何も言わ
 なかった――それを包みから取り出すと、さっさとピアノの前に行ってしまう。
  マッドが鍵盤に指を置いた時、サンダウンは自然と肩に力を込めていた。
  もしかしたら、これが何かの合図なのかもしれない、と。
  が、特に何も起こらなかった。その後、マッドがポロポロと指の隙間から音を零しても、何も起
 きない。それを見ているうちに、遂に耐えかねてサンダウンは問うた。

 「マッド……まさか、ピアノを弾く為に、私を此処に連れてきたのか?」
 「他に何があるってんだ?」

  まさかの回答だった。

 「あんた、包み開けて中に楽譜が入ってんの、見たんだろ?なのに、気付かなかったのか?」

  気付くも何も。
  賞金稼ぎが持っていた楽譜だ。単純に弾く為だとは思わずに、何か意味が込められているのでは
 ないかと勘繰るに決まっている。まして、『借りを返せ』という言葉と共に差し出されたときたら。

 「楽譜に暗号でも差し込んでんのかって?そんな事して、何の意味があるってんだよ。大体、暗号
  を知らせたい奴が楽譜読めねぇと意味ねぇじゃねぇか。何でそんな限定されすぎた暗号作らなき
  ゃならねぇんだ。」

  鍵盤から指を離さずに顔だけ上げて、舌を回転させてぽんぽんと言葉を吐いていく。
  サンダウンは、ピアノを弾いたら何者かがやって来る合図なのではないかとさえ考えていたのだ
 が。しかしそれを口にする暇もなく、連続して吐き出されるマッドの言葉に呑まれそうになってし
 まった。
  だから、サンダウンも負けじと、まだ質問に回答していないと訴えて応戦する。
  すると、マッドは唇を尖らせた。

   「ピアノ弾いてる間に、ならず者連中に襲われるかもしれねぇだろうが。そりゃあ、俺だってそい
  つらに気付く事くらい出来る。でも、ピアノ弾いてる途中だと、反応が遅れるかもしれねぇだろ?」
 「…………答えになっていない。」

  それは、サンダウンでなくとも良かったはずだ。賞金稼ぎ仲間が大勢いるのだから、そちらに頼
 めば良かったのではないのか。

 「あいつらには、頼めねぇな。何を言いふらすか、分かったもんじゃねぇ。」

  賞金稼ぎマッド・ドッグが、ピアノを弾けるだなんて。文弱という言葉に繋がるのかどうかは分
 からないが、しかし外見がどうしても優男風に見えるマッドにとって、それをネタにされるのは我
 慢ならない事なのかもしれない。

 「その分、あんたなら言いふらす相手もいねぇしな。」
 「………私が、お前の背を撃ち抜く事は、考えなかったのか。」
 「あんたが?」

  けだる気に見えるほど優雅に首を傾げて、マッドはサンダウンを見る。その様子に、そこだけが
 くっきりと切り取って、何処か別の世界のように見えた。

 「今まで俺を殺そうとしなかったあんたが?それこそ、何の為に、だ。」
 「…………。」
 「それに、他の奴のほうが、むしろ俺の背中を撃つんじゃねぇかって思うぜ。同じ賞金首でも、そ
  ういう事をする奴は、大勢いるからな。」

    理由になっていない。むしろはぐらかしている。そう、サンダウンが食いつこうとした時、優雅
 な仕草でピアノから指を離し、脚を組んだマッドは、小さく呟いた。

 「だったら、あんたのほうが良いと思ったんだ。あんたになら、背中からだろうが、別に撃ち取ら
  れても良いかなって。」

     その台詞に、サンダウンはぎょっとして思わずマッドを見つめる。
  マッドの言葉は、サンダウンに対する諦めか裏切りのように、しかし同時に酷く甘ったるい睦言
 のように聞こえた。
  サンダウンに背を預けるのは信頼の証でありながら、けれども撃ち抜かれて良いというのは、諦
 観ではないのか。
  息を詰めたサンダウンに、唐突にマッドは背を向けた。

 「ま、この俺様が、背中なんか狙われるわけねぇけどな。」

  感情と話の途中ですっぱりと切り捨てられ、サンダウンは次にどんな表情を浮かべれば良いのか
 分からない。けれど自分の事を信じろと言うのは、あまりにもおこがまし過ぎた。
  結局、黙りこんで再び鍵盤に向かい始めたマッドの背中を見つめるしかない。
  その視線を感じたわけではないだろうが、マッドがぽつりと零す。

 「別に、そんなに拘る事ねぇだろ。どうせ、これで貸し借りはなしなんだ。あんたにこんな役目頼
  む事もねぇよ。」

  そう言われて、はっとした。
  そうだった。これは貸し借りの一環であって、再び同じ事をマッドがサンダウンに頼む事はない
 のだ。マッドがちょうど良い人物として、今回はサンダウンを護衛に、そして観客に指名した。で
 は、次回からマッドはどうするつもりなのか。

 「……だが、別の人間に頼むんだろう?」
 「さてね。それこそ、誰も来ねぇような場所探すのが一番かもな。」

    ぽつりと零した声に、返答があった。それは暗に、これを頼む相手はいないのだと告げている。
 その頼む相手のいない物事を、サンダウンに頼んだのか。その事実をどう解釈するべきか、サンダ
 ウンには分からない。ただ、辛うじて低い声で呟いた。

 「……随分と安い貸しだな。」
 「へぇ……?これじゃ、返した気分にならねぇってか?」
 「……簡単過ぎて、な。」

  これでは、貸しの十分の一にも満たない。そう嘯くと、マッドの視線がひっそりと流れてきた。

 「返したりねぇって?まだ十回分も貸しが残ってるって?」
 「お前がこれで満足したのなら、構わんが。」

  挑発的なマッドの声音に、殊更素っ気なくサンダウンは返した。くつくつとマッドの笑う声が、
 ピアノの音に混じって聞こえてくる。

 「大きく出たなぁ、流石は五千ドルの賞金首ってか?」

  流れてきた視線も、挑発的だ。獲物を定めた時と同じ表情をしている。それが、彼が一番楽しん
 でいる時の表情だと知ったのは、いつだったか。

 「いいぜ、あんたが返した気分になるまで、返して貰うさ。」

     そう告げた声は、まるで歌っているかのようだった。