金の髪を逆立てた少年は、山の麓の木々に隠れて、東の山を渦巻く蝦蟇を見渡していた。しかし
大地を埋め尽くす蝦蟇の隙間隙間からは、うねるように蛇がいくつも生えてのたうち回っている。
「おい、なんだよありゃあ?」
不気味な光景について問いかける日勝に、アキラは草叢に身を潜めたまま答える。
「蝦蟇蛇だよ。奴らもオディオ憑きの仲間さ。それにしてもすげぇ数だ。こいつら、この辺りのオ
ディオじゃねぇな。」
そもそも蝦蟇蛇はこの地には多くはいない。
東の山を支配するのは、古代よりバビロニアに仕えてきた機械達であり、マザーCOMが長らく
頂点に君臨してきた。アキラ達の狙いも、その機械達にあるのだが、それはまた別の話であるため
脇に置いておく。
むろん、東の山と、そして今は坂本が開墾した西の山はオディオの力の濃い場所で、マザーCO
Mがいたところで、争いが避けられるわけでもない。むしろオディオであるからこそ、彼らは狡猾
に争うのだ。
「あ、あれは尾張の尾出院王じゃねぇか?」
蝦蟇蛇達の中に、一際巨大な蝦蟇を見つけて、アキラは呟いた。
ぶよぶよと蠢く蝦蟇は、皆が皆、獅子ほどの大きさもあるが、しかし中でも小山ほどの大きさも
ある蝦蟇が、ゆっくりとした動きで歩いている。
「尾張……?」
唐突なアキラの言葉に、あからさまに首を傾げた日勝。それを振り向きもせずに、アキラは此処
よりもずっと西の地名だよ、とだけ説明した。
「一族を率いて、山を越えてきたのか……。」
と、尾出院王の無機質な眼が、ぐるりと動いた。つるりとした視線は何処を見ているかもよく分
からないが、けれども何かを探るような眼球の動きに、アキラは、ヤバイ、と呟いた。
「気づいかれた!引き上げるぞ!」
反応の鈍い日勝の首根っこを掴んで、アキラはぎゅっと、眼を閉じて額に集中する。
瞬間、すっと二人の姿は最初からそこになかったかのように、文字通り掻き消えた。
東の山に集った蝦蟇蛇達は、とぐろを描くように山を登り始めた。瘴気に近い霧を割って、木々
に覆われた麓から冷え込んだ、木々さえ厭んでいるかのような、岩肌も剥き出しの山頂へと。
彼らが求めているものは、やはり明白だった。彼らもまた、ベヒーモスを求めているのだ。
じりじりと山頂を目指した彼らの姿に、真っ先に気が付いたのはマッドの為におじやを運んでい
たオルステッドである。
この地にはいないはずの蝦蟇蛇の姿に、オルステッドは無言でマッドの傍らから立ち上がった。
「蝦蟇蛇達。此処より遥か西の大地のオディオであるお前達が、マザーCOM『OD−10』の配
するこの地に何の用か。」
返答次第では剣も抜きかねないオルステッドの様子に、蝦蟇蛇達は歩を緩めなかった。ずるずる
とその身体を震わせながら、魔王山の山頂を見渡して口々に叫び始めた。
「我等は尾張よりやってきた。」
「ベヒーモスを守るためにやって来たのだ。」
「ベヒーモスを出せ。」
唐突な、しかも無礼な言い分に、オルステッドはむっとしたようだ。
「此処は確かにベヒーモスの地。だが、ベヒーモスは我等が呼んで出てくるものではない。」
昂然と顔を上げて、きっぱりと言い放ったオルステッドに、蝦蟇蛇達はしかし聞く耳を持たず、
やはり好きなように騒ぐ。
「ベヒーモスを守るためにやって来た我らの前に、ベヒーモスが姿を見せぬとはどういう事だ。」
「そうだ。それに何故、ベヒーモスの地にお前のような人間がいる。」
「人間が、ベヒーモスを殺したんだ。」
あまりな言い分に、遂にオルステッドが剣を抜こうとした時、しかしそれよりも早く鋭い電子音
が空を切り裂いた。
「黙れ。その者は私の息子だ。それに、お前達とて元は人間だろう。人間のオディオなど、何処に
でもいる。」
するりとオルステッドを庇うように、オルステッドと蝦蟇蛇の間に割り込んだのは、首だけの、
宇宙のような深い紺色の機体を点滅させたマザーCOMだった。
東の山を守る機械は、オルステッドに寄り添うと蝦蟇蛇達に告げた。
「オルステッドの言った通り、ベヒーモスは我等の言葉では支配できぬ。それにベヒーモスは我等
を救いはしない。ベヒーモスが何を救い、何に死を与えるか、それはベヒーモスが定める事。」
「そんな事はない!ベヒーモスはオディオである我等を助けるはず!それにお前達は、そこにいる
人間の男を助けている!ベヒーモスを殺そうとする人間を助けるとはどういう事だ!」
蝦蟇蛇達の矛先は、遂にマッドにまで向かってきた。薄らと眼を開いて、マッドはとりあえず状
況だけを確認し――しかしマザーCOMの巨躯で視界が遮られていた。
状況が把握できないマッドに変わり、オルステッドが反論する。
「この男はベヒーモスが裁定を下し、そして生かした!だから我等もこの男を助けるのだ!」
しかし、ベヒーモスが人間を助けるという事実を、蝦蟇蛇達は受け入れられないらしく、ますま
す騒ぎ立てる。
「ベヒーモスが人間を助けるだと?では、何故、理性を失ったおーでぃーおーをベヒーモスは助け
なかったのだ!」
「ベヒーモスは我らの理解の範疇外にいる存在。そんな事も、お前達は分からないのか?」
マザーCOMは蔑むように言った。
「我らのように長く生きたもの命は、おそらくベヒーモスは奪い去るだろう。おーでぃーおーはそ
れが分からず、理性を失い暴走した。だが、私は違う。私はこの地に留まる。おーでぃーおーは
逃げ、私は逃げない。」
マザーCOMの言葉に真っ先に反応したのはオルステッドだった。マザーの眼を見上げ、訴える
ように叫ぶ。
「マザー!そんな事は!」
「オルステッド。私は十分に生きた。ベヒーモスは私を見れば、間違いなく破壊を選ぶだろう。」
「そんな事はない!マザーはベヒーモスを守ってきた。」
そうした庇護などベヒーモスには全く意味を成さぬものだ、と。
マザーCOMは悟ったように呟く。
けれども悟れぬ蝦蟇蛇達は、騙されぬぞ、呻いた。
「お前達はベヒーモスを一人占めするつもりだ!」
「ベヒーモスは、お前達が食っちまったんだ!」
愚弄を止めぬ蝦蟇蛇達に、オルステッドは遂に剣を抜いた。靄の張った、鈍い色の刃を掲げ、蝦
蟇蛇の無機質な黒い眼を睨み付ける。
「黙れ!これ以上マザーを愚弄すると、許さんぞ。」
若者の低い威嚇の声に、蝦蟇蛇の群れの奥が反応した。蝦蟇蛇を掻き分けるようにしてぬっと現
れたのはマザーCOMよりも一回り巨大な、毒々しい色をした蝦蟇蛇であった。
その姿を見たマザーCOMが、安堵とも取れる音を零す。
「尾出院王だ。少しは話が通じる者が来た。」
蛇をうねらせた尾出院王は、ずるりずるりと岩肌を踏み締めると、そのままマッドの元へと向か
う。それを見たオルステッドが、慌ててその進行方向を遮ろうとする。
だが、それを尾出院王は制した。
「安心しろ、魔王。儂はその男に話があるだけだ。何故ベヒーモスが奴の傷を癒したのか。それに
興味がある。」
オルステッドを押しのけ、マッドの傍らにぶよぶよとした巨体が聳え立った。
マッドはその、小山のような姿を薄目で見上げ、そして大きく息を吐いた。そうでもしなければ、
声が出そうになかったからだ。
「……で、俺に何を話せって?」
弱った身体にしては、しっかりとした声が出た。
黒い眼で蝦蟇を見上げれば、蝦蟇も何処を見ているのか分からぬ眼を回転させて、喉を震わせて
いる。
「小僧。ベヒーモスと何を話した。その傷を癒すために何を言った。」
「………別に。」
マッドはもう一度息を吐くと、今度こそ眼を完全に見開いて、蝦蟇蛇の醜悪な姿を見据えた。
「俺は確かに傷を癒された。でも、あいつは俺の呪いまで癒してはくれなかった。」
右腕の、オディオの呪い。
「奴はこの呪いを背負って生きていけと言った。オディオの呪いに全身を焦がされ、そしてオディ
オとなって死ねと。だから俺は、」
そうか、と答えただけだ。
ベヒーモスの言葉に、むしろそれだけか、と。
「俺がベヒーモスに言ったのは、それだけだ。ただ、俺はお前達のように、オディオにはならない。」
そうも言った。
すると、蝦蟇蛇はふん、と鼻を鳴らし背を向けた。
「オディオにならぬと言うのなら、早くこの地を去れ。次会う時は、西の山にいる人間共諸共お前
を殺さねばならん。」
「尾出院王。どうやって奴らを殺すつもりだ。数だけでは人間には太刀打ち出来んぞ。」
マザーCOMの言葉に、尾出院王は己の歩みを止めるつもりはない事をはっきりと告げる。
「そんな事は分かっておる。儂も元は人間だったのだからな。だが、これ以上奴らのようにオディ
オを燃やし尽くしてしまおうという人間共の好きにさせるわけにはいかん。安心しろ。お前達バ
ビロニアの機械の手を借りようとは思わん。儂らは儂らのやり方で、日暮里の連中に泡を吹かせ
てやる。」