風のように走るサンダウンの上で、鬱金色の髪が揺れた。
マッドに腹腔を蹴り飛ばされて、そのまま意識を落としてしまっていた若者が目を覚ましたのだ。
眼を覚ました若者は、自分が背後から男に抱え込まれ、馬に乗せられている状況であると認識する
や否や、両手を掻き回すようにして暴れ出した。
唐突の若者の動きと、そして何よりも腹部を撃たれたマッドには、なんら防御の術がない。サン
ダウンの背に乗っているだけでも奇跡であるというのに。
若者の動きに抵抗できず、そのままくらりと倒れて転がり落ちそうになるマッドに、だがサンダ
ウンがそれを察して、マッドが倒れそうな方向に身体を素早く動かした。サンダウンの機転により、
マッドはサンダウンの背から転がり落ちる事はなかったが、代わりにサンダウンの動きを予想して
いなかった若者が転がり落ちた。
森の中の草叢に落ちた若者を、サンダウンは別に気にする様子はない。
ただ、これ以上はマッドを乗せて走るのは、マッドにとって危険であると判断したのか、のろの
ろと速度を落とし、ゆっくりと地面に膝を突いた。
サンダウンが地面に膝をつくと同時に、マッドの身体もゆっくりと傾いで、ずるずるとサンダウ
ンの背からずり落ちていった。
地面にずり落ちたマッドを、馬上から転げ落ちた若者は睨み付ける。その足元に、木陰からひら
りと白く丸い機体が二体すり寄ってきた。
キュルキュルと鳴く機体が、腿にぶつかって来る感触を宥めながら、若者は血で白いシャツを朱
に染めたマッドを見下ろす。
「お前、死ぬのか。」
長い睫に縁取られた瞼を閉じ、呼吸の薄いマッドは、若者の言葉に返事をしなかった。
返事をしないマッドに苛立ったのか、それとももともと腹の底に激情を抱え込んでいたのか、若
者は剣を抜き払うと、素早い動きでマッドとの距離を詰め、圧し掛かり、マッドの大理石のような
白い喉に鈍い刃を突き付ける。
「言え!何故、私を助けた!」
薄い膜を張ったように曇る刃は、光を少しも反射しない。
その奥で、マッドがようやく薄く眼を開いた。黒々とした眼は、僅かな月の光を反射して、銀色
に見えた。
「まさか、私への憐れみとでも言うつもりか!人間の分際で!」
肩を震わせて叫ぶ若者に、突然マッドが、腹を銃で撃たれているにも関わらず、むくりと腹筋だ
けで起き上がり、するりと突き付けられた刃を避け、そのまま自分に圧し掛かる若者の額に頭突き
をした。
そして、再び倒れる。
腹の痛みと、頭突きの痛みで呻いている。
「自惚れてんじゃねぇぞ、このクソガキが。」
呻きながらも、マッドは吐き捨てる。鋭い光を灯した眼差しで若者を睨み付け、白刃のような牙
を見せて、若者の言い様を切り捨てた。
「誰がお前の為になんか命張るか。俺は単に、あいつらのやり方が気に食わなかっただけだ。それ
が結果的に、お前の為になっただけだ。」
「私の為?何処がだ!あの男を殺す事を邪魔をした事の何処が私の為だ!」
「あのままだったら、殺されてたのはお前のほうだ。そんな事も分からねぇのか。」
「殺される?はっ!」
若者は鬱金色の髪をくすませて、苦々しく嗤った。
「殺される事など、何も問題じゃない。私にとって死など恐れる足りない。むしろ、死のほうが優
しい事だってあるだろう。」
「…………。」
マッドの黒い眼が、痛みや疲れ以外の意味で、ゆるりと細められた。
それをなんと思ったか、若者は再びマッドの喉元に曇った刃を押し当てる。
「お前だって、そうだろう。今此処で私が息の根を止めてやれば、その右腕に宿る呪いからも解放
されて楽になれる。」
「俺を、お前と同じ、腰抜けに、するな。」
流石に、息が閊えてきた。が、それでもマッドの声の鋭さは変わらない。瞳に宿る瞬きの強さも。
「てめぇが耐え切れずに、死ぬんなら勝手にすりゃあ良い。でもな、俺までお前と同じだと思うな。
俺は最後まで足掻いて、人間として死んでやる。お前みたいに、人間である事を諦めたガキに、
殺されるなんざ御免だな。」
若者は、はっとして顔を強張らせ、視線をじわりと下に向ける。若者の脇腹。そこには、いつの
間に取り出されたのか、マッドの手に握られたバントラインが黒光りする咢が押し付けられている。
マッドの白い人差し指は、艶やかな引き金に掛けられている。
「死にたがりに、この俺が殺せるわけがねぇだろうが。俺を殺してみたかったら、這ってでも生き
抜いて見せろよ。」
言い放たれたマッドの台詞は、眼に見えない平手となって若者の横っ面を張ったようだった。張
り倒されたような表情をした若者は、何かを耐えるように歯を食いしばり、マッドに突き付けた剣
を震わせる。
と、その足元に固い木の実が落ちてきた。
はっとして若者が顔を上げれば、無数のインコ達が木の枝に留まり、こちらをじっと見ている。
彼らが、木の実を投げつけているのだ。
「ソノ人間ヲ、コチラニ寄越セ。」
「インコ達……。」
黄色いインコ達を見上げ、若者はゆっくりと立ち上がる。小鳥の止まる木に近づくと、彼は訪ね
た。
「インコ達よ。人が無様にも捨て去った憎しみを拾い上げる、賢者とも謳われるお前達が何故人間
などを欲しがるのか。」
若者の問いに、インコ達はけるるる、と鳴いて答えた。
「我等、ソノ人間、食ウ。」
「何?」
甲高い鳥の声に、若者は顔を顰めた。
「我等ハ憎シミヲ吸イ上ゲタ。ダガ人間達ノ憎シミは終ワラナイ。我等ノオディオモ食イ潰サレテ
シマウ。人間ハ我等ヨリモオディオに適シテイル。ダカラ、人間ヲ食エバ、我等モモット強クナ
レル。」
「馬鹿な!」
若者は鬱金の髪を振り乱すようにして、叫んだ。
オディオを切り捨て、オディオごとこの山を焼き払おうとしている人間共が、しかしオディオの
力に選ばれるという事は、あまりにも無人に満ちていた。
「人間はオディオを使いこなせたりはしない!それに、人間を食べても強くなんてなれはしない!
それどころか、お前達が穢れるだけだ!」
夜目にも分かる黄色い鳥達は、だが冷ややかな目で若者を見下ろしている。それでも若者は必至
に叫ぶ。
「我々にはベヒーモスがついている。人間共に負けるわけがない。オディオも我等のものだ。」
「ベヒーモスハ戦ワナイ。ベヒーモスハ戦ウ事ヲ知ラナイ。我等ハオディオヲ手ニシタ人間二焼キ
払ワレルダケ。」
でも、と黄色い鳥の眼は、いよいよ若者を睨み付けた。
「オルステッド。オマエハ平気ダ。オマエハ人間ダカラ!」
「違う!」
オルステッドと呼ばれた若者は、悲鳴のような声を上げた。傷ついたような眼で木々の隙間を見
るが、インコ達はオルステッドの声に驚いたのか、それどももはや語るは不要と断じたのか、葉擦
れのような音を立てて一斉に飛び立った。
「私は魔王だ!オディオだ!」
救いを求めるように叫んだオルステッドに、しかしもはや黄色い鳥は何処にもいない。
途方に暮れたように暗がりを見つめる若者に、ひたりと視線を添えられた。はっとして振り返る
と、マッドの脇に立ったサンダウンが、青い眼でオルステッドを睥睨している。冷たく凍えるよう
なサンダウンの眼に、オルステッドはふと何かに気が付いたようだ。
「なるほどな、お前が人間である事を諦めたというわけか。」
マッドとサンダウンを見比べ、オルステッドはサンダウンの人間の眼を見つめた。
「つまり、お前と私は同じという事か。そして、私と同じであるお前が、その男を擁すると言うの
か。」
しばらく、何かを言おうとして、乾いた唇を舌で舐めて湿らせていたオルステッドは、やがて意
を決したのかサンダウンに手を伸ばした。
「良いだろう。ただの人間ならば此処で殺すところだが、私と同じオディオであるお前の庇護下に
いるのならば、話は別だ。その人間の命、ベヒーモスに処遇を問うてみよう。」
鬱金の髪をしたオルステッドという若者は、マッドを乗せたサンダウンを連れて東の山の頂上に
までやってきた。
ごつごつとした岩だけが支配する頂上は、それだけ見ればサクセズ・タウンの荒野を思い起こさ
せる。
だが、草木一本も生える事を許さぬ様相が、明らかに荒野とは一線を画していた。
頂上に、まるで王のように聳え立つ一際巨大な、人の形に似た岩の傍まで来ると、オルステッド
はマッドをサンダウンの背から降ろし、マッドを肩で支えながら岩まで歩く。そしてマッドを岩に
凭せ掛けた。
その間、サンダウンは一歩も動かず、巨大な岩に近づこうとしなかった。
サンダウンの様子を見たオルステッドは、ふっと笑う。
「流石だな。この岩がなんなのか分かるのか。そうだ、お前はこれ以上は近づかないほうがいい。
ベヒーモスが、引いては即ちオディオが、この男に裁定を下すのだからな。」
普通なら、食い殺される。
だが、もしかしたら。
若者は、それ以上は口にしなかった。代わりにサンダウンの傍に行くと、サンダウンの鞍を外し
てしまう。
「いずれにせよ、お前はこの地では自由だ。好きな所に行くが良い。この男に対する責任も、もは
や存在しない。」
そう言い置くと、オルステッドは剣を携えて山を下っていく。
サンダウンはそれを青い眼差しで見送ってから、マッドへと視線を戻す。そしてそのまま微動だ
にせず立ち尽くした。
虹色に煌めきながら、山を登るものがいる。
ずしりずしりと一歩一歩、何も生み出せぬ憎まれた土地を踏み締め、ベヒーモスは最も憎しみ渦
巻く場所を見下ろした。
そこに横たわる一人の人間を。
黒い髪が砂で汚れている。腹から流れる血は赤く、地面に染み渡っている。そこからは、激しい
渇望が蠢いて、それを垂れ流している身体はさぞ甘い事だろう。
強靭な牙をその身体に近づけ。
虹色の光が瞼の裏を焼いた時。
マッドは目を覚ました。
「眼が覚めたか。」
眼を開いた時、マッドが見たのは虹ではなく、鬱金の輝きだった。
若者がマッドの顔を覗き込んでいたのだ。その肩越しには、サンダウンもいる。虹色の煌めきは
何処にもない。
小さく溜め息を吐いたマッドに、若者は立ち上がりながら告げる。
「サンダウンに礼を言うんだな。ずっとお前を守っていた。
「……なんでキッドの名前を知ってんだ。」
とりあえず自分がまだ生きている事を再認識しつつ、マッドは若者が普通にサンダウンの名を口
にした事について問う。
すると若者は、なんら拘りなく答えた。
「ぽつりぽつりとだが、話してくれた。お前の事も。」
サンダウンの長い鬣を一つ梳いて、若者はマッドを見据えるときっぱりと言い放った。
「理由は分からない。だが、ベヒーモスが、オディオがお前を生かした。だからお前を助けよう。」