マッドは日暮里の村にある炎魔忍軍の屋敷に通されていた。
  何人かの暗器使いや、密偵と思しき連中が、かさこそと屋敷の中を通り過ぎていく。
  だが、一方で普通の人間達もいるらしく、女達が何かぺちゃくちゃと喋りながら廊下を渡ってい
 く様子も見受けられた。
  どうやらこの屋敷は、誰か特定の人間の家と言うのではなく、こうやって大勢の人間が集まって
 暮らしている場所なのだろう。
  屋敷の中で一番大きな部屋に通されたマッドは、男衆の集まるその場所で煮炊きを一緒に啜って
 いた。

 「どうぞ、旦那。遠慮なさらずに。」

    ハヤテと名乗る炎魔忍軍の頭領自らが装った椀物を受け取り、マッドは姿勢を崩す。
  客分であるマッドの姿勢には、流石に誰も何も口にはしないようだ。ただ、代わりに別の視線が  
 マッドを射抜いている。
  柱の下に屯し、柱の陰からこちらを見ている女達は、もしかしたらくのいちだろうか。押し合い
 へし合いしながら、マッドを見ている。どうやら、若い男がやって来たという事で、若い女達が色
 めき立っているようだ。
  しかも、やって来た若い男が見栄えの良い男ともなれば、姦しさも一際であった。
  こっちを見て、だの、眼があった、だの騒ぐ女達は、もはやくのいちという自らの職種を忘れて
 いるようだった。
  その様子に、流石に頭領たるハヤテも業を煮やしたのだろう、厳しい声を柱の陰に向かって放つ。

 「そのようなところで油を売っていないで、さっさと仕事をせい!去ね!」

  頭領からの厳しい叱責に、流石にそれ以上騒ぐ事は得策ではないと思ったのか、蜘蛛の子を散ら
 すように女達は散っていく。
  消えた女達に、勿体ない事したな、とマッドは思っていたが、頭の固いハヤテは客人がそんな事
 を思っているとは考えなかったようで、堅苦しく頭を下げる。

 「申し訳ない事をした。あの女達も恥ずかしながら我ら炎魔忍軍の一員。しかし坂本殿が甘やかす
  所為で、少々則を乱すようになってしまった。」

  溜め息交じりの言葉には、頭領としての普段からの重責がずっりりと伝わって来るようであった。

 「どうか、気を悪くしないでいただけたら、有り難い。」
 「別に構わねぇよ。女が元気なのは、良い事じゃねぇか。悲壮な面されてるよりも、ずっと良い。」

    注がれた酒をくい、と一息に飲んで、マッドはハヤテに問う。

 「それよりも、坂本って男がこの村の長になんのか?まあ、この村をただの村って一括りにすんの
  も妙な話だが。忍びがいたり、武器を作ろうとしてたりと、やけに物騒だな。」

  核心部分を突きすぎたかもしれない。
  だが、マッドはこの場で迂遠な言い方をしても、後々探りまわっていれば結局ばれる事だと思っ
 て、手間を省いたのだ。
  マッドの問いかけに、けれどもハヤテは何か臆した気配も、疑うような素振りも見せなかった。

 「この場所を開墾したのは坂本殿だ。坂本殿がやって来るまで、此処は争い事しか生まれぬ土地だ
  った。それを平定したのが坂本殿だった。」

  有象無象が入り乱れ、全てが争いの火種となり、血で血を洗うような大地であったこの地は、奇
 妙な巨躯が支配する土地であったのだ。好んで不和と争いを引き起こし、時には憎しみを激しく煽
 るそれらに対して、はっきりと否を告げたのが坂本だったと、ハヤテは言った。
  坂本は、この地に巣食っている巨躯共が元凶であると見抜いた。
  それこそが、憎しみを煽り、人々に植えつけている存在だ、と。
  故に、坂本はそれを根こそぎ消してしまわなくてはならない、と言ったのだ。そして、彼はまず、
 西の山――今の日暮里に居座る、巨大な龍を撃ち落したのだ。

 「坂本殿は、鉄砲を幾つも持っていた。そして更に、巨躯をも倒せる鉄砲を開発していたのだ。巨
  大な鉄砲――大砲は龍を、違える事なく撃ち抜いた。」

  撃たれた龍は、地響きのような唸り声を上げながら、のたうつ土埃と共に、何処かに消えたとい
 う。
  そう。
  それこそが、おそらく、サクセズ・タウンを襲い、そしてマッドに呪いをかけた龍であろう。龍
 の呪いの根本は、どうやらこの山により生み出されたもののようだ。

 「どうかなさったか?」

  無言で鍋を突くマッドに、ハヤテは不思議そうな声で訊く。マッドは一つ首を横に振り、なんで
 もない、と呟いた。
  と、そこへ若い男の声が響く。

 「頭。」

  ハヤテを呼ぶ声は、マッドが日暮里に辿り着いた直後、入れるわけにはいかないとごねた忍のも
 のであった。
  ひっそりと座敷の下に現れた忍は、顔を隠したまま告げる。

 「坂本殿が、客人をお呼びです。」

  何処か棘のある声に、マッドは小さく苦笑した。
  少年の声の棘には気づかぬのか、気づいても何かするつもりはないのか、ハヤテは小さく、分か
 ったと頷いた。
  どうやらマッドは、このまま坂本に会わねばならぬらしい。
  まあ、マッドとしても坂本に会って聞きたい事もあるのだが。

    「ああ、俺も会いたいと思ってたとこだ。案内してくれ。」

  おぼろ丸の睨みなど意に介さず、マッドはひらりと立ち上がって、笑った。





  坂本の屋敷は他の家よりも少し離れた場所にあった。
  屋敷に通されたマッドは、しばらくの間、おぼろ丸の猜疑の視線の下にあったが、やって来た坂
 本がおぼろ丸を下がらせたので、その視線にずっと曝され続けるという事態にはならなかった。
  坂本に、下がれ、と命じられたおぼろ丸は何か言いたげであったが、口答えは許されぬのか、悔
 しそうな表情を押し殺して去って行った。

 「ああ、こんで少しは話やすうなるわい。」

  あいつがおると堅苦しくてかなわん。」
  そう言って、だらりと崩れた姿勢をする坂本に、マッドはちらりと笑みを見せた。
  おぼろ丸が去ってから、代わりに半裸に近い姿をした少年が、茶を持ってやって来る。マッドと
 坂本の脇に茶を置くと、坂本の背後にある襖の前に、ちょこんと座してそれきり動かない。
  坂本は持ってこられた茶を、一口美味そうに飲むと、げっそりした声で言った。

 「儂ん屋敷は、みぃんな怖がって近づかんのじゃあ。なんせ、此処にはオディオ憑きがおるでな。
  で、誰も近づかんちゅうのが儂は気が楽でええと思うちょったんじゃが、おぼろ丸はいかん。あ
  いつ、怖がりもせんどころか、此処に入り浸ろうとする。」

  おかげで気が抜けん。
  愚痴のように告げる坂本の言葉は、正しく愚痴で、失笑してしまいそうなものなのだが、マッド
 には聞き咎める言葉があった。

 「オディオ憑き?」
 「ん?ああ……。この地での敗者の事じゃ。この地で戦い、負けたもんは皆、オディオ憑きになる
  可能性がある。こいつも。」

  坂本は背後にいる半裸の少年を指差す。

 「オディオ憑きじゃ。」

  坂本がやって来るまで、常に憎しみが生まれ続けていたこの地では、負けた者にはオディオが憑
 りつき、勝者を食い千切ろうとする化け物になるのだという。
  坂本はそうしたオディオ憑きの中でも、最も古くおぞましい巨躯を打ち破り、西の山を奪い取っ
 た。そしてオディオ憑きになりそうな者達を引き取り、この屋敷に住まわせているのだという。

 「この山にいた、そのオディオ憑きとやらは、でかい龍だったそうだな。その龍は、どうしたんだ?」
 「ん?追い払ってやったわぁ。憎しみはこの土地にはいらん。追い払うが一番じゃ。」

    転瞬、マッドの右腕が閃いて、腰に帯びていたバントラインを引き抜こうとする。それを咄嗟に
 止めたのは、同じくマッドの左腕だった。
  渾身の力を籠めて右腕を抑えるマッドに、坂本は何か訳知り顔な視線を寄越す。

 「なんじゃ。お前、儂を殺すつもりじゃったか。」
 「は、てめぇの命なんぞ俺の知った事か。ただ、追い払って追い払ったその後の事を考えてねぇと
  こに、ちょっとイラッとしただけだ。」

  みしみしと音を立てて、無理やり右手を押しとどめたマッドに、坂本は何か言い聞かせるような
 声音で騙り始める。

 「まあ、お前さんの右腕がわけありなんはようわかった。じゃが、それならますます儂のする事は
  お前の為にもなると思うんじゃ。」

  間延びした声は、マッドの眉間を逆撫でる。

 「お前が今日、サモとユンを連れてきたあの山――東の山じゃ。あそこにはベヒーモスちゅう化け
  物が住んどる。あのベヒーモスは、オディオを吸い上げる岩が命を宿した姿だとか。それに、此
  処の人間の憎しみを吸わせ、此処の憎しみが綺麗さっぱりなくなれば、オディオでいっぱいにな
  ったベヒーモスを仕留めればええ。」
 「ベヒーモスがオディオを吸い上げる証拠なんて、あんのかよ。」
 「東の山に憎しみを増幅する何かがあるのは間違いないんじゃ。東の山がなくなれば、人はもっと
  穏やかになり、此処は良い国になる。炎魔忍軍も武器も、そのためのものよ。」

  それに、と坂本は嘯く。

 「魔王も憎しみを捨てさり、人間に戻るじゃろう。」
 「……魔王?」
 「ああ、そうじゃ。オディオに魅入られた、哀れな若者じゃ。なんとかしてやらんとなぁ」

     何処かどうでも良さそうに聞こえる坂本の声を聴きながら、マッドは未だに己の腕を抑え続けて
 いる。
  どうやらこの腕は、マッドの感情が波立つ時、それを好機と思いマッドを食い破ろうとするらし
 い。勿論、マッドは他人に自分の身体を乗っ取られるなど御免蒙るので、なんとかして制御しよう
 としているのだが。

 「坂本殿。」

  不意に、坂本の背後にいた少年が口を開いた。

 「森部のじーさんが、その者と話したいと言っています。」
 「おう。」

  坂本の声に答えて、すぅっと襖が開く。中途半端に開かれた襖の向こう側で、まるで枯れ木のよ
 うな老人が座して、マッドを見ていた。

 「若者よ、どうかその人を殺さんでくれ。我等はこの地で敗者となり、故にいつオディオ憑きとな
  り憎しみに駆られて何を仕出かすか分からぬ。その恐怖は、おそらく誰にも分るまい。ただ、坂
  本殿だけは、恐怖する我らに一つの指針を示してくれたのだ。」

  だからどうか。
  老人は深々とマッドに頭を下げる。

 「我らの指針を消さないでくれ。」





  同刻、風が、ひゅぅと泣いて、若者の手にした剣に薄い靄を張った。