マッドは、サモと名乗る男が止めるのも聞かず、鬱金色の髪の青年と濃紺の機体が消えた山に分
 け入った。
  理由としては、確かに彼らが龍の事について何か知っているのではないかという期待がある故に
 捜そうという思いと、もう一つは単純に、サモが住まう西の山に辿り着くにはこの山に分け入るの
 が一番手っ取り早かったからだ。
  サモをサンダウンの背に乗せ、マッドはもう一人の重傷を負った少年を背負い、緑の濃い山を掻
 き分ける。
  その道中、サモはずっと怯えたような表情を崩さなかった。

 「や、やっぱり引き返して、別の道を行ったほうがいいっチよ。此処は魔王山と呼ばれていて、ベ
  ヒーモスっていう化け物が住んでるっチ。」
 「そんな悠長な事言ってられねぇな。」

  思いのほかにきつい山道に、顔を顰めながらマッドは答える。

 「てめぇは軽傷だが、こっちのガキは早いとこ医者に見せてやらねぇと不味い。]

    応急処置はしたが、内臓までは流石に見れない。こうやって動かす事が良い事なのかどうかさえ、
 疑わしいのだ。
  だが、サモの怯えは仲間の危機にあっても消えない。
  それどころか、森が深まるにつれ、怯えの色もまた深くなっているようだ。

 「ひ、ひい!」

    唐突にサモが悲鳴を上げた。
  何事かと思って振り向けば、ぽっとサンダウンの周りに緑色の亀が浮かんでいる。周囲を見渡せ
 ば、いつの間にかマッド達を取り囲むようにして無数の緑亀がふわふわと浮かんでいた。耳を澄
 ますと、微かに笑い声まで聞こえてくる。
  マッドの周りを、まるで物珍しげに取り囲んでは離れていく亀を、マッドもしばし呆気にとられ
 て見ていたが、サンダウンが微動だにせずに大人しくしているのを見て、どうやら悪意のある存在
 ではないと判断した。

 「ただのカメじゃねぇか。」
 「ただのカメじゃないっチ!これはタロイモって言って、ベヒーモスを呼ぶんだっチ!きっと、近
  くにベヒーモスがいるっチよ!」

  騒ぐサモを無視して、マッドは自分の前を小走りに進んでいく亀を見る。どうにも自分を誘導し
 ているらしい様子に、マッドもその後についていく事にした。
  まるで疲れを感じさせないふうに走っていく亀の後を、足を何度か縺れさせながらも倒れる事無
 く最後まで追いかけたマッドが遂に見たものは、森深い場所で木々の間を密やかに満たしている水
 源だった。
  静まり返った水源では、何故か鳥の声さえ聞こえず、ただただ水の静謐な音だけがその場を支配
 していた。
  マッドは背負っていた少年を苔むした岩に凭れさせるように下ろし、自分も水際にそっと膝を突
 く。見下ろした水は、水素のように透き通っていて、マッドがするりと手を差し込むと白い肌の表
 面が銀色の膜で覆われた。
  ふと、サンダウンが身動ぎした。
  馬の動きにはっとして顔を上げると、人の腰よりも太い幹をして地面から入り組んだ根を盛り上
 げている樹木の向こう側で、虹色に煌めいているものがある。
  その場所が発光しているように見えるそこに、虹に縁どられた二本の角を持つ何かが、ひっそり
 と佇んで、そして確かにこちらを見ていた。
  マッドが思わず眼を見張り、輪郭を確かめようとした時。

 「………っ!」

  右腕から、声を発する事さえ難しい、凄まじい激痛が全身に這い登ってきた。
  今にも暴れ出しそうな、己の意志に反する右腕を、マッドは咄嗟に冷気漂う水の中に無理やり沈
 める。

 「ど、どうしたっチか?」

  サモのうろたえたような声を背後に聞きながら、マッドはしばらくの間水の冷たさだけを意識で
 追いかけた。そうしているうちに、自分の考えとはあらぬ方向に動こうとしていた右腕も静まって
 いく。
  小さく溜め息を吐いて、マッドは取り敢えず水を掬って口に含み、野生の獣のような動作で立ち
 上がった。
  そして、ふと気づく。
  水を飲んだ瞬間、妙に身体が軽くなっている事に。
  何か、呪いでもかけてあったのか。
  相変わらず密やかに揺蕩う水面を見下ろし、けれども答えなどない事は分かっているので、マッ
 ドはそれ以上の問いを誰にもせずに、出発した。
  虹の煌めきは、もう、何処にも見えなかった。





  身体も軽やかになったマッドは、そのまま一気に東の山を抜け、サモが住んでいるという西の山
 に辿り着いた。
  西の山はマッドが想像していた以上に、町としての機能を果たすような存在感を示していた。
  高い物見櫓に、余所者を入れぬようにとそびえ立つ、木々を地面に突き刺したような門。おそら
 く、許された者が門の前に立った時のみ、この門は持ち上げられ、人は町に入る事が出来るのだろ
 う。
  事実、門に近づいたマッドを出迎えたのは、足元に鋭く突き刺さった弓だった。
  マッドが門を見れば、門の上にいる見張りが、弓を番えてこちらを見ている。

    「そこで止まれ!」

    古めかしい東洋の衣装に身を包んだ男達が、門の上からマッドを見下ろす。

 「この日暮里に近づこうとは、一体何者だ!魔法使いか、それとも物の怪か!」

  古めかしいアジアの島国の服装をした男達の声に反応したのは、サンダウンの背に乗っているサ
 モだった。

 「おおーい!オイラっちよ!」

  ばたばたとサンダウンの上で手を振り、その巨躯をこれでもかと主張する。太った男の姿と声に、
 今まで不審な者でも見るかのように矢を番えていた男達の間にどよめきが走った。ひそひそとサモ
 の姿を見やりながら何事かを囁き合い、ちらちらとサモの影形を確かめるように矯めつ眇めつする。
  だが、やがて得心がいったのか、重い門戸がガタガタと音を立てて開いた。
  広がる門戸と地面の隙間からは、我先にと男や女達が駆け寄って来る。
  一様にアジアの民族衣装を身に着けた彼らは、サモとマッドを取り囲むと口々に問いかけた。

 「サモ、もうダメかと思ってたんだよ。」
 「うん、オイラは平気っチ。オイラとユンは、この人に助けて貰ったっチよ。」
 「他の奴らは知らないかい?あんたの他に、五人が崖下に落ちたんだ。」
 「オイラ達の他には誰もいなかったっチ。」

    人々の口々の問いかけに、一つずつサモは答えていく。
  しかし、勿論彼らの疑問がそう簡単に片付くはずもないし、サモとユン――マッドが背に乗せて
 いた少年はそういう名前らしい――が生きていたと知った人々が、次から次へとやって来る。自然
 と門戸の周りには人だかりが分厚く出来始めていた。
  それを見咎めた者がいたようだ。

 「何をしている!」

  凛とした声は、まだ若かった。その声に弾かれたようにマッドとサモを取り囲んでいた人垣が割
 れる。海に出来た道のように、マッドのいる場所までがくっきりと開け、その先には小柄な少年が
 立っていた。
  ただ、その動きに無駄がない事を見れば、只者ではない事が分かる。人々がこうも身を引いた事
 からも、良く見て取れる。
  顔のほとんどを隠した少年は、唯一見える眼でマッドを睨み付け、音もないままに近づいてきた。

 「なるほど、仲間達を救ってくれたのか。それには礼を言おう。しかし此処はそなたのような異国
  の者が立ち寄る場所ではない。早々に。」
 「サモーっ!ユンーっ!」

  恐らく、立ち去れ、と続くはずであったのだろう言葉は、しかし少女の声によってかき消された。
 見れば、ヤマネコのような素早さで、こちらに向かってお下げを靡かせて駆けてくる少女がいる。
  みるみる内に視界いっぱいに広がった少女は、少年を突き飛ばし、マッドとサモの前で立ち止ま
 った。

 「レイ!」

  嬉しそうに声を上げたサモを、だがレイは一喝した。

 「この馬鹿!」

  鋭い声にサモが身を竦めた。

    「何だって崖下になんか落ちてんだい!あんたは人一倍身体がでかいんだから、崖の間際じゃなく
  て壁際壁際を歩けっていつも言ってるだろ!おまけにユンまで巻き込んで!」

    なるほど、正しく猫だ。毛を逆立てて怒っているところは、そっくりである。
  マッドがそんな感想を持っていると、少女は怒りの表情を消してマッドに向き直った。その顔に
 は朗らかな笑みが浮かんでいる。

 「ありがとよ。こんなんでもあたしの兄弟弟子だからね。助けてくれて嬉しいよ。できればお礼が
  したいんだけどね。」
 「レイ殿!」

  此処で、突き飛ばされた少年がようやく声を上げる事が出来た。

 「かような怪しい輩をこの村に入れる事はまかりならぬ!」
 「うるさいよ、おぼろ丸!大体、あんたが一緒にいたのに、サモやユンを助けられなかったのが悪
  いんじゃないか!それなのに助けてくれた人に向かってそんな事言うのかい!」
 「此処は坂本殿が擁する村。例えレイ殿に何を言われようとも、怪しい者を入れるわけにはいかん!」
 「何をいがっとるんじゃ?」

  少年が猛々しく吠えた声に、妙に気の抜けた声が重なる。少年の影にも、ひょろりとした影が重
 なる。その影を見上げた少年の声が、今度は裏返った。

 「さ、坂本殿!」
 「あー、儂らの仲間を助けてくれたがね。有り難いこっちゃ。もう助からんと思うとったで。」

  少年をまるごと無視して、坂本と呼ばれた男はぼさぼさの頭をマッドに向かって下げる。それに
 対してマッドは、軽く首を竦めた。

 「有り難いと思ってくれて何よりだ。なんせ矢を番えられたりしたからな。助けねぇほうが良かっ
  たのかと思った。」
 「そりゃほんに悪い事したのう。」

  坂本は本当に申し訳なさそうな顔をして、レイに顔を向けた。

 「レイ。こん方を村に案内せい。きちんとお礼をせにゃあならんて。」
 「ああ、わかったよ。」

     坂本はレイが頷いたのをみると、再び飄々と来た道を戻って行った。その後を、憮然とした顔の
 おぼろ丸が追いかけていった。