次の日、マッドは朝早くに目を覚まし、颯爽と旅立った。
マッドが残していった野営の跡には、ぐうぐうと少年が寝ている。あの後結局、マッドの食料を
食い漁った少年は、マッドが支度を整えている間も寝言を言うだけで起きる気配はなかった。
むろん、マッドにはそんな少年を気にしてやる必要はない。
さっさとサンダウンの背中に乗り、再び西へと歩を進めるのだった。
ただ、唯一少年に感謝する事があるとするならば、西の国に奇怪な生物が住む山があるという事
か。
そこに行って、何か謎が解けるかは分からないが、闇雲に突き進むよりは良いだろう。
ようやく見つけた目的地に、マッドは更に足を進めていった。
街道を外れ、木々の生い茂る小高い丘をいくつも越え、対岸の見えない河を小さな定期船で渡る。
草原の多い土地は、いつの間にか草よりも木々に支配されるようになり、視界には森が広がり始
めた。平らであった大地も、次第に足場が悪くなる。凹凸が激しくなる。
既に、マッドを取り巻く世界は、あの乾いた荒野からはかけ離れたものになっていた。深い森と、
木々に囲まれた山々が、今行く世界だ。
それに伴って、紀行も少しずつ変わってきた。
照りつける日差しは何処にもなく、見上げた太陽は遥か遠くにある。そして何よりも空が高い。
空の色も、どちらかと言えば薄く、あまり強い色合いではなかった。
マッドはシャツの前を掻き合わせ、少しずつ冷え始めた空気の匂いを嗅ぐ。
「冷えた土地だな。」
小さく呟いたマッドの声に、サンダウンが少しだけ身動ぎした。相変わらず物静かな馬は、しか
し空気が冷えた事に対して何か不調を感じているわけではないようだ。岩場にある苔に鼻先を近づ
けているのを見るあたり、単純に腹が減っているだけかもしれない。
「寒い上に、湿度も高い。もしかしたら、朝方や夜は霧が出やすいかもな。」
高い所にある木々の枝を見上げつつ、マッドは岩で出来た足場を登っていく。森の中を進んでい
るうちに、どうやら山の中に入り込んだようだ。ぽつりぽつりと、地面に生えた草の先から夜の間
に溜まりこんだ露が垂れている。
マッドがサンダウンの背から降りて、険しい坂道を上っていると、唐突に木々を揺らすほどの爆
音が聞こえた。
はっとして顔を巡らせれば、更に、二度、三度と轟音が響き渡る。
だが、音の出所はマッドのすぐ傍ではないようだ。けれども、決して遠くはない。マッドはサン
ダウンの背に飛び乗ると、ひとまず音の正体がなんであるのかを確かめるべく、轟音が通り過ぎ去
った方向を、逆向きに走り始めた。
サンダウンは岩と岩を、まるで鹿のように走り去り、轟音とは逆向きに疾走する。その所為で、
未だに続く轟音が、マッドをもぎ落としそうになった。
が、賞金稼ぎであるマッドが、その手の音には慣れている。耳元を通り過ぎる音に、時折顔を顰
めながらも、どうにかして開けた場所に出た。切り立った崖の、ぽつんとそこだけ木々の生えてい
ない場所から、マッドは周囲の山々を見渡す。
ぐるりと目を凝らしながら見て、ふと、対面の山に、何かが連なっている事に気が付いた。
対面の山は、マッドがいる山よりも、木々の面積が少ない。剥き出しになった岩肌には、崖に張
り付くように細い道が螺鈿のように山を取り囲んでいるようだった。その細い道を、人々が長い列
を作って歩いているのだ。
彼らは一様に何らかの荷物を持ち、中には牛車で荷物を運んでいる者もいる。その荷物と言うの
は、どうやら微かに漂う匂いから察するに、どうやら金属であるらしかった。
ただ、一列に並んでいたらしいその列は、今や大いに乱れている。
幅の狭い、崖に張り付くような道でそのように列を乱せば危険であろうに、彼らは目の見えぬ鼠
のように入り乱れるばかりだ。
悲鳴を上げて入り乱れる彼らの頭上を、何度も何度も爆撃が通り過ぎている。
混雑する彼らの隙間隙間を見て、轟音の後先を辿って行けば、その先に何か白い物が高速で回転
しているのが見えた。
マッドが眼を凝らして更に良く見ようと身を乗り出した時、今まで以上の轟音が飛び降りてきた。
右往左往する人々を嘲笑うかのように、牛車を弾け飛ばす勢いで崩れ落ちてきたのは、明け方の空
の色をした首だけの存在だった。
ちかちかと瞬き、微かに白い光を放つ首は、まるで生物ではなかった。
生物よりも、機械に近い様相をしている。
兜のような、鬼の首のようなその存在は、しかしその首だけで凄まじい勢いで這い寄ると、その
眼差しから白い光を放つ。
それに薙ぎ払われた人々は、更に烏合の衆と化していく。
だが、それでも尚、抵抗しようと言うのか、誰かが積み荷の中から巨大な砲を引き摺り出した。
そして、けれどもまだ粗点も併せられていないだろうに、大砲に点火したのだ。炎を得た砲は、何
事も考える暇もなく、込められたままの鉄の弾を、やはり轟音と共に吐き出した。
火を纏う弾は、確かに奇妙な首を吹き飛ばした。
粉々に砕く事は出来ず、それどころか生首は原型を完全に留めたままであったが、しかし衝撃に
は耐えられなかったのか、崖を滑り降り、谷底へと落ちていく。
それを見たのだろうか。回転していた白い丸い物体も人々を襲うのは止めて、追いかけるように
谷底へと降りていく。
危機が去った人々は、崩れた列のまま呆然としているようであったが、マッドははっきりと見て
いた。谷底に落ちたのはあの機械だけではない。人間も何人か、一緒に落下していた。
「キッド!」
マッドはサンダウンを呼ぶと、谷底への道を探し始める。
谷底に落ちた人々が生きているとは思えない。しかし、放っておくには哀れであったし、何より
も人々を襲ったあの物体。
生物ではない。
だが、確かに意志あるものとして人々を襲ったあれらは、もしかしたら、山に巣食う奇妙な存在
であるのかもしれなかった。ならば、呪いを解く為にも追いかけねばならなかった。
サンダウンも心得たもので、マッドの声を聴くや、すぐに谷底へと行く為に道を下り始めた。
湿っている岩場を軽やかに飛び越えて行き、サンダウンはマッドを望む場所へと連れていく。切
り立った崖の一番下。そこには緩やかに川が流れていた。
サンダウンはマッドを、きちんと頭上では轟音が轟いていた場所の真下に導いたのだ。証拠とし
て水面には上から落ちてきたと思われる木切れや幌が浮かんだり、岩に引っかかったりしていた。
マッドはサンダウンから降りると、直ぐに水面を見渡す。
やがて、物音に気付いて巨大な岩の塊が折り重なっている場所へと、長い足を向けた。岩の上を
渡り、物音が聞こえる場所に向かえば、そこには太った男が転がっていた。
「うわ、わわ!お、オイラ食べてもおいしくないっチよ!」
何を勘違いしているのか、右手をばたばたと振りながら後退ろうとしている男の左腕は有り得ぬ
方向を向いている。折れているのだ。それ以外に外傷がなさそうなところを見ると、おそらくその
脂肪が身体を守ってくれたのだろう。
「おいおい、俺には人間を食う趣味はねぇぞ。」
もたもたと逃げようとする男に、マッドは長い足の一跨ぎでその距離を詰めると、折れている腕
を取った。
「ひ、ひぎゃ!」
何とも情けない声を上げた男など無視して、マッドはそれを元の方向に戻す。
「変な方向に腕が付くのは嫌だろうが。」
「それは困るっチ。そんなことになったらご飯が食べられないっチ。」
「だったらぐずぐずぬかすんじゃねぇ。」
マッドは流れてきた木切れで男の腕を固定すると、再び周囲を見回し、次は水面に浮かんでいた
少年の姿を見つける。傍まで行って、水に沈みかけた片面に腕を差し込み持ち上げれば、少年が微
かに呻いた。
だが、眼を覚ます気配もなければ、身体を触った感じで肋骨に妙な感触があるところをみれば、
こちらは重症のようだ。
「で、てめぇらは何者だ?何処から来た?」
「オイラ達は西の山の麓に住んでる者っチ。山で鉱石を取って、それで武器を作ってるっチ。今日
は鉱山から帰ってたところを、あの機械に襲われたっチよ。」
あの機械はまだこの辺りにいる。
早くこの場所を去らなくては、と言う男の言葉に、マッドは再び視線を巡らせた。あの、奇妙な
存在が近くにいると言うのか。
ならば、その機会を逃すことはない。
すると、サンダウンが微かに姿勢を低くした。身構えるように。
サンダウンが青い眼差しで眺めている咆哮を見やれば、そこには巨大な岩がある。川の流れを堰
き止めるように。
いや。
明け方の空の色をしたそれは、あの首だけの形をした機械だ。巨大な身体を川に沈めるようにし
て、蹲っているようだ。
立ち尽くしたマッドの前で、沈む機体に丸く白い機体が二体駆け寄る。それは、人々の群れの中
で回転していた物体だろう。
だが、その後を追ってきたのは。
鬱金の髪と、そして藍の眼と。
腰に古めかしい剣を帯びたその姿は、どう考えても普通の人間だった。まだ若い、もしかしたら
マッドよりも若い、成人したばかりの青年のようだった。
鬱金色の煌めきを頭上に頂く青年は、濃紺の機体に近寄ると、その機体に手をかけて何事か囁い
ている。
その姿にマッドは声をかけた。
「待て!」
マッドの声に、青年はすぐさま反応し、くっと鋭い眼差しをして振り返った。濃紺の機体は既に
マッドに気づいていたらしく、眼に赤い光を灯してマッドを精査している。
「お前達はこの山に住んでるのか?!地を駆ける龍の事を知っているか?!」
マッドの問いかけに、青年はしばし睨み付けていたが、やがて吐き捨てるように短く切り捨てた。
「去れ。」
青年の言葉の間に、濃紺の巨大な機体と、白い機体達は這うように、しかし滑らかに水面から這
い出て既に去りつつある。
そして青年もまた、短く切り捨てると素早くその身を翻し、木々の間へと消えていった。
東の山へと。