巨大な龍が現れ、そして死んだその夜。
マッドは保安官事務所にやってきていた。マッドを待っていた保安官はビリーの父親であり、そ
の他にも、この町唯一の宿泊場所であるホテルの主人とその妻、坂場のマスター達が集まっていた。
いつ砂に飲まれるとも分からない現状に怯えつつも、しかし平和に生きてきた彼らにとって、今
回のような出来事は、度胆を抜くような事態であっただろう事は容易に想像がつく。
マッドを招き入れた彼らは、ひとまずはマッドの右腕の状況を問うた。
マッドの右腕が、龍の尾に巻きつかれ、重傷を負った事は誰もが知るところであった。ただ彼ら
の認識と事実が異なるのは、確かにマッドはその当時激痛を覚えていたが、しかし実際のところ骨
が折れたりとかそういう症状はないのだった。
ただ、
「痣が出来てやがる。」
マッドは、賞金稼ぎとしてはあまりにも端正な白い腕を、彼らに向けて突き出した。
滑らかなその肌には、確かに痣のようにくっきりと、尾に巻きつかれた跡が残っていた。しかし、
痣というには、それはあまりにもどす黒く、見ているだけで禍々しい気分になるようなものだった。
大理石に浮かんだ血飛沫でも見たかのように、表情を強張らせた人々の様子を見て、マッドも彼
らの本能的な考えが正しいのだと頷く。
「ああ、一見すりゃ痣にも見えるが、そうじゃねぇ事は確かだ。何せ、キッドの奴が騒いでる。」
マッドは自分の毛深い馬が、自身の腕に出来た痣について、何か酷く憤っていた事を告げた。
「奴が騒いでいる以上、これはたぶん、呪いか何かの類だ。あの龍は、そういうもんを持ってやが
った。もしかしたら、町を襲おうとしたのも、呪いとやらが関係してるのかもな。」
呪われたが故に人を襲ったのか、それとも人を襲うような呪いにかけられていたのか。その判別
は既にできない。
ただ、誰よりも間近で龍を見たマッドは、その眼が人間のそれであり、激しい怒りで曇っていた
事を知っている。
「その呪いってのは、どうしても解けないのかい?」
問うたのは、酒場のマスターの妹であるアニーだ。
「何処かに解く方法が、あるんじゃないのかい?」
「さあな。この俺もあちこちを見て回ってきたが、あんなもんは初めて見たしな。もしかしたら何
処かにあるのかもしれねぇが、何処にあるのかはさっぱりだ。」
呪われている当事者であるというのに、けろりとした顔で言うマッドに、アニーは絶句する。
しかし、さりとてアニーにも呪いを解く術など分かるはずもなく、ましてマッドが分からぬとい
うのなら、この町の誰にも呪いの解き方など分からぬだろう。
そして、マッドの腕に宿った呪いが如何なるものであるかも。
しかし、アニー以外の大人――特に保安官は、呪いの効果について別の事を考えていたようだ。
「呪いが呪いを呼ぶ事はないのかね。」
保安官の言い分に、流石に周りの人間はぎょっとした。
だが、保安官は言葉を閉ざす事を止めなかった。
「私は君がこの町に多大な貢献をしてくれた事を承知で言っているんだ。君はこの町に巣食ってい
たならず者を追い払ってくれて、この町の治安維持に貢献してくれた。だが、一方で呪いを持ち
込んだ事もまた事実だ。」
事なかれ主義と言われ、息子であるビリーにも弱腰だと責められてきた保安官は、しかしこの町
の治安を守る事については誰よりも考えているのだろう。
だから、マッドは保安官の発言を責める気にはならなかった。
何よりも、保安官の言葉は事実でもあるのだ。
「君の馬――かつては人間であったらしいが、あのサンダウン・キッドは、馬になる呪いがかかっ
ているんだろう?君は、その呪いを解く為に旅をしていると言っていた。」
あの、毛深い馬。
元々は確かにかつてはサンダウン・キッドという名の人間の男で、けれどもある時、人間である
事に耐えられずに自らに呪いをかけて馬になった。マッドはその呪いを解く為に、各地を放浪して
いるのだ。
サンダウンの呪いは、マッドにかけられた呪いとは、質が異なる。
だが、呪いのかかった者の元に再び呪いが振りかざされたとなれば、呪いは呪いを呼ぶのではな
いかと考えるのも致し方ない事だ。
「そんな言い方、酷いじゃないか!」
アニーが叫んだが、マッドはそれを制する。
「いや、確かにな。呪いが呪いを呼び込む事ってのは、ある事なのかもしれねぇ。」
「そんな!」
マッドはアニーが庇うのを振り払い、ゆっくりと頷く。
「それに、この町にも俺は長居しすぎた。そろそろキッドの呪いを解く方法を探しに、次の町に向
かっても良い頃だ。」
世話になったな。
マッドは口元に鮮やかな笑みを刷いて、ひらりと蝶のように立ち上がった。
そして、振り返りもせずに、ただ長靴の鋲の固い足音だけを立てて、薄暗い光の灯った保安官事
務所に背を向けた。
そもそもが余所者であるマッドは、この町にさほどの荷物は置いていない。必要な着替えと食糧、
あとは相棒である銃だけを手に、呪われた馬であるサンダウンの元へ行く。
「さて、と。そろそろこの町にもお暇しようぜ。」
厩で、もしゃもしゃと飼葉を食んでいたサンダウンは、マッドの姿を見ると素晴らしく長い尻尾
を一振りした。
「そうやって、呑気に飯を食ってられるのも、今日までだ。今すぐに出発する。」
サンダウンの背中に鞍を乗せながら、返事が返って来るわけでもないのにマッドはベラベラと喋
り続ける。
「大体、こうやって町にいるのは不本意だろうが。人間が嫌になって馬になったあんたが、人間が
いなくなりゃあ元に戻るかと思って人目を避けて旅をするつもりだったんだ。そろそろ、その本
来の目的に戻ろうぜ。」
未だ開拓が始まったばかりの西の土地ならば、人も少なく、サンダウンが人間に戻る可能性もあ
るかもしれない。
そしてマッドにかけられた呪いも。
「東にはこういう呪いについて解く方法はなかったし、龍の噂も聞かなかっただろ。西なら、あの
龍の事も呪いの事も何か情報があるかもしれねぇ。」
マッドの言葉を、サンダウンは毛深い毛並みの奥にある青い眼差しを静かに湛えて、聞いている。
その眼は、人間の眼そのものだ。
「じゃあ、行こうぜ。」
マッドはサンダウンの手綱を引いて、厩から出ると、軽やかにサンダウンの背に跨った。サンダ
ウンの背には、マッド以外には簡単な荷物しか乗っていない。
あとは、マッドが賞金稼ぎとして稼いだ、幾許かの金と。
賞金稼ぎとしては一流のマッドは、この先もおそらく金に困る事はないだろうし、元々旅慣れて
いるので荷物が少ないからと言って困る事も少ないだろう。
むしろ、あれやこれやと持っていくほうが、サンダウンの動きの妨げになって困るだろう。
そういう意味では、誰にも見送られず、何一つとして手渡されずに行く事は、有り難い事ではあ
った。
この町の人間が、そこまで考えているとは思わないが。
だが、夜の、人気のない町の入口で、小さく蠢く影があった。
「兄ちゃん!」
高く響いた声は少年のもので、マッドはサンダウンの脚を止めさせた。
駆け寄るビリーの頬は、夜目でも紅潮している事が分かった。
「こんな時間に一人歩きは感心しねぇな。」
馬上から見下ろすマッドに、ビリーはきっと睨み付ける。
それを笑って躱し、どうした、と問う。
「保安官が心配するだろ。さっさと帰りな。」
「パパの事なんかどうだって良い!パパは薄情者なんだ!これまで兄ちゃんに散々助けてもらった
のに、兄ちゃんに呪いがかけられた途端に追い出すなんて!」
子供であるが故に、純粋に、しかし残酷に理想を求めるビリーにとって、保安官の考えは理解で
きないものなのだろう。
だが、マッドには保安官の考えが間違いではないと思えるのだ。
何せマッド自身、自分にかけられた呪いがどのような効果を齎すかが分からない。サンダウンで
さえ、最初に見せた時にはっきりと嫌悪を示した呪いだ。おそらく、何よりも深い事だろう。
しかしそれをビリーに言ったところで、親子の考えの隙間を埋める事は出来ないだろう。
「どうせ、サンダウンの呪いも解かねぇとならねぇんだ。ちょうど良い時期だったさ。」
長々とこの町にはいられなかったのだ、とだけ、マッドは告げた。
それに対して、ビリーはしばらくの間、仏頂面を作っていたが、小さい手をマッドに向けて伸ば
す。マッドの手で包めこめてしまいそうな手は、固く握りしめられていた。
「これ、兄ちゃんが持っててよ。」
差し出された手に握りしめられた物を、訝しく思いながらも受け取り、手の中で転がしてみて、
マッドは呆れた。
「おいおい、保安官バッジなんか、勝手に持ってくるなよ。なくしたらお前の親父が小言を喰らう
んだぜ。」
「いいんだ、パパなんか。このバッジをつける資格はないんだ。」
「俺にだってねぇんだが……まあ、餞別って事で受け取っとくぜ。」
どうやら梃子でもマッドにバッジを渡すつもりらしいビリーに、マッドは溜め息を吐いてそれを
懐に入れる。
「じゃあ、元気でな。」
マッドはサンダウンの腹を軽く蹴り、サンダウンもそれに答えてパカパカと歩き始めた。
少年はその後ろ姿に向かって、大きく手を振った。
マッドは振り返らなかった。