マッドはサンダウンに乗って、ぽくぽくと歩いていた。西の山さえ素通りして、再び西へと向か
 う。
  マッドの呪いは消えぬ事が分かった。マッドは死ぬまでオディオの呪いと対峙し続けなくてはな
 らないのだ。
  だが、マッドにはサンダウンの呪いを解くというもう一つの目的がある。己の呪いが解けぬ事に
 悲観的になって、骨をこの場でうずめる事はマッドの好みではない。
  なので、サンダウンと共に、再び西へと向かおうと、平野を歩く。ふと振り返れば、遠くに薄い
 煙がたなびいている。その煙から漂ってくる、確かな鉄錆びた臭い。
  西の山から閃いて、空を覆い尽くす雲間に飲み込まれた煙は、おそらく日暮里から上がるものだ
 ろう。そこで何が起きているのか、マッドには推し量る術もない。
  一瞥して再び背を向け、サンダウンを走らせようとしたマッドは、ふと日暮里に連なる道に、そ
 れに沿う人々の群れを見つけた。
  一瞬、日暮里に向かう日暮里の村民かとも思ったが、どうも出で立ちが違う。日暮里の農民の服
 装でも、忍びのものでもない。
  長く足元まで垂らしたローブと、手にした木の杖は、魔法使いを連想させるものだった。
  魔法使いが日暮里に向かっているという事実に、マッドは眉根を顰めた。
  あの地は、まるで好むかのように混沌を生み出す。その為にまるでその為だけに人々を吸寄せて
 いるかのよう。
  機械も、蝦蟇蛇も、忍びも、魔法使いも。
  集まれば集まるほどに、事態は悪化するだけに思えるのだが。
  そしてそれは、マッドにも飛び火した。
  魔法使い達が、マッドの存在に気が付いたのだ。こちらを見て何事かを叫んでいる鈍色の髪の魔
 法使いの様子は、どう見ても友好的とは言い難かった。マッドの言い分など聞かずに、捕えて縛り
 上げそうな勢いであった。
  マッドには、勿論縛り上げられる趣味などない。
  厄介な事になる前にマッドはサンダウンの馬首を切り替えて、魔法使い達から遠ざかろうとする。
  しかし、それさえも許すつもりがないのが、魔法使いというものだった。鈍色の魔法使いは、赤
 い派手なマントを翻して、杖をマッドに向けてきた。
  杖からの軌道には、むろんマッドが乗っている。そしてその軌道を正しく通って、鋭い氷の刃が
 空を切り裂いた。

 「キッド!」

  マッドの声など、最初から分かっていたかのように、サンダウンはひらりと氷の断頭台を避けて
 みせると、くるりと宙で方向を転換すると、太い蹄で草ごと地面を蹴り上げるや、後に深い足跡だ
 けを残して一飛びで魔法使いのいる場所まで飛び越えた。
  その間、マッドは腰のごついホルスターから黒光りする愛銃を抜き、黒い咢を魔法使いの両肩目
 掛けて咆哮している。
  魔法使いが、両肩から翅のように赤い血を吹き散らした様子を、マッドは振り返りもせずに、一
 斉にこちらに杖を掲げた魔法使いに、更に数発銃を喚き散らし、更にそこにサンダウンごと飛び込
 む。
  サンダウンの蹄に容赦なく蹴り飛ばされた魔法使い達が、骨の砕ける音の合間に悲鳴を上げる。
  そうして、サンダウンは最後に一蹴り喰らわしてから、颯爽と魔法使いの群れから再びの一蹴り
 で抜け出した。

 「キッド!日暮里へ戻れ!」

  日暮里に向かう魔法使いは、あからさまに敵意に満ちていた。それはきっと、本来日暮里に向け
 られるものだろう。

 「別に、日暮里の理想やら、オディオの事なんかどうでも良い。でも、女やガキが殺されるのを黙
  って見てるだけってのは、腑抜けのやる事だろ。」

  争い事に無意味に首を突っ込むのは野暮のする事だ。だが、女子供を見殺しにするのはただの腰
 抜けだ。少なくとも、マッドの趣味ではない。

 「急げ!魔法使い共の炎に遅れるなよ!」

  マッドの言葉に、サンダウンは特に嘶いたりと返事はしなかった。だが、マッドの望み通り、風
 のように駆け出した。





  魔法使い達の急襲を受けた日暮里は、あちこちが焼け落とされていた。ただ、太い門戸が魔法使
 いの猛攻を防ぐように深く地面に突き刺さっており、辛うじて彼らが落とされていない事が分かっ
 た。
  周りを水に囲まれているという地形の理もあったのだろう。しぶとく残る見張り台に隠れつつ、
 日暮里の人々は時折、板の割れ目から外の様子を窺う。
  煙に巻かれ、日差しも雲に覆われた水面は、暗く淀んでいる。波紋のない川を魔法使い達が渡っ
 てくる気配はない。
  が、代わりに何か別の者が、果敢に、何一つ恐れもせずに水面を割って、こちらに向かってくる。
  接近者に気が付いたレイが、はっとして身構えたが、川を割る黒い影の良く通る端正な声を聴い
 たとたん、目を丸くした。

 「そこにいるのは、レイか!」

  毛長馬が川を渡り切るや、水の滴るその背から降りたマッドが、見張り台を見上げる。
  日暮里に背を向けた時には腹から夥しい血を流していたマッドである。それが、いともぴんぴん
 として現れた事に、日暮里の人々が眼を剥いても仕方がない。
  だが、命を救って貰った恩のあるサモにとっては、深手を負ったマッドが生きている事は喜ばし
 い事でしかなかった。
  咄嗟に凍り付いているレイを放って、サモは見張り台から転がるように降りると門を開く。開か
 れた日暮里に飛び込んだマッドは、辺りを見回して魔法使いに襲われたのだ、と改めて頷いた。
  しかし、それにしても、日暮里の中は静かすぎる。見れば男の姿がほとんどない。 

 「魔法使い達が、襲ってきたっチよ!」

  サモの後を追ってきたレイが、サモの言葉を補足する。

 「坂本のいない間を狙って、魔法使い達が襲って来たのさ。此処にいるのは女と子供、後は怪我人
  か爺だ。」
 「坂本や男達はどうした。」

  ハヤテや、他の忍び達は。

 「坂本はオディオ殺しに、クルセイダーズの奴らと一緒に行っちまった。忍びは蝦蟇蛇達との争い
  に駆り出されてる。」
 「みんな、クルセイダーズの奴らに騙されてるっチよ!」
 「あたい達は止めたんだ。ハヤテもね。でも坂本は行っちまった。ハヤテもクルセイダーズの奴ら
  に謂れて、蝦蟇蛇殺しの為に砦に行っちまった。」  

  戦える者はほとんどいない。
  そんな様子の日暮里を見回して、マッドはハヤテが向かったという砦の場所を問う。マッド一人
 が此処に残ったところで、魔法使い達からの攻撃に長く籠城出来るわけもない。ならば、忍び達を
 連れて帰ってきたほうが得策だった。

 「俺が坂本と忍び達を連れて帰って来る。それまで、持ちこたえられるか?」

  女子供、老人怪我人を置いていくのは、マッドとしても本意ではない。だが、誰もが救われる術
 は、今一度、彼らが持ちこたえる事だった。
  その事はレイも理解したのか、大きく頷く。

 「大丈夫さ。ひょろひょろの魔法使いなんざ、あたい一人で十分さ。だから、あんたは坂本と忍び
  達を連れて帰ってきておくれよ。」
 「ああ。」

  レイの頼みに、マッドは口角を持ち上げて頷いた。

 「俺は女の頼みを無碍にした事はねぇんだ。」

  曇り空と煙空の下で聞くには、あまりにも軽やかな声でマッドは告げると、レイが何かを言う前
 にサンダウンを呼んだ。
  駆け寄るサンダウンの脚を止める事もなく、その背に飛び乗ると、マッドはサンダウンを再び流
 れる川の流れへと割り入れた。
  小さく飛び散った飛沫に、レイとサモが手を振った。





  砦からは無数の爆薬が蹴り落とされ、砦へとよじ登ろうとしていた蝦蟇蛇達が、爆撃に飲まれて
 ふるい落とされる。だが、ふるい落とされた仲間の身体を突き破り、骨を砕きながら他の蝦蟇蛇達
 が切り立った崖に張り付いては、再び爆撃が落ちる。
  蝦蟇蛇達の血がねっとりと崖を覆い尽くし、それさえも掻き分ける蝦蟇蛇達を次々と爆殺して、
 何度も何度もそれを繰り返す。
  累々と横たわる蝦蟇蛇達の身体は、既に原型を留めているもののほうが少ない。折り重なる死体
 達の、一番底に横たわる蝦蟇蛇の死体は、文字通り潰された蛙の様相をしている事だろう。
  そこまでして、ようやく蝦蟇蛇達は進撃を止めたらしく、砦の周りは死特有の静けさが落ちてい
 た。
  今にも何かが起こりそうな静けさは、だが蝦蟇蛇達だけに齎されたわけではなかった。
  湯気が立つほどの血臭は、人間の頭上にもまた、暗い影を落としている。
  折り重なる蝦蟇蛇の死体の前に蹲る一人の男は、その陰に半分以上飲み込まれているのか、血と
 土の混ざり合った粘土の上で蹲って震えているだけだった。

 「聞こえてんだろ?何があった?」

  蝦蟇蛇の死体で出来た迷路を迷う事なく進んだマッドは、男の頭上に、自分の影の傘を作る。サ
 ンダウンは蹄に血の塊が付く様子を、人間の眼差しで青く見ているだけだった。
  マッドは黒い眼で震える男の背を眺め、もう一度問うた。

 「蝦蟇蛇達とやり合ったんだろ?ただ、かなりの後味の悪い状態になってそうだが。何をしたんだ、
  てめぇらは。」

  糾弾でも哀れみもない、ただただ淡々としたマッドの声は、戦場にあっても千の鈴のように良く
 響いた。
  その声を聞きつけたのは、農民よりも死の匂いに慣れている忍び達だった。

 「旦那!ご無事だったか!」

  マッドの声にいち早く聞きつけたのは、忍びの頭領たるハヤテだった。その背後から、ぞくぞく
 と集まる忍び達に、マッドは向き直る。  
  大怪我をしていたはずのマッドが、颯爽と現れたのだ。忍び達の眼には微かな不審があったが、
 けれどもそれも、マッドが口を開くまでだった。

 「日暮里が魔法使いに襲われている。女達がなんとか攻防しているけど、時間の問題だ。早く戻っ
  てやれ。」

  マッドの言葉に眼を剥くハヤテの背後から、どうも派手派手しい趣味の悪い恰好をした男がやっ
 て来た。見慣れぬ風体の姿に、これがクルセイダーズの連中か、とマッドは思う。

 「なんだ、てめぇは。此処に何の用だ。」

  肩を怒らせたような声に、しかし、マッドにはそんな連中を相手にしている暇はない。
  ふと気になった事を問う。

 「お前らはオディオと戦ってたんだろ?その中に、魔王の姿はなかったのか?」

  鬱金の髪を持つ、若者は。
  忍び達の間に、小さな沈黙が落ちる。代わって答えたのは、先程まで震えるだけだった男だった。
 マッドの影の傘に入った男は、微かな声で呟く。

 「いた……。白い機械に乗った男がいた。それを見た途端、目の前が爆発して……。」

  マッドは、クルセイダーズを見る。まさかとは思ったが、どうやら人間ごと、この夥しい蝦蟇蛇
 達を爆破したらしい。
  反吐の出る輩である事に、間違いはなさそうだった。
  相手にする必要もないクルセイダーズを無視して、マッドは蝦蟇蛇の死体の間に、鬱金の残り香
 がない事を確認する。
  そして、鬱金の代わりに、白い滑らかな蠢きを見つけた。
  蝦蟇蛇の間に埋もれているのは、確かに間違いなく、マザーCOMの足元を駆け回っていた機械
 だ。

 「オディオだ!まだ生きていたのか!」

  白い機体を見た忍び達が、咄嗟に武器を構えるのを制して、マッドはキューブに駆け寄った。そ
 して外れ掛かっていたバッテリーを、元に戻す。すると、蠢くだけだった機体に、信号の明るい色
 が戻る。

 「旦那!一体何を!」
 「こいつに、魔王のいる所までの案内を頼む。そこに坂本もいるはずだ。お前らは先に日暮里に戻
  れ。」
 「てめぇ、何勝手に出てきて勝手な事ぬかしてやがる!」

  クルセイダーズの濁声が、マッドの端正な声をかき消した。

 「さてはてめぇも化け物だな!」
 「なんでこの俺様が、骸骨ぶら下げまくって刺青だらけの鼻にピアスしてるような奴に化け物呼ば
  わりされなきゃならねぇんだ!俺からしてみりゃ、てめぇの面のほうが化け物だ!いっぺん鏡見
  てから出直してきやがれ!」

  御世辞にも艶めかしいとも美しいとも言い難い、むしろ化け物に近い様相を好んでしているらし
 い男に化け物呼ばわりされたマッドは、甚だ心外と言わんばかりに――というかそう言っているに
 等しい台詞で言い返した。
  ついでに、男の顔面に素晴らしい蹴りをめり込ませる。仰向けにひっくり返る男。
  その間にするりと蝦蟇蛇達の間から抜け出したキューブは、サンダウンの足元でコロコロしてい
 る。

 「こんな砦守っても、もう意味はねぇだろ。さっさと女のとこに帰ってやりな」
 「旦那は?」
 「俺は坂本を連れて帰る。そう、レイと約束したからな。」

  物言いたげにクルセイダーズとマッドを見比べる忍び達に、言い置いて、マッドはキューブを先
 に走らせる。
  白い機体は、マッドの言う意味を理解しているらしく、コロコロと転がりながら、ベヒーモスの
 いる森を求めて斜面を下り始めた。
  その後を追って、サンダウンに飛び乗って、マッドもまた、両脇を死体に囲まれて血に濡れた斜
 面を駆け下りた。