マッドが眼を覚ました時には、既に日は高く上っており、そして洞穴の中には何一つとして残り
 香がなかった。
  機械と魔王は、随分と早くに此処を立ったらしい。
  マッドが洞穴から出ると、サンダウンがもしゃもしゃとその辺に生えている草を食べているだけ
 だった。
  マッドが現れたのを見たサンダウンは、一瞬ちらりと青い眼を動かしたが、すぐにもしゃもしゃ
 と草を食べる事に専念し始める。どうやら、自分の食事が終わるまで、この場を動くつもりはない
 ようである。
  馬として非常に微妙な態度であるサンダウンは放っておいて、マッドはマザーCOMやオルステ
 ッドの足取りを辿ろうと周囲を見渡す。
  が、その行為はすぐに中断された。
  マッド自身が、それはあまりにも無意味な行為だと思ったためである。オルステッドを追いかけ
 たところで、オルステッド自身が救われたいと思っていないのなら、マッドが何かする事は無意味
 であり、マッドにとっても時間の無駄でしかない。
  それに、オルステッドを追ったところで、もはやマッドには何の旨みもないのだ。呪いについて
 問う為にオルステッドを追っていたが、それに対する回答が、例え不十分だと感じたとしてもベヒ
 ーモスから曲がりなりにも得られた以上、オルステッドに、この土地にこれ以上の意味はない。
  微かに風に混じって飛んでくる、鉄と火の臭いを嗅ぎながら、もうじきこの地は荒れるのだ、と
 頷いた。
  オディオを燃やし尽くそうとする坂本と、ブリキ大王を得ようとする連中の思惑が合わさって、
 それに対抗するオディオ達が、近いうちに激突する。
  皮肉な事に、オディオの末路を決める為の戦いが、新たな火種を生み出しているようだ。
  けれども、それは誰に言ったところで通じない。

 「頼まれもしねぇのに首を突っ込むのは、野暮ってもんだろうな。」

  まして、不言実行は見た目小気味よいかもしれないが、しかし失敗した時の様子は目も当てられ
 ないだろう。
  マッドは、この事態が自分一人の手で転がせるものだとは思っていない。そこまで己惚れてはい
 ない。
  そうこうしているうちに、サンダウンが食事を終えた。すり、と鼻先を寄せてくる馬は、不意に
 顔を上げて茂みに視線を転じる。サンダウンの視線を追うと、草叢の中に白い機体が鎮座していた。
 マザーCOMの足元を転がり回っていた二体のうちの、どちらか一方だろう。
  道案内を買って出てくれるつもりなのか、マッドが自分を認識したと認めるや、くるりと回転し、
 茂みの中を下っていく。
  白い機体が茂みに覆われそうな様子を見て、マッドはサンダウンに飛び乗ると、後を追い茂みの
 中に埋もれた。
  岩場を降り、沢を下り。
  どうにも静かすぎる森の中を見渡して、ようやくふと気が付いた。この森の中、あれほど沢山い
 たタロイモが、何処にも姿を見せない。それに合わせて、鳥も獣の声も、遠く遠くに行ってしまっ
 たかのようだ。
  もしかしたら、今から起こりくる破滅の時を感じ取って、去って行ったのだろうか。
  沢を下り終え、岩場の少ないなだらかな平地に出た時、マッドはますます鉄と炎の臭いが強くな
 るのを感じた。この臭いが強くなればなるほど、タロイモは姿を見せなくなるのだろう。
  そんな事を思いながら、マッドはついてこなくなった白い機体を振り返る。もはやこれ以上道案
 内をするつもりもないし、する必要もないのだろう。
  離れた岩の上にちょこんと乗っている白い機体に、マッドは声を張り上げた。

 「案内してくれた事に礼を言う!あとは、これを。」

  懐に手を入れ握り締めたのは、サクセズ・タウンを去った時からずっと持っていた保安官バッジ
 だ。マッドはそれを、綺麗な弧を描いて投げ渡す。

 「オルステッドに渡してやれ!」

  おそらく人間からは、オディオ以外は何一つとして与えられなかったあの若者に。人々のオディ
 オを一身に受け取り、山に投げ捨てられたという若者は、人々の為にオディオを受け取った事を考
 えれば、本来は英雄と呼ばれるべきだったのかもしれない。
  ならば、英雄が付けるべきこのバッジは、もしかしたらその胸には相応しい。
  受け取った白い機体は、一度きゅるるると鳴いて回転すると、ひょいっと岩から飛び降り、茂み
 に隠れて見えなくなった。
  完全に静まり返った東の山を、今一度睥睨したマッドは、サンダウンに短く命じた。

 「行くぞ。」





  マッドとは反対方向の山の縁で、オルステッドはマザーCOMと共に蝦蟇蛇と人間達の対峙する
 様子を眺めていた。
  まるで籠城するかのような人間の砦を、嬉々として取り囲む蝦蟇蛇達を、マザーCOMは嘲るよ
 うに見下ろす。

 「愚かだな。あんな見え透いた罠に飛び掛かるとは。」
 「罠……?」

  マザーCOMの言葉に、オルステッドは不審そうに首を傾げる。若者の様子に、マザーCOMは
 頷いた。

 「ああやって籠城していればいずれ食料も尽き、人間共の士気も下がる……そう考えているのだろ
  うが、そんな事は人間共とて分かっている。あれは間違いなく、蝦蟇蛇共を油断させ、そして一
  網打尽にする為の罠だ。」

  きっとあの砦には、無数の爆薬が仕掛けられているに違いない。蝦蟇蛇が飛び掛かった瞬間に、
 砕け散るような。
  それを聞いたオルステッドは、顔色を失い、小さく叫んだ。

 「蝦蟇蛇達に知らせなければ!彼らはあの砦を押し潰すつもりだ!」
 「知らせたところで訊く耳は持つまい。所詮蝦蟇蛇も元は人間。人間としての矜持が、機械からの
  助言を聞かせぬだろうよ。」

  静かな諦めの言葉に、オルステッドは一瞬絶句した。
  しかし、何かを考え直すと、マザーCOMに向き直る。

 「マザー、此処で別れよう。私は蝦蟇蛇達を助けに行く。同じオディオを放っておくわけにはいか
  ない。」

  恐らく、機械には理解できぬであろう、オディオと言い切るにもあまりにも人間的なオルステッ
 ドの行動に、マザーCOMはけれども分かっていたように頷いた。

 「ああ、お前の好きにすると良い。だが、お前には、あの男と共に行くという選択肢もあったのだ
  が………。」

  小さく呟かれた、もう一つの、あまりにも人間的な選択肢は、オルステッドの否定の言葉で掻き
 消された。

 「奴と私では、何もかもが違う。奴には魔王が何故生まれたのかも、私の気持ちも理解できないだ
  ろう。」

  曇りなくきっぱりと言い切ったオルステッドは、蝦蟇蛇達の元へ行く準備を始める。腰に帯びた
 剣の柄を握り、その感触を確かめ、一つ頷く。その足元に、軽くぶつかるものがあった。
  きゅるるる、と鳴く人の腿ほどまでの大きさの白い機体の片割れが戻って来たのだ。
  マッドを送っていたキューブは、頭の上に乗せていた銀色の煌めきをオルステッドに見せる。
  マッドが、オルステッドに、と渡した物。

 「マッドが、私に……?」

  受け取って、掌で煌めく銀の星の煌めきをしばらくの間、ぼんやりとオルステッドは眺める。少
 し古ぼけたそれは、しかし着飾るもののない山奥では、ちっぽけな煌めきでも煌々と照り輝いた。
 まして、オルステッドは初めて人間から与えられた、オディオ以外のものであった。
  それをしばし手の中で転がし、オルステッドは顔を上げてキューブに言う。

 「行こう。」





  同刻。

 「坂本様、行くのならば、我等も同行を。」

  告げる忍び達に、坂本は一つ首を振った。
  今から山歩きにでも行くのかと言うような坂本の周りには、忍びと、くのいちと、その他日暮里
 の村民達が集まっている。
  そして、そこから少し離れたところには、アキラとアキラ率いるクルセイダーズの連中が。
  彼らを一瞥し、ハヤテは少し声を低める。

 「あのような連中は信用なりませぬ。どうか、我等もお供させてください。」
 「いんや、その必要はない。」

     坂本は今度は声に出して、忍び達の不安を一蹴した。
  これより東の山にオディオを燃やしに行くのだという坂本は、オディオの化身でもあるベヒーモ
 スを殺しに行くのだ。
  それに同行するのは、忍びではなく、ベヒーモスの首を狙うアキラ達だった。
  忍び達が不服に思うのは無理もない。アキラ達は忍び達の眼から見ても胡散臭く、何よりも知ら
 ぬ存在であるが故に不信感も大きい。

 「この地は魔法使い達も狙っちょるきに。日暮里をがら空きにするわけにゃあいかん。おまんらに
  は、魔法使い達に備えてほしい。なあに、おぼろ丸を連れていくきに、大丈夫ぜよ。」

  皆に、任せた、と告げる坂本と、それに対して呼応する村人達を、薄い笑みを浮かべて見ている
 アキラに、日勝が不服そうに問いかける。

 「なあ、なんであいつらを連れていくんだ?オディオなんか、俺の拳で何とかなるだろ。」
 「いやいや、それは無理だろ。」

  明らかに無茶無理無謀の三つが揃った台詞を吐く日勝に、アキラは目の前で手をひらひらと振っ
 てみせた。

 「お前はオディオってのを甘く見すぎてんだよ。怖いぜ、オディオ殺しってのは。何に飛び火する
  か分からねぇんだからな。」

  オディオを殺して、それで本当にオディオが消えるかも分からない。むしろ、膨れ上がったオデ
 ィオが破裂するだけではないのか。
  それが分かっているからこそアキラは、坂本にベヒーモス殺しを頼んだのである。

 「あいつにやって貰わねぇと、困るんだよ。」

  おかしなものが、こちらに降りかからぬように。
  村人達との別れがすんだ坂本が、出発の音頭を取っている。
  オディオ殺しが、始まるのだ。