日暮里の村は、相変わらず忙しなく動いている。
  男も女も、この地を発展させようと、己の中のオディオを削り落とし、東の山のオディオ憑きを
 撃ち滅ぼそうと必死だ。
  憎しみの連鎖を止めるというかくも美しい言葉を、実力行使で実現させようとしているのだ。
  アキラはそんな村の様子を、坂本の屋敷に通される間に眺めやっていた。
  忙しい村の中で、坂本は幾つかの書付を見ていた。自らも筆を手に、何かを記録しようとしてい
 る。縁側に置いた文机から顔を上げ、アキラを一瞥すると、背後に控えていた忍びを下がらせる。

 「アキラか。何しにきよったと?」
 「いやいや、そんな素っ気ない言い方しないでくれよ。そろそろオディオ殺しが始まるんじゃねぇ
  かと思って、こっちもその準備をしてたのさ。」

    坂本がオディオを破壊しようとしているのは、アキラは重々承知している。そしてアキラもそれ
 に乗っかろうという口なのだ。
  ただ、坂本がオディオを一掃し、この地を開墾しようと考えているのに対し、アキラの目的はそ
 こにはない。
  アキラの目的は、オディオを内包するベヒーモスの首にある。ベヒーモスの首は、東の山の下に
 埋もれる古代バビロニア王国の鍵なのだ。そしてバビロニアの超兵器であるブリキ大王を目覚めさ
 せる楔でもある。
  アキラは――アキラの背後にある組織クルセイダーズは、ブリキ大王を欲している。
  だから坂本のオディオ殺しに手を貸すのだ。

 「ほらよ。これが無法松からの書状だ。」
 「こんなもんが、何の役に立つんか。」

  クルセイダーズのリーダーからの書状を受け取り、坂本がぼやく。
  そのぼやきをアキラは、まあまあと宥めた。

     「まあそう言うなよ。一応東の山はクルセイダーズが陣地だって権利を主張している。これがあっ
  たほうが、東の山に立ち入る時に面倒な手続きを気にしなくて済む。」

     何せ東の山は、クルセイダーズ以外にもその領土を主張している輩が多いのだ。オディオが渦巻
 くその地は、坂本がやって来るまで血で血を洗うような争いの場だった。オディオ憑きだけではな
 く、クルセイダーズを筆頭に、魔法使いやら何やらが争う土地だったのだ。
  今も、クルセイダーズ以外の、ルクレチアの魔法使い連中が己の領地であると言い張っている。
  アキラにしてみれば、ルクレチアなど真っ先に争いの場から尻尾を巻いて逃げ出した、最も権利
 から程遠い連中なのだが。

 「坂本様!ルクレチアから使者が来ております!」

  一人の忍びが音もなく近づき、伝言を置いていく。
  噂をすれば、という奴だ。
  坂本は一つ頷くと、丁重にもてなしてやれ、と言って、己は一向に動こうとしない。会わないの
 か、と思うアキラの頭の向こう側では、坂本の返事を聞いた忍びやくのいちやらが、太く重い門戸
 の上へと向かうところだった。
  門戸の向こう側――即ち村の外では、鈍い色の髪を長く垂らした魔法使いが、苛立ったように声
 を上げていた。

   「坂本竜馬とやら!私はストレイボウ!ルクレチア王女アリシア様の使者として参った!この門を
  開けよ!」

     魔法使いのねっとりとした声に、門戸の上に上がったくのいち達が相対する。

 「用があるならそこで言いな!わざわざ門を開けて、お前をこの村に開けてやる義理はない!」
 「そうだ!この村は坂本様がオディオを一掃し、開墾した村!お前達魔法使いの法が、此処で効力
  を持つはずもない!このまま帰り、そのように王女に伝えるが良い!」

    にべもない言い方に、ストレイボウが歯噛みし、苦々しげに言い募る。

 「貴様ら!使者への態度がそれか!使者への愚弄は許されんぞ!」  
 「お前達の法など知らぬと言っているだろう!それとも、この場でその額を刳り貫いてやろうか!」

  言うや否や、くのいちの手からひらりと苦無が飛び出した。それは過たずストレイボウの足元に
 突き刺さる。地面に半分以上めり込んだ苦無を見て、ストレイボウは舌打ちした。

 「良かろう!この無礼、帰って王女にお知らせする!魔法使いを侮辱したこと、今に思い知らせて
  やろう!首を洗って待っているが良い!」

  苦無を蹴り飛ばし、捨て台詞を吐き出すと、真紅のマントをこれ見よがしに翻す。そんな魔法使
 いの去り姿に、クノイチ達が朗らかに笑い始めた。
  若い女の声が響くのを聞いて、アキラは、やれやれと首を竦める。
  魔法使いを怒らせるのは得策ではないと思うのだが、しかし坂本は一向に動じていないようだ。
 いや、アキラの存在さえどうでも良いと言わんばかりに文机に向かっている。
  その様子に、アキラは最後に一つ声をかけた。

 「ところでよぉ。最近、此処に毛長馬に乗った男が来なかったか?」

  街道で出会った男の事を問うてみる。
  すると、短い返事があった。

 「去った。」





  さて、その毛長馬に乗ったマッドは、夜も深まった頃にぱかりと眼を覚ました。
  蝦蟇蛇に会ってから数日と経たぬうちに、マッドはオルステッドの手によって、オルステッドが
 塒として使っている洞穴に移動させられたのだ。姿は見えぬが、サンダウンも近くにいて、草を食
 んでいるらしい。
  目を覚まして、むくりと身体を起こしても腹から痛みが走らぬ事を確かめたマッドは、そこでよ
 うやく、自分の隣で丸くなって寝ているオルステッドに気が付いた。
  年若い――マッドよりも若い青年は、眠っていると昼間の刺々しい雰囲気が嘘のようで、年相応
 に見える。
  それを一瞥してマッドは立ち上がり、思いのほか身体が軽い事に満足した。
  久しぶりに身体を動かし、マッドは洞穴から出て辺りを見回す。東の山と眼下に広がる森を一望
 出来るその場所は、今は夜の帳が下りて、虫の音だけがりんりんと響き渡っていた。
  ひやりとした空気を吸い込み、熱くなった身体に十分にそれが行き届いたと思い、大きく息を吐
 く。瘴気にも似た靄は、しかしマッドにとってはただの霧と同じだった。
  つまり、普通の森と、何ら変わらない。
  ただ、奥深いだけで。
  そしてこの奥深い何処かに、あの虹色の煌めきを湛えた獣が息づいているのか。坂本が、オルス
 テッドが、皆がオディオの化身だと嘯く、あのベヒーモスが。

 「ほう、起きたのか。」

  マッドの頭上で、硬質な、しかし人間臭い電子音が響いた。振り仰げば洞穴の上に夜と同じ色を
 した巨大な首だけの形をした機体を蹲っている。ちかちかと眼を点滅させたマザーCOMは、まる
 で嗤っているかのようだった。

 「オルステッドに感謝する事だな。お前の為に粥を作り、木の実を砕き、湯を沸かしていたのだか
  ら。そのような事までしてやる必要はないと言ったのに。」

  今にも、くくっと笑いだしそうな機械の声に、マッドは静かに問いかけた。

 「マザーCOM。俺にはお前らが――人間も含めて、お前らがこの地に拘る理由が分からねぇな。
  前々から住んでた土地だから、資源があるから、とかそういうのが一番の理由なのかもしれねぇ
  が、けど、それにしちゃあ話が大きすぎる上に複雑だ。人間側も坂本一人でどうにか出来るレベ
  ルの話をしてるようには思えねぇ。この山には一体何がある?」

     今は密やかな、けれども人間の業を一身に受けるこの山。
  ベヒーモス。
  それだけではないだろう。
  憎しみが集うには、まだ、足りない。

 「バビロニア。蝦蟇蛇がお前の事を、その地の機械だと言っていたな。」
 「ほう、良く聞いていたな。最も、私はその国で作られたわけではないがね。」
 「だが、その国が、何かの意味は成しているんだろう?」 

  人間共が、此処まで動く、何かが。 
  すると、遂に闇色の機械は哄笑に似た機械音声を響かせた。流石、流石、と。噎せるように笑う。

 「ああ、そうだとも。この地にはバビロニアの遺産『ブリキ大王』が眠っている。人間共は、これ
  を欲しがってもいる。こんなものあっても、規律を乱すだけだと言うのに。」

  太古の昔に作られたブリキ大王は、一夜にして一つの町を廃に帰する事さえ出来る兵器だ。それ
 を欲しがる連中と、そんな連中に操られる人間と。

 「あの男がこの地を開墾さえしなければ、この地は混沌としつつもしかし混沌の中の規律に従って
  永劫に同じ輪を巡り続けただろう。だが、あの男が西の山を奪った所為で全ては崩れ、しかもブ
  リキ大王の事も人々の耳に入りつつある。ブリキ大王が人の手に渡ってみろ。今度は規律が乱れ
  るだけでは済まぬだろう。オディオは消し去り、しかしオディオ以外の者も悉くが滅び去る。」
  
  かつて、バビロニアがそうであったように。
  オディオ憑きではない人間によって、全てのオディオがブリキ大王によって掻き消されたのが、
 古代のバビロニアだ。
  オディオが消え去ったバビロニアは、その後永遠に発展する事はなく、怠惰に蕩け切ってそのま
 ま消え去ったのだ。ただただ穏やかにも見えるそれは、しかし実は砕けた円環に過ぎない。

 「規律の中の一部であるオディオを消した事によってバビロニアは滅んだ。私はそれを直に見てき
  た。だからこそ、この世にはオディオが必要であると知っているのだ。ブリキ大王を人間共に渡
  すつもりはない。」

  マザーCOMは闇色の機体を揺らめかせ、辺りを睥睨した。

 「私は此処でブリキ大王の鍵であるベヒーモスを守る。無知な人間共の手によって滅ばざるを得な
  かったバビロニアの悲鳴を聞きながら、再び無知な考えでオディオを消し去り、この地を滅びの
  地にしようとしているあの男を焼き切る時を夢見ている。」

  オディオが必要だと告げるマザーCOMはおそらく己の規律に従い、そうやって朽ちていくのだ
 ろう。
  それは、マッドにも理解できた。
  けれども。

 「オルステッドはどうなる?」

  人間であるオルステッドは、どうなるというのか。蝦蟇蛇のように身体を醜くくねらせ、オディ
 オ憑きとして滅ぶのか。
  マザーCOMはそれを肯定した。

 「オルステッドは我が眷属だ。オディオとして生き、オディオとして死んでいく。」
 「選ぶ権利も与えてやらねぇってか?あいつはてめぇと違ってれっきとした人間だぞ。どうやって
  生きるか、選ばせてやれ。」
 「黙れ、小僧!」

    マッドの言い分を、マザーCOMは一喝した。

 「お前にオルステッドを救えるとでも言うつもりか。選択肢を与えろ?それを奪い去ったのは、人
  間共だ。ブリキ大王を欲し、この地を開墾するために、我等オディオから逃れるようと投げて寄
  越されたのがオルステッドだ。」

  この者こそ我等のオディオ。
  人間は、オルステッドをそう呼んで、東の山に捨てられた。

 「自分達の子供が、我等の仲間となれば、それと連なる自分達には情けがかけられるとでも思った
  のか。人間共のオディオを正に一身に背負わされたのだ。そんなオルステッドを、お前は救える
  とでも言うつもりか?」

     マザーCOMの言葉に顔を顰めたマッドは、しかし眼を反らして逃げようとはしない。マザーC
 OMをひたりと見つめて、真理を告げた。

 「救う救われるは俺が決める事じゃねぇ。オルステッドが決める事だ。だが、少なくとも俺はあい
  つを別の次元にいるオディオの化身だとは思わねぇ。あいつをあいつだと扱ってやる事はできる。」
 「は!それが何の役に立つ!」

  マザーCOMはひとしきり嘲笑うと、ふっと諦めに近い声を出した。
  機械というには、あまりにも感情的な声には、様々なものが渦巻いていて、マッドがそれを正確
 に読み取る事は出来なかった。
  ただ、マザーCOMの赤い点滅する眼差しには、嘲りは含まれてはいなかった。

 「去れ、マッド。もはやお前に出来る事はない。明日の朝、この地を去るが良い。」

  そう告げ、闇色の機体は静かな点滅以外は、何一つとして反応しなくなった。