乾いた砂と、赤茶けた岩が高く伸びる荒野には、今日も砂埃を掻き立てる風が吹いている。悠久
に流れる風に何度も擦られた岩々は、その身をあちこち削り取られ、あるものは下のみを、またあ
るものはてっぺんだけを大きく抉られていたりもする。
そんな岩の森を抜けて、水はけの悪い砂が広々と散じている場所に、ぽつねんと小さな町があっ
た。
うらぶれた、人口もそう多くない、今にも砂に飲み込まれそうな町である。ざっと眺めただけで
も、宿と、酒場くらいしか人の集まりそうな建物はない。他は砂を壁にこびり付かせた通常の民家
である。
民家の間を掻き分けるように、緩やかに馬で行く者がいる。
黒い見栄えの良いツイードに、黒い帽子を上品に傾けて被ったその青年は、世にも珍しい長毛で
巻き毛の茶色の馬に跨って、町中を隅々まで見て回っていた。
数年前にこの町にやってきて、町の周りにいるならず者達を捕える事で生計を立てている青年は、
こんな田舎にいる事が不思議なほど、その筋では名の知れた賞金稼ぎであった。
賞金稼ぎマッド・ドッグと言えば、荒野で知らぬ者はいない。
そんな彼が、この町に居ついているには、わけがあるのだ。
ただ、賞金稼ぎであるマッドが町に居つく事について、町の人間からは特に大きな反論も出てい
ない。腕の良い賞金稼ぎは用心棒ともなるし、という事で、町民はマッドが町を闊歩している事を
許しているのだ。
それに、田舎臭い男どもに比べて、転々とあちこちを旅しているマッドは仕草が洗練されており、
女達が喜ぶ言葉は幾らでも知っているから、女に人気なのだ。マッドがいつかこの町を出ていく事
になったら、その時は何人もの女が涙を呑む事だろう。
これで、ジゴロのように何もしていなければ、男達からの非難がいつかは噴出する事だろうが、
生憎とマッドは仕事はきっちりとする性分らしく、今も馬に乗って町を歩き回っているのだ。
「兄ちゃん!」
高い子供の声が聞こえた。
かと思えば、茶色の馬の毛深い脚に纏わりつくように、一人の少年が転ぶように駆け寄ってきた。
「どうしたの?見回り?」
この町の保安官の一人息子であるビリーは、マッドをお気に入りだと言っている町民の一人であ
る。残念ながら保安官の割には酷く弱腰の父親よりも、強く小気味の良い台詞を吐くマッドのほう
に懐くというのは、子供心を考えれば仕方のない事であるのかもしれなかった。
また、マッドが引き連れている毛深い茶色の馬も、ビリーのお気に召している。
毛深い馬は、静かな青い眼でビリーを見下ろし、少年を蹴飛ばさぬようにとぴたりとその脚を止
めていた。
「見回り、って言うか、妙に馬共が騒いでるんでな。」
マッドはビリーの問いに、軽やかな声で答えた。
先程から、随分と厩の馬達が騒がしかったのだ。よくよく見れば、頭上を行き交う鳥達も忙しな
い。マッドを背に乗せている毛深い馬は流石に落ち着いているが、しかし何かを敏感に感じ取り、
普段よりも筋肉に力が入っているようだ。
「もしかしたら、狼の大群か何かが近づいているのかもな。ビリー、今日は早めに家に帰りな。俺
はもう少し、辺りを見てくる。」
「うん!兄ちゃんも気を付けてね!」
元気に頷いて駆けていく少年の後姿を見送って、マッドは再び馬の脚を進める。
向かう先は、この町の見張り台だ。
人手の少ない町では、実はほとんど機能していなかったのだが、マッドが口喧しく言ったおかげ
か、最近は若者が交代で見張りについているのだ。
マッドは馬から降りて、まるで身体の重みを感じていないかのような足取りで見張り台に駆け上
がると、見張り台の一番てっぺんで周囲を見回していた一人の若者に声をかけた。
「セザール。何か異常はねぇか?」
話しかけられた若者は、一瞬肩をびくり震わせたが、すぐに吃音交じりに返した。
「い、いえ、特には、な、何も。ただ。」
若者の目線が、岩の立ち並ぶ荒野の遠くを見る。
その視線をマッドが追えば、地平線の彼方よりも少し手前で、砂埃が舞い上がっていた。
「さ、さっきから、随分と、す、砂埃が上がってるんです。」
「みてぇだな………。」
荒野では砂埃は当たり前の事だ。
乾ききった砂が、乾ききった風に乗せられて、何処までも舞い上がる。一度、如何なる風でも舞
い起これば、一瞬で一寸先の視界は奪われることだろう。
だが、日常的に砂埃が舞い上がる荒野でも、今日の、天まで突き抜けるような砂埃は尋常ではな
かった。
地平さえ覆い尽くしそうな砂埃を、マッドが睨み付けていると、砂埃の濃いと淡いの間に、蠢く
何かが確かに見えた。
「何かいるぞ!」
煙幕のような砂嵐の合間合間に、確かにのたうち、強い日差しを照り返している身体が見えてい
る。しかも、地平を覆い隠す砂埃の量を考えれば、並大抵の大きさではない。
流石にぎょっとして目を凝らしていると、その目に今度こそはっきりと、日光を受けて鱗を煌め
かせる巨躯が波打った。
鱗。
獣ではない。
それは有り得ぬ巨体を誇る、二足歩行する蜥蜴のように見えた。だが、蜥蜴よりも遥かに凶悪な
面構えと分厚そうな鱗を持っている。
そして、何よりも砂埃に亀裂を入れて四散させるほどの、その、咆哮。
これだけ離れていても、肌に触れる空気が、痺れるほどに揺れ動いている。
そう。
咆哮は、こちら目掛けて放たれていた。
「このままあいつが進んだら、町にぶつかる。セザール!てめぇは町の人間にこの事を伝えて来い!
キッド!」
腰を抜かしているセザールにそう言い放つと、マッドは次に見張り台の下に向かって怒鳴る。
すると、そこで待機していた毛深い馬が、もぞ、と動いた。マッドは素早く滑り降りるようにし
て見張り台を降りると、その馬に跨る。
マッドが砂色の毛深い馬に乗った時、たった先程まで地平にいた砂埃を纏う蜥蜴――否、むしろ
あれは翼がないだけで、神話に出てくる龍のようだ――は、地響きが足先に感じるほどに近づいて
いる。
マッドは腰に帯びた銃の感覚を確かめるように親指の腹でなぞり、馬を龍に向けて駆けさせた。
地響きをうねり上げる龍は、埃に巻かれながらもはや如何なる自我も残っていないようではあっ
た。
「……足止めが効くかどうかも微妙なとこだな。」
閃光弾も持っているが、荒れ狂う龍にそれが何処まで効くだろうか。そもそも、あの固い鱗に、
銃が効くかどうか。
だが、考えている暇はない。
マッドは馬を龍とある一定の距離を保ちながら走らせ、殺人的なほどに巨大に開かれた顎が何か
を食い破ろうと激しく首を振り乱しながら、何度も開閉しては牙と牙が重ね合わせられる鋭い音を
耳にする。
バッファローの脚を十本以上束ねたかのような脚が、何度も地面を掻いては、その度に砂嵐が舞
い起こり、視界が歪む。だが、それらはすぐさま咆哮で振り払われる。
その度に、風圧が何度も押し寄せる。
巨大な頭がマッドの姿を認め、己が顎に捕えようと頭を地面すれすれまで落とし、そのまま薙ぎ
払う。開いた白い牙を、砂色の馬は寸でのところで躱す。
そしてその背上にいたマッドは、身体を捻ってちょうど顎を閉じたばかりの龍の頭目掛けて、閃
光弾を撃った。
途端に、辺りに激しい音と同時に真っ白な光が広がる。
いきなり漂白された世界に、流石の龍も一瞬だけ、動きを止めた。
効いたか。
マッドが着地する馬の背の上で思った瞬間、白い世界の中から、ぬっと、首を失った蛇のように
のたうち回るものが現れ、それがマッドの右手を襲った。鞭のように撓って右腕に凄まじい勢いで
絡みついた龍の尾に、マッドは激痛に声をあげそうになったが、辛うじて堪え、残る左手に銃を持
ち替え、黒光りする銃口を、治まり始めた白の中で掲げる。
消えゆく白い世界の中、龍の眼はやはり相変わらず、凄惨な狂いに満ちていた。
爬虫類特有の、社交性がない故に純粋である眼からは程遠い、まるで人間の眼をした龍の厚い眼
球目掛けて、マッドは閃光弾ではない、ひたすらに殺す為の銃弾を放った。
狙い過たず人間の眼をした龍の眼は、撃ち抜かれた。
きっと、眼を貫いて、そのまま脳まで抉ったに違いない。
龍はナイフよりも鋭い白い牙の隙間から轟音に近い苦鳴を垂れ流しながら、大きくその身をのけ
ぞらせたのだ。マッドに纏わりついていた尾は、それと同じくしてマッドから離れていく。だが、
痛みが消えうせるわけではない。
歯噛みするマッドの前で、龍は二、三度巨躯を仰け反らせては揺らめかせていたが、やがて突進
の足音よりも深い地響きを立てて、荒地に倒れこんだ。
砂埃が、最後に大きく沸き上がって、やがて霧散した。