次の日、じりじりと日差しが強い中、マッドとサンダウンは休む暇もほとんどないままに荒野を
 縦断していた。
  昼間、陽炎が地面から立ち昇る中では、確かに近付く者がいればすぐに気付く。サンダウンが賞
 金稼ぎに命を狙われているのだと言うのならば、それを引き連れて行くマッドの判断は、確かに正
 しいようだった。
  しかし、判断が的確であるからといって、マッドを信じるに値する判断材料には到底ならない。
 寧ろ、判断が的確であるならば的確であるほど、マッドへの警戒心を怠ってはならないという気に
 なってくる。
  マッドは一度としてサンダウンに勝った事がないと言うが、しかしそれが、サンダウンを油断さ
 せる言葉の一つでないとは言い切れない。そもそもサンダウンにはその時の記憶は欠片もないのだ
 から。




 6.Survive





  昼間ずっと馬を駆けさせていたおかげか、日が暮れる前には町を見つける事が出来た。けれども
 マッドはすぐには町には入ろうとせずに、少し離れたところで町に出入りする行商の馬車を見てい
 た。
  彼らの様子から町の様子を窺っていた彼は、店が閉まるぎりぎりの時間を見計らって、必要なも
 のだけを買う為だけに町へと駆け込む。昨夜、移動する準備がほとんど出来ていないと言っていた
 のは、嘘ではなかったらしい。
  マッドが食糧を買い込んでいるのを横目で見ながら、サンダウンは店の外を窺う。サンダウンが
 見る限りでは、特に問題もない、普通の町のように見える。サンダウンを狙っている輩もいない。
  しかしマッドは清算を済ませると、この場所が地獄の入口だと言わんばかりに、足早に店を出て、
 町の外へ向かおうとする。その様子を不審に思って足を急かせているマッドの背を眺めていると、
 ぴくりとその背中が動いた。そして、サンダウンの視線に気付いたかのように、マッドの黒髪が振
 り返る。

 「なんだよ、さっきからじろじろと。」

  黒い瞳は瞬きもせずにサンダウンを見つめ、正しくサンダウンの視線に気付いたのだと告げ、そ
 してその意味を問うた。
  どこまでも透明度の高い夜空の如き瞳は、やはりサンダウンの知る誰よりも秀麗で、最初に見た
 時のように怯みそうになる。それを堪えて、出来る限りぶっきらぼうに聞こえるように、サンダウ
 ンは声の抑揚を消して言った。

 「この町に泊まるんじゃないのか。」

  見たところ安全そうな町だ。自分達に視線を投げて寄こす輩もいなかったし、追いかけてくる気
 配もない。それなのにわざわざ野営をする意味が分からない。
  すると、マッドは軽い舌打ちをした。

 「馬鹿か、だからだよ。いいか、この町は見ての通りある程度の規模があって、治安もいい。つま
  り、ならず者を受け入れる部分がねぇって事だ。それがどういう事か分かるか?」

  小首を傾げて、まるで子供に対する問い掛けのようなその仕草に少しむっとしたが、しかしマッ
 ドの語る意図が分からなかったので首を振る。

 「この街には、ならず者が泊まれるような宿はねぇんだよ。客が何者なのか聞かないようなホテル
  もあるが、それはならず者を泊めてでも生計を立てなきゃならねぇような宿じゃねぇ。所謂、有
  名人がお忍びで使うような格式高いホテルだ。てめぇみたいな薄汚い格好した奴がホテルに泊ま
  ろうとしたって、門前払いを食らうだけだ。それよりも下のホテルは門前払いはしねぇだろうが、
  善良な市民が経営してるんだから、こっそりと保安官に通報されるだろうな。」

  てめぇだってこんな所で捕まりたくはねぇだろう?
  首を竦めてそう言う賞金稼ぎの言葉は、いちいち頷ける言葉だった。サンダウンを陥れる為の嘘
 だとは考えられないほどに。その事に憮然としていると、マッドは不意に表情を消して、それだけ
 じゃねぇんだ、と言った。
  突然纏う気配を変えた男に、サンダウンが身構えていると、その背後からガラガラと何かが回る
 音が聞こえてきた。近づくそれに、身を硬くしたまま振り返ると、闇の中からにゅと仕立ての良い
 馬車が現れた。
  白い馬に引かれた黒塗りで角と扉を金縁にしたそれは、我が物顔で大通りのど真ん中を歩いてい
 たが、微妙に横に逸れて、二人が立っている路肩に停車する。扉と同じく金縁の窓がさっと開き、
 そこから貴族然とした顔つきの中年の男が顔を見せた。精悍な顔をしているが、しかしその眼に浮
 かぶ強欲そうな光が男の本質を示している。

 「賞金稼ぎのマッド・ドッグとお見受けするが。」

  慇懃だが傲慢な響きを持つ声は、表情のないマッドを舐めるように見ている。その視線も妙に粘
 着質なものへと変わっている。

 「噂を聞いて、是非一度逢いたいと思っていたのだがね………どうやら期待以上の男のようだな、
  君は。どうかね、今から我が家に来ないかね?じっくりと『仕事』の話をしたいのだが。君も仕
  事がやりやすくなるのは、願ってもない話だろう?」
 「今夜は先客がいる。」

  顔を動かさず、視線だけで男を迎え撃ったマッドの声は、男と同じくらい慇懃無礼で、しかし男
 以上に洗練された響きがあった。そして視線には、地面を這う蟻に向けるほどの興味しか籠ってい
 ない。
  その視線に思わずたじろいだふうの男は、マッドの前に立っているサンダウンにちらりと視線を
 向けた。そして、ほう、と何か興味深げな声を漏らした。
  だが、それを引き裂くようにマッドが、最後の別れの言葉を投げつける。

 「去れ。」

  有無を言わせぬ気配を一瞬噴き上げたそれに、男は顔を蒼褪めさせて馬車を発進させた。

 「…………さっきのは、知り合いか?」
 「いいや。初対面だな。」
 「向こうはお前の事を知っていたようだが。」
 「俺は有名人だからな。」

  マッドにしては酷く素っ気ない返答に、マッドがこの話題を望んでいない事が知れる。ようやく
 見つけたマッドの琴線に、もう少し食いつきたいところだが、しかしどうやって突き崩して行けば
 良いのか分からない。冷ややかなマッドは、普段のお喋りが嘘のように、深海に沈んだ骨のように
 冷徹で端的だった。
  サンダウンに対して初めて拒絶の意志を見せたその背中に、サンダウンは無言をぶつけるしかな
 かった。
  無言で町の入口を潜って再び荒野に戻った後も、二人はしばらくの間何も喋らなかった。今まで
 喧しいほどよく喋る男が黙っている状況に、サンダウンは居心地の悪さを感じる。もともと良く喋
 るほうではないサンダウンにとって、静寂は望むところであったはずなのだが、今、初めて静寂か
 ら逃げ出したい気分になっていた。
  頑なな沈黙を見に纏うマッドに、話しかけるべきかどうか、そもそも何を話しかけるべきなのか、
 判断に迷っていたその時、サンダウンははっとして馬の脚を止めさせた。前を見れば、マッドもひ
 たりと立ち止っている。
  日が暮れた闇の中、幾つかの気配が、背後から自分達に迫ってきている。
  このまま馬を駆けさせて、逃げるべきだろうか。
  しかしマッドは首を横に振った。

 「撒く事が出来るほどには碌な準備が出来てねぇ。中途半端に逃げれば、これから行く町にあんな
  奴らを引きこむ事になる。」

  この場で、切り捨ててしまおう。
  そう告げて、腰に帯びた銃に手を伸ばし、マッドは迫りくる足音に向き直った。徐々に近づくそ
 の音に、神経を集中させたその時、射程のぎりぎりで近づく気配が止まった。街の灯を背に止まっ
 た気配を怪訝に思っていると、幾つもの気配のその中から、誰何の声が――誰何と言うには酷く確
 信を帯びた声だったが――上がった。

 「マッド・ドッグだな?大人しくこちらに来て貰おうか。」

  断言する問い掛けと同時になされた命令に、マッドのこめかみが、夜目でもぴくりと痙攣した事
 が分かった。

 「我々の主人がお前に逢いたいと仰せだ。断れば―――。」

  勿体ぶった間を開けて、その声は重々しく告げた。

 「そこにいる男の身の安全の保証はできない。」

  その台詞が、どうやら自分の事を言っているらしいとサンダウンが気付いた時には、確かにマッ
 ドの堪忍袋の緒が切れる音がした。それと同時にバントラインが跳ね上がって銃声が轟いている。
  直後、ぐわあっという声が上がったが、それに被さるように立て続けに数発、銃声が弾け飛ぶ。

 「貴様!」

  口々に罵り声を上げて叫び銃を引き抜く様子に、しかしマッドの怒りは収まらない。

 「おい、てめぇらの主人の節穴の耳に、今後二度と同じ事を言わせねぇように、これから言う事を
  きっちり刻みこんどけ。」

  花火のように派手に飛び散らかったマッドの怒りは、泥の中を這う蝦蟇よりも低い声で表わされ
 る。

 「てめぇが俺を『買う』為に、身の安全を保障はできねぇっつった男は、賞金首のサンダウン・キ
  ッドだ!てめぇらがどうこうできる相手じゃねぇんだよ、アホ!」

  二度と俺を『買おう』だなんて思うんじゃねぇ。
  そう荒野の隅々にまで響き渡る声で怒鳴ってから、マッドは呻き声を上げる人々にさっさと背を
 向ける。あんまりにも無慈悲なその様子に、思わず、

 「………良いのか?」

  そう声をかけると、怒りで突き抜けたような眼で睨みつけられた。

 「うるせぇ、さっさと行くぞ。」

  ずんずんと馬を歩かせるその背を、呆気にとられたように見ていると、呻き声ばかりを上げてい
 るその中から、苦々しげでいて嘲りを含んだ声が思わせぶりに吐き捨てられた。

 「何を偉そうに。男好きのする身体をしている癖に、何を今更高尚ぶっているんだ。」

 『西部一』の名もどんな『実力』でとったものやら。
  その台詞に、はっきりとマッドの背が震えた。けれども、マッドは振り返らない。サンダウンに
 はその表情は窺えないが、しかし。

 「高級娼婦でも気取ったつもりか。」

  追いかけてくる台詞が。

  マッドの内面を大きく抉ったのが、見えたような気がした。