荒野にしては珍しく、しとしとと長雨が降る夜だった。
稲光も何もなく、ただただ、雨音だけが流れていく。水はけの悪い土地にとっては、こういった
大人しい顔をした雨は、鉄砲水などよりもずっと性質が悪い。
恐らく、今頃荒野は悉くずぶ濡れて、全てが水に沈んでいる事だろう。道という道は、泥の川へ
と変貌しているはずだった。わざわざ窓に顔を近づけたりして、外の様子を見ずとも分かる。
こんな日は、人間に限らず動物も、家の中で丸くなって大人しくしているに限る。
人通りなど全く存在しない街の路地を見下ろしたサンダウンは、けれども自分が家も巣も持たな
い賞金首である事を思い出す。そして、普通ならばこの雨の中、せめて風を凌ごうと木の陰に隠れ
るしかない事も。
ただ、幸か不幸か、今回ばかりは雨の中野宿という事はないようだった。
サンダウンは今から数時間前、雨が降りしきる荒野で、賞金稼ぎマッド・ドッグに拾われたのだ。
雨の宮
雨の中でも、マッドは狂犬の名にふさわしく、サンダウンの居場所を嗅ぎつけてやって来た。
しかし、いつものように元気よく、わんわんと吠えるマッドは、普通の犬とはやっぱり違うよう
だった。
荒野でサンダウンを見つけたマッドは、わんわん吠えながらサンダウンに突っかかってくる。決
闘だ何だと騒ぐ犬を無視して、木の下で蹲っていると、マッドはますます煩く吠え始めた。
「てめぇがこんなところで、ぼさっとしてやがる所為で、俺まで雨に打たれただろうが!どうして
くれやがるんだ!」
サンダウンは雨に降りこめられて、帽子とポンチョは既に原型を留めていないほどに崩れ落ちて
いる。それに対してマッドはレインコートなるものを着込んでいるから、そこまでに被害は出てい
ないはずである。
というか、だったらサンダウンの事など放っておいて、さっさと何処かに行けばいいのに。
だが、それをしないのがマッド・ドッグという賞金稼ぎである。
「責任取れよ!洗濯代ぐらいは払って貰うんだからな!」
そう叫ぶマッドに、ぐっしょりと濡れて重くなった服の袖を掴まれ、引っ張られる。その拍子に
袖がじゅくじゅくと絞られて水が溺れ落ちた。だがそれもすぐに新しい雨に打たれてしまう。
犬が主人を引っ張るように、マッドに引っ張られたサンダウンは、渋々とさっき鞍を外したばか
りの馬に、再び鞍を乗せてその背に跨った。
早くしろ、とマッドが煩い。
躾けられていない犬のように、煩いマッドについていけば、実はそれなりに何とかなる事をサン
ダウンは知っている。
サンダウンとは違い、人に顔の利くマッドは、はっきり言ってしまえばこんな雨の日に荒野をう
ろつき回る必要もない。ホテルに泊まる金に困っているとは思えないし、金がなくともマッドなら
ば一晩泊めるホテル――ホテルでなくとも売春宿なら、腐るほどあるだろう。
現に、サンダウンを引っ張ってきたマッドは、今のサンダウンには足も踏み入れる事さえできな
い高給ホテルへと駆け込んだ。恐らく厩の心配がないからだろうが、しかしサンダウンの事も考え
て欲しいものである。
だが、金を払った以上は文句は言えないはず、という考えのマッドは、ドレスコードなんてもの
を遥か彼方に捨て去ったサンダウンを引き摺って、宛がわれた部屋に向かったマッドは、サンダウ
ンも一緒に部屋の中に放り込むと、さっさと一人で風呂場に行ってしまった。
ずぶ濡れの襤褸雑巾と化したサンダウンは、その場に放置である。
サンダウンがポンチョやら帽子やらの裾から、床にぽたぽたと雫を落として、床に染みを作って
いる間、風呂場からマッドの指示は全くない。なのでサンダウンも容赦なく、床に染みを作る事に
専念した。
サンダウンが雫を落として床に犬らしき形の絵を描き終ったところで、ようやく傍若無人な賞金
稼ぎは風呂から出てきた。白いシャツとゆったりとしたズボンを履いて、もふもふとタオルで黒い
髪を拭いているマッドは、相変わらず襤褸雑巾のような状態のサンダウンを一瞥すると、どうでも
良さそうな口調で言った。
「風呂場使いたいなら、勝手にしろよ。」
その服は着替えろよ。
それだけ言うと、マッドは再び、もふもふと髪を拭き始め、サンダウンを振り返りもしなかった。
わんわんと吠えてサンダウンを此処に連れ込んできた時とは、随分と態度が違う。此処までサンダ
ウンを連れ込んでしまえば、もうサンダウンが逃げ出したりしないと思っているのだろうか。
サンダウンがマッドを見ていると、マッドは視線に気づいたのかもう一度サンダウンを、今度は
呆れたような眼で一瞥する。
「あんた、風呂に入らねぇのは良いけどな、服は着替えろよ。服は。あと、できれば風呂も入れ。」
マッドにもう一度言われて、サンダウンはのそのそと風呂場に向かった。風呂場に向かい、荷物
袋の中から濡れていない着替えがあるかどうかを確認し、少し湿っているが着れない事もない服を
見つけると、それを引きずり出してから、風呂場に入る。
身体を暖めてから、湿った服に袖を通し、マッドが待っている部屋に戻ればマッドの姿は見えな
かった。
サンダウンが眉を顰め、何かの企みにでも巻き込まれたのだろうかと思って部屋を見渡せば、何
のことはない、マッドはベッドの上で転がっていた。毛布に包まっている所為ですぐには見えなか
っただけの話だ。
ただ、ベッドの上で毛布に包まっているマッドはひくりとも動かない。
どうかしたのかと思って近寄れば、黒い頭だけを雛のように毛布から出したマッドは、瞼を閉じ
て寝息を立てていた。眠っているのである。
遠目から見れば黒い頭しか見えない、近づいてみてもマッドは毛布から瞼から上しか出していな
い。完全に身体を毛布で包んでいる。
寒いのか。
長雨で、確かにここ最近は気温が低くなっている。日が差さないことで、農作物への影響も心配
されているが、人間も同様に体調を崩しがちにもなる。
成人二人が悠々と寝る事の出来るベッドの上で、頭だけ出して丸くなっているマッドは、暖を取
る獣か、それとも子供のようだ。或いは、その両方を取って子犬か。
丸くなっているマッドは、眠っている所為か、いつもよりも表情が幼く見える。普段からサンダ
ウンのほうが一回り以上年上であるため、マッドの事も若輩、特に吠えている時は子供に見える時
があるのだが、今は特にそう思う。
庇護欲をそそると言うべきか。
マッドは別に、守られるべき女子供ではないし、守られるほど弱くもない。マッドが西部で名を
馳せた賞金稼ぎであるところは、サンダウンも認める。むしろマッドは、誰からも頼られる存在で、
守る側の人間だろう。
だが、サンダウンの眼から見れば。
今は捨ててしまったが、間違いなく護る事が本分であるサンダウンにしてみれば、むしろマッド
こそ守らなくてはならないのではないか、と思う。
サンダウンのように寄る辺がないわけではない。だが、マッドが危機に瀕した時、マッドが何か
を任せられる人間はいないのではないか。その強さ故に。
きっと、サンダウンのように絶望して背を向ける事はないだろう。マッドは自分一人を置いて逃
げられても、きっと笑って許すだろう。むしろそれを端から期待しているのではないだろうか。マ
ッドは自分を、守る側の人間であると納得している節がある。
女子供を盾にしたりしないだろう。
仲間に斥候と殿を務めさせたりもしないだろう。
そしてサンダウンを、雨の中放置したりもしないのだ。
サンダウンの事くらいは、放っておけば良いのに。サンダウンが雨に溶かされて崩れてしまう様
を見て、嗤っていれば良いのだ。いつものように皮肉な笑みを湛えて。嘲って。
だが、マッドはそれをしない。もしかしたら、この世の全てが自分の背後にあるとでも思ってい
るのだろうか。サンダウンがマッドの肩越しに世界を見ていると、知っているのか。だから、守る
側でいるのか。
血濡れの玉座に座り込んで。
その足元には大勢の人間が跪いているだろうけれど、しかしその真新しいブーツの足先に口付る
輩はいるだろうか。
きっと、マッドはそれを強要したりはしないだろう。
足元から誰もいなくても、血濡れの玉座に座り続けるだろう。
ただ、その時に、マッドの目の前から誰もいなくなったその時に、サンダウンがそこにいたなら
ば。おそらく、その脚先に口付けてやれるのに。