マッドが閉じ込められていた檻の中で、男は鬱々と呟き続ける。
娼婦を殺して、まんまと逃げおおせようとした、かつのて賞金稼ぎの王は、現王者の手によって
沈められ、そしてこうして檻の中にいる。
酷く従順な素振りを見せる男からは、賞金稼ぎで逢った時の覇気は何処にもなく、さながら生き
た屍のようだった。その、生きた屍はまるで夢の中を漂っているかのように、保安官の質問に素直
答え続けた。
そうする事で、彼の中から失われたものが戻ってくるのだと言うように。
だが、完膚無きにまで叩き壊された彼の中身が戻ってくる事は、二度とないであろう事は、誰の
目から見ても明白だった。当初は彼に世話になったのだと告げる賞金稼ぎ達が、ちらほらと様子を
窺いに来ていたが、男の余りの様子に眼をそらし、そして二度と現れなくなった。
それに、何よりも、男が取り戻したがっていたものは、一度として男の前には現れない。そもそ
も、男が取り戻したがっているものは、最初から男のものではなかったのだ。
9.無為の回想
捕えられたジャックスは、ショックのあまりしばらくは口もきけぬ状態だった。
それが、ぽつりぽつりと言葉を零すようになったのは数日前の事。抜け殻のような状態のジャッ
クスは、保安官が尋ねた事に酷く素直に答えた。
娼婦を殺した時の事、娼婦が自分を脅してきた時の事、それをマッドに見られて逃げ出した時の
事。
それら全てを克明に呟くジャックスの言葉は、しかし20年前のそれを紡ぎ始めた時、それを聞い
ていたサイラスは総毛立つような感覚を覚えたという。
「あの商人は、ラーシャに襲い掛かった。」
ラーシャとは自殺した召使の名前だった。彼女に襲い掛かる商人は、お前は自分の下僕だろうと
嗤いながら、犯したのだという。泣いて許しを請えば請うほど、商人は声高く嗤い、思う様召使を
嬲った。
そして、遂には彼女が快を感じて泣き叫ぶまでに。
「許せなかった。」
ジャックスは、ぽつりと呟いた。
「俺にとって、ラーシャは天使だった。俺は彼女を遠くで見ているだけで幸せだったのに。なのに
彼女は俺以外の男の手で殺されてしまった。」
「待ちたまえ、君は彼女の恋人ではなかったのかね?」
「俺は彼女の守護天使だ。彼女を見守るだけで良かった。」
虚ろな声で呟いた男は、何も見ていない。
これ以上は聞いても無駄だと判断したサイラスは、次の質問へと移る。
「それで、商人一家を殺したのだね?」
「ああ。あの、邪悪な血族は生きているべきじゃなかった。死ぬべき存在だと感じた。だから、俺
は『嘆きの砦』として、あの男と、その妻と、その子供を殺した。」
「ラーシャが生きていたら、君の凶行は止める事が出来たのかね?」
「ラーシャが生きていたら………?」
ジャックスはゆっくりと首を傾げる。まるで意味が分からないと言うように。
「それは、あの商人がラーシャを犯さなかったらという意味か?」
「例え、犯されたのだとしても、彼女が死ななければ、君は救われたんじゃないのか?」
「犯されたのに?そんな事は有り得ない。」
ジャックスは、この時、初めて意志を取り戻したように、牢の中で立ち上がった。しかし、そこ
にあったのはかつての王者としての威厳ではなく、何処までも狂いに満ちた眼差しだった。
「犯されたラーシャが生きている何て事は有り得ない。彼女は商人に犯され、穢され、そしてあろ
う事か快楽まで感じ始めた!」
いっそ、恍惚とさえ言える表情で告げるジャックスは、歌うように続ける。
「そんな事はあってはならない。ラーシャは天使だ。天使が穢され、穢された事で快感を得るなど。
まして、それに対して許しを請うなんて!」
ラーシャは商人に犯された夜、許しを請うたのだという。見捨てないで欲しい、と。穢された自
分を見捨てないで欲しいと。涙を浮かべ、ボロボロに傷ついた女は、如何に惨めだったか。それは
普通の人間ならば誰でも手を差し伸べる姿だっただろう。
だが――――。
「ふざけるな、俺の知っているラーシャはそんな恥知らずな女じゃない。犯されて穢されて、それ
について許しを請うなんて、天使どころか悪魔だ。あれほど感じて善がっていたくせに何を言う
のか。あんなのラーシャなわけがない。」
あれは、悪魔に取りつかれた醜女だ。
ジャックスの眼には、もはや正気の色は何処にもなかった。あるのは何処までもおぞましい、何
かを取り付かれたように信じ切っている教信者の目だった。
ジャックスが何に取りつかれているのか、それはサイラスには分からない。だが、おそらくジャ
ックスは己が位置する『嘆きの砦』を神の雷に匹敵する存在だと思っていたのだろう。だから、人
を裁く事に、これほどまでに無頓着なのだ。マッドが、そう、指摘したように。
そしてジャックスは高らかに嗤った。
「誰も俺を疑わなかった。当り前だ。俺は悪魔に魂を売り渡した魔女を殺しただけなんだから。商
人を殺した時だってそうだった。俺が犯人だと気付きながら、結局俺を憐れんで、追う手を緩め
た。当り前だ。俺のもとに嘆きがあったからだ。」
自分の恋人と、そして彼女を嬲った商人とその家族を殺した事をさらりと告げた男の口からは、
嗤いが止まる事はない。いきなりベールを剥がされた真実を見せられて、そこに横たわっていた色
が描く光景は、保安官を唖然とさせる。
それは、サイラスだけでなく、後にその話を聞かされる事になるサンダウンも、だ。
そしてそれを聞いたサンダウンは、更に己の汚点を深める気分になった。若気の至りで憐れに思
い取り逃がした犯人が、実はその憐れみの原因となった恋人さえも殺した人間だったとは。
今ならば、きっとそこまで考えずとも、憐れみを下手に掛ける事なく捕える事が出来ただろう。
だが、今よりもまだ人間を信じていた若い自分は、この男に嘲られていただけだったのか。そして
何よりも、憐みを優先させて、保安官という正義の御旗をないがしろにした自分は、一体。
サンダウンを含め、全ての正義の御旗を踏み躙り、嘲り続ける男は、しかし不意に哄笑を止めた。
その顔に浮かんだのは、信じられないものを見るかのような表情だ。
「俺は正しい事をした、『嘆きの砦』として。なのに、どうして、あいつは。」
俺を認めなかったんだ。
一瞬にして、哄笑は慟哭に変わった。
それは息子に裏切られた父親の、弟に殺された兄の、弟子に見捨てられた師の表情をしていた。
「俺は正しいはずだ。悪の血脈を壊した。けれどあいつはそれを認めない。それは嘆きではないと
言う。どうして、どうして。」
どうして、あいつは俺を裏切ったんだ。
だが、それに答える者は誰一人としていない。何故ならば、男が裏切られたわけではないのだと、
皆が知っているからだ。男は自らの責を問われているだけで、そこに裏切りが介在する余地は何処
にもない。
ただ、西部一の賞金稼ぎに、逃げ続けていた自分の罪について、断罪されただけの話だ。
しかし、ジャックスからはそれを判断する理性さえ失われている。それを見て取ったサイラスは、
すぐさま彼の刑を執行する事に決めた。
そして2日後、ジャックスは無抵抗の人間を殺した罪で、縛り首となった。