「マッドのその言葉が、ジェシー・ジェームズにどのように届いたのかは、分からない。」
男は、葉巻を弄びながら、やや俯きがちに言う。
「ただ、南部訛りの、紛れもない貴族の声音で囁かれて、ジェシー・ジェームズの心が動かないはず
がなかった。」
南部というものに固執し続けながら、けれどもやっている事は貴族からはかけ離れた強盗行為ばか
りで、しかし頭の中では貴族的なものに憧れて、自分も貴族なのだと思い続けている。
そんな、自己愛の塊のようなジェシーに、確かに貴族であったマッドからの言葉は、飛び付かずに
はいられなかっただろう。
「待ってくれ。マッド・ドッグは貴族だったのか?」
静かに語りの終焉が近づく中、ウィリアムは聞き咎めて問いかける。それに対して、男はちらりと
視線を流す。
西部を席巻した賞金稼ぎが、実は正真正銘、爵位にも手が届くとしたところで、何があるのか、と。
「いや、これは良いネタだ!」
「証拠がないがな。」
ウィリアムの言葉を、男は一語で切り捨てた。
「証拠もないのに、ネタにしても誰も食いつかねぇぜ。食いついたとしても。」
こん、と葉巻を手にした指で、テーブルを叩く。はらり、と灰が零れ落ちた。
「ジェシー・ジェームズの新聞での虚飾と同じように、食いついた以上の人間が、食傷して呆れてる
さ。それに、変な噂を流してみろ。いつの間にか頭を撃ち抜かれているぜ。ジェシー・ジェームズの
ように。」
冷たい脅しに、ウィリアムは一瞬言葉に詰まり、ふと気づく。
「待て。ジェシー・ジェームズを撃ち殺したのはボブ・フォードだろう?マッドが撃ち殺したのか?」
賞金は、間違いなくフォード兄弟が受け取ったはず。マッドはお膳立てをしただけで――もちろん
そこに至るまでの功績を認められて知事から金は受け取っているかもしれないが――撃ち殺したのは
ボブ・フォードではないのか。
「そう。ボブ・フォードは確かに引き金を引いた。」
マッドの甘く低い響きにふらついたジェシーが、その時何を考えていたのか、それは今や誰も知ら
ない。
けれども、その時のボブの心境は、微かにだが伝え聞いている。
ディックとマーサは助ける事が出来たと信じていたボブは、実は自分が踊らされているだけだと、
あの二人は州知事に犯罪者として引き渡されたのだと聞かされ、少年の純朴な心は確かに激しく打ち
震えた。
腕を押え込んで床に這いつくばって、少年が顔を上げれば、ジェシーがマッドと相対して――いや、
覆い被さっているのか――いるのが見えた。
この時、ジェシーはボブに背を向けていた。マッドはボブのほうを見ていたはずだが、ジェシーの
背中が邪魔をして、それは見えなかった。
馬鹿に、されていたのだ。
そう思ったと、ボブは言った。マッドという人間に、何もかもを馬鹿にされて何もかもを奪われた
のだと憤った。ディックとマーサはマッドに嵌められ、これから処刑台に登るであろうのに、強盗団
の中で恐怖政治をひくジェシーは助かるのだ。
ジェシーが生き残るということが、どうしても納得できなかった。ボブはそもそも、ジェシーに惹
かれていたのは最初の頃だけでだった。強盗団の一員として働くうちに、ジェシーの中にある小物臭
さに眉を顰める事のほうが多くなっていたし、それよりも朴訥としながらもきりりと馬の手綱を握る
ディックのほうが、遥かについて行くに相応しかった――だから、マーサもジェシーは金づるとしか
見ずに、ディックを本命としたのだ。
けれども、マッドの策略で、ディックとマーサは陥れられ、ジェシーはまんまと逃げおおせる。
ジェシーの事が好きだって?
「この、オカマ野郎。」
ボブは、喉の奥で呻いた。男を誘うマッドに、唾を吐きかけてやりたかった。そしてそのマッドに
覆い被さった、感謝の言葉を吐くジェシーにも。
「マーサの事は、」
確かにマッドは魅力的だ。同性の眼から見ても。けれども、ジェシーは相手にされていなくとも、
マーサがいたし、ジェシーはマーサの前で良い恰好をするのが好きだった。けれども、それがこうも
あっさりと覆されてしまうものなのか。
ジェシーを裏切ったというだけで、ジェシーの中の冷たい部分がマーサを切り落としてしまうもの
なのか。
そしてそれは、今にも自分自身にも振り下ろされるだろう。
ボブは静かに、痛む手を伸ばした。
それは、敬愛するディックを売り飛ばしてしまった事についての悲嘆か、それともそれに加担させ
たマッドへの義憤か、或いはマーサもディックも切り落としてしまうジェシーへの恐怖からか。
とにかく、ボブは手を伸ばし、転がった銃を掴んだ。
見上げた先には、ジェシーの背中がある。
ジェシーは、ボブが銃を拾った事に気づいていない。マッドから囁き出される甘い言葉に夢中だ。
或いは、マッドに夢中になっているように見せかけ、これからはマッドを手懐けて今後も強盗を続け
ようと考えているのだろうか。その為にマッドに良い顔をしておこうという腹なのか。
いずれにせよ、ボブには看過できない事だった。
ジェシーが生きている事も、マッドを許す事も。
ジェシーは、まだ何も気づかない。床に這いつくばるボブに、そんな大それたことが出来るわけが
ないと、思い込んでいるのだ。
だが、そんな考えを、あの世で後悔させてやる。
純朴な少年は、怒りに――少年は義憤だと言った――任せて、ジェシーの無防備な背中に、一発、
鉛玉を喰らわせた。
ジェシーの背中が、一瞬びくりと震えた。微かに仰け反ったそこに、もう一発。
揺れる硝煙の向こうで、掠れたジェシーの背中がびくびくと痙攣し、やがてどうにも自分を支えら
れないというふうに、ずるずると崩れ落ちていく。
崩れたジェシーの向こう側に対して、ボブは更に銃弾を放とうとする。
が、ジェシーの背中が崩れた向こう側にあったのは、うっとりとするほどのマッドの笑みだった。
ただし、その手にははっきりと黒光りする厳めしい銃が握られている。そして黒の銃口からは、躊躇
いなく咆哮が上がった。
バントラインの吠え立てる声は、ボブの銃よりも遥かに早く。再びボブの手から銃を食い千切って
いった。
「ああ、よくやったな。」
蕩けるような笑みを湛えて、マッドはもう動かないジェシーの身体を踏み越え、ボブに歩み寄る。
「これで、めでたくお前は、ジェシー・ジェームズを撃ち殺したわけだ。どうだ、今の気分は?」
高い位置から眩しいほどの笑みで見下ろされ、ボブは一瞬言葉に詰まり、けれども胃の腑の中のも
の全てを吐き出すように、喚いた。
「兄貴達を、よくも!」
「馬鹿だな。ジェシー向けの言葉に吐いた言葉を鵜呑みにするんじゃねぇよ。」
ディックとマーサを陥れた事を詰ろうとした瞬間、マッドはおかしそうに笑い声を上げる。
「あの二人は無事だ。司法取引は上手くいった。近いうちに、何らかの便りが来るさ。そうだな……
お前が、ジェシー・ジェームズの賞金を受け取ったくらいには。」
その言葉にふと動かぬジェシーを見れば、まだ生温いジェシーの身体からは、ゆっくりと血が流れ、
血溜まりを作ろうとしているところだった。
「じゃあ、なんで、あんなことを言ったんだ?」
「お前の銃の腕じゃあ、ジェシーを撃ち取るなんてことは無理だからさ。」
マッドはブーツの爪先で、弾き飛ばされたボブの銃を蹴る。からり、とあまりにも中身のない音を
立てた銃は、何も言わない。
「お前がジェシーを撃ち殺すには、ジェシーの意識をお前から逸らす必要があった。そしてジェシー
にお前に背を向けさせる必要がな。この近距離で、しかも背中なら、お前の腕でも外しはしねぇよ。」
ジェシーは、きっと何が起きたのか分からなかっただろう。
助けにやってきた賞金稼ぎが、実は心底から、彼にとってのユダであったとは微塵も思わなかった
だろうし、自分を貫いたロンギヌスがよもや普段から馬鹿にしていたボブであるとも考えなかっただ
ろう。
けれども、ボブはボブで――いや、マーサもディックも、これから自分達に何が起こるのか想像も
していないだろう。
ジェシー・ジェームズという救世主を、指導者を――ただの扇動者を失ったことで、それらを裏切
り撃ち殺し金を得たという彼らが、これからどのような眼で見られるのか。
キリストを裏切ったユダが、後世なんと言われているのか、知らぬわけではあるまい。そして彼ら
には、とどのつまりジェシー・ジェームズと同じ穴の狢である以上、反論さえできないのだ。
ボブは義憤に駆られたと言うが、強盗である以上、その心裡に義憤なんてものは存在しない。
マッドに唆された?
裏切り者の言葉など誰が信じるものか?
まして、西部の賞金稼ぎの王と、せこい強盗団の裏切り者のどちらを信じるかなど、考える間でも
ないだろう。
だが、マッドにはもはや彼らは過去のものだ。
仕事は終わった。これから、ボブが、ディックが、マーサがどうなろうと知った事ではない。彼ら
の未来が、そう明るくはない――破滅の縁を歩くしかないであろう事は、嫌でも分かる。
ジェシー・ジェームズの死の瞬間、それこそが彼らの日常生活の――世間一般でいう幸福な日常生
活の弥終だ。
マッドは未だ呆然としたボブと、いよいよ血溜まりに沈むジェシー・ジェームズを一瞥し、欺瞞に
満ちた部屋に背を向けた。