夕映えが夜の帳へと染め上げられる頃、未だ下りぬ漆黒の幕から、一つ黒い影が赤い舞台へと踊り
出る。
 硬質なブーツの音以外に、ささやかな衣擦れの音を秘めやかに立てて、マッドはボブが指し示した
小屋へと向かった。
 夕焼けの逆光の中、小屋は異質なほどに浮き上がって見えるが、それはその中にいる人物もまた、
異質だからだろうか。
 思って、マッドは鼻先で嗤った。
 異質、とは言いすぎだ。
 ジェシー・ジェームズが塒としている小屋を眺め、そしてその中にいるであろうジェシーの事を思
い、やはり、異質とは言い難い、と考え直す。
 ジェシーは、良くも悪くも、時代の寵児だったのだ。
 南北戦争終結後の、貴族達の憂さ晴らしとして担ぎ上げられ、ちょうど時代を席巻し始めたマスコ
ミに眼を付けられ、故にここまでのし上がってきた。それは異質と言うよりも、ただただ、時代が求
めた英雄像だったのだ。
 けれども、その中身を開いてみれば、がらんどうでしかない。中身のないハリボテが、いつまでも
受けていられるわけがない。その事に気づかず、ハリボテを纏い続けているジェシーは、確かに異質
と言えば異質。
 だが、それは、

「滑稽って言うんだよ。」

 マッドは小さく喉の奥で呟く。すぐ後ろで、おろおろしているボブには、その言葉は聞こえなかっ
たようだ。
 異質というのは、ジェシーのようなハリボテの事を言うのではない。ひたすらに、世界から隔絶さ
れ拒絶された者のことを言うのだ。
 例えば、そう。
 サンダウン・キッドのように。
 あの、どうして生きているのか分からない、しかし死ぬ事も訪れないであろう男のような事を。夜
以上の暗澹に身を伏しているくせに、纏うのは真昼の荒野の風ばかりである事を。
 マッドは、薄い木の扉を開き、最期の西日のようにするりと小屋の中に入り込む。それは日差しと
同じくらい自然な侵入であったため、ジェシーはマッドの存在にしばし気が付かなかったようだ。
 マッドに無防備な後姿を見せるジェシーに、マッドはそっと忍び寄り、淡く囁いた。

「ディックの奴が落ちたぜ。」

 幽霊のように唐突に現れた声に、ジェシーは眼に見えて飛び上がった。それこそ、たった今マッド
が思ったように、滑稽に。
 腰に帯びた銃に咄嗟に手を伸ばす姿を、マッドは隈なく見つめ、ジェシーの銃口がマッドを見つめ
るまでを、うっとりと眺める。

「よお。」

 葉巻を片手に、甘ったるい匂いで空気を掻き混ぜながら、マッドはジェシーに声を掛けた。マッド
の気だるげそうに見える様子を見て、ジェシーは自分が馬鹿な真似をしていると気が付いたらしい。
きまり悪げに銃を再びホルスターへと戻す。

「あ、ああ。あんたか。」

 でも、どうして此処に?
 と言いかけて、ジェシーは此処にマッドがいる事のおかしさに気が付いた。ぎょっとした表情でマ
ッドを眺め、再び指が腰をまさぐるのをマッドの細い指が止める。

「どうして、俺が此処にいるのかが不思議か?」

 とろりとした眼で、マッドはジェシーを間近で見据える。
 黒いマッドの眼がしっとりと濡れているのを見て、ジェシーが動きを止めた。ジェシーの眼に、自
分の姿が写っているのを確認して、マッドは閨にいるかのように呟く。

「ボブにあんたがいる場所を聞いたからさ。」

 ゆるゆるとジェシーの眼差しがボブに向かう。けれどもマッドはそれを許さないと言わんばかりに、
その視線に割り込む。

「ディックが、あんたを裏切ったと聞いたから。」

 だから、来た。
 マッドの震えるような声にか、それともマッドが口にした内容にか、ジェシーの眼が大きく見開く。

「まさか、俺が、あんたの事を知らないとでも思ってたのか?」
 
 賞金稼ぎマッド・ドッグ様とあろうものが、獲物を前に何も気が付かないとでも。
 ジェシーが今までのうのうと暮らしていた時に、散々にマッドが己の存在に気が付かない事につい
て自慢げに話していた事を、マッドは一瞬で打ち砕く。
 眼の前に、牙を剥いた猟犬がいる事にようよう気が付いたジェシーは、その眼にはっきりと恐怖を
浮かべた。眼の前でそっと己の手に自分の手を重ねている賞金稼ぎは、よりにもよってマッド・ドッ
グだ。
 血煙の中を駆け抜け、その血に酔っているかのように罪人を撃ち落していく賞金稼ぎだ。その銃弾
が狙い誤った事は一度もない。
 
「おい、まさか俺から逃げようっていうつもりか?」

 ジェシーの身体に己の身体を凭せ掛けながら、マッドは甘やかな声で問う。端正な、微かに残る南
部訛りの声音は、身体の芯まで響く。その響きに合わせて、マッドの身体からは独特の甘い香りが湧
き立っている。

「俺が、あんたを逃がしてやろうって言うのに?」

 今度は、ジェシーだけではなくボブの眼も大きく見開かれた。

「ディックとマーサの裏切りから、俺がお前を守ってやるって言うのに?」
「な、に?」

 マッドの細い指先が、ジェシーの手から離れかけようとするのを、ジェシーは思わず引き止め、問
い返した。マッドの眼が微かに不可思議に光る。

「そのままの意味さ。ジェシー・ジェームズ。俺が、お前を守ってやるって言ってるのさ。お前に賞
金をかけたミズーリ州知事と、掛け合ってやろうって。」

 ただし、と引き止められたマッドの指先が、ジェシーの手の甲を緩くなぞる。

「その為にはディックとマーサを、ミズーリ州知事に引き渡す必要があるが。」

 そんな、と声が上がった。声を上げたのはボブだ。マッドの、ボブの兄貴分であるディックを陥れ
ようという発言に、ボブが何の考えもなしに銃を掲げ、けれどもそれは最後まで持たず、マッドの
銃声によって弾かれる。
 うあ、という叫びと共に銃を弾き飛ばされたボブが床に倒れる。腕を押さえて倒れたボブは、しば
らく動けないだろう。
 そんなボブの様子に、ジェシーは、そうか、と呟く。

「お前達が、裏切り者だったのか。」

   入れ揚げていた女と、信頼していた相棒と、その舎弟と。

「ち、ちが、」

 ボブは言いさして、けれどもジェシーからの鳩尾への鋭い一撃を喰らい、再び床の上で悶絶する。

「あれだけ、眼を掛けてやったのに。」

 自分の眼鏡違いであった事は棚に上げ、ジェシーは呻く。よもや、ディックと、ましてやマーサま
で自分を虚仮にしていたとは信じられないのだろう。そして、そればかりは、誰にも否定できなかっ
た。
 ジェシーの言った意味とは別の意味で、確かにディックとマーサは、ジェシーを裏切ったのだ。

「あの二人は、知事との取引に応じた。あんたを売る代わりに、自分の安全を確保したのさ。」

 尤も、そちらはマッドに唆されてだが――いや、マッド以外の誰の言葉であっても、彼らは唆され
たに違いない。彼らの関係は、それほどまでに偽られたものでしかなかった。

「お前は、」

 ジェシーが不思議そうに、マッドを見る。

「お前は、どうして俺を助けようとするんだ?」

 ごもっとも。
 マッドはけれども、とろりとした眼差しを変える事無く、ジェシーの手の甲をゆっくりとなぞりつ
つ呟く。

「あんたの事が、好きだからさ。」

 甘い南部訛りの声で、マッドは、そう吐き捨てた。