その夜、マーサとディックは一台の駅馬車に詰め込まれて、ミズーリ州知事クリッテンデンの元へ
と、連れて行かれた。
彼らとクリッテンデンの間で、どのような話し合いがもたれたのか、それはマッドの知るところで
はない。ただ、ディックから賞金が取り外された限り、マーサとディックはジェシー・ジェームズを
クリッテンデンの売り渡す事を承知したのだろう。
実際のところ、二人にはジェシーを命懸けで庇う義理はなかった。ジェシーはマーサに入れ込んで
いたが、マーサのほうは、既に妻子を持つ――それが身を護る為の隠れ蓑であったとしても――ジェ
シーに入れあげるほど愚かではなかったし、それならば同じくならず者とはいえ、武骨に馬を育てる
ディックを選んだ。
ディックもジェシーの片腕として生きていても、結局マーサとは隠れるようにして付き合うしかな
かったし、マーサとのことがジェシーにばれたなら、それこそジェシーの不興を買って殺された他の
連中と同じく、殺される可能性がある。
それらを踏まえた上で、二人はジェシーを裏切る事にしたのだ。
これまでの稼ぎを考えても、それでもジェシーと共にあるいは値しないと判じたのだ。これが、か
つてのジェームズ・ヤンガー強盗団との――ヤンガー兄弟との大きな違いだった。あの時、ヤンガー
兄弟の為に命を張った男達は、ジェシーの傍にはない。
「これで、兄貴と姉さんは大丈夫なんだよな。」
マーサとディックを乗せた馬車が砂埃の向こう側に消え去ったのを見て、ボブは不安ではち切れん
ばかりの声で尋ねた。
「言っておくけど、あの二人を騙したんなら、承知しねぇからな!」
叫ぶ少年と言っても過言ではないボブを横目でちらりと見て、マッドは低く問うた。
「承知しねぇって、どう、承知しねぇつもりだ。」
南部訛りの残る甘い声が、毒の味をしている事に、ボブはようやく気が付いただろうか。そして、
当然の事ながらボブではマッドには到底敵わない。
黒い眼が金属のような硬質な光を宿しているのを見て、ボブは喉の奥で、ひ、と引き攣れたような
声を上げた。思わずと言った態で後退るボブを、マッドは鼻先で笑う。
「安心しろよ、あの二人がきちんとジェシーの奴を売り飛ばせば、ディックに懸けられてる賞金は外
される。あいつらがこちらを騙さない限りは、その点は保証してやる。」
尤も、ジェシー・ジェームズを裏切ったという汚名を被らずにすむわけはないのだから、いずれに
せよあの二人の先行きが幸多いわけがない。そもそも、ならず者の末路が幸せであるはずがないのだ。
この後――ジェシーが死んだ後、ディックはジェシー・ジェームズを裏切った男として後ろ指を指
され、酒におぼれた挙句、マーサに捨てられて死んでいくのだ。
しかしそれこそマッドの与り知らぬことである。
そして勿論、ボブも。
「それよりも、お前こそ自分が言った事を違えるんじゃねぇぞ。」
マッドは、硬質な光を眼に湛えたまま、ボブに釘を刺す。
「お前は、ジェシー・ジェームズの居場所を吐くって言ったんだからな。今更、実は知らないとか言
い訳をするんじゃねぇぜ?」
マッドの腰の周りに絡む太い鋲を打ったベルトに吊り下げられた、ごつい革製のホルスターには、
マッドの眼と同じく硬い煌めきを帯びたバントラインが凶暴な面持ちで納められている。獲物を撃ち
殺す瞬間を、今か今かと待っている銃は、いざとなればボブの頭など一瞬で血煙に変えるだろう。
マッドの念押しに、ボブはがくがくと頷く。
「わ、分かってるよ。」
「そうか、なら良い。」
マッドの眼が、興味を失ったように一瞬ボブから離れる。しかし次の瞬間には、形の良い唇に浅い
笑みを浮かべて、囁く。
「だが、喜べ。もしもお前の手柄でジェシー・ジェームズが殺せたなら、その時、奴に懸けられた一
万ドルの賞金は、お前のものだ。」
うっとりするほどの声音で囁かれた台詞に、ボブは一瞬呆けた。
何を言われたのかよく分かっていないその表情に、マッドは今度は笑みだけではなく、その視線に
も甘やかな色を帯びさせてボブを再び見る。
「お前が、一万ドルの所有者になるって言ってんだ。」
「え?」
ボブが、ようやく声を吐き出した。同時に、何を言われたのかも理解できたようだ。
「ええええええ?」
けれども、ボブの少し鈍い頭では、その事実を受け止める事が出来ず、気の利いた言葉を返す事も
できず、ただただ喚き声に似た声を上げるだけだった。
「だ、でも、なんで。」
ようよう疑問を口にしたボブを、マッドは愉快そうに見る。賞金稼ぎの掴みどころのない態度に、
ボブはそれが冗談なのかどうなのか測りかねて、ただただマッドを見上げる。
ボブの狼狽えた視線に気づき、マッドは今度は穏やかに微笑んで見せる。
「あ、あんたはいらないのかよ。あんた賞金稼ぎだろ。一万ドルが要らないって言うのかよ。」
「別に、その一万ドルが、ジェシー・ジェームズの一万ドルである必要はねぇだろ。」
一万ドル、または五千ドルの賞金を懸けられたジェシーの仲間達はゴロゴロいる。そちらの金が入
れば、ジェシーの一万ドルは必要がない。
「そもそも俺は、既にディックとマーサを州知事に突き出した。おい、勘違いするな。あの二人はそ
れで罪に問われたりはしねぇ。ただ、俺は州知事に言われた通り、ディックというジェシーの仲間を
捕まえ、突き出した。それだけで俺には賞金は支払われるんだ。賞金首ってのはな、捕まえさえすれ
ば、殺さなくても捕まって然るべき場所に突き出しさえすれば、きちんと金は支払われるんだよ。そ
の後、その賞金首がどうなるかは賞金を懸けた人間次第だ。」
今回、ディックはクリッテンデンとの取引に――ジェシー・ジェームズを売るという取引に応じる
だろう。
だが、それとは別に、マッドにはディックをそこに連れて行った功績で、金が支払われる。
「だから、別にジェシー・ジェームズの一万ドルを、何が何でも手に入れる必要はねぇわけだ。それ
よりも、ジェシー・ジェームズを殺す実行犯に、金が入る方が道理だろう。」
「実行犯………?」
ボブの声に、再び困惑が入り混じる。
それに、マッドは頷く。
「ああ、そうだ。ジェシー・ジェームズを殺すのは、お前だ。」
「な!」
無理だ、とボブは叫んだ。
「無理、無理だよ。ジェシーは疑い深くて、誰もその後ろを掴めないんだ。俺、俺みたいに、ジェシ
ーに馬鹿にされているような奴が、そんなジェシーを殺すなんて無理だよ。」
ボブの訴えに、マッドは薄く薄く、それこそ良い事を聞いたと言わんばかりに笑った。
「そうか、お前、ジェシーに馬鹿にされてたのか。」
まだ子供気分が抜けきらず、ディックの腰巾着であるボブは、ジェシーからしてみれば必要な存在
でもなかった。だから、からかい遊ぶ程度の存在でしかない。
しかし、だからこそ。
「だから、ジェシーに何も思われずに忍び寄れるんじゃあねぇか。」
ボブを適当に宥めて、次にすべき事を耳打ちしてから追い払ったマッドの背後に、ぬっと黒々とし
た影が降りかかる。
その気配にはずっと気が付いていたが、別に振り返るまでもなかったので放っておいた。それが、
今、すぐ真後ろにいる。
くるりと振り返ると、鼻先に真っ青な眼が広がっていた。
「なんの用だ?」
獣のように感情の読めない青い眼に問えば、ゆっくりとそれが細められた。漂うのは乾き切った砂
の匂い。
「今の俺に、あんたの相手をしてやってる暇はねぇんだがな。それとも放っておかれて慌ててこっち
にやってきたか?」
浅く嘲笑うように告げると、太い金の眉が微かに顰められた。
五千ドルの賞金首は、マッドが一万ドルの賞金首を追いかけ始めた事に何を思っているのか。
「あの子供を、」
掠れた低い声は、マッドが思わぬ事を言い始めた。
「あの子供も、利用するのか?」
「勿論だ。」
賞金首サンダウン・キッドの問いに、マッドはしかし躊躇わずに頷く。
「あのガキも、それだけの事をやってきて、それだけの恩恵を受けてきた。利用する事に、この俺が、
躊躇うとでも?」
マッドの口元に浮かんでいた嘲りは、浅いものから深いものに変わる。子供を利用する事を咎める
サンダウンに向けて。
するりとサンダウンの横を通り過ぎながら、
「だから、あんたは駄目なんだよ。」
そうやって、慈悲を傾ける相手を大間違いするから。
マッドは振り返りもせずに、すれ違いざまに囁いた。