「そういう話があったのさ。」
マッドは、同じような話を、ジェシーにもしていた。
あくまで、ジェシーがジェシーであると知らない態で、ジェシー・ジェームズに一万ドルの賞金が
懸けられた事、そしてその金額は、新聞社からの非難に対する見舞金と、強盗団内部からの裏切りを
誘発する為のものであると告げた。
「そんな簡単に行くと思うか?」
マーサとディックのいる前で、ジェシーは鼻先で笑った。知事の思惑などまるで見当違いであると
言わんばかりに。
けれどもマッドが気が付いている。ジェシーの瞳の奥で、何か不安めいた光が蠢くのを。そしてそ
の指が落ち着きなくテーブルを叩いているのを。
マッドはそれらにも気づかないふりをする。気づかないふりのままで頷く。
「ああ、いくね。」
手の中でグラスを弄びながら、確証があるように、一つだけ、頷いて見せる。
「ジェシー・ジェームズも、きっとあんたと同じように知事の思惑通りにはいかないだろうと思って
る。だが、だからこそ、うまくいくだろうよ。」
「どういうことだ?」
ジェシーの眼の奥で揺らぐ不安の光が、大きく振れる。
たった今、マッドは嘘を吐いた。ジェシー・ジェームズが知事の思惑通りにいかないと思っている
というのは、嘘だ。ジェシー・ジェームズ自身が、知事の思惑通りになる事を、これほどまでに恐怖
している。
それを確認して、マッドは静かに嘘を続ける。
「あんたは、ジェシー・ジェームズに、そんなに人望があるように思うか?」
ひくり、と。微かにだが、ジェシーの肩が震えた。その肩越しに見えたマーサが、ちらりとこちら
を見たのにも、マッドは気が付いた。
「俺が思うに、ジェシー・ジェームズには人望なんぞないね。ジェシーの強盗団が今の今まで保って
いられるのは、脇に相当の奴がいてそちらに皆が付いてるか、後は昔のリーダーへの恩を感じて、そ
こにいるだけだろうよ。」
マーサとランデルを目線だけで追いかけ、その目線を再びジェシーに戻す。
「ジェシーは、そんな事にも気が付いてないんじゃねぇのかな。そう、例えば古参の仲間が自分に対
して微塵も尊敬の念を抱いていない事も。例えば女がまるで別の男を見てる事も。何一つとして知ら
ねぇんじゃないか?」
皆が――州知事さえもが認識している事を、ジェシーただ一人だけが認識していないのではないか、
とマッドは嘘を吐く。
むろん、そんな事はない。
ジェシーは疑り深い人間だ。仲間が自分を裏切る事を何よりも不安に思っている。疑心暗鬼の塊の
目線が、しかしまるで別方向を向いているだけで。
ジェシーの眼に映っているのは、ヤンガー兄弟に忠誠を誓っている古参の仲間だろう。間違っても、
肩越しに振り返ろうとはしないのだ。
自分のお気に入りの部下を、自分のお気に入りの女を、どうして振り返って疑わない?
けれども、勿論マッドは、その疑問を口にしない。いや、たった今、既に口にしている。ジェシー
はしかし、そこで背後を振り返らなかった。
「俺の勘では、ジェシー・ジェームズは一万ドルに眼が眩んだ仲間に裏切られ、顔見知りの手によっ
て撃ち殺される。その後の事は分からんが――少しばかり大騒ぎにはなるだろうな。」
俺には関係ないが。
マッドは懐から葉巻を取り出し、ゆったりとした上品な手つきで葉巻に傷をつけ、傷口に火を灯す。
洗練された貴族さながらの動きに、ジェシーは静かに息を吐いた。
「ジェシー・ジェームズは、南部出身者だったな。」
ジェシーの言葉に、マッドは小さく頷く。そして、ジェシーが何を言わんとしているのかに気づき、
微かに笑った。
「南部出身者が、ジェシーを裏切るはずがないって?それこそ、ジェシーの考える都合の良い理想だ。
確かに、南部出身者の多い新聞社は、ジェシーの事を美化してやがるが、ジェシー自身の事を間近で
見てる、またはジェシーの事なんぞどうだって良い奴は、ジェシーがどうなろうと、それこそ知った
こっちゃねぇだろうよ。」
事実、とマッドはうっとりするような笑みを湛える。
「俺はジェシーの野郎がどうなろうが、どうだって良いしな。」
暗に、自分も南部出身者なのだと告げる。それは生まれた時から教え込まれた声や発音、仕草から
どうしたって分かるものだ。ジェシーだって気が付いているだろう。気が付いて、もしかしたらマッ
ドが手を貸してくれると思っているのなら、完全なお門違いだが。
「ジェシー・ジェームズを捕まえようとは思わないのか?」
「思わないな。」
ジェシーの、自分はジェシーではないのだと言う顔をした質問に、マッドは笑みを絶やさずに答え
た。
捕えるつもりなど、さらさらない、と。
そして腹の中で、嘯く。
捕まえる気がないだけで、殺す気はあるが、と。
マッドの心の裡など知らぬであろうジェシーを一瞥し、マッドはひらりと獣さながらの身軽さで立
ち上がる。マーサには多めのチップを投げ渡し、マーサの感嘆の声を聞き流しながら、ディックに馬
の鞍の調子を見てほしいと頼む。
「ちょっと乗り心地がおかしいんだ。ぴったりの奴を見つけてくれねぇか?」
淡い笑みを湛えたままのマッドの頼みに、ディックも笑い返して頷く。馬の事となると眼の色を変
えるならず者は、いそいそと立ち上がった。
マッドの横に立ち、マーサの家から出ながらディックはマッドに馬の近況について問いかける。
「そういや、最近、馬を買いに来る事はなくなったな。」
「良い馬が手に入ったんだ。」
「ああ、あの馬な。確かに良い馬だが、もうちょっと躾が必要だぜ。気が荒すぎる。」
「そうかい?俺にはあれくらいがちょうど良い。」
人の眼をした黒馬は、遠目に見ても人を寄せ付ける事を好まない荒々しさを醸し出している。あれ
を調教するのは、さぞ骨が折れるだろうが楽しそうだと思うディックは、マッドに何度か調教を進め
たが、マッドはそれを頑として許さない。
「たぶん、調教なんぞできないだろうよ。」
マッド以外の人間が触れようとするたびに威嚇する馬を、マッドはそう評した。そんな事はない、
とディックは思うが、間近で馬のくせに人の眼をしている黒馬を見ると、そういう事もあるのかもし
れない、とも思う。尤も、黒馬とマッドと別れ、その姿が見えなくなると、また調教できるかもしれ
ない、と感じるのだが。
「俺には、これくらいが良いんだ。それよりも鞍を探してくれよ。」
「ああ、分かった分かった。」
ディックのしつこい言葉に、マッドが少し唇を尖らせて我儘めいた表情を浮かべる。その表情を見
てディックは苦笑して、マッドの望みを叶えるべく動き始めた。
「ボブ!ボブはいないのか!」
ディックの声に応じて、転びそうな勢いで駆けてきたのは、まだ葉巻の味も知らないような少年だ
った。
ディックに尊敬の眼差しを向け、頬を上気させた少年は、大きな声で返事をしながら、肩で息をし
ながらやってくる。金をばら撒くだけのジェシーよりも、馬の扱いに長けたディックに傾倒したこの
少年こそが、ジェシーの息の根を止めるフォード兄弟の一人だ。
ディックの言葉を一言も聞き逃すまいと耳を傾ける、紅顔の少年をマッドは一瞥する。
そんな人間の動きを、黒い馬が冷え冷えとした眼で見ている。その視線に気が付いたのは、マッド
だけだった。愛馬の冷ややかな嘲る眼に、首筋を撫でる事で答える。きっと、今のマッドの心の裡を
明確に追いかけているのは、この愛馬だけだ。
ディックの言葉に頷いて、ボブが走り去るのを見てから、マッドはディックに思い出したように告
げた。
「そういや、お前はウッド・ハイトを知ってたよな?」
マーサの家にやって来る男の中に、そういう人間がいた。それはディックも知っている。というか、
ディックとは馬の合わない男で、いつも言い争いをしていたのだ。
その名を聞いた瞬間に、ディックが不機嫌になったのも、二人の不仲を物語っている。
「そいつが、黒人殺しをやらかしやがった事は、知ってるか?」
「知らん。そいつがどうなろうが、俺の知ったことじゃない。」
「そうか。」
それなら良い、とマッドは頷き、続ける。
「俺の目の前で黒人殺しをしやがったからな。とっ捕まえて保安官に突き出してやったんだが。その
様子じゃ、別に問題ないみてぇだな。」
これは本当の事だ。実はジェシー・ジェームズの親戚であって、且つ強盗団の一味でもあったウッ
ドは、マッドの眼の前で黒人を撃ち殺した。マッドは勿論、ウッドとジェシーの関係など知らぬ態で、
ウッドを捕まえ、保安官に突き出した。
「まあ、黒人殺しはこの辺りじゃあまるで罪にならないらしいからな。さっさと保釈されちまうだろ
うが。いっそ撃ち殺してやっても良かったかな。でも撃ち殺す価値もなさそうだったから、縛り首で
良いと思ったんだが。」
これはマッドの本心だった。黒だの白だので騒ぐ人間など、マッドは銃殺する価値もないと思って
いる。
しかしディックは単純に、マッドが自分の敵であるウッドを扱き下ろす言葉に乗りかかった。
「ああ、全くだな。あんな野郎、次に俺の目の前に現れたら、容赦なく殺してやるよ。」
「そりゃあ良いな。是非とも、頼むぜ。」
ジェシーの親類などどうでも良いと言わんばかりのディックの態度に、マッドは小さく微笑んだ。