この時のマッド・ドッグは、ひたすらにサンダウン・キッドを追いかける事に専念していた。マッ
ドはディックやマーサといった、ジェシーに連なる者と関わり合いになりながらも、そこからジェシ
ーへと手を出す事はしなかった。
 果たして、マッドは何故、彼らに手を出そうとしなかったのか。
 単純に、ディックやマーサがジェシーと関係していると思わなかっただけなのだろうか。マッドは
マーサの家に、悪い連中が屯している事は知っていた。その中に、彼の有名なジェシー・ジェームズ
がいるはずがないと踏んでいたのだろうか。
 しかし、それは、実にマッドらしくない。
 賞金稼ぎマッド・ドッグは、サンダウン・キッドを執拗に追いかけている事や、日頃の荒っぽい振
る舞いの所為で、短気で浅はかだと思われがちだ。
 だが、実際のマッドを知る人間は、そんな事はない、むしろそうやって周囲に思わせるよう振る舞
うほどに、マッドは強かであると称するだろう。
 マッドは確かに当時、サンダウン・キッドにご執心ではあったが、一方で幾つもの賞金首を撃ち取っ
ている。サンダウン一人ばかりを追いかけていては、マッドの名前は上がらない。サンダウンほどで
はないが、それ相応の賞金首を撃ち取って、マッドが西部の賞金稼ぎの頂点に君臨したのも、ちょう
どこの時期だった。
 少なくとも千ドル以上の賞金が懸けられている賞金首を捕えるのに必要なのは、銃の腕だけではな
い。正確無比な情報と、賞金首を追い込むだけの伝手が必要だ。
 マッドは賞金稼ぎになってから数年のうちに、それら全てを取り揃えていた。
 故に、マッドがマーサの家に屯する悪い連中を見逃すなんてことはないし、そこからジェシーに辿
り付かないはずがなかった。
 けれども、現実問題、マッドはジェシーを追いかけなかった。
 ただひたすらに、サンダウンを追いかけて、その片手間に、千ドルほどの賞金首を撃ち抜くという
生活をしていた。
 マッドのそうした生活は、マーサやディックを通じて、ジェシーにも聞こえていた。

「ああ、問題ねえよ。マッドの野郎はまるでお前に興味がないらしい。」

 馬の毛を梳きながら、ディックはジェシーに言った。
 馬が己の生き甲斐であると公言して憚らない男は、そう言っている間も馬の毛並みが、ちらりちら
りと虹に輝くのをうっとりとして見ている。油が張ったように動く馬のすらりとした四肢を見つめ、
もう一度、ディックは言った。

「あいつはサンダウン・キッドを追う事に必死だ。他に眼は向けちゃいねぇ。なんたって、この三ヶ
月間で俺の処に二回も来たんだからな。理由は、サンダウン・キッドの奴に手綱を撃たれて、馬を逃
がしたから、だ。」 

 そうとう、頭にきてたぜ。
 くくく、と笑いながら、ディックはその時のマッドの様子を語る。
 まるで不貞腐れた子供のようだった、と。

「あれが、まさか賞金稼ぎマッド・ドッグだとは誰も思わんだろうよ。思い通りにいかねぇと癇癪を
起こすただのガキだ。そうやって相手を油断させたところを、ズドン、とやる。大方そういう手口だ
ろう。」
「なら、今のところ、問題はなさそうだな。」

 ジェシーの問いかけに、ディックは頷く。 

「仮に襲ってきたところで、油断さえしなければなんとでもなる。それに、あいつが今乗っているの
は、俺が調教した馬だ。馬が俺達の味方になっているようなもんなんだから、奴が襲ってきたとして
も、馬に蹴り飛ばさせるように命令すれば良い。」

 ディックの楽しそうな――酷く昏い悦楽に満ちた声に、ジェシーもようやく笑う。

「なるほど。それなら問題ない。奴も、まさか自分が買った馬が、俺達の手の者だとは思わないだろ
うからな。」 

 ひとしきり笑う強盗達の前に、家の扉を勢いよく開けて、マーサが飛び出してきた。溌剌としては
ちきれんばかりの表情で、マーサは二人を眺める。

「なあに、二人とも。家にも入らず、そんなところで楽しそうにしてさ。」

 そう言っているマーサ自身も、酷く楽しげに笑っている。
 そんなマーサを見て、男二人ははっとしたようにそちらに身体を向けた。ジェシーは笑い返しなが
ら、今にもマーサを抱擁せんばかりに大きく手を広げる。ディックは愛しい馬から眼を離し、櫛は手
に持ってはいるが、もはや馬には手を触れていない。

「ああ、今から家に入らせてもらうよ。」 

 ジェシーがマーサの頬に口づける。マーサはそれを微笑んで受け止めながらも、目線はディックを
見やる。
 その視線にディックは気づき、けれどもジェシーは気づかない。

「何の話をしていたの?」

 ジェシーの口づけが終わる前に、マーサは、あっさりと視線をディックからジェシーに戻した。女
の眼が自分から離れていた事を知らないジェシーは、マーサの質問ににっこりと笑って答える。

「ああ、マッド・ドッグの事を話していたのさ。あいつが、ディックから馬を買ったってね。」
「知ってるわ、その子。あたしも何度か会ったことがあるもの。」

 マーサのけろりとした発言に、ジェシーが少し顔を顰めた。ディックも同じだったが、マーサは男
達の態度の変わりようを、おかしそうに見て、ころころと笑う。

「まだ駆け出しの頃にね。何度か店に来てたのよ。最近は会ってないけどね。でもその子がどうした」
って?あんた達を捕まえに来るって話は、聞いたことがないけど。」
「ああ。」

 ジェシーは、マーサの頬に自分の頬が引っ付くほどに近づけ、耳たぶが噛めそうなほどに唇を寄せ
る。

「あいつはしばらく、別の男にご執心って話をしてたところさ。」

 くすくす、と笑う。
 その声に呼応して、マーサも。けれども、その眼が再び一瞬、ディックを見つめた事は、ジェシー
は知らない。ディックがその視線を無言で受け止めただけだ。
 何も知らないジェシーは、マッドが別の男にかまけているという事実を、当然自分に置き換えて考
える事はなく、マーサに会えた所為か意気揚々として、

「少し、あちこちぶらついてみるか。どうせ俺を捕まえる奴はいない。適当なところを襲って、よさ
げなものを奪って、美味いものでも食いに行こう。」

 まるで、今から牛追いにでも出かけるというような口調で強盗を語るジェシーに、ディックが少し
呆れたような表情を浮かべた。

「またか?一週間前も、駅馬車を襲ったばかりだろうに。」

 そして、馬車に乗っている婦人の首についていた真珠のネックレスを、マーサに渡したばかりだ。
 しかしジェシーは、それがどうした、と首を竦めた。

「別に良いだろう。邪魔者はいないんだからな。ちょっと行って、すぐに帰ってくるだけだ。もしか
したら、名乗れば向こうが金を放り投げてくれるかもしれんぜ。」

 何せ、俺達は英雄だ。
 新聞社が書き立てる言葉の中で、一番良く使われている言葉を出して、ジェシーは己の行動が微塵
も間違ったものではないと告げる。
 その言葉に、好きにしろ、とディックは答えた。

「だが、俺は行かん。まだ、馬の手入れが残っているからな。」

 強盗も何もかもが馬を手に入れる為に行っているというディックのその発言に、ジェシーは屈託な
く、笑っただけだった。彼は、ディックがマーサと何かしらの事態を迎えているなど、微塵も思って
いなかった。
 瓦解が、此処から来ることも。
 そして一つ、ジェシーが、そしてディックが間違っていたことがある。
 マッド・ドッグが、ディックが調教した馬に、そういつまでも乗っている、という事だ。

「マッドがディック・ランデルから購入した二頭目の馬も、サンダウン・キッドに手綱を撃たれて逃
げ出してしまった。」

 ディックが丹精込めて調教した馬も、サンダウンの銃声には敵わなかったのだ。
 そしてそれ以降、マッドはディックから馬を購入する事はなくなった。ディックが、自分の馬が逃
げ出した事を知る事も、なかった。

「マッドはちょうどその時、ある町のならず者を掃討していた。その町は、ゴールド・ラッシュで潤
ったが、今は見る影もない。来年くらいには、きっと砂に呑まれるだろう。」

 サクセズ・タウン。

「知らないだろうな。ただ、そういう名前だった。マッド・ドッグが金にもならないならず者を撃ち
取ったのは。そして、一人じゃ無理だと言って、サンダウン・キッドと手を組んだのは。」

 その時から、微妙に、サンダウンとマッドの関係が崩れ始めたのは、誰も知らない事だ。いや、そ
もそも賞金首と賞金稼ぎが、今まで長々と延々と続いていた事のほうがおかしい。或いは、始めから
何もかもが間違っていたのかもしれない。
 いずれにせよ、それは大きな問題ではない。

「ただ、この時。マッド・ドッグは馬を手に入れた。ん?サクセズ・タウンで何が起きたか?悪いが
それはお前に話す事は出来ない。と言うよりも、話したところでお前は信じないだろうからな。」

 結末は、小説よりも奇なりだった。

「尤も、その理由はマッドの手に入れた馬にあるんだが。強いて言うならば、その馬は限りなく人間
に近い眼をしていた。馬の眼は大抵の場合穏やかだが、あの馬は、ひたすらに生々しい。人間の眼だ。」

 だからこそ。
 だからこそ、マッドはそれを選び、そしてその馬を以てして、賞金首を追いかける事にしたのだ。
 ただし、追いかける相手は今まで通りとは行かない。或いは、マッドはその馬がやってくる事を待
っていたのか。

「その時から、マッドはサンダウンを追いかける事を止める。」

 代わりに、ジェシー・ジェームズを追いかけ始めた。