ジェシー・ジェームズが、マーサを気に入っていたのは周知の事実だ。
マーサが何時ごろから、ジェシーがハワードなどという男ではなく、彼の有名なギャングであると
知ったのかは定かではない。
しかし、彼女がジェシーの正体を知るのに、そう時間はかからなかっただろう。
何せ、今後ジェシー達強盗団の拠点は、マーサの家になるのだから。
マーサの家を隠れ蓑に、ジェシーは次々と犯行に及んだ。列車強盗から馬車強盗。行きずりの婦人
から装飾品を奪い取り、ジェシーはそれをマーサに与えたこともあった。
ジェシーのこうした行いを、新聞社はとにかく美化し、褒め称えた。そうすればそうするほど、新
聞は良く売れた。
そしてジェシーの名前が売れれば売れるほど、ジェシーは見境なく強盗に及ぶようになった。
かつて、ジェシーが、まだジェームズ・ヤンガー・ギャングにいた頃。ヤンガー兄弟が息災であっ
た頃は、一つ大きな仕事をやってのけた後、ほとぼりが冷めるまでしばらくは新しい獲物を狙ったり
はしなかった。
それは、ギャング団の要であったコール・ヤンガー知恵であったし、あるいはジェシーの兄である
フランクの抜け目なさであった。
けれども、ギャング団を率いた二人――コールは捕まり刑務所に服務していたし、フランクは既に
そう若くはなく、時折ジェシーの誘いで強盗に手は出すものの、以前ほどの覇気はなかった。
結果、ジェシーがギャング団を率いていたわけだが、生憎とジェシーはコールほどの人望があるわ
けでもなかったし、フランク程知恵が回ったわけでもなかった。それは今までの彼の功績を見ても分
かる事だった。
ジェシーは、ただ、己の悪運のみで生きてきた。ジェシーほどの悪運を持った者はいなかっただろ
う。
しかし、それは次第に、ゆっくりとではあるが尽きかけようとしていた。或いは、悪魔は陳腐な仕
事を繰り返すジェシーを見限り、荒削りの新しい風に乗り移ったのか。
だが、悪魔が乗り移ろうとしていた新しい風は、ジェシーには左程の興味を持っていなかった。
賞金稼ぎマッド・ドッグ。
後々、賞金稼ぎの頂点に君臨する男は、己の才覚も銃の腕前も、そして魅力についても存分に理解
していた。だから、多少我儘を言って、皆が右に倣えでジェシーを追いかけても、一人全く別方向を
向いて駆け出しても問題ないと知っていた。
賞金稼ぎ達がジェシーの死体をこさえようと躍起になっている頃、マッド・ドッグは、とある賞金
首にご執心だった。
「よう、久しぶりだな。」
賞金首に軽やかに声を掛ける姿は、いずれお馴染の風景になる。
気取った手つきで銃を弄ぶマッドは、荒野のど真ん中に立っていた。町中で、彼ら二人を見かける
事は、実は少ない。
それは、マッドが追いかける賞金首が、人目を避ける為か、極端に町に近寄らない為だ。
そんな、誰もいない不毛の大地でも、マッドは気障っぽい態度を止めない。見ているのは一人だけ
しかいないのだが、敢えてそのたった一人に見せつけているかのようだ。
甘やかな南部訛りが残る声も、美しい音階を調べる――これは見せつけるとかではなく、既にマッ
ドの生まれによって刷り込まれてしまっているのだろう。
乱暴な口調、けれども見事なクイーンズイングリッシュ。
南部貴族でも、本当の貴族――所謂イギリスを本国としている貴族でなければ、出せない声だ。
王侯貴族が下々を呼び出すような声に、しかし気だるげに振り返ったのは、荒れ果てた砂と風に煽
られた所為で、かさつき皺の多い、それを褪せた金髪で覆った男だった。
手入れも忘れ去られた髪と髭に覆われた男の顔を見て、マッドは顔を顰める。
「なんだ、そのしけた顔は。この俺様に呼ばれたのがそんなに気にくわねぇってか?五千ドルの賞金
首っていうのは、そんなに良い御身分か?」
ゆるりと振り返った男の顔。
刻まれた皺は苦難の道を示し、色褪せた黄金は寄る辺のなさを意味する。
「……失せろ。」
「やなこった。」
低く、鈍く放たれた言葉。
鉛玉のように重苦しく、飛ぶ鳥を撃つ。
が、狂犬には効果がなかった。
マッドは、口を尖らせて、拗ねた子供のような顔つきで男を見つめる。まるで、五千ドルという大
物賞金首に相対する表情ではない。
「他の賞金稼ぎがジェシー・ジェームズとかいう強盗にかかりきりになってる今、あんたの相手をし
てやるのは俺くらいなもんなんだぜ。もっと感謝しろ。」
「………いらん世話だ。」
無表情だった声に、微かな苦みが混じったのは、気の所為だったか。
「まあ、銃の腕だけは天下一品のサンダウン・キッドの五千ドルよりも、ただの強盗のジェシー・ジ
ェームズのほうが捕まえやすいだろうし、他の奴らの気持ちが分からんでもない。」
ぺらぺらぺらぺらと喋るマッドは、賞金首の意見など微塵も聞く様子を見せない。
そして、賞金首は――サンダウン・キッドと呼ばれた賞金首は、再び能面のような表情のない顔に
戻っていた。
「サンダウン・キッド。」
そう。
わざわざ語る必要もないだろう。この男は、あの、ジェームズ・ヤンガー・ギャングがノースフィ
ールド銀行を襲撃した時に、まさにその現場にいた保安官だった。ボブ・コールを撃ち抜き、コール
・ヤンガーに深手を負わせ、逃亡する彼らに最後の一手を撃った保安官だ。
おぞましいとまで称された銃の腕と、それに挑戦しようとするならず者ども。そしてそれに対して
ジェームズ・ヤンガー・ギャングに肩入れする新聞社による、悪意に満ちた非難。
それらを背負い込んで、サンダウン・キッドは保安官を辞した後、賞金首になっていた。
賞金首になった理由は、誰も知らない。
マッド・ドッグも知らないかもしれない。いや、そもそもマッドはサンダウン・キッドがかつて保
安官出会ったことも知らないだろう。
マッドがちらりと話したジェシー・ジェームズが、サンダウンが取り逃がしたギャングの一人であ
る事も。
サンダウンの青い眼が、す、と動いてマッドを捉える。
そして、おもむろに――まるで今から帽子を取るかのような自然な仕草で銃を持ち上げた、かと思
うや、何一つとして躊躇いを見せずに引き金を引いた。
それに対して、マッドも表情一つ動かさない。
「って、おい!」
銃声が轟いた後、マッドが喚いた。
別に、銃を引かれた事に驚いたのではない。サンダウンに銃を向けられても、笑っていられる余裕
が、どういうわけだかマッドにはある。
マッドが喚いたのは、銃声の後、自分の背後で嘶いた馬の鳴き声の所為だ。
馬と言うのは意外と繊細な生き物で、ちょっとした音にも驚くことがある。銃声など、猶更だ。
サンダウンの放った銃声を聞いて、マッドの馬は後脚で立ち上がるや身を翻して、遠くへと駆け去
っていく。
「あーっ!てめぇは、また!」
サンダウンとマッドが繰り返す日常の一つ。
サンダウンは喚くマッドに背を向け、一人馬に乗って立ち去っていく。その後ろ姿を、マッドが地
団太踏んで悔しがる。
まるで、お笑いのような。
サンダウンとマッドの、馴染みの光景。
だが、それも実は、マッドが仕込んだ一つの罠であったのかもしれない。
その罠は、サンダウンに対してではなく。
「当時、ジェシー・ジェームズの強盗仲間に、ディック・ランデルという男がいた。」
男は、ウィリアムを前にゆっくりと語り続ける。
ディックは、グレンデル駅の強盗にも参加し、マーサの家にも屯しているジェシーの側近とも言え
る男だった。尤も、ジェシーは疑い深く、側近なんていう感覚が果たしてあったかどうかも疑問だが。
それに何より、ディックのほうも、ジェシーに忠誠を誓っているわけではなかった。
「何せ、ディックは、ジェシーご執心のマーサに、手を出していたんだからな。しかも、マーサのほ
うも満更じゃなかった。」
ジェシーは二人の関係に気づかず、ただひたすらにマーサに良いところを見せようと、強盗をして
は強盗で手に入れた宝石をマーサに与えていたのだ。そう見ると、なんとも滑稽で哀れな男である。
もしもジェシーがコール・ヤンガーほどの人望があったなら、ディックはマーサと懇ろな中にはな
らなかっただろうし、フランク程の知性があったなら二人の仲を見抜けただろう。
ジェシーの悪魔めいた運は、男女の情という神の第一命令の前には、ものの見事に無力だったのだ。
「まあ、これらがジェシーの首を絞める原因でもあったんだが、まずはディックのほうに話を戻そう。
ディックは強盗なんてしているが、実は馬の調教師としては一級だった。馬にかける愛情は、並々な
らぬものがあったんだ。」
当然、馬の売り買いにも多少は首を突っ込んでいた。
「マッドは、当時サンダウンの所為で、ちょくちょく馬に逃げられていてね。だから、馬を何度も買
う必要があったわけだ。」
馬なんてそうそう買えるものではなかったが、今を時めく賞金稼ぎが金に困る事はなかった。
そしてそんな折、マッドは多少の事でも動じない馬を求めて、腕のいい調教師を片っ端から当たっ
ていた。
その中に、ディック・ランデルもいた。
マッドの要望に、ディックはしばし呆気に取られたが、同時に調教師としての矜持も沸き上がって
きたのだろう。マッドの望みに応えるべく、馬を調教する事を約束した。
「だが、銃を耳元で鳴らしても逃げ出さない馬なんて、戦争にでも行くつもりか?」
強盗なんてことをしているディックこそ、そんな馬が必要だっただろうが、おくびにも出さず、マ
ッドに問うた。
マッドの顔は売れ始めていたから、ディックはマッドが賞金稼ぎである事を知っていただろう。だ
が、同時にマッドがサンダウンにご執心である事も知っていたので、こんな際どい事を聞いたのだ。
ディックの問いに、マッドは少し首を傾げ、
「狩りに行くのさ。」
魅力たっぷりの表情で、薄く、微笑んだ。