マッドによる妨害で、ジェシーが懐に入れる事が出来た金は減らされた。けれどもジェシーはマッ
ドが横やりを入れた事など、微塵も知らなかった。彼は再デビュー戦を華々しい成功で飾れたと、自
画自賛し、舞台となったグレンデル駅に、わざわざ新聞社宛の手紙を残していったのである。
「ほら見ろ!彼は帰ってきた!」
小躍りしたのは、かのレイモンドである。ジェームズ・ヤンガーを褒めちぎり、彼らに逆らった人
々を愚か者とこき下ろした、南部贔屓の新聞記者だ。
レイモンドは嬉々としてジェシーの手紙の全文を新聞記事に乗せ、西部の英雄が帰ってきたと煽り
立てた。
義賊ジェシー・ジェームズが、再び民衆の前に舞い降りたのだ、と。この腐敗した西部の政治に、
正義の鉄鎚を振り下ろそうとしているのだ、と。
ある事ない事――ない事のほうが多いだろう――を書き立てる。
しかし、それは別にレイモンドに限ったことではない。この時、新聞社はこぞってジェシーの事を
書いた。そうしたほうが売れるからだ。実に簡単な理由である。
ジェシー・ジェームズについて面白おかしく書き立ててれば、新聞は飛ぶように売れる。新聞社は
その時期そうやって甘い蜜を啜って生きていた。
けれども、新聞を買う側のほうが、ジェシー・ジェームズの再来を喜んで購入していたわけではな
い。
そもそもジェシーは義賊でも何でもなく、彼らの恩恵に肖った人間など、彼らの仲間内にしかいな
いのだから、一般市民にはジェシーの名は正義でもなんでもなかった。
むろん、新聞に書き並べられた、彼の善行を信じた人々もいて、彼をヒーロー扱いした人々もいた
だろうが、けれども大抵の人間が、ジェシー・ジェームズの事を犯罪者であると理解していた。だか
ら、確かに娯楽の要素はあったにせよ、一番の理由はその同行を知る為に――自分達がその被害を蒙
らない為に、新聞を購入していたのだ。
人は既に南北戦争を過去のものにしつつある。
南北戦争の原因となった奴隷制度を忌避する考えが根付き、南部軍を擁護する人は減っていた。人
々は緩やかに、罪を憎み正義を望む制度を望み始めていた。だから、如何に新聞社がジェシー・ジェ
ームズを祭り上げても、限度は見えていた。
そして、そんな人々の機微にいち早く察したのは、新聞記者レイモンドにしれみれば諸悪の根源で
ある政治家だった。新聞では悪役に仕立て上げられていた州知事達は、その職務を全うしようという
心意気に差はあれど、人々の中の戦争への疲れを見て取り、彼らが戦争の傷跡を早く癒し、そして二
度とそのような事態が起こらぬようにと願っていることを感知していた。
だが、この時はまだ、彼らに懸けられた賞金は大したものではなかった。
いや、正確に言うならば、
「俺が動くには、まだまだ弱い。」
マッド・ドッグは、そう言った。
グレンデル駅の強盗の時、ジェシーとその仲間五人には、それぞれ千ドルの賞金が鉄道会社によっ
て懸けられた。
生死問わず。
そのようにして、張り出された。
千ドルは大金だ。しかしそれでも、
「俺が今の仕事を放り出して追いかけるには、足りねぇな。」
笑みを薄く刷いて、マッドは言う。
サルーンの一画で、ジェシー・ジェームズを撃ち取る話を持ちかけてきた賞金稼ぎ仲間に、マッド
はそう言った。当時、マッドは賞金稼ぎになって日は浅く、しかしその当時既に賞金稼ぎの王への一
手をかけていた。
しかし、まだ若い賞金稼ぎの言葉に眉を顰める古参も多い。
「そうは言うが、お前がどれだけのもんだ?千ドルじゃ動けねぇだなんて、大それた事言うもんじゃ
ねぇ。」
酸っぱくなるような古参の言葉に、マッドは怒るでも反省するでもなく、ただ、笑う。
「ああ、そうだな。もしもそいつが、すぐにでも捕まえられる位置にいるっていうんなら、俺も奴を
今撃ち取ることは賛成した。けど、そんな短期間で奴は捕まえられるもんか?」
これまで、ぎりぎりのところで司法の手を逃れてきたジェシー・ジェームズが、今、捕えられるも
のだろうか。時間をかければ、できるかもしれない。だが、それだけの価値が千ドルしかないという
のなら、
「俺は、やらねぇな。」
長期間追いかけても、それに見合う見返りが少ない。それにジェシー・ジェームズを捕えようとい
う輩は多いだろう。何せ、生死問わずの賞金首とした所為で、今日も今日とて、我こそがジェシー・
ジェームズを撃ち殺したと名乗り出る輩の多いこと多いこと。警察も、その内容をいちいち確認する
のに時間を取られるほどだった。
つまり、それだけジェシー・ジェームズの首を狙っている人間は多い。ましてジェシー・ジェーム
ズは悪運はあるが、それ以外は銃の腕もギャンブルの腕も大したことはない。少し腕に覚えのある賞
金稼ぎなら、自分でも捕まえられるかもしれないと勘違いするだろう。
そう簡単にジェシー・ジェームズが掴まるとは思わなかったが、けれどもそれを狙っている輩が多
く、金額の割に競争率が高い事が、マッドにはあまり旨味のある話には見えなかった。
「それに、俺にはもう、狙ってる獲物がいるんでね。長い間添い遂げるなら、こいつっていうのがな。」
賞金稼ぎ達は皆、こぞってジェシー・ジェームズの手配書を握り締めている。
けれども、マッドの前にあるのはジェシー・ジェームズの手配書などではない。そこに書かれた金
額は五千ドル。
「マッド。そんなのは長期間追いかけても、ものになる可能性は低い。」
「だが、他人のものになる可能性も低い。誰かのものになる獲物なんざ、好き好んで長々と追いかけ
たくはねぇな。」
そう嘯くと、マッドはひらりと立ち上がった。繊細な仕草で、眼の前に置いていた賞金首の手配書
を取り上げ、そっと懐にしまう。
「お前らの握り締めてる恋人が、五千ドルを超えたなら、考えてやってもいいぜ。」
踵を返した直後、肩越しに言い置いて、マッドはジャケットの裾を翻して、サルーンの煙たい空気
を掻き混ぜた。マッドが立ち去った後も、彼の好む葉巻の、独特の香りはその場を支配していた。
こうして、再デビューを果たしたジェシーは、いずれ西部を席巻する賞金稼ぎに、再デビューして
すぐに狙われ、撃ち落されるという事態を回避した。
アウトローの世界に戻って、早々に狂犬に食いつかれるという悲劇から逃れたのだ。それは限りな
い幸運であり、ジェシー・ジェームズという男の悪運を物語っている。
もしもあの時、マッドがジェシー・ジェームズを撃ち落す事を選んでいたなら、ジェシーは半年く
らいしてから逮捕され、ヤンガー兄弟と同じ結末を辿ったかもしれない。そうなっていればジェシー
の起こすこれからの犯行は当然減っていただろうが、一方でジェシーをヒーローとする人々は、もう
少し大勢残っていたかもしれない。
だが、マッドはジェシーを追わなかった。代わりに、五千ドルという法外な金額を懸けられた、し
かし犯した罪の名前も分からぬ賞金首を追う事を決めた。
ジェシーはその後仲間を増やし、農場を経営していた兄のフランクも呼び寄せ、強盗を繰り返し行
う事となる。手当たり次第に金を掻き集め、西部を蹂躙する。
けれども。
この時、マッドがジェシーに興味を示さなかったのは、ジェシーの幸運だ。
だが、マッドは確かに『この時は』ジェシーに興味を示さなかっただけで、それより以前――うら
ぶれた酒場での邂逅時に、ジェシーに確かに興味を示している。
何よりも。
「よう。元気そうだな。」
表通りに出たマッドは、一人の女を見つけて気さくに声を掛けた。女のほうも、マッドを見ると笑
顔を弾けさせた。
丸みを帯びた頬は赤く艶があり、笑うと笑窪が出来る。
「旦那が死んだって聞いたけど、随分と楽しそうじゃねぇか。」
「あら。人を不義理みたいに言うのね。大体悲しんでたって、あの人は戻ってこないじゃない。」
「そりゃそうだ。」
まるで子供のように笑うが、実は既に一度結婚しており、つい先日良人と死に別れたばかりの女は、
未亡人の影など微塵も負っていない。
元来が人好きする性格で、陽気でチャーミングな彼女は、大勢の男から言い寄られているという。
その事を隠しもしないというのは、淑女から見れば眉を顰めるところなのだろうが、生憎とここは西
部だ。死んだ夫に操を立てたところで生活できるわけでもない。むしろ、彼女のようにすっぱりと割
り切って、男達に料理を振る舞って明るく生きる方が吉である。
「で、今日は買い出しか?」
「まあね。最近良く食べる男共が来るのよ。」
「そりゃあおめでたい事で。」
「あんたも来る?あんたがいれば、目の保養になるってもんよ。」
なんてったって皆割と泥臭いから。
彼女が働く食堂で、偶々食事を取った時、彼女のほうからマッドに声を掛けてきた。その理由も、
マッドが西部に生きるには随分と綺麗な身なりをしており、目の保養になったから、だった。そして、
眼の保養をしてくれたお礼に、食事は奢ってあげる、とも言った。
その時から、マッドは彼女と、ちょこちょこと話すようになった。
「中には、小奇麗なのもいるけどね。弟達と仲良くなったって言って連れてきた男は、随分と身形が
良かったけど。そういや、あんたと一緒で南部訛りがあったわ。」
「南部訛りがあったら小奇麗ってわけじゃねぇぞ。」
マッドは呆れたように言う。
南部出身者は貴族者が多いが、だからといって小奇麗でいられるわけではない。
「そうね。でも南部の人間のほうが、小奇麗にしようと努力はするわ。もちろん、そいつは真っ当な
仕事はしてないんだろうけどね。あんたみたいに。もしかしたら、同業者かもよ。知り合いじゃない?」
「お前の家にまで行く同業者は知らねぇな、マーサ。」
マーサ、と呼ばれた女は、相変わらずころころと笑っている。
「じゃあ、あんたの逆かもね。金に困ったら、あたしの家を襲撃したら?もしかしたら、はした金に
なるくらいの奴は、いるかも。」
「その可能性のほうが、高いな。」
彼女は社交的で、けれども淑女ではないが故に、その家で飯を食う男は、堅気ではない場合が多い。
今のところは、マッドが手を出すほどの大物はいないが、しかしマッドは小物だらけの場所に大物が
ふと現れる事を知っている。
狂犬は、だから、マーサにちょこちょこと声を掛ける。
「じゃあね。あたし、そろそろ行くわ。また店に来てよ。家でも良いわよ。」
「ああ、そのうちな。」
確かに、そのうち、マッドは彼女の家に足蹴く通わなくてはならなくなる。
マーサは、通りを抜けて、路地裏にある自分の家に帰る。そこでは、彼女の兄弟達と、兄弟の悪友
達が屯している。
「ただいま。」
扉を開けて、マーサは、あら、という顔をした。
「来てたのね、ハワード。」
扉を開けた先にいたのは、兄弟と、その友人の一人。マッドにたった今話したばかりの、南部訛り
の小奇麗な男。
そして、ハワードと呼ばれた男の顔は、ジェシー・ジェームズその人のものだった。
マーサ・ボルトン。
それが彼女の名前であり、そして彼女は、ジェシーの仲間であり、未来にジェシーの死の原因とな
るフォード兄弟の姉でもあった。
彼女に、マッドが既に接触していたことが、ジェシーの悪運の瑕疵だった。
或いは、マッドのほうが悪運が強かったのか。