「マッド・ドッグ………。」
ウィリアムはその名を呟く。アメリカ西部において、その名を知らぬ者は生まれたての赤子くらい
なものだろう。
1880年代を代表する賞金稼ぎといえば、彼をおいて他にはいない。
泥に塗れた狂犬、首を引き千切る牙、狂気を冠する銃。
「或いは、嘆きの砦。」
男はゆっくりと、マッド・ドッグという賞金稼ぎを表す言葉を紡ぐ。それらの言葉は全てが的確に
マッドの事を示し、しかし全ては表してはいない。
だが、それは大した問題ではない。
「肝心なのは、マッド・ドッグがジェシー・ジェームズを知っていた、ということだ。マッド・ドッ
グはジェシー・ジェームズを、その時既に己の獲物と定めた。」
「いや、待ってください。」
ウィリアムは汗を拭きながら、男の言葉を遮った。
「マッド・ドッグの事は、私も知っていますよ、ええ。何せ西部一の賞金稼ぎと言っても過言ではな
い賞金稼ぎだ。しかし、マッド・ドッグの獲物は、サンダウン・キッドだったのでは?」
それは誰もが知る、もはや西部では伝説の域になりつつある事実。賞金稼ぎマッド・ドッグが賞金
首サンダウン・キッドを追い、その首を貰い受けようとしていた事は、賞金首や賞金稼ぎでなくとも
知っている。
「それに、サンダウン・キッドは、貴方の話では保安官だ。マッド・ドッグはその事を……?」
ウィリアムの言葉に、さあ、と男は首を傾げる。ただし、その口は、にやりと吊り上がっていた。
「まあ、そう慌てなくても良い。サンダウン・キッドとマッド・ドッグ。この二人はこの物語には、
どうしたって必要不可欠なんだ。そして、マッド・ドッグがサンダウン・キッドについて何処まで知
っていたかはおいておいて、少なくともマッド・ドッグは、ジェシー・ジェームズが極悪人である事
を知っていた。」
そして、ジェシー・ジェームズが、この数か月後、とんでもない事件を起こすだろう事も、嗅ぎ取
っていた。
1879年。
サンダウン・キッドに懸けられた賞金が五千ドルまで値上がりし、マッドが賞金稼ぎとして頭角を
現した、正にその頃。
インデペンデンス近くのグレンデルの駅で、ジェシー・ジェームズ主体の列車強盗が行われた。
グレンデルに停車中の列車にジェシー達は襲い掛かり、大型ハンマーで現金輸送車の扉をぶち破り、
六千ドルもの大金を奪い去ったのだ。
「そう。サンダウン・キッドに懸けられた賞金を上回る。」
男は、にやりとした笑みを消さぬままに、
「マッド・ドッグは笑いながら、そう言っていた。」
とどのつまり、マッド・ドッグの金銭感覚は、サンダウン・キッドの賞金額が基準なのだ、と。
「ところで、ジェシーが初めて自分で作戦を立てて、列車強盗を行った時、マッド・ドッグは何をし
ていたと思う?」
ジェシー・ジェームズは今まで、一人で作戦を立てた事などなかった。ジェームズ・ヤンガー・ギ
ャング時代、作戦を立てるのは兄のフランクと、コール・ヤンガーの役目であって、ジェシーは精々
兄とコールの作戦に従って現場に突撃するくらいしかした事がなかった。
しかし、グランデル列車強盗の時、ジェシーは初めて一人で仲間を集め、作戦を立て、それを実行
したのだ。
その初陣が六千ドルという結果を生み出したのなら、それはまずまずの結果だろう。
だが、一方でその六千ドルという結果は、決して最高の結果ではなかったのだ。
「きっと、フランクやコールが作戦を立てていたなら、もっとうまく出来ただろう。何せ、ジェシー
は、確かに悪運はあったが、計画を立てる才能も、人望もなかったのだから。」
穴だらけの作戦は隙を生み、かつて仲間を見捨てたという所業は集める仲間の質を落とす。
マッド・ドッグはそれに気が付いていたのだろうか。いや、勿論気が付いていた。だからジェシー
の作戦を、ジェシーの仲間の一人が漏らすのを聞きつけたのだ。
酒場の一画で、誰かが、列車強盗について語るのを、マッドはしっかりと聞き取っていた。そして、
その時にジェシー・ジェームズの事が語られるのも。
ジェシー・ジェームズの列車強盗を、新聞社はこぞって英雄の復活と称した。義賊が帰ってきたの
のだ、と。そして体制に六千ドルの支払いを要求し、それを完遂した、と。
けれども。
「おもしろい話があるんだがね、保安官さんよ。」
マッドは、インデペンデンスの保安官に、獲物引き渡しついでに囁いていた。ようやく顔馴染みに
なったばかりの若い賞金稼ぎに、保安官は怪訝な顔を向ける。
その顔に、薄く笑いかけながら、マッドは問うた。
「ジェシー・ジェームズって、知ってるか?」
知っているも何も、と保安官は答える。
「何年か前まで、あちこちを騒がした強盗だな。そいつの仲間の何人かは捕まったりしたらしいが。」
そいつ自身は逃げ切った。
その答えに、マッドはますます笑みを深くした。
「そう、その男さ。で、ここからが本題なんだが。その男が、また何かをやらかそうとしているって
言ったら、あんたはどうする?」
若い賞金稼ぎの言葉に、保安官は、おい、と顔を顰めた。
「あんまりからかうもんじゃない。」
「からかってなんかいねぇさ。」
相手にしようとしない保安官に、マッドは殊更ゆっくりとした手つきで葉巻に火を点け、煙を保安
官の顔に吹き付ける。
「何年か前まで強盗していた奴が、また出戻ってきてもおかしな事はねぇだろう?それとも、何年か
何もしてねぇから、悔い改めて一生何もしないとでも?いやいや、そんな奴のほうがこの世には少な
いだろう。」
大体、とマッドは囁く。
「犯罪ってのは、癖になるもんだぜ。」
若い賞金稼ぎの、けれども何もかもを悟ったような声音に、保安官はちらりと視線を向けて、
「賞金稼ぎもな。」
と付け足した。
血みどろの生活と言うのは、一般人には忌避すべきものだ。一方でそこから逃れられなくなる者も
いる。
ジェシーもマッドも、そういう意味では同じ種類の人間だった。
「それで、ジェシー・ジェームズが何かやらかそうっていう話は?」
保安官が食いついたのを見て、マッドは、ああ、と頷く。
「この近くのグレンデル駅で、列車強盗を考えてやがるのさ、あいつは。といっても、俺が知ってる
くらいだ。今のあいつの仲間は、昔ほどの連中じゃないって事さ。だから、ちょっとした小細工で、
被害を減らす事が出来る。」
「止めるのではなく?」
被害を減らす、とマッドが言ったことに、保安官は首を傾げた。マッドの笑みが、苦笑に変わる。
「情報が確実じゃないからな。連中の話を少し聞いただけだ。また、計画が変わってるかもしれねぇ。
だが、それを確認し直すほど、時間があるわけでもない。それに、今のあいつらには賞金が懸ってな
いからな。俺の出る幕じゃあねぇよ。」
「ふん。つまり今回の事で多少の被害を出してでも奴らを炙り出し、それで賞金が乗っかれば、お前
も本格的に動くというわけか。」
賞金稼ぎらしい考えだ。
保安官の言葉に、マッドの笑みは、今度は酷薄なものに変わる。
「ああ。賞金稼ぎってのは、そういう制約に縛られてるんでね。」
俺が本気を出せるよう、賞金を奴らに早いとこ懸けてくれ。
嘯いたマッドは、ひらりとジャケットの裾を翻し、保安官に背を向けた。緩やかに遠ざかる足音。
そして。
マッドの忠告を受けた列車は、現金を二つに分けて運ぶ事にした。
まずは、先に六千ドルを乗せた列車を動かし。その列車の後に、三万八千ドル相当の金銀を乗せた
列車を走らせた。
先鋒の六千ドルを運んだ列車を襲ったジェシーは、その後に自分達が襲った列車の、実に六倍以上
の金銀を乗せた列車が運行される事を、微塵も知らなかったのである。