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ノースフィールド銀行の襲撃から三年たった。
ジェームズ・ヤンガー。ギャングは壊滅し、逃げおおせたジェームズ兄弟はその成りをぴたりと潜
めていた。
実を言えば、その間、兄のフランクは完全に足を洗うつもりでいた。
一方のジェームズはといえば、とにかくギャンブルにのめり込み、ギャンブラー達に餌にされてい
た。つまり、まともな仕事に付く事が出来なかったのだ。
そもそも、彼らの名前は彼らのこれまでの功罪によって広く知れ渡っている。そこに新聞社の思惑
も入り込んで、むやみやたらと持ち上げられてもいる。一方で、やはり彼らをただのならず者と見做
す者も多い。
結果、まともな人生を歩む為には、名前も素性も隠し通して、ひっそりと生き抜くだけの知恵がな
くてはならないのだ。
フランクにはそれがあった。彼は元々、働く事を嫌う性質ではなかったのだろう。テネシー州で農
夫として朝から晩まで働き、しかしそれも嫌々ではなく――最初は嫌々だったのかしれないが――そ
れなりに楽しんで働いていた。
だが、弟ジェシーは、そのような真似はできなかった。
強盗として銃弾を掻い潜る生き方に慣れ切ってしまっていたのか、新聞社に英雄として賛辞を贈ら
れる事が快感になっていったのか、何よりも自らあくせく働く事が嫌いだったのか、まともに働く事
が出来なかった。
だから、妻と子供を作ったにも関わらず、場末の酒場に入り浸ることしかできなかった。
ジェシーの妻と子供は、ジェシーにとって都合の良い人間だった。ジェシーの言う事は微塵も疑わ
ず、ジェシーが何者であるかも――彼が人殺しである事など――全く知らない人々だった。
だから、ジェシーが昼間から酒を浴びるように飲んで、ギャンブルに嵌り、そして女を作っても、
何一つ言わなかった。
いや、それらに気づきもしなかったのかもしれない。或いは、気づこうとしなかったか。
いずれにせよ、ジェシーは家族には自分の正体を明かさず、それどころか名前も偽名で通していた。
彼が、ひたすらに金を消費し続ける、酒場でも。
「っと……おっさん、もう金がねぇんじゃねぇのか?」
薄暗く、紫煙が燻ぶるように立ち込めるサルーンの一画で、ジェシーは自分よりも若いであろう男
に手持ちの金の少なさを指摘されていた。
テーブルの上にばら撒かれているのは、カードとチップだが、チップのほとんどが若者の前に積み
上げられている。
ジェシーは咥えていた葉巻を噛み締め、僅かに手の中にある紙幣を握り締める。
ジェシーは当てが外れていた。小奇麗な、どう見ても西部での生き方に慣れていなさそうなこの若
者なら、自分でもカモに出来ると思っていた。だが、それは大きな間違いだったのだ。
端正で汚れ一つない若者の顔は、荒んだアルコールと葉巻の匂いも涼しげにいなし、さくさくとカ
ードを切ってはチップを積み上げていく。
繊細な手がつまらなさそうにコインを弄っているのを見て、ますますジェシーは葉巻を噛み締めた。
「おい、おっさん。葉巻をそんなに噛むんじゃねぇよ。いい歳した大人なら、葉巻の吸い方くらい知
ってるもんだろう?」
そういう若者も、口には葉巻を咥えている。甘く強い、独特の香りのする葉巻だ。匂いを嗅いだだ
けで、それが場末で出回るような安っぽい代物ではない事が分かる。
加えて、身だしなみも、言葉遣いは悪いが洗練された英語も、若者が上流階級に属している――ま
たはいた――事が窺い知れる。
若者の言葉に、更に深く葉巻を噛み締めるジェシーに、若者はひやりとした視線を向けた。
「まさかとは思うが、あんた、この俺様を見縊ってたんじゃねぇのか。」
微かに残る南部訛り。それが紡ぐ言葉は、ひたすらに人の上に立つ事に慣れている。
「この俺様が、いとも簡単にカモに出来るとでも?」
ぞっとするような黒い眼差しで、ジェシーを見つめる若者に、ジェシーは歯を食いしばって耐えた。
若者の言葉は、その通りだった。こんな若造、すぐにでも手玉に取れる、と、そう思っていたのだ。
若者の坑道の節々から、それは南部で生きた貴族のものであると知れた。もしも此処に、今は囚わ
れ無期懲役の刑に課せられているコール・ヤンガーがいたなら、同胞であるとして手を出さなかった
だろう。
しかし、ジェシーはコールのような義侠心は持ち合わせていない。ジェシーもまた、南部出身者だ
が、彼には同朋意識というものは、薄い。もしもそれが己の踏み台になるものならば、同郷のもので
あろうとも、踏み躙っただろう。
だから、彼ら兄弟は仲間を見捨てて、こうして生き残っているのだ。
そして、フランクもだが、ジェシーもまた気は短い。また疑心暗鬼になりやすく、自分の思い通り
に事が進まないとすぐに苛立つような性格でもあった。それが、後々彼の命を奪う事になるのだが、
それよりも早く、今この場で、ジェシーはその性質を吹き上げていた。
「この………っ!」
有り金を若造に奪われて、平然としていられるだけの度量はジェシー・ジェームズにはない。また、
疑り深い性質でもあったから、眼の前の若者がイカサマをしているのではないかと考えたのだ。
「お前、どうせ、イカサマでも……!」
しかし、証拠もないのにイカサマをしたと言い放つのは、下手をしなくても相手を侮辱した事にな
る。そこから決闘に雪崩れ込んでもおかしくない。
「おい、俺の店で揉め事はごめんだ。」
だから、それが起こる前に、サルーンの店主が割り込んで止めるのが、常だ。そしてこうしたサル
ーンの店主は、かつてならず者や、あるいはそれと紙一重の所まで転がり落ちた者である事が、まま
ある。
いざこざが起こりやすい酒の店では、それは当然の事でもある。
今も、イカサマだと若者に食って掛かろうとしたジェシーを、太い腕をしたマスターが止めに入っ
た。
「どけ!お前は関係ないだろう!」
南部に産まれた者は政府を憎み、そして同時に他者を見下す事が良くある。ジェシーも、そういっ
た人種の一人だった。場末の酒場に入り浸りながらも、内心ではそこに入り浸る連中を見下している。
だから、マスターに止められてなお、反抗しようとした。
が、腕っぷしならばマスターのほうが上だ。
太いマスターの腕がジェシーを羽交い絞めにし、ずりずりと引き摺って、店の表に放り出す。
舗装も碌にされていない裏路地は、砂と埃に塗れている。その上に放り出されたジェシーは、全身
を砂だらけにしてもんどりうった。
「てめぇ!」
咄嗟に銃を抜こうとしたジェシーを、マスターは重苦しい脚で踏みつける。そして、小さく溜め息
と呆れを吐き出した。
「お前は、命の恩人にそいう態度をするのか。」
砂と脚の間で蠢くジェシーをマスターは見下ろす。
「イカサマしたと、あの若造に言おうとしたな。だが、そんな証拠もないのにそんな事言ってみろ。
あの小僧の機嫌を損ねて、お前はあの場で、殺されてたぞ。」
「この俺が、殺されるだと?」
この俺を、誰だと思っていやがる。
ジェシーは、自分が素性を偽るべき存在である事を忘れて、思わず口走っていた。ただ、幸いにし
て、それを声に出す前に、マスターが割って入る。
「お前はあの小僧を、身形の良いどっかのぼんぼんだと思っているようだがな。」
普通に考え見ろ。そんなぼんぼんが、場末の酒場に来るわけがない。
お前には、見えなかったのか。
「あの小僧の腰に、大層なブツがぶら下がっていた事に。」
黒光りする、厳めしい形。
通常のピースメーカーよりも細長い銃身と、銀ではなく黒の機体。
「何より、あいつはお前と賭けを始める前、手配書を捲ってやがった。名前はまだ売れてない、駆け
出しだろうが。」
あれは、賞金稼ぎだ。
「しかも、お前と賭けをしているのを見て、あれは大した運の持ち主だ。変に絡めば、お前のほうが
殺されているだろうよ。それが分かったら、さっさと行け。」
賞金稼ぎ、という言葉で、ジェシーは顔を強張らせた。隠しているとはいえ、ジェシーは犯罪者だ。
賞金稼ぎが証拠を握っていなくとも、身構えるには十分だ。しかしそれを、誰かに気取られるわけに
はいかない。
ジェシーは立ち上がり、不貞腐れたような顔を作り、
「分かったよ。二度とあのガキを俺に近づけるなよ。」
そういって、至っていつも通りに、背を向けた。決して己がジェシー・ジェームズである事を気取
られぬように。
「マスター、あのおっさんは?」
店に戻ってきたマスターに、若者が葉巻を燻らせながら問う。テーブルの上にはチップを積み上げ
たままだ。チップを掻き集めるようながめつい素振りも見せない若者が、単に怖いもの知らずの愚か
者なだけなのか、本当に何も恐れる者がないのか、まだ分からない。
「ああ、帰った。お前も、これ以上騒ぎを起こすんなら、出てってもらうぜ。」
「おいおい、俺は何もしてねぇよ。」
くすくすと、楽しそうに若者が笑う。屈託のない端正な笑みは、酒と紫煙の匂いの染みついた酒場
には場違いだ。
「あのおっさんは、この店の常連なのか?だとしたら良いカモが住み着いてるな。」
「ああ、ここ半年くらい、ずっとこの店にいる。前は別の店も言ってたみたいだが。」
「……普通の店じゃあ取り返せないくらい、負けが込んでるのかもなあ。」
場末の酒場は、賭けの相場も桁違いになる事が多い。しっかりとした胴元がいない事があるからだ。
「あのおっさん。そのうち、とんでもない事を仕出かすかもしれないぜ。」
「ハワードの奴にそんな大それた事はできねぇさ。」
マスターの言葉に、若者がきょとんとする。
「………ハワード?」
「ああ。あの男の名前だ。」
く、と若者が息を詰めるような声を上げた、くく、とそれは絞り出され、やがて次第にそれは大き
くなり、とうとう、哄笑にまで膨れ上がった。
「ああ、なるほど。そういう事か!」
けたけたと若者は笑いながら、椅子を引いて優雅に立ち上がる。テーブルの上のチップには、全く
手を付けない。
「今は、そう、名乗ってるのか。」
頭に乗せた帽子に手をやり、顔を隠しながら笑う。その顔には、壮絶な、猟犬が獲物に食らいつく
寸前のような笑みが貼り付いていた。
「マスター、俺は駆けるぜ。あの男は、絶対に大それた事を仕出かす。近いうちにな。」
そしてその男の首に賞金が懸った時。
「奴の心臓を撃ち抜くのは、この、マッド・ドッグ様だ。」