その夜、ウィリアム・フレディック・コディは急ぎ足で舞台裏にある部屋に戻ってきた。
西部開拓時代も末になりつつあるこの時代、しかし世界には未だ乾き切った砂と、男達が投げ合う
銃弾がまだまだ転がっている。南北戦争が終わっても、金色の夢に魅せられてフロンティアを目指す
者は少なくなく、その中には行く宛のない犯罪者や、斜陽した南部貴族も含まれている。
インディアンや黒人だけではなく、そうした人々も孕んだアメリカ西部は、正に広義の意味での人
種の坩堝であり、その坩堝から生み出されるのは温もりなんていう甘ったるいものばかりではない。
激しい血みどろの火花が飛び散る事など、日常茶飯事だ。
ならず者と保安官、賞金稼ぎと娼婦。
これらが作り上げる西部の舞台。
ウィリアムはかつて自分も、腕利きのガンマンであったが故にか、つい最近、西部を舞台にして繰
り広げられる、こうした事件を取り扱ったショーを実演していた。
拳銃捌きに留まらず、駅馬車強盗やならず者と保安官の決闘。これらの舞台には、役者ではなく、
実際のガンマンや無法者が参加することも多かった。
インディアンのシッティング・ブルや女ガンマンのアニー・オークレイ。
彼らには気紛れの出演かも知れないが、興行的にはかなりの好評だった。
しかし、こういった実際のガンマンを取り扱うというだけでは、遠からずその内、飽きが来ること
も眼に見えていた。
そこで、新しい話のネタ探しもさることながら、新しい役者を探すのも、興行主であるウィリアム
の役目であった。
そして、今宵、その新しいネタを持ってくる、そしてもしかしたら新しい役者になるかもしれない
男が、ウィリアムを訪ねてやって来るのだ。
いや、正確に言えば、ウィリアムが懇願に懇願を重ねて、此処に来るように頼んだ、というのが正
しい。
ならば本来はウィリアムがそちらに赴くのが礼儀なのだが、如何せん相手は根なし草。一体何処に
いるのかは風の噂でしか分からず、そもそも何処が根城であるかと聞けば、荒野全てと返事が返って
くる。そんな男だ。
今回、こうして話を着ける事が出来たのも、奇跡に近い。かつて南北戦争で北部軍として戦った時
に作った、ありとあらゆるコネを使い、どうにかして話の場を設ける事が出来たのだ。
根なし草である彼の、今宵の仮初の宿を問うた時、ならばこちらがそちらに赴くと告げたのは、彼
のほうだった。塒をわざわざ教える馬鹿などいない、と冷ややかさ溢れる声のおまけ付きで。
ウィリアムも戦争という河を渡ってきた男だ。何が危険で何が危険でないかは承知しているつもり
だった。しかし、男の返事を聞いた時、荒野で今も生き続ける者と己との間には、確かに生存本能の
規格が違うのだと理解した。
なので、ウィリアムはそれ以上は男には何も言わず、ただ己の興行場所を告げて、その舞台裏に場
を設けることだけを伝えた。舞台裏と言っても掘立小屋のようなものではない。ウィリアムはそこそ
こ儲けている。客人を迎える部屋を豪勢に設える事など、造作でもない。
けれども男のほうはそれについては特に興味がないのか、ただ、酒は準備しておけ、とだけ言った。
「お待たせしました。」
ウィリアムは客人の待つ部屋を二つ叩き、微かな返事を聞いた後、扉を開く。何も此処まで丁重に、
と思わなくもないが、何せ相手は荒野を転がるタンプル・ウィードよりも気紛れだ。いつ機嫌を損ね
て立ち去ってしまうか分からない。いや、それどころかこちらに銃を突き付けるかもしれないのだ。
生憎と、ウィリアムよりも男のほうが、遥かに腕が立つ。例え銃声を聞いて人が駆けつけたところ
で、男はまんまと逃げおおせるだろう。そしてウィリアム一人を殺したところで、男にはなんら痛痒
にならないのだ。
部屋の中にいた男は、ウィリアムに背を向けていた。背を向けて、部屋の内装を見回していた。ウ
ィリアムの事など、何一つとして脅威と思っていないという表れだ。
ウィリアムが部屋に入って、部屋の中央にある磨かれたテーブルに近づいたところで、ようやく男
は振り返る。手には葉巻を持ち、ウィリアムを見つめる眼差しは、ひたすらに無表情だった。ウィリ
アムを品定めしているという態さえない。
そして、ウィリアムの言葉を聞かぬうちに、どっかとビロードで覆われたソファの上に腰を下ろし
た。
「話が聞きたい、との事だが?」
口火でさえ、男が切った。無駄な時間を取らせまいというのか、此方の要件を一つの挨拶も挟まず
に聞いてくる。
ええ、とウィリアムは慌てて頷く。どうにもやりにくい。ウィリアムとて銃の腕には覚えがあるし、
幾多の戦線を乗り越えてきた。しかしそれらはすべて過去の話だ。確かに今でも一般市民よりは非常
時強いが、今もなお、荒野の先端で生きる者には敵わない。まして、男はその名を良くも悪くも西部
中に知らしめている。
「何せ貴方は、この西部でその名を馳せた――いや、今もその名を馳せている。ならばその身に覚え
ている荒野のありとあらゆる事象を知っているのではないか、と思いましてね。」
「それは、お前が興行主を勤めている、この劇団の為に、か?」
声は低く、何の感情も籠っていなかった。
ウィリアムは出来る事なら、いつものような西部の男特有の、荒々しい武骨な口調に戻りたかった。
しかし、男が何を考えているのかも察せぬ今、それをして男の琴線を踏みつける事が恐ろしかった。
だから、出来る限り下手に出るしかない。一時は国家軍備隊の大佐まで上り詰め、公人ともなった。
だが、如何なる力も、実は圧倒的な暴力の前には無力である事は、重々承知している。
眼の前の男は、紛れもなく圧倒的な暴力だった。
「こちらの知っている荒野の事象――つまりは銃の撃ち合いについて、お前の書く小話の糧にしたい、
と。そういう事だろう。」
冷えた声と共に、甘ったるい葉巻の匂いが吐き出される。ウィリアムが下手に出れば出るほど、話
の主導権は向こうに移るのだが、男の持つ暴力の香りには誰も敵わない。ウィリアムは垂れそうにな
る頭を、なんとかして上げて、懇願の言葉を無理やりに吐き出す。
「貴方の武勇伝を皆が知り、歴史に残る。誰かがその役をするのが不快だ、と思うのならば、貴方が
貴方の役をしてもいい。」
くだらないな。
ウィリアムの言葉は、一蹴された。
「武勇伝なんてものはこの荒野には存在し得ないし、それが後世に残るほどの不名誉はない。劇とし
て演じる?既に自分が行った事を、見ず知らずの人間の前でもう一度演じろ?そんな事は不可能だ。
その時に起きた事象は、その時その場にいた人間でなくては全ての機微は理解できないし、無関係の
人間が演じた瞬間に陳腐と化す。」
役者が演じているのかと思えるような台詞を吐き、それを聞いたウィリアムは、これは駄目か、と
諦めた。この男には己の人生の一部でさえ語るつもりはなく、それを劇とする事は不可能だ、と。
ならば、こちらが下手に出てやる必要はない。機嫌を損ねるギリギリの捨て台詞を吐き捨ててやろ
とした。
そんなウィリアムの顔に、またも男が先手で、だが、と続ける。
「そうだな。………一つだけ、話をしてやろう。」
「え?」
捨て台詞を喚き散らすそのままの口で、ウィリアムは間の抜けた声を出してしまった。男はウィリ
アムの声などどうでも良いのか、話だ、と繰り返す。
「誰も知らない話だ。いや、誰もが知っている。けれども誰一人として知らない話だ。皆が知るのは
無関係の人間が演じてきた劇だ。これから語るのは、影法師となった者達が踊り切った世界の話だ。」
簡単に言えばある有名な事件の裏側だ、と男は言った。
「それを聞いたところで、お前がそれを劇に書き起こせるかは、知らん。おそらく無理だろうが、そ
れでも聞きたければ、聞け。」
かの有名な、強盗団達の末路とそれに関わった者達の話を。
ジェームズ・ヤンガー・ギャングに鉄鎚を下した話を。