マッドは、険しい山々が見えるコテージの中で、まったりと腰を下ろしていた。
  西部も、此処まで来てしまえば、不毛とも言える荒野の砂地からは遠く離れていく。むろん、こ
 の辺りも少しばかり南下すれば、砂漠地帯が広がっているのだが、しかし羊やら牛やらが群れを為
 している山の斜面は緑に溢れており、乾いた砂と風は何処にもない。肌を撫でる風は緑色で、仄か
 な甘味を孕んだ水分を含んでいる。
  風にそよぐ、青々とした牧草地帯を眺めながら、運の良い保安官達は此処に辿り着けたのだろう
 な、と思う。 
  実を言えば、保安官達が完全に任期を全うする事は少ない。
  保安官は任期が伸びれば伸びるだけ給料も上がり、それを嫌がる有力者が辞めさせるか、その前
 に保安官が辞めてしまうからだ。或いは任期を全うする前に、何処かで斃れるか。
  斃れなかった保安官達のうち、何人かは保安官時代に貯めた小銭で、この緑溢れる地に赴いて農
 場やら牧場やらを経営する。
  だが、それはごく一握りの保安官だけだ。
  この地を夢見る人間は数多くいるが、その中で黄金を得る人間がごく一部であるのと同様に、安
 寧の時を迎えられる保安官もごく僅かなのだ。




  ゴールデンステート





     黄金の地に住むアマゾネスの女王カリフィアの名を戴いた州は、正に十年ほど前までは黄金郷と
 考えられていた。
  シエラネバダ山脈の山麓から金鉱脈が発見され、その事件は瞬く間にアメリカ全土に広がり、こ
 の地の人口は一気に膨れ上がった。
  そしてゴールド・ラッシュの波が過ぎ去った今、それでもこの地は鉱業や農業を営んで、緩やか
 に成長し続けている。
  尤も、富を得るのはごく一部だ。そして企業が発達した事により、あちこちで労働に対する一揆
 が発生している。特に低賃金で働くアジア移民への風当たりは強く、彼らに仕事を奪われたと憤る
 人々が反アジアを掲げる事も少なくない。そしてそれが、時に無数の夥しい血を流す事もある。
  この時代、インディアンと黒人とアジア人と白人とが複雑に絡み合って生きるこの時代、故に凄
 まじい迫害が生み出され、けれどもそれに対して秩序を齎すのが保安官の仕事であった。
  保安官がそうした迫害に対して上手く対処できる場合もあれば、むろん、対処できなかった場合
 もあるのだが。

 「だから、逃げ出したって?」

  コテージの椅子に座りながら、マッドは背後に佇む男に問いかけた。
  男からの問いかけはない。
  だが、マッドは自分の考えが正しい事を知っている。だから、わざわざこちらから出向いてやっ
 たのだ。

 「あんたが保安官を辞める前の、更にその前に勤めてた街に行ってみたぜ。そこの酒場のマスター
  にも会ってきた。」

  背後にいる男の気配を探りながら、マッドはけれども振り返らずに淡々と告発していく。別に告
 発する事に意味はないし、それをする事で得る物はないだろうが、賞金稼ぎマッド・ドッグとして
 しなくてはならない事だった。

 「良い保安官だったんだってな?あの街にはいつでも良い保安官が就く。そう、言ってたぜ。」

  微かに、背後の気配が動いた。
  かつて保安官であった男は、やはり保安官時代の時の事について肯定されると嬉しいものなのだ
 ろうか。そこが、彼の本分である事を示すかのように。
  だが、それこそマッドにとってはどうでも良い事だ。彼の本分など、マッドの今からの告発には
 なんら酌量する余地はない。

 「それ以外にも、あんたが昔勤めてた街には立ち寄ってみた。全部じゃねぇけど、ミズーリ、コロ
  ラド、テキサス……これだけ抑えてりゃ充分だろ。あとは、あんたが保安官になる理由になった、
  バージニアにも。」

  彼の辿った行程は、彼以外の保安官が辿った道でもある。
  けれど、何故彼だけがこんな事になったのか。
  いや、別に彼だけではないだろう。彼以外の保安官達も、彼と通じるものがあったはず。ただ、
 マッドに見つかる前に誰かに見つかったかどうかの違いだろう。

 「どの街でも、あんたの噂は上々だ。ちょっと頭の固いところもあるけれど、良い保安官だったっ
  てな。賞金稼ぎが少しばかり嫌いなところがあったけど。」 

  マッドの言葉に、ますます背後の気配はざわめき始めた。微かに狼狽えている気配もある。だが、
 マッドはそれらを無視して話を進める。

 「でも、それが仇になったな。賞金稼ぎと上手くやれない事で、あんたの経歴は最後でケチがつい
  たのさ。」

  賞金稼ぎは既に西部の楔だ。無理やり引き抜こうとすれば瓦解する。時には、性質の悪い連中と
 つるんでいる事もあるから、猶更だ。そういう連中は、賞金稼ぎ達の制裁を待って、いつの間にか
 消えているのを待つしかないのだ。
  けれども、背後で佇む男はそれが出来なかった。
  性質の悪い賞金稼ぎを一人撃ち殺した事で、最後の赴任地であるこの黄金郷を危険に曝した。

 「待てなかったっていう理由は分かるぜ。賞金稼ぎっていう職業は銃みたいなもんだ。それを振り
  翳されたら、一般人は手が出せねぇよな。そんでもって好き勝手に食われるしかねぇんだ。そん
  なの、放っておくわけにはいかねぇ。」

  けれども、その時、確かに当時の嘆きの砦の到着を待つべきだったのだ。
  賞金稼ぎの王が来るのを待って、王が断罪する瞬間を待つべきだった。せめて一言何か言ってお
 くべきだった。
  だが、賞金稼ぎ嫌いの保安官にはそれが出来なかった。
  性質の悪い賞金稼ぎを打ち殺した後、その町には報復を口にするならず者達が大挙して攻め寄せ
 た。
  また、ならず者達に蹂躙されていたのが、黒人やアジア系移民であった事も、また暴挙を一段と
 酷いものにした。ならず者の中には人種差別主義者に毒された者もいて、庇おうとする白人でさえ
 暴行するという有様だったし、逆に人種差別に頷く連中も少なからずともいて、それが事態をいっ
 そう混乱させた。
  事態は、保安官の手では収拾できなかった。

 「だからあんたは責任をとって辞めた。」

  それ以外に手はなかった。
  そうでもしなければ誰も納得しなかったのだ。賞金稼ぎも、街の有力者も、市民でさえ。責任の
 所在を一手に引き受けるのは、保安官以外にいなかった。

    「でも、その後に、わざわざ賞金稼ぎを撃ち落す必要はなかったんじゃねぇのか?」

  暴動の元となった賞金稼ぎ達。もしくはそうではない賞金稼ぎ達。彼らを次々と撃ち落し、そし
 てついには当時の西部一の賞金稼ぎまで撃ち落した理由は、復讐以外には考えられない。

    「迫害が続けられる事態を治められなかった、その責任を取った、そしてそんな事態を招いたって
  事を誰にも知られたくなかった、だからこうしてカリフォルニアの田舎に引っ込んだ、そこまで
  は良い。」

  コテージの窓から見えるのは、カリフォルニアの山々だ。その裾を、羊の群れが走っている。長
 閑な牧場の風景だ。
  保安官を辞めた男は、今、こうしてカリフォルニアで牧場を経営している。
  けれども、何故かこの男が行く先々で、賞金稼ぎが撃ち殺される事件が絶えない。

 「そんなに、保安官を辞める切欠となった賞金稼ぎが憎いんか。」
 「当たり前だろう!」

  男がようやく声を発した。
  突然訪問したマッドを、顰め面で迎え入れてから、ようやく聞く事が出来た声だった。悲鳴に近
 い声は、けれどもマッドを動かすには程遠い。
  だが、その声で男は吠える。

 「私は南北戦争を経て、大統領より保安官に任命されたんだ。それなのに、賞金稼ぎなどという命
  を金に置き換える輩が、罪もない人々を蹂躙している。それを止めたのに逆恨みし、私から市民
  を守るという本分を奪い去った。憎まずしていろというほうが、おかしいだろう。」
 「てめぇが保安官を辞める切欠となった連中は全員死んだだろうが。それでも止められねぇのか。」

  それとも、もはや賞金稼ぎというもの自体が許せないのか。
  おそらく、そうだろう。
  黄金に人々か魅せられたように、この男も憎しみに魅せられている。

 「人を守る事こそが私にとっての喜びだったのに、それをお前達が奪った!私にはもう何もない!」
 「何もねぇって言ってるわりには、昔の自分を知ってる奴に、自分のした事がばれるのは怖いんだ
  な。」

  良き保安官であった頃の自分を知っている街の住人に、迫害を止められなかった自分を知られる
 のが怖い。
  何もないのではない。むしろ、あるものに拘っている。

 「でも、安心しな。」

  マッドはひらりと立ち上がると、振り返り、はっきりと男を黒い眼差しで見つめた。
  その手には、既に黒光りするバントラインが握られている。

 「どうせ、もうすぐ本当に何も必要としない世界に旅立つんだ。これで、名声だの憎しみだのに拘
  らなくて済むぜ。」

    俺は嘆きの砦だからな、とマッドは男に慈しみを込めて言ってやった。

 「あんたが殺した賞金稼ぎの嘆きとはまた別に、あんたの嘆きの為にあんたがこれ以上噂に怯えな
  い世界に連れてってやるさ。」

    言うなり、その胸目掛けて銃弾と、一番最初にテキサスで見つけた落ちた銀の星を一緒に叩き込
 んだ。