その、少年の域を脱していないにも拘わらず、濃密な血臭を纏わりつかせた身体を見た時、一番
最初に受けた印象は、はっきりと憎悪だった。
突然、薄暗い声が振ってきたと思った瞬間、身体は宙に浮いたような感覚を味わった。同時に、
視界に映る乾いた風景からあっと言う間に引き剥がされ、みるみる内に遠ざかっていく。何かにし
がみ付く暇さえ与えられず、気が付いた時には、常に霧がかかったように、色がくすんだ世界に倒
れていた。
古びた景色は、サンダウンが暮らしたどの街にも似ておらず、強いて言うならば、幼い頃に読み
聞かせられた御伽噺の風景に、一番良く似ていた。靄のようなくすみに覆われた街並みは、草叢の
中に御座なりに石畳が敷かれ、地面に近付くにつれて苔生している石造りの家々はまばらで、決し
て大きくはない。一目で田舎の――寒村だろうと思われる街並みは、それどころか人一人の気配さ
えなかった。
まばらな家の中を調べても、誰一人として――遺骸すら見つからず、しかし家の中にある調度品
は、先程まで人が生活していたかのように、そのままで放置されている。
それは、この寒村を従える城の中も同じことだった。
おそらく、決して裕福な国ではないだろう。城自体、決して恵まれた雰囲気を出していない。本
当に辺境の、領主か何かの城だったのではないだろうか。しかし、それでも調理室に鍋をかけたま
まで、城から誰一人としていなくなるなんて事は、如何に辺鄙な国といえども、あり得まい。
それとも、何かの儀式でもしているのか、或いは何者かがこの国を攻めたと言うのか。何れにせ
よ、国民が気配を掻き消していなくなるという理由の説明には、程遠い。
何の手がかりも得られぬまま、誰もいない国をうろつき回って、それでもようやく分かった事が
あった。
此処には、人間は本当に存在しない事。
いるのは、異形と、どうやらこの国の国民らしき亡者と、亡者を作り上げた魔王と。
そして、この国とは全く別の世界から呼び寄せられた、サンダウンを含む存在だけが、息づいて
いる。
人間の気配のない国中を捜し回って、ようやく、心の底から理解できたのは、それだけだった。
くすんだ世界で出会った、自分とはまた別の世界から呼び寄せられた存在の中で、その少年を突
き飛ばしたのは、名伏し難い嫌悪感からだった。
別に、嫌悪感を感じたのは、その少年からだけではない。
完全に半端者であるのにそれを隠して善の顔をする少年は、故郷の、サンダウンを英雄に持ち上
げた後で引き落とした連中を思い出すし、力で全てを薙ぎ倒そうとしてそれが業だと気付かない男
は、ならず者達に輪をかけて裁くべき対象に見えた。
そしてそんな、思い上がりも甚だしい事を他人に対して思う自分自身が、一番の嫌悪の対象だっ
た。
人に期待されず、期待する事も忘れて彷徨う自分に他人を嘲る権利などないくせに、明らかに相
手を見下す眼をしている自分自身に、吐き気すら覚える。
薄暗い光しか差さない、澱んだ世界で、自分自身の醜さを白日の下に曝された気分だった。気を
抜けば、偽善的で愚かな少年達を、サンダウンの一方的な思いこみの所為で、本気で侮蔑の眼で見
てしまいそうだ。そしてそうなった時、人に対して既に絶望を込めているサンダウンは、転がるよ
うに人間から外れていく事を選ぶだろう。
それは、サンダウンに限らない。この澱の漂う世界に掻き集められた存在全てが、そうした傾向
にある。
いつ、人間を止めても、かまわないのだ、と。
思った瞬間、総毛立った。
それは、明らかにサンダウンの本心だったからだ。
英雄として持ち上げた人々に疫病神と謗られた時から、サンダウンは人に期待する事を止めた。
人間は裏切るものだと思い、そして今、自分と同じく人間に対して期待を持たない彼らを見下して
いる。
誰かを見下すという行為は、見下した相手よりも上位であると思う事だ。相手と同じ場所から脱
しようとする事だ。人に対して諦めを持ち、人を――確かに彼らは自分と同じく人を脱しようとし
ているが、まだ人だ――見下しそこから脱しようとしている自分は、人間である事を止めたいと願
っている。
それは甘美な誘いであると同時に、後には戻れないという底知れぬ恐怖を孕んでいた。それは、
自ら命を絶つ事にも似ている。
思い至った紛れもない事実に、サンダウンは、その甘い誘いに抗う為に少年達への嫌悪を押え込
み、嫌悪の矛先を、そうやって人を止めようと逃げている自分自身へと向けた。
事あるごとに善を演じる少年も、力に頼る青年も、無知を言い訳にする少年も、心が読める辛さ
を零す少年にも、うんざりだった。だが、それに明らかに感化されて見下す事を止められない自分
自身が、一番おぞましい。そのおぞましさを直視して、人間を止めるという欲深く罪深い、しかし
甘美な香りのする願いに、抗い続けた。
そして、この行為は、その抗いの一環だった。
「はぁ、ううううっ!」
獣の声を枯葉に頬を押し当てた状態で少年が絞りだせば、少年が常日頃から纏っている血臭が、
いっそう深くなる。その生臭いにおいに、サンダウンは顔を顰めた。ただえさえ気分は悪いのに、
少年から噴き上げる腐臭が更に嘔吐感を煽る。
それを押し殺して、腰を深く突き上げれば、どう考えても痛みを感じるはずのその行為に対して
少年が感じ入ったような声を上げ始めるのが聞こえた。それを冷ややかに見下ろしながら、浮き上
がった肩甲骨に五寸釘でも打ちこんでやれば、きっとそれだけで達するのだろうなと思った。
「あ、あひぃいいっ!」
枯葉に擦りつけている頬からは、サンダウンが動くたびに、割れるような音が響いている。その
音には、些かの艶めきも感じられない。何せ、犯している少年は痛みで快感を得ているのかもしれ
ないが、サンダウンは一向に悦を手に入れていないのだ。少年の内壁が収縮してサンダウンに纏わ
りついても、少年の身体が氷のように冷たい所為もあってか、サンダウン自身は全くと言っていい
ほど昂ぶっていなかった。
正直言って、そんな状態で犯しても――しかも内部まで冷え切っているような身体な上に男だ―
―サンダウンが辛いだけの行為だ。狭い管の中に萎えた自分を捻じ込んで、しかもその癖に眼の前
の身体はそれによっていっそう生臭いにおいを醸し出す。
行為の最中、本気で吐こうかと何度も思った。
それをぎりぎりで耐えて、何の味気もない身体を犯すのは、単にサンダウンが人間である事から
逃れない為だけだった。
一目見て、おぞましいと、思ったのだ。
眼の前にいる、人を殺す事に慣れた少年が。
年の割に大人びた表情を浮かべる彼からは、何処かで他の少年達を憐れむ色があった。憐れみは、
ひいては蔑みだ。彼は、自ら殺す事を知らない少年達を、はっきりと嘲笑っていた。綺麗事ばかり
並べ立てる彼らを、腹の底では哄笑している。
その様は、明らかに、サンダウンと良く似ていた。何よりも、誰かの命令でと嘯いて、人の死を
自分で購わない姿は、紛れもなく保安官だった頃のサンダウン自身だ。町の為に平和の為にと、な
らず者を撃ち落しては、その死に対して責任を背負わなかったサンダウンに、良く、似ている。
人を殺さない少年達を見下しながら、自分で殺した相手の命の責任は口にしない、卑怯者の顔だ。
そして、その顔で、絶望を告げるのだ。
自分は闇に覆われるしかない、希望は何処にもない、誰も信じられない、と。
はっきりと自分の魂を姿見で見せられたかのような少年を、サンダウンが突き飛ばしたのは自然
な事だった。そして少年がそれに抗わなかったのも、やはり少年もサンダウンに同じ匂いを嗅いだ
のだろう。
闇の中に沈んで、そのまま人間以外の者になりたいと願う、卑怯者の匂いを。
だから、サンダウンは自分と同じ光を眼に浮かべた少年を犯す事で、少年はサンダウンに犯され
る事で、自分自身を罰しようとしたのだ。自分で自分を犯す事で、浅ましさを再認識し、自分が誰
かを見下せるような人間ではないと言い聞かせ、人間であり続ける為に。
だが、人間以外になりたいと思い上がった自分自身は、けれども犯されながらも快に顔を歪めて
いる。まるで、罰される事が至上の喜びだと言わんばかりに。
その様子に、サンダウンは更に嫌悪を深める。
そうやって、自分自身を憎悪する事でしか、サンダウンはこの世界に抗う事が出来ない。
「ひああああっ!」
一際高い金切り声を上げて、少年が精を放った。それと同時にサンダウンは自身を引き抜く。精
を放つ瞬間の、少年のぶよぶよとした内部の動きに、本気で耐えられそうになかったのだ。氷より
も冷たい粘膜で包まれて、快を感じる男はいない。
まして、臭いが臭いだ。
白濁を吐き出した少年からは、完全に汚水のような臭いが放たれており、それが周囲に立ちこめ
ていた。肥溜でも、ここまで酷くはない。はぁはぁと背を蠢かせて、未だに快の余韻に浸る、骨ば
った身体も、まるで白骨が自慰をしているようで不気味だった。
苦行としか言えない行為をようやく成し遂げ、サンダウンは転がる少年の身体を跨いで、悪臭漂
う森の隙間から身を離そうと脚を急がせた。少年が何かを呟いたようだったが、その形を聞く気な
どサンダウンには毛頭ない。
しかし、それでも、どれほど身を切られるようであっても、サンダウンはこの行為を止める事は
出来なかった。
再び膨れ上がる人間達への絶望や蔑みが、サンダウンを呑みこもうとしている。
それから逃れる為にも、人間として生きていく為にも、この薄汚れた行為が、必要だった。
サンダウンを貶める為に。