轟音が過ぎ去った後に、サンダウンが辺りを見回せば、そこには静かな闇色が広がっているだけだ
った。
銃声は、何処か遠くに消え失せて、木々が黒の形をした葉を音もなく揺らしている。
そこには、何もない。
「…………マッド?」
そう、何もないのだ。闇の中にあって尚、闇よりも深い黒を纏う賞金稼ぎの姿が、眼の前に見えな
い。
慌てて周囲をもう一度見ても、マッドの姿はない。
あの、宣教師の姿も。
どういう事だ、とサンダウンは何度も何度も辺りを見回す。銃撃を受けたあの間に、それほどまで
に引き剥がされてしまったのだろうか。気配さえ追いかけられないほどに。
しかし、有り得ない、とサンダウンは首を横に振る。
例えどれだけ離れたとしても、サンダウンがマッドの気配を追いかけられないなんてことはない。
それほどまでにサンダウンにとってマッドの気配は特異で、呼吸一つだけで存在を認識できるほどだ。
その気配を追いかけられないなんて事が、あるはずがない。
だが、現実にあの一瞬の間で、サンダウンはマッドの気配を見失ってしまった。
銃撃を受けるあの間。
いや、違う。
サンダウンは、たった今まで漂っていた、鮮烈な白の轟音を思い出す。あの轟音が降りかかってき
たあの瞬間だ。サンダウンが、マッドを見失ったのは。
雲一つない夜明けの空から降りかかった稲妻の、あの一瞬のうちにマッドの気配が失われ、代わり
に別の気配が辺りに充満している。
それが、マッドの気配を覆い隠してしまっているのだ。
サンダウンは白く充満した気配に、眉を顰めた。そして、もう一度首を横に振る。
確かに、確かにこの気配はマッドの気配を隠している。けれども覆い隠してしまったというよりも、
その気配の中にマッドの気配が紛れてしまった、と言ったほうが正しい。今此処に漂う気配は、マッ
ドのそれに、とてもよく似ている。
マッドとよく似た気配。
そう言って思い出すのは、この地においてマッドに良く似ている、と称された人物のことだ。
「エリアス・アーサー。」
サンダウンは低く、その名を呼ぶ。
宣教師の捜し人。
彼を捜すために、人員を配する為に、宣教師は彼の事をマッドのよう、と称し、そしてサンダウン
を引き摺り出した。
サンダウンがそれを聞いた時、マッドのような人間がいるものか、と思った。事実、サンダウンが
此処にいるのは、宣教師がマッドの事を知っている、と嘯いたからだ。マッドに似ているなどという
戯言など信じなかった。
けれども。
漂う気配を見つめ、サンダウンは苦く歯を噛み締める。
マッドの気配を追いかけられないほどに、紛れ込ませてしまう。なるほど確かに、マッドに似てい
る。
サンダウンが睨み付け、名前を呼んだその瞬間、たった今の今まで、何処にも見当たらなかった人
影が、零れ落ちた光のように浮かび上がった。
音のない稲妻というものがあるのならば、それはまさしくこんな姿をしているだろう。
後光のように銀の髪を頂き、闇の中であるにも拘わらず、するりと通った鼻筋に光が滑り落ちる。
ゆるりとサンダウンを見つめる瞳は、薄氷の色。氷のように凍てつき冷たさを感じるか、冬の湖水
のような穏やかさを感じるかは、人それぞれだろう。
名を呼ばれた男は、自警団の団長を名乗るには、端正な男だった。
尤も、とサンダウンは思う。西部一の賞金稼ぎを名乗る男も、大概端正な男なので、腕っぷしに美
醜は関係ないのだろう。
「何の用だ?お仲間が消えたんだろう?さっさと捜して、家に帰るんだな。」
何もかもが分かっているのだろう。名を呼ばれた自警団の団長は、低い声でサンダウンに答えた。
その声は、マッドのような秀麗さはなく、どちらかと言えばサンダウンのように荒れた英語だった。
マッドとは似ているが、声音の違う男に、サンダウンは銃を向ける。
「………宣教師から、お前を確保するように依頼を受けている。大人しく、ついてきてもらおう。」
そうすれば、マッドをこの地から引き剥がす事が出来る。マッドの気配を掻き消してしまう、この
地から。
銃を突き付けられた男は、真鍮の口を前にしても、動じなかった。まるでサンダウンの銃が火を噴
かないと分かっているかのように、ただただ呆れたように溜め息を吐いただけだった。
「まったく、あのアホは……。」
アホ、というのは、彼の友人であるという宣教師に向けられたものだろう。親しみのある者同士が
する、罵声だった。
頭痛がする、とでも言いたげな自警団の団長は、サンダウンを見つめて、言った。
「なら、あのアホに――ウィルの奴に伝えろ。お前はさっさと、あのシスターを連れて、此処から離
れろってな。」
そうか、あの宣教師の名は、ウィルというのか。
今初めて知った事実は、しかし割とどうでも良い事だった。
それよりも。
「…………お前を連れて帰らねば、あの宣教師は納得しないだろう。」
シスターと宣教師と自警団の団長の関係性は、この際どうでも良い。
ただただサンダウンが分かるのは、宣教師のこの男への感情は、サンダウンがマッドに示す執着と
よく似ているという事だけだ。
そうだ。
あの宣教師は、サンダウンに、よく似ている。
この男が、マッドに似ているのも、さもありなん、というところだ。
だからきっと、宣教師はこの男を引き摺ってでも連れて帰ろうとするだろうし、実際にその為に、
サンダウンとマッドを巻き込んだ。両足を撃ち落してでも、連れて帰る為に。
そしてこの男もまた、あの宣教師の中に孕む執着心に、気が付いているのだ。
その証拠に、男の冬の湖水のような眼が、微かに陰った。
「あいつが納得するしないは関係ない。俺があいつの前に出ていかなけりゃ、そのうち諦めるだろ。」
それはない。
自警団の団長の言葉を聞きながら、サンダウンは腹の底でその言葉を否定する。それを肯定する事
は、サンダウンの中に蠢くマッドの執着を否定する事に繋がってしまうからだ。
それに、自分の言葉を、この男自身が信じてもいないだろうに。
己の言葉を信じてもいないだろう男は、端正な顔を微かに歪ませている。マッドも、いつかはサン
ダウンの所為でこんな顔をする事があるだろうか。
「あいつが、シスターを連れて出ていけば、そのうちこの辺りも落ち着くだろう。それは、あいつが
一番良く知ってるはずだ。」
「二年前の事件の後、あの宣教師が本国に帰っている間は、平和だったとでも?」
鎌をかけたつもりはなかった。サンダウンは、マッドではない。ただ、真実だけを問いかけた。
二年前の事件が、この騒ぎの原因であり、更にどうやら宣教師の存在がそれを長引かせているとい
うのなら、宣教師がいない間は、平和だったとでも言うのだろうか。
父親を失ったシスターに憎まれたのだとしても、それでも平気だったと言うのだろうか。
サンダウンは、自分が街を追い出された時の事を思い出す。街を守るつもりだった。しかし、結局
自分の存在が街をならず者の脅威に曝してしまった。あの時、サンダウンは街の全ての住人にとって、
憎悪の対象だっただろう。サンダウンはそれに耐えられなかった。だから、逃げ出した。
けれども、この自警団の団長は。
自警団であるから、その旨には銀の星はない。けれども憎しみを受けても、この地から逃げ出そう
とはしないのか。それともあの頃なら、サンダウンも、たった一人からの憎悪など受け流せたのだろ
うか。今は、ただ一人の憎悪でさえ耐えられないだろうが。
「少なくとも、シスターは落ち着いていた。あいつが本国に帰る間際は半狂乱だったけどな。」
再び現れた宣教師に、シスターは嬉々とした。
愛しい者が再び眼の前に現れた。
けれどもその執着は、自分には向いていない。
ふと、サンダウンは思う。シスターは、それをどのように知ったのだろうか。サンダウンは同じ種
族であるから、宣教師の心裡は分かる。
では、シスターは。あのシスターは、他人の心裡を理解できるほどに機微に長けているのだろうか。
とてもとても、そうは見えない。
それとも、分かってしまうような出来事があったのか。
「あいつが何処にもいかないのなら、俺が姿を消すしかない。でなけりゃ、俺があのシスターに人殺
しをさせる事になる。」
人に、人を殺させることと言うのは、
「何があった?」
サンダウンは興味がない。けれども、問わねば、この地の何かに縛り付けられてしまいそうだった。
「何があった?あの、告解室で。」