地獄犬達の狩猟










  指に絡んだ糸を眺めていると、背後で微かな殺気が膨れ上がった事に気付いた。振り返れば、顔
  
 を強張らせた人虎と夢魔、そしてこちらに鋭い視線を向けるサンダウンがいる。その姿に苦笑いを
 
 浮かべ、マッドは身体ごとそちらを向いた。
 
 
 
 「つくづく、あんたは俺を呼び寄せるなぁ。まあ、あんたに一番糸が絡んでるからってのもあるん
 
  だけどな。」
  
 「あんた、何者なんだよ。」



  声を上げたのは、マッドが視線を向けていたサンダウンではなく、その場にへたり込んでいたア
  
 キラだった。気の強い色を灯した眼を見つけると、マッドは苦笑を浮かべたまま言った。
 
 
 
 「さて、ディオからなんか聞かなかったか?」

 「わけのわかんねぇ事ばっか言ってて、結局分からなかったんだよ。」

 「あらら、それは残念。けどな、アキラ。それは煙に撒かれたんだよ。つまり、言えねぇって事だ。
 
  分かるか、うん?」
  
  
  
  小首を傾げるマッドに、アキラは表情を硬くした。



 「あんた、なんで俺の名前………。」



  答えを見つけるようにサンダウンを見るが、サンダウンは首を振る。自分は言っていないと言う
  
 ように。

  強張りを深くした彼らに、やはりマッドは笑みを浮かべたまま、
  
  
  
 「なあ、アキラ。そんなに気になるなら、俺の心でも読んでみるか?お前は確か得意だったはず。」

 「てめぇ………!」
 
 
 
  狙い過たずアキラの能力まで言い当てたマッドに、アキラの視線がひたりと強く添えられた。力
  
 の籠る眼線をマッドは黙って受け止める。時折手に絡む糸を気にしながら。そして。
 
 
 
 「アキラ!?」

 「アキラさん!」



  ぐらりと夢魔の身体が傾き、ばたりと仰向けに倒れた。それを慌てて虎児達が支える。その中で
  
 レイが猛然と立ち上がる。
 
 
 
 「あんたアキラに何をしたんだい!」

 「俺は何もしてねぇよ。むしろ俺は心を覗かれたほうだぜ?」



  今にも蹴りを飛ばしてきそうな少女を宥めるように、けれども、尤も、と付け足す。
  


 「耐えられないだろうけどな、俺の『中身』を覗いたら。」
 
 
 
  そう告げて、まだ臨戦態勢を解かないレイの横を通り過ぎ、仰向けに倒れている夢魔の足元に跪
  
 く。そして、その額を軽く指で弾いた。その瞬間、アキラは何がか振り落とされたかのように、が
 
 ばりと起き上がる。
 
 
 
 「アキラさん、大丈夫ですか!」



  ユンの声に、頭を抱えながらも頷いたアキラは眼の前にいるマッドを見て、まるでこの世に存在
  
 しないものを見たかのような顔で呟いた。
 
 
 
 「あんた、本当に、何者なんだよ………っていうか。」



  ごくりと息を呑み、
  
  
  
 「一体、中に、何人の心が入ってるんだよ!」



  悲鳴のような声に、マッドは笑みを消さず、けれども困ったような表情を浮かべた。



 「それは誰にも知らせちゃならねぇんだよ。」



  細い指に絡んだ糸を弄んでいたかと思うとぱっとその糸を放し、糸がまるで意志あるもののよう
  
 に蠢き、風に乗るのを見つめる。その風に煽られるように、マッドの陰が大きくはためいた。それ
 
 は、リーの陰から犬が飛び出してきた様子と似て。
 
 
 
 「俺は死を振り分ける者、命を切り分ける者、魂の重さを量る天秤、死者の魂の通り道、そしてそ
 
  れら全て。」



  むくむくと膨らんでは千切れ、走り去る犬の中で、マッドは飄々と告げる。
  


 「今、天上と地獄が失態を犯している。俺はその失態を呑みこみ、裁かねばならない。」



  糸を追いかける黒い犬の群れを追うように、再びディオがぬっとその黒い馬体を見せ、彼もまた
  
 同様に走り去る。そしての身体が牽きいるのは、鰐のような体躯をした奇怪な化け物だ。
 
  黒い風の中に呑み込まれようとするマッドは、ふっと振り返って一言も喋っていないサンダウン
  
 に尋ねた。
 
 
 
 「そういえば、お前は俺の事を覚えているんだったな。」

 「………ああ。」

 「そうか。でも、俺はお前の事を覚えてねぇんだ。あんたが何者なのかは知ってるけど、それだけ
 
  だ。多分………。」

  
  
  少し区切ってマッドは付け足す。



 「俺はあんたの覚えているクドラクかもしれねぇが、けど、中身は変わってるんだ。」

 「何…………?」

 「だから、正確に言えば、もうクドラクはいない。あんたは自由だ。」

 「待て。」

 「それと今朝あんたを襲ったのは、気づいてるだろうけど、俺じゃねぇから。」
 
 
 
  いよいよ、黒い風は強い。それの方向を眺めて、マッドはもうサンダウンには言うべき事はない
  
 と言うように、自分一人に聞こえるような声で低く呟く。
 
 
 
 「―――さあ、二度と俺の真似ができねぇように、今度こそとっ捕まえてやるよ。」



  持ち主の魂に惹かれて戻っていく糸の行方を見るマッドの肩が、その身を守る黒い風などものと
  
 もせずに唐突にぐいと掴まれた。顔を巡らせれば、果たしてそこには険しい顔をしたサンダウンが
 
 いた。
 
 
 
 「何を一人で勝手な事を…………。」



  顰められた眉根に、マッドは微笑した。ただし、今にも泣きそうな困惑したような顔で。
  
  
  
 「キッド。サンダウン・キッド。俺はお前がクルースニクである事を知ってる。けど、俺は俺がク
 
  ドラクだった事を覚えてねぇんだよ。俺がこの身体になったのは、随分と前の事だから。」
  
 「………その意味が分からない。お前は、」



  だが、サンダウンが最後まで言葉を発する前に、マッドは身を翻している。まるで風に乗るよう
  
 な動きで身を捻り、同時にその身体は一匹の黒い犬の姿になっている。空を掻いた脚は、他の、彼
 
 の陰から這い出してきた暗い者達と同じく滑らかに走り始める。
 
 
 
 「待て!」



  遥か後方で、叫ぶ声が聞こえた。