蒼褪めた馬の目撃










  ぴくりとも動かなくなった銀色の狼を見やるや、その背後に付き従っていた狼達は、うろたえた
  
 ように後退りを始める。その姿を見て、黒い馬はふんと鼻息を荒くした。その鼻息に怯んだわけで
 
 はないだろうが、けれどもそれが明らかに自分達の手に負える獲物でない事は明白だと悟ったのか、
 
 次に馬の鋭い蹄の音が響いた時には、先程までは傲慢そのものの態を成して虎を襲っていた彼らは
 
 蜘蛛の子を散らすように走り去っていった。
 
  残されたのは、銀色の毛並みをした人狼の遺骸と、今にもその毒牙に掛かりそうだった三頭の虎
  
 児、その養い親。そして居ないものと化していた夢魔の少年と、銀の銃弾を放ったサンダウンだけ
 
 である。

  物静かに立ち上がった黒の毛並みをした馬は、まるで鉛でも呑み込んだように凍りついている幻
  
 獣達には一向に興味を示さず、そのふさふさとした尾を、何事もなかったように揺らしている。
 
   ちらりと一度、その黒い眼に虎児達を映したが、その瞬間、まだ幻獣としては幼い彼らは、ひ
   
 っと引き攣れたような声を上げて身を縮めた。その様子に、ふん、と馬はその艶やかな首を翻す。
 
  そしてぼやいた。


 
 「へっ、助けてやったってのに、なんだこの扱い。」
 
 
 
  何とも拗ねたような台詞を吐き出した馬は、いじけたように、どうせ俺はと呟いて、日蹄の先で
  
 石ころを蹴飛ばした。
 
  その哀愁漂う様子に、怯えてばかりだった虎児達も、毒気を抜かれたらしい。自分を庇う老虎の
 
 腕の隙間から顔を出して、石ころを蹴飛ばし続けている馬の後姿を思い思いに眺め始めた。



 「あんた、何者だい?」



  最初に話しかけたのは、虎児の中でも最も気の強いレイだった。彼女は夢魔の少年――アキラの
  
 制止も聞かず、サンダウンのすぐ脇を通り過ぎて、いじけている馬の傍らに立ち、その顔を覗きこ
 
 む。
 
  その視線に気付いた馬は、現金なもので、くいっと馬首を伸ばして誇らしげに言った。
  
  
  
 「俺はディオ。御主人にはその名で呼ばれている。御主人の忠実なる僕。」

 「………それじゃあ何なんだか分からないよ。あんたの御主人って誰さ?」

 「御主人は御主人だ。天の頂きで光る者、焼き尽くす者、焦がす者、厄災の徴にして豊穣の徴、死
 
  者を量り取る天秤、それら全て。彼が何者であるか俺には答えられないし、その全ても分からな
  
  い。何者も彼の代わりにはならないし代わりをしてはならない。」
  
  
  
  謎めいた言葉にレイが黙り込んでいると、銃を収めたサンダウンが殊更ゆっくりと尋ねた。
  


 「………ディオ、と言ったな。私からも訊こう。お前は何者だ?名ではなく、その属性は?その役
 
  割は?命の糸と審判の名を口にするお前は何者だ?そして。」
 
 
 
  一つ区切り、



 「そんなお前が、主と呼ぶ、あの男は?」



  銃こそ手にしていないが、その言葉は、抜き身の刃よりも鋭く尖っている。総毛立つような声音
  
 に、しかし、黒馬は微動だにしなかった。黒い双眸でひたりとサンダウンを見つめると、静かに言
 
 った。
 
 
 
 「サンダウン、滅びの名を持つ者。俺はお前の運命を知っている。何を探し、何を知りたがってい
 
  るのかも。けれどそれは俺には語れない。何故なら我らは運命の外にいるから。」
  
 「答えろ、黙示の馬。お前の主がもしもクドラクなら、私は運命を切り刻まねばならない。」

 「止せ、ただの幻獣風情が運命に近づくな。俺が此処にいるのは運命の枠から放たれた死者の所為。
 
  それ故に運命の枠外にいる我らが現れた。俺の存在はただの偶然だ。」
  
 「ならば、もしもお前の主がクドラクで、それが運命の外にいるものだというならば、クドラクの
 
  息の根を倒せるのは今が好機と言うわけか。」
  
 「止せ、止せ。滅びの魔族。生態系の頂点に君臨する者。我が主には手を出すな。手を出せばただ
 
  では済まない。生半可な覚悟で近づくな。」
  
 「そんな事は分かっている。」



  黒い馬の警告を、滅びの名で呼ばれたサンダウンは、けれども一向に怯む気配もなく、死を背負う
  
 姿を問い詰める。
 
  黙示の馬でさえたじろぐ声に、その場を切り上げたのはその場にいる誰でもなかった。
  
  

  ――ディオ、もういい。



  深く甘い囁きが、いずことも知れない場所から薫ってきた。どこか酷く疲れたような響きのする
  
 それに、ディオは顔を上げ、サンダウンは身を強張らせる。
 
  そんな一頭と一人の様子など意に介さず、彼は続ける。


 
  ――お前は喋り過ぎだ。しかも変にカッコつけて。
  
 
 
 「カッコつけて!?御主人の威厳を出すの為にわざわざ偉そうに喋ったのに!」


 
  ――ああ、もういい、分かったから。そんな事よりも、気付いてねぇのかお前は。
  
  
  
  すっと声のトーンが落ちて、それは地を這うような不気味さを沸き上がらせる。甘やかな香りが
  
 微かに腐臭を漂わせる瞬間。
  
  
  
  ――天使共が、ざわめいてるぞ。
  
  
  
  
  ばたばたばたばた。
 
  耳障りなほどに降りかかってくる音に、ディオが眼を剥いた。

  力強い羽ばたきと、ラッパの音。そして空中が焦げるような臭い。それらは確かに天使の到来を
  
 告げている。しかも、よりによって。
 
 
 
  ――何も知らない天使長殿が、集まった幻獣にいちゃもんつけようって腹さ。



 「あのすっとこどっこい!罪人が逃げた責任はこっちに押し付けやがる癖に、大した事じゃねぇ事
 
  には首を突っ込みたがるんだ!」
  
  
  
  ――さてな、罪人を引き渡すノルマでもあるのかもな。



  冷ややかさを帯びた声に、ディオは低く唸る。そんな愛馬の様子をくつくつと笑い、彼はしかし
  
 芯の凍えるような声で言った。



  ――ディオ。俺の火車。俺の忠実なる愛馬よ。戻ってこい。あれにはお前の言葉は届かない。自
  
  分の姿に自信を持っている奴だからな――人型をしていれば偉いなど、笑わせてくれる。俺が一
  
  発がつんと言ってやろう。
  
  
  
 「でも、いいの?」



  ディオの眼がちらりとサンダウンを見やる。



 「此処には、なんか勘違いしたのかいるけど。」



  ――無意味に勘違いさせたてめぇがそれを言うのか。



 「うう……でも、御主人の事を説明するのって難しいと思うんですけど。」


 
  ――わかったから、もう下がれよ。最初に勘違いさせるような事をしたのは俺だしな。責任くら
  
  い取ってやるよ。



  呟いた言葉の後半は、天上から降り注ぐ羽ばたきに掻き消された。
 
  見上げれば、眩しいほどに輝く太陽を背に、光輪を頭上に頂く炎が吹き上がっていた。