人狼の疑い







 「黒い犬の姿を取る男か…………。」



  古い神の社の軒下に棲む、年老いた人虎はサンダウンの言葉にそう呟いた。
  
  塒を破壊されたサンダウンは、あの後すぐにその場を立ち去り、この人虎の元を訪れた。
  
  人虎は太陽を天敵とはせずとも、その本質が夜行性だ。昼間は基本的には眠りについている。事
  
 実、老虎の三人の養い子はサンダウンの気配にも気付かずに、ぐうぐうと寝ている。その傍らに、
 
 青痣を作った夢魔の少年がいる事には眼を瞑っておく。
 
  齢数千を越える人虎は、突然の来訪者に嫌な顔一つせずに茶を勧めた。



 「しかし、それだけでクドラクだと?それは少しばかり、答えを出すのが性急すぎるのではないの
 
  かね?」
 
 「魂が、あの男を覚えている。」

 「ふむ………。」


 
  きっぱりと返された台詞に、知らぬ事は何もないと言われる老虎は首を傾げる。知識は誰よりも
  
 あるのは確かだが、魂が記憶しているという感覚は、一介の人虎にすぎぬ彼には分からぬ事だった。
 
 
 
 「だが、襲いかかってきた犬からは、その気配がなかったんじゃろう?」

 「……………。」



  サンダウンは老虎の言葉に頷く。

  突如塒に現れ襲いかかってきた黒犬には、魂が一部たりとも動かされなかった。けれど、不意に
  
 攻撃の手を止めた姿には、確かに古傷が疼くような感覚を覚えたのだ。それは、正に別人の様相を
 
 呈しており、サンダウンは虚を突かれた。
 
 
 
 「そのように気配を変えられるものかのう………?思い違いという事はないのかね?」

 「………確かにクドラクであるという証拠は何処にもない。」

 「では、ただの人狼である可能性も捨てきれまい?」



  自分と同じく人と獣の間を行き交う幻獣の名を口にした老虎は、遠い眼をする。
  
  
  
 「人狼は儂ら人虎と違い、祖は吸血鬼と同じ。しかし同時に吸血鬼の宿敵でもある。ならばその血
 
  によって視界が曇らされている可能性もある。」
  
  
  
  もしかしたら、サンダウンをそこら辺の吸血鬼と同等に語るのは間違いなのかもしれない。しか
  
 し、サンダウンの魂に刻みこまれた印が理解できぬ老虎には、そう告げる事しかできない。
 
  如何に数千の時を生きる彼でも、サンダウンのような奇妙な運命を与えられた存在は、滅多にお
  
 目に懸かった事はないのだから。
 
 
 
 「いずれにせよ、あせらぬ事じゃ。万聖節の前夜までは大人しくしているがいい。ここ最近の騒動
 
  の所為で、天使どもの儂らに対する監視が厳しくなっておるようじゃ。」

 「………それでは間に合わないかもしれない。」



  万聖節の前夜。それは魔が最も強くなり、そして天使の監視が外れる時。その瞬間こそが、クド
  
 ラクが最も目覚めやすい時だ。この騒ぎの中心は、確かにその日を待ちわびている。
 
  これ以上の長居は無意味だと言うように、サンダウンはしなやかに立ち上がる。背の高い影を見
  
 上げ、老虎は諌めるように言った。



 「急いてはいかんぞ。もしかしたら、それこそがクドラクの思惑かもしれん。」
 
 「そうかもしれないが、此処にいる事はできない。」



  同時に爆ぜた破裂音。

  ぱらぱらと木片を巻き上げて、ぱっくりと口を開いた木の扉を一瞥し、サンダウンは無表情で銃
  
 を構える。



 「どうやら、私は招かれざる客の様だ。」



  何処へ行っても付き纏う騒動について、サンダウンはそう述べた。

  尤も、扉の向こうから現れたのは、今朝方見据えた黒髪の青年ではない。そこに立っていたのは、
  
 銀の髪を輝かせた傲慢そうな若者だ。

  背後に数人の男を従えた青年は、そこで何があったのかなど一向に気にも留めずに足跡を付けて
  
 中に入ってくる。



 「老虎殿。まさか、かつてその名を闇の世界に轟かせた貴殿が、かような所に暮らしているとは。
 
  かつての雄姿を知る者が見れば、涙をそそる姿だ。」
  
 「………リー!」



  腰を上げて叫んだ老虎をサンダウンは庇うように背で隠し、リーと呼ばれた青年に向き直る。犬
  
 歯の鋭い、何処か狼を思わせる顔立ちの青年は、サンダウンの姿を認めると、やはり不遜な笑みを
 
 浮かべた。
 
 
 
 「ほう………吸血鬼風情までもが此処に隠れていたか。それともやはり貴様も老虎が隠す秘伝の書
 
  が目当てか。しかし残念ながら、あれを手に入れるのは貴様ではない。この私だ。」
  
  
  
  サンダウンには秘伝の書とやらが何なのか分からない。だが、この青年の事は薄っすらと話には
  
 聞いていた。その話の全ては、決して後味が良いものではなかったが。
 
  そしてサンダウンはこの時になって、老虎が人狼の話をした時、遠い眼をした理由に思い至った。
  
 老虎は人狼の知り合いがいたのだ。そしてそれは眼の前にいる青年だ。
 
 
 
 「秘伝の書……やはりそれが貴様の狙いだったか。」



  しわがれた声で老虎が呟くと、リーはかかと笑った。



 「その通りだ。この世の全てを記したと言うそれは、正にこの私にこそ相応しい。だが……。」
 
 
 
  不意に途切れる声と視線。銀色のそれらはすっと細められるや、老虎がまるでこの世の全てだと
  
 言うように気に掛けている、三人の養い子達に向けられている。未だ眠る彼らを、リーは舌舐めず
 
 りせんばかりの視線で見つめた。
 
  その視線に気付いた老虎は、三人――と一人の夢魔――を背にしてリーの前に立ち塞がる。



 「何故じゃ……この三人に何の理由があって………。」
 
 「それは知る必要がない事だ。我らには我らの目的がある。」

 「我ら………?」



  その台詞に老虎とサンダウンが眉を顰めるのは同時だった。そしてリーが動くのも。
  
  素早い動きで地を蹴って飛びかかる姿は、獲物に襲い掛かる狼を思わせる。それは、彼の背後で
  
 同じく身構えた配下の者達も同じ。

  圧迫するような狼の群れに、サンダウンと老虎も身構えたその時。

  激しく足音を叩く彼らの影から、次々と火の粉のように更なる足音が飛び出してきた。
  
  黒い身体、赤い舌、白い牙。
  
  突如として背後に迫った無数の黒い犬の姿に、狼達はおろか、筆頭のリーさえもがたじろいだ。
  
  咄嗟に身を翻して逃げようとする銀の狼に、深淵から生み出されたような色の犬達は追い縋り、
  
 口々に叫ぶ。
 
 
 
 ――ミツケタミツケタ!
 
 ――カクモ罪深キ魂ガ此処ニイル!
 
 ――主ヨ主ヨ、我ラノ獲物ハ今此処二!
 
 ――罪深キ魂ハ罪深キ獣に絡ミツイテイル!
 
 
 
 
 
 
 
 それは、はっきりと、深淵にいる彼の耳に届いた。