バジリスクの犯罪







  僅かな仮眠の後、サンダウンは突き刺さるような日差しで眼を覚ました。
 
  夜の種族である幻獣達は、昼間はほとんどが眠りに落ちるか人目を避けて暗がりに潜んでいる。
  
 あるいは、太陽光が致命的な弱点となるものもいるのだ。
 
  だが、中にはヒトに紛れて生きる事ができる者もごく稀にだが存在している。サンダウンはその
  
 稀なものの中の一種だ。しかも、その気になれば七日ほどならば睡眠を取る必要がない。尤もその
 
 後で十分に休息を取る必要があるが。
 
  だが、その事実を差し引いても、最近は眠りに着くこと自体が少ない。眠っても酷く浅い夢の中
  
 をふらふらと漂う程度だ。今日の明け方の眠りもそうだった。神経が酷く昂ぶって、眠りが訪れな
 
 い。
 
 
 
  理由は分かっている。
  
  ここ最近の、使い魔と思しき魔族達の暴走。それと万聖節が近づいて、幻獣達の魔力そのものが
  
 高まっている所為もある。
 
  そして、あの、男。

  昨晩出会った、黒髪の男が、更に拍車を掛けている。一度目覚めた本能を押さえる事は難しい。
  
 サンダウンの中でこれまで燻っていた幻獣としての本能は、あの男にあった瞬間に鮮やかに翻った。
 


  きっと、この騒ぎの中心には、あの男がいる。

  もはや確証にも近い勘で、本能がそう訴えている。

  早く捜し出せ、と。捜し出してその首を掴んで、その白い只中に牙を埋めて、呑み込んで、そし
  
 て殺せ、と腹の底で叫んでいる。
 
  眠りの時間さえも、惜しい。



  外の日差しとは対照的に薄暗い塒の中で、身を起こす。ぐずぐずしている暇はない。捜しに行か
  
 ねば。ばさりと被っていた毛布を払いのけ、立ち上がる。
 
 
 
 「へぇ?そうまでして俺に逢いてぇわけ?」
 
 
 
  耳の直ぐ傍で聞こえた声に一瞬背中が粟立ち、転瞬、サンダウンは銃を跳ね上げて間髪入れずに
  
 その黒い身体に銃弾を叩き込んだ。が、黒い残像は銃痕を壁に残して、ひらりと壁際に飛び退って
 
 いる。



 「おーおー、相変わらず血の気の多いおっさんだな。」

 「……………。」



  視線の先にいるのは黒い髪と黒い眼の青年だ。そして笑う口元からは鋭い牙が零れている。それ
  
 は、所謂、吸血鬼と呼ばれる一族特有のもの。
 
  そして―――。


 
 「眠気を押してまで俺を捜すなんて、あれか。俺が好きで好きでたまらねぇってか?」
 
 
 
  軽口を叩く男の気配に、サンダウンは首を傾げる。眼の前で笑う男の顔は、確かに昨日見たもの
  
 だ。けれど、何か、おかしい。腹の底に横たわる本能が、一向に、ざわめかない。

  だが、眉根を寄せる暇もない。あっと言う間に、男の笑みが眼前に詰まってきた。
  
  
 
 「いいぜ、殺ってみな。この、俺を。」



  同時に凄まじい勢いで繰り出された拳には、綺麗に伸びた爪がねじ曲がっている。咄嗟に飛び退
  
 って、その勢いで塒の薄い壁をぶち壊し、サンダウンは日の光が煌めく外へと身を転がす。
  
  夜の生き物には致命的な日の光。けれどもサンダウンを追って出てきた青年は、平然として白々
  
 とした光を浴びた。



 「どうした?俺が灰にならないのが不思議か?」



  せせら笑い、彼は当り前だろうと言う。
  
  
 
 「俺はお前の逆の存在なんだぜ?お前と同じ力を持つ。だから日の光が毒になるわけがないだろう?
 
  それとも、まさか自分だけが特別だとでも思ってやがったのか?」
 
  
 
  なあ、クルースニク?
  
   
 
  言うや否や、青年の身体は再び残像となっている。黒い線を引いて地面を這うように、けれども
  
 凄まじい速さで切迫するその姿に、サンダウンは眼を見開いた。

  男の身体は、今や人の形をしていなかった。それは、夜の闇より尚深い黒い毛並みをした一頭の
  
 巨大な犬の形をしている。
 
  大きく開かれた口の中に、銀色に輝く牙が立ち並んだのを見てサンダウンはそれを銃身で受け止
  
 める。その間もサンダウンの内心は酷く混乱していた。

  これは、待ち侘びた相手との戦いのはずだ。なのに、本能は全く揺さぶられない。だが、この黒
  
 い犬の毛並みは、確かに自分の宿敵であるクドラクのものだ。



  けれど、おかしい。そう思い始めたその瞬間。


 
  突然、地面から底冷えするような霧が湧き上がった。たちどころに辺りを白で埋め尽くした霧と
  
 一緒に現れたのは、本能が内部から破裂するような気配だ。ぞくりと心臓を直に掴まれているよう
 
 な感覚に襲われる。困惑していた本能が、ようやく見つけた獲物に喜んでいる。
  
  
  
  霧が一寸先まで支配していたのは、時間にして数秒の事だったらしい。掻き分けられた霧の中で
  
 見つけた青年は、いつのまにか人の形に戻っている。その表情は酷く険しく、何処か彼方を睨みつ
 
 けているようだ。
 
  青年はサンダウンに気付くと、すっとその愁眉を緩めた。そしてうっとりとするくらいに艶やか
  
 に微笑んで見せた。
 

  
 「…………あんたは、俺の事を覚えてるんだな。」

 「…………当り前だ。」



  そう、本能に刷り込まれている。
  
  しかし、青年はそういう意味じゃねぇよ、と首を横に振った。その動作が先程までとは違い、や
  
 けにぎこちないものだったので、サンダウンはおやと思う。
 
  だが、青年はそれ以上サンダウンに気を向けず、あっさりと背を向けた。



 「悪ぃけど、今日はあんたの相手をしてやれねぇ。だから、またな。」



  ゆるりと左手を右手にあてがい、彼は何の衒いもなく歩き去ろうとして、不意に思い出したように振り返った。



 「マッド。」

 「………?」

 「俺の名前さ。昨日、言ったろ?次逢う時は名前を教えるって。」



  ふわっと笑った瞬間、その姿は掻き消えている。

  熱が灯ったサンダウンは、呆気にとられて残像さえない跡を見つめた。
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

 「大丈夫、御主人!」
 
 
 
  叫ぶ蒼褪めた馬の言葉など聞こえていないように、青年は恐ろしい勢いで右手を左手で引き千切
  
 った。そしてそれを思い切り地面に叩きつける。白から灰色に変色したそれは、重い音を立てて粉
 
 々に粉砕した。



 「あの阿呆!この俺に!よりによってあのおっさんの前で、この俺になりすましやがった!」



  千切った右手の事など気にもかけず吠える黒い犬を、蒼褪めた馬はいよいよ血の気を消して見つ
  
 める。
 
 
 
 「一体、どこであんな身体を見つけやがった!?俺に化けてあのおっさんの警戒心を煽った挙句、
 
  俺に向かって邪眼をぶっ放しやがったんだぞ!俺じゃなきゃ死んでたぞ!あんな化け物に乗り
  
  移りやがって!あんな死体、そのへんにゴロゴロしてねぇだろう!どこで見つけたんだ!」
  
  
  
  厄介な死体に乗り移った罪人の魂に散々悪態を吐き、青年は関節から先がない右腕を一振りする。
  
 その直後には、千切れていたはずの右腕は元の形に戻っている。
 
 
 
 「それで奴は捕まえられたのかよ?」

 「ごめん、御主人。今グリム達に追わせてるけど、奴は色んなものに変化しながら逃げてる。追い
 
  詰めても捕まえるのは難しいかもしれねぇよ。」
  
  
  
  聞いた途端に、青年の秀麗な眉が思い切り顰められた。



 「追い詰めても死体から抜け出して、今度こそ糸を絡めた奴らに寄生するかもしれねぇしな………。」
 
 
 
  舌打ちした青年は、後手後手に回ってやがる、と苦虫を噛み潰したような声で呟いた。不機嫌こ
  
 の上ない主人に、蒼褪めた馬は身を竦ませ、ちらちらとその顔色を窺う。むっつりとした黒い眼が、
 
 ぎゅっと閉じられるとぱっと開き、低く言い放った。
 
 
 
 「どうやら、仕事の片手間に終わらせられる仕事じゃねぇな。」

 「御主人?」


 
  不安そうに訊く愛馬に、マッドは冷ややかな視線を送る。



 「仕方ねぇ。この俺が、わざわざ仕事の手を止めて、あの罪人をひっ捕らえてやろうじゃねぇか。」
 
 「御主人!それは!」

 「万聖節が来る前に終わらせるぞ。そんで万聖節の日に、溜め込んだ仕事を全部片付ける。この世
 
  のありとあらゆる死神どもにそう伝えろ。」
  
  
  
  
  
  今から、万聖節までの間、この世の命の流れが全て止まる。