ヴァンパイアの覚醒
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  初めは小さな点のような声だった。
 
  けれど、鼓膜を引っ掻くようなその声は徐々に広がり、いつしか巨大な喧騒へと変貌していった。
 
  星一つ見えない闇夜の空の、何処からともなく――むしろ、そこかしこから降るような甲高い声
  
 は、一つや二つではない。草むらに隠れる虫の音のように無数に響き渡っているが、しかし虫の音
 
 といった情緒溢れるものでない事は、声の持ち主の姿は見えずとも一目瞭然だった。
 
 
 
 キチキチキチ………。
 
 
 
  何かが擦れ合わさるような音を立てて、闇から闇が降って落ちる。その様は、獲物を狙って滑空
 
 する隼と言うよりも、弱者を玩具として弄ぶ子供の仕草だ。
 
  奴らは、自分達の眼下を必死に走る影を、嬉々として見ては気紛れに滑空しては首根っこを自ら
 
 の牙に引っ掛け、引き摺り上げ、そして地面に叩き落とす。それでもまだ動く玩具に、更に喜び、
 
 遊びを増長させていく。
 
 
 
  それは、彼らにとっては、自らに許された権利だった。
  
 
 
  夜の闇に生き、ヒトよりも長い牙を持ち、優れた身体能力を持った生命体。生命のピラミッドが
  
 あるというが、ならばその頂点に立つのは間違いなく自分達だ。
 
  ヒトはその存在を恐れ、けれどもいつしか御伽噺の中に存在するものとし、だが、実はこうして
  
 ヒトを食らう闇の生き物。
 
 
 
  魔物、化け物、怪獣、幻獣………呼び名は様々だ。その中にも様々な種類が存在し、中にはヒト
  
 を食らわぬモノもいるが、大概のモノは何らかの形で人間を搾取する。今宵の、奴らのように。



  奴らは、眼を細めて、今夜の獲物を見下ろす。
  
  
  
  背は高く、量はありそうだが、しかし肌艶や身体付きを見る限り、決して美味そうな獲物ではな
  
 い。食事としてはBのCくらいか。
 
  だが、だからといって玩具として使えないわけではない。現にいつもの獲物とは違い、何度叩き
  
 落としても壊れる気配がない。なかなか楽しめそうだ、と奴らは互いに顔を見合わせ、舌舐めずり
 
 をした。
 
 
 
  そして、再び、その首根っこに牙を引っ掛けようとした時。
  
  
  くるり、と獲物がこちらを振り向いた。
 


  振り向いた顔にあったのは、奴らが想像していた怯えの表情ではない。どこまでも無感情無表情
  
 な、醒めた顔だった。その中で、青い双眸が静かな光を湛えている。
 
 
 
 「………ここなら、誰も来ないだろう。」
 
 
 
  低いが、良く響く声に射抜かれて、それでも止まらずに牙を振り下ろした奴らの一匹が、その砂
  
 色の髪に向かって大きく顎を開く。
 
  が、次の瞬間、その開かれた顎から凄まじい勢いで鮮血を噴き上げて、そのまま地面に振り落と
  
 される。
 
  あっと言う間に襤褸になった仲間の姿に、奴らの高い声がいっそう激しさを増した。それに向き
  
 直る男の手には、今しがた地面に引き摺り下ろした一匹から引き抜いた牙が握られている。
 
 
 
  仲間を殺されてうろたえた奴らの眼には、信じられないというような光が灯っている。ピラミッ
  
 ドの頂点に君臨する自分達が、何故、ただのヒト如きに、と。
 
 
 
 その思いは一瞬にして怒りに変わる。
 
 
 
  キチキチキチ、と激しい声を立てて、奴らは一斉に男目掛けて急降下した。ただのヒトならば眼
  
 に見る事は不可能な速さで、矢の様に降りかかる。その強靭な身体は忽ちのうちに、男の身体を引
 
 き裂いた。
 
 
 
 かのように見えた。
 
 
 
  転瞬、男の手の中には白い牙ではなく銃が、魔法の様に煌めいていた。そこから吐き出される銃
  
 声。一発にしか聞こえない音は、しかし実は無数の銀の弾丸となっている。
 
 
 
  銀。
 
 
 
  幻獣と呼ばれる中でも、特に闇の気配が濃い生物にとっては致命的な物質。しかも、闇の種族の
  
 中でも下等な奴らにとっては一溜まりもない。
 
  血煙りを上げながら失墜する奴らの中の一体を捕まえると、男はそのおぞましい首筋に顔を近付
  
 けた。そして口を開く。
 
  そこから覗くのは、鋭い犬歯だ。
  
  
  
 「お前達の記憶に訊く…………お前達が最近になって騒いでいる理由を。」
 
 
 
  当てにはならないが、と言い捨て、彼はずぶりと牙を突き立てた。
   
  ここ最近になって奴らを含める闇の種族が騒ぎ出した理由。これまでもこうして何度も牙を突き
  
 立て、記憶を覗いてきたが、一度として真相に近付く事はなかった。そして、今回も同じく。
 
  もはや用済みになった獣の姿を打ち捨てると、男は頭を上げ、視線を辺りに巡らせた。
  
  
  
  男が探すのは、自分が殺さねばならない相手。逢った事はないが、必ずいる事は知っている。そ
  
 れが、男の命に刻み込まれた印だからだ。そして、この騒ぎの中心に、その相手がいる事も。
 
 
 
  そして、茶色に濁った月を見上げた瞬間に、はっとして振り返った。今まで感じた事がない気配
  
 が、けれども知っている気配が、そこにいる。
 
 
 
 「随分と派手な食事だな。」
 
 
 
  呆れたような声を上げたのは、黒髪の青年だった。いつのまにか現れた彼を、男は見た事がない。
  
 けれど、知っている。
 
  無言で銃を向けると、青年はおどけたように両手を上げた。
  
  
  
 「おいおい、止めてくれよ。俺はこいつらみたいに、あんたを襲おうだなんて考えちゃいねぇぞ。」
 
 「……………。」

 「って、信じてねぇな、その顔は。ま、確かにこの先どうなるかなんか分からねぇし。」
 
 

  そう言って笑った青年の口からは、男と同じように鋭い犬歯が覗いている。それを見た瞬間、男
  
 は無言で銃を撃った。
 


  知らないけれど、知っている気配。そしてその牙。

  それが全てを物語っている。

  これが、殺すべき相手だ、と。



  しかし銀の銃弾は、青年の服の裾を食い千切っただけで、標的を見失った。
  
  
  
 「おい、おっさん。あんた見かけによらず血の気が多いな。」
 
 
 
  囁かれた言葉は、すぐ後ろから。吐く息さえ感じそうなくらい、すぐ近くで。
  
  
  
 「ま、いいさ。万聖節までの付き合いだ。これぐらいでちょうどいいのかもな。」
 
 
 
  振り返った時には、もう、いない。
  
  
  
 「じゃあな、サンダウン・キッド。俺の名前は次逢う時にでも。」
 
 
 
  口にしていない自分の名前を囁かれて、ぎょっとした。周囲を振り仰いでも、何処にも姿はない。
  
  
  
  ただ、月が濁っていた。