6.壊れた街灯


 


「っ、おい!」

 
 両手首を拘束されて身体を壁に押し付けられた状態で、マッドは怒鳴った。
 
 尤もその声には怒りよりも驚愕のほうが多く込められており、誰かの身を竦ませるには至らない。

 事実、拘束されたマッドの腕は、まだろくに力も入っておらず、抵抗の態をなしていない。

 そんな身体をやすやすと拘束してみせた男はと言えば、片手だけでマッドの両腕を掴み、残る一方
 
 の手でマッドの羽織るジャケットを脱がせ始めた。

 それには流石にマッドの声にも怒りが滲み始める。


「馬鹿!こんな所で何考えてやがる!」


 夜も更けたとは言え、此処は外。

 しかもいつも情を交わす荒野の真ん中ではなく、小さいとは言え人が住む町中だ。
 
 確かに一頭しか馬が括りつけられていない簡素な厩があるだけで、他には何もないこの場所は、町
 
 人達も普段から訪れる事がないのだろう。

 現に、押し付けられた家屋の壁は、マッドが身動きすればざらりとこびりついた砂が零れる。
 
 遠くに家から零れる灯りが辛うじて見えるだけで、近くにある街灯はぴくりとも反応せず、本来の
 
 機能を果たそうとはしていなかった。

 暗い暗い闇の中。

 しかし、今宵は誰も訪れる事がないこの場所にさえ、町人の気配を感じる。


「キッド!人が来たら………!」


 覆い被さる男にマッドは、小さく叫んだ。

 その耳には眼の前の男の息遣いと、町の住人達が罠を仕掛ける必死な音が聞こえている。

 『こんな時に』と言うほど余裕がないわけではないが、しかし町人達が駆けずり回っている脇で情
 
 事に及ぶのは流石に気が引けた。

 というか、それ以前に場所が場所だ。

 しかし、せめて家の中でと思えば、いやそんな事してる場合じゃないだろと、やっぱり『こんな時
 
 に』という言葉に近い台詞が過ぎり堂々巡りだ。

 そして最終的には、いやいやそんな事を考えている暇があったら眼の前のこの男をどうにかするべ
 
 きだ、という至って普通の結論に至る。

 が、マッドの良識的な考えを、5000ドルという非常識な賞金を掛けられている賞金首は、ばっさり
 
 と切り捨てた。


「お前が静かにしていれば誰も来ない。」

「ふざけんな!」

「ふざけてこんな事はしない。」


 いつもの飄々とした受け答えをするサンダウンは、器用に片手でマッドのシャツのボタンを外し始
 
 める。

 銃の扱いだけでなく、こういうしょうもない事に対しても器用に指が動くのかと、マッドは頭の片
 
 隅で妙に冷静に思った。
 
 が、その器用な指が何の戸惑いもなくベルトを外し始めると、僅かに残った冷静さも引っ込んだ。


「こら、止めろ!こんなとこでさかんな!」

「誘ったのはお前だ。」

「俺は何もしてねぇよ!てめぇが勝手に盛り上がってるだけだろうが!」


 足をばたつかせて暴れると、サンダウンは仕方なさそうにマッドの服を脱がせる手を止めた。

 しかし両手の拘束を解かない辺り、諦めたわけではなさそうだ。

 警戒しつつ睨み上げるマッドの顎に、ゆっくりとかさついた手が掛かる。

 しっかりと視線が固定され、暗がりでも分かる青い双眸が絡みつく。

 その視線と同じくらいねっとりとした声で、サンダウンは囁いた。


「一番最初に誘ったのは、お前だ。」


 もはや忘れそうなくらい以前にあった『一番最初』。

 それを引き合いに出して『もう遅い』と言葉の裏で呟いている。
 
 いやまあ確かに一番最初に誘ったのはマッドなわけだが、しかし。


「あんただって、あれ以降は結構がっついてただろうが!割合としちゃ、俺が誘うのよりもあんたが

 襲いかかるほうが高けぇよ!」

「お前が誘うからだ。」 
 
「だから誘ってねえ!」


 怒鳴ると同時にマッドは蹴りを繰り出す。

 が、それはあっさりと受け止められ、しかもそのまま脚を押し広げるような形で持ち上げられる。

 あまりにも危険すぎる体勢に、マッドは本気で蒼褪めた。

 覆い被さる男の高い影が、再び意図的に動き出す。

 
「やめ―――。」


「おじちゃーん!どこー?」


 少年ののほほんとした声が、妖しい空気が漂う暗がりに流れこんできた。

 はっとするマッドの頭の中で色々な考えが去来する。

 此処で声を上げれば現状を打破する事ができるかもしれない。

 しかしこの状況をどう説明すれば良いのやら。

 だが今はこの状態をどうにかするのが先決ではないのか。

 一瞬でそれだけの事を考え行動に出ようとした時、それよりも早くサンダウンが動いた。

 すっと息を吸い込んで声に変換しようとしたマッドの口を自分の口で塞いだのだ。


「っ…………ん!」


 いきなり口腔内を掻き回されて呼吸を奪われ、マッドは涙眼になった。

 その間も、自分達の周りには幾つもの気配が蠢いている。


「んっ……んっ、んんーっ!」


 身を捩って息苦しさを伝えるが、サンダウンはまだ解放する気はないようだ。

 闇の中で、気配と音だけを感じていたのが、朦朧としてきた所為があちこちで混ざり合い始めて、
 
 何処で何が起こっているのか分からなくなる。

 やがて、その気配が不意に遠ざかった。

 それと同時に唇が離れる。
 
 すぐ傍にあるのは、サンダウンの気配だけだ。


「はっ………てめぇ………っ!」

「すぐに終わる。」


 先程までの危機など一向に介していない表情で、男は言い放った。

 
「分かってんのか!これで腰痛めて戦えなかったらどうしてくれるつもりだ!」

「だから、すぐに終わらせると言っている。」

「やらなきゃいいだけの話だろうが!」

「した後にすぐに馬に乗れるお前が何を言う。」

「うるせぇ!」

「マッド。」


 かり、と最中の時のように耳を甘噛みされた。
  
 びくっと肩を跳ねさせると、噛まれたところを舐められる。


「…………嫌か?」


 ぞっとするほど熱っぽい声音で囁かれ、マッドは呻いた。

 嫌かと言われて、はい嫌ですと答えられるような状況でもないし、それにサンダウンの言葉には主
 
 語がなかった。

 つまり、何が嫌なのか考える余地がある。

 それが、サンダウンの事を嫌だと言っているともとる事が出来るわけで。


「く、そ………卑怯者が………。」


 苦く言うと、それを了承と受け取ったのか、闇の中で男が笑ったような気がした。

 衣擦れの音が大きく聞こえたのが最後、マッドの口からは罵声は出てこない。


 

 濡れた沈黙が降りた跡、馬棒柵の中で、一頭の馬が小さく嘶いた。