サンダウンは、生命の気配のなくなった馬車の前で、抜き身の刃を一振りし、付着していた血糊
 を払い落した。
  彼らが襲いかかってきたのは、マッドと二又で別れた後、かなり経った頃だった。
  マッドはこの道が港街に行く道だと言っていた。しかし、港街まではかなり距離があるのか、馬
 車で行く人々は見かけるものの、サンダウンのように徒歩の者は誰一人としていなかった。
  おそらく、今日中には着かないだろう。そう思ったサンダウンは、早々に何処かで野宿をする覚
 悟を決めたのだ。事実、日が暮れかけても、街が近付いてくる気配は一向にない。
  野営をする事に、特に抵抗はない。
  騎士として戦の前線に立っていた時は、何時何が襲ってくるとも分からぬ場所で身を休めなくて
 はならなかったし、それに教会に追われるようになってからは街を訪れる事自体が難しくなってい
 た。
  尤も、最近では、マッドが一緒にいたので、負担は大分なくなっていたのだが。
  しかし、そのマッドはもう此処にはいない。あの二又の道で別れてしまった。
  変わった男だったな、と思う。それとも、傭兵とは皆あんな者なのだっただろうか。サンダウン
 は、何度か眼にした事のある傭兵を思い浮かべ、やはりマッドは変わっていたのだ、と思う。
  そもそも、魔法使いの傭兵なんてもの自体が少ない。傭兵と言えば、手に武器を持ち、力技で相
 手を捩じ伏せるような、兵士崩れの者が多い。むろん、中には何処となく上流階級の出を匂わせる
 者もいなくはないが、しかし基本的には剣や槌や鉾を持って、前線で戦う者だ。多少の魔術の心得
 はあっても、それは本当の基礎中の基礎でしかない。
  マッドのように、なんの気負いもなく魔法を使う傭兵は、サンダウンが見てきた中にはいない。
  そして、おそらくサンダウンの中に宿る悪魔の哄笑にだって、気付いていただろう。教会の僧侶
 達でさえ、実際に悪魔が憑いた瞬間を眼にしなければ分からない悪魔憑きを、マッドはあの短い期
 間で見抜いている。
  何者だ、と思う。
  サンダウンの剣が、ただのクルセイダーズ・ソードでない事を見抜いた事と言い、恐らく悪魔憑
 きにも気付いているであろう素振りと言い。
  しかし、それを問い質す術はもうない。サンダウンはマッドと離れてしまったし、それに、問い
 質したところでどうにもならない。サンダウン自身、マッドの過去を知ったところで何が出来るわ
 けでもない。
  だから、あのまま別れて良かったのだろうと思う。




  Gram





  日が暮れ、サンダウンがマッドの事を頭から払い落して野営の準備をしようと考えた頃に、その
 馬車は近付いてきた。土を踏み固めただけの簡素な道を、カタカタと車輪の回る音を響かせながら
 やってきたその馬車は、一見すると普通の商人の使う馬車のように見えた。
  灰色の幌を被せた馬車は、茶色の二頭の馬に引かれながらやってきて、ふと何かを考えたように
 サンダウンの前で止まった。
  馬の手綱を握る御者は、白いシャツを着たでっぷりと太った男で、如何にも商人の顔をしたその
 男はサンダウンを見るとにこやかに言った。

 「見たところ、この先の港に行くようですが。如何かな、馬車に乗られては?幸い別の街で荷も売
  れた頃。貴方お一人くらいならば、乗る場所はありますが。」

  聞けば親切な申し出だった。
  しかし、サンダウンはそれを一語で断る。

 「……いや。私は徒歩で構わない。」
 「おやおや、随分と、殊勝な方だ。しかしこの辺りは狼も出れば、商人を狙った夜盗も出るとの噂。
  御一緒したほうが良いのでは?」
 「その気持ちだけで十分。私は徒歩で行かねばならない。」
 「私としても、貴方に同行していただいた方が、夜盗などに出会った時に心強いのですが。」
 「申し訳ないが。」

  執拗に同行を迫る商人の言葉を、すげない返事で躱しながら、サンダウンは腰に帯びていた剣に
 ゆっくりと手を伸ばす。そして、いつでも鞘から抜き放てるように、鍔に指を掛け、そっと鞘から
 離す。
  サンダウンが剣を抜けるように動いている事に気付いたわけではあるまいに、商人の表情が最初
 のにこやかなものから、徐々に無表情へと変貌していく。

 「人の好意は素直に受け取っておくものですぞ……。」
 「………それが好意であるならば。」

  言うや否や、サンダウンは剣を抜き放ち、背後から忍び寄っていた細長い影を三つ、一度に叩き
 落とす。ばらり、と真っ二つに裂けた弓矢が地面に落ちるのを最後まで見ず、サンダウンは返す刀
 で、舌打ちした商人の首筋に刃を突きつける。
  その間にも、空いたもう一方の手は動き、ベルトに仕込んでいた短剣を抜くと、背後の茂みに鋭
 く投げ放った。
  短く、ぎゃっという悲鳴が聞こえ、何かが倒れる音がする。

 「……何者だ。」

  背後から気配が失せたのを確認し、サンダウンは商人――の振りをしていた太った男に突き付け
 る剣の腕を緩めないまま、低く問う。
  一瞬で膨れ上がったサンダウンの殺気に、馬車に繋がれた馬が騒ぎ始める。それに伴って、太っ
 た男も逃げ出そうとでも言うのか、馬を鞭打とうと微かに手を動かそうとしていた。
  だが、それがサンダウンに気付かれぬはずがない。
  サンダウンは、僅かに剣をずらすと、代わりに男の首元を掴んで、そのまま男を馬車から引き摺
 り降ろそうとした。 
  が、すぐに飛び退る。
  今度は、誰もいないと思っていた馬車の中から矢が放たれたのだ。どうやら中にまだ誰かいるら
 しい。
  サンダウンが手を離した隙に、再び馬を走らせようと男が鞭を振り上げている。
  だが、サンダウンは彼らを逃すつもりはない。すぐに剣を走らせて、馬と馬車を繋いでいる留め
 具を切り捨てている。荷車と、人間を置いて、嘶いて走り去っていく馬。
  逃れられないと悟った太い男が、見かけによらぬ俊敏さで、先程まで馬を叩こうとしていた鞭を
 繰り出してきた。しかし、サンダウンにとってはそんなものは何の障害にもならない。太った男の
 身体の向こう側から、睨むように輝いた鏃でさえ、ただの煌めきに過ぎない。
  鞭を振り上げた男に、馬の留め具を叩き切った剣をそのまま上に振り上げ、その米神から頤まで
 を切り捨てる。噴き上がる血の向こう側から、何の躊躇いもなく――太った男を射抜く事になんら
 戸惑いもみせず――飛んできた矢を切り伏せ、地面を蹴って御者台に飛び乗ると、そのまま薄暗い
 幌の中に入った。入る時に、剣を走らせて幌を切り裂くのを忘れない。
  切り裂かれた幌の隙間から、既に日が暮れているとはいえ、日が落ちた後の仄暗い明かりが差し
 込み、幌の中を照らす。そこには、様々な荷物と共に幌と同じ灰色のローブを纏った人影だった。
 弓を構えた姿は、けれども肉薄したサンダウンを射るには遅すぎる。
  矢をつがえたその姿は、そのままの姿で、サンダウンの凶刃を受け止め、幌に赤い弧を描いて倒
 れた。
  物音の失せた馬車の中で、しばらくの間サンダウンは、それでも注意深く辺りを窺う。そして、
 誰もいない事が確かであると分かるや、素早く倒れた男達の死体を見分し始めた。
  荷車に置いてあった荷物はどれも意味のないもので、サンダウンは死体に何か手掛かりがないか
 と調べる。少なくとも、サンダウンはこの男達の顔は知らない。サンダウンとて、異端審問官の顔 
 を全て知っているわけではない。しかし、この男達からは異端審問特有の気配――何処か教信者じ
 みた、或いはどっぷりと政治に浸かり込んだ気配がしない。
  何よりも、彼らの身体には、何処にも聖職者を示す十字がないのだ。
  では、彼らは一体何者なのか。
  夜盗の類ではないだろう。夜盗ならば、価値あるものを持っていなさそうなサンダウンを襲うわ
 けがない。サンダウンを襲うよりも、サンダウンを追い越していった幾多の馬車を襲ったほうが効
 率的だろう。つまり、彼らは紛れもなく、サンダウンを狙っていたのだ。
  思いながら、手早く死体を漁る。着衣の中を弄っていると、ようやく何かに指が引っ掛かった。
  引き摺りだしたそれは、円環と六芒星を組み合わせたアミュレットだ。それが魔術的要因を示す
 ものである事を想像するのは容易い。だが、それだけでは何処にでもあるお守りだ。ただ、裏側に
 刻み込まれた羊頭の悪魔が。
  舌打ちしてサンダウンはそれを死体の中に戻す。
  なるほど、確かに彼らは異端審問官ではない。むしろ真逆、異端審問される側の人間だ。恐らく、
 何処かでサンダウンの中に取りついた悪魔の噂でも聞いたのか。
  面倒な事になった、と思う。
  だが、それでもサンダウンは自分の命を容易く彼らにやるつもりはなかった。相手が何者であろ
 うとも切り伏せて進むしかない。
  そう思った瞬間、何処かで凄まじい地鳴りが聞こえた。
  脚の裏に響くその音に、はっとして幌の中から飛び出して辺りを見回せば、とっぷりと日が暮れ
 た夜の中で、サンダウンが歩いてきた道の方角の空が赤く染まっている。周囲に飛び交っているの
 は、あれは火の粉か。
  瞬時に思い出したのは、あの二又で別れた魔法使いの事だった。