マッドの声に、厳つい男はひくりと肩を震わせた。
  巌のような男を、僅かでも確かに鳴動させたマッドは、しかしそれを成した事を誇るふうでもな
 い。マッドにとって、誰かの素性を言い当てる事は、左程骨の折れる事ではないのかもしれない。
  あからさまではないものの、しかしマッドやキースの距離からは隠しようもない反応をした男は、
 ちらりとマッドを見やって、剃刀色の眼にすぅと光を乗せる。

 「………それが、どうかしたか?」
 「いんや、別に。ただ、こんなところであんたに会うのは、奇遇だなぁって思っただけだ。」

  ジェフリーの言葉に、マッドは小首を絶妙な角度で傾げてみせる。
  それはもう、あどけないほどに。
  だが、その仕草がマッドの言葉の裏にある何かを隠しおおす為のものだと、果たしてジェフリー
 は気が付いたかどうか。
  マッドを品定めするように目を細めるジェフリーと、黒い瞳を夜空のように煌めかせたマッドの
 視線が、鋭い音を立てたかと思うほどに交差する。
  それが誰の眼にも止まらなかったのは、大きく押し開かれたウエスタン・ドアの立てる音の所為
 だった。
  一体、いつの間に誰が呼んだのか、保安官ヴェニスがサルーンの入口でこちらを睨み付けていた
 のだ。
  騒ぐなと釘を刺されたのは昨日の今日だ。
  どうも閉鎖的で、もしかしたら旅人を食い潰して肥えているかもしれないこの町では、マッドと
 いう存在は大いに邪魔だろう。だから、一刻も早く追い出そうという事で、この騒ぎをネタにしよ
 うと言うのかもしれない。
  が、マッドはヴェニスの登場にも表情一つ変えず、いつもの笑みを湛えるばかりだった。
  マッドの表情に顔を顰めたヴェニスは、むっつりと押し黙ったままこちらに近づく。
  かに思われた。
  今にも足を踏み出し、鬼の首でも取ったかのように己の不穏分子を取り除こうとしていたヴェニ
 スは、唐突に棒立ちになった。
  鉄棒でも飲み込んだかのように立ち尽くすヴェニスの眼は大きく見開かれ、かと思えば忽ちのう
 ちに視線を忙しなく動かし始めた。顔色は見る間に白茶けていき、厳めしかった顔立ちも今にも泣
 きだしそうな子供のようなものに変わっている。
  あまりの変貌ぶりに、キースが呆気に取られているうちに、ヴェニスは身を翻してこんな場所に
 は来るつもりはなかったのだと言わんばかりに足早に立ち去っていった。
  ぽかんとしたキースはマッドにちらりと視線を動かす。すると、マッドはキースの視線を受けて、
 肩を竦めてみせただけだった。ただし、その顔色に驚きや呆れのようなものはない。何か当然のも
 のを見たという、ありふれた顔つきをしていただけだった。
  さて、ヴェニスが立ち去ると、不意に巌のように押し黙っていたジェフリーも身じろぎした。床
 に伸びた男を大股で踏み越えて、空けていたテーブルへと戻る。
  その後ろ姿をマッドが微かな視線の動きだけで追いかけ、キースに朗らかに言った。

 「どうも此処じゃあ静かに酒も飲めねぇし、ゲームも出来ねぇ。部屋に戻って仕切り直しだ。」

  散らばったカードをそのままに、マッドはカウンターから二、三本酒瓶をすくねると、キースの
 肩を酒瓶で押しながら、それ以上何かに興味も見せずに隣接する宿へと向かう。
  ただ、最後にちらりとマッドの視線がジェフリーを見たのだが、キースはその事に気付かなかっ
 た。





 「ありゃ、一体なんだったんだ。」

  部屋につくなり、酒瓶を開けてかぱかぱと酒を始めたマッドに、キースは問いかけた。
  グリーンのボトルを傾けて、そのまま直接酒を飲んでいたマッドは、キースの問いかけに小さく
 首を傾げた。いっそあどけないほどの表情と仕草は、何処までも洗練されていて、きっとおぼこい
 連中ならばころりと騙されてしまうだろう。
  けれどもキースとて、マッドから見れば半端物かもしれないが、それなりに賭博師として裏の世
 界も見てきた。マッドの計算しつくされた仕草に、すぐに騙されたりはしない。

 「何の事だ?」
 「色々とあるだろうが。俺に説明してねぇ事が。」
 「俺だってお前を追いかけてる男が、まさかお前の昔の男だったって事は聞いてなかったなぁ。」
 「昔の男じゃねぇ!」
 「じゃあ、今の?」
 「今も昔も、俺には男がいた事なんかねぇ!」

  放っておいたら、このままはぐらかされてしまいそうだ。
  キースは一旦会話を打ち切り、小さく溜め息を吐いてから再び口を開く。

 「まあ、あの男についてきちんと説明しなかった事は謝る。」

  尤も、だからと言っていきなりマッドが自分の男発言した事の正当性ににはならないのだが。
  が、今はそれについては良い。
  いや、長い眼でみたら、この先、マッドの男扱いされる事による不条理が待ち構えているのかも
 しれないが、それはマッドも同じ事だろう。しかし男と出来ているという噂が立ちそうな状況であ
 るにも拘わらず、マッドがへらへらしているのを見ると、おそらくその噂は何処かで立ち消えるも
 のなのだろう。多分。  
  それよりも、キースには気になる事があったのだ。

 「あのジェフリーって野郎と、ヴェニスって保安官は知り合いなのか?」

  逃げ出すようにサルーンを出ていったヴェニスが、何を見て今にも泣きだしそうな情けない表情
 を曝したのか、呆気に取られていたキースでも気づいている。
  ヴェニスは確かに、ジェフリーを見ていた。ジェフリーを見た途端、拳骨を嫌がる子供のような
 表情をしてみせたのだ。

 「マッド。あんたはジェフリーって野郎が、元保安官だって言ったよな?その時の知り合いなんじ
  ゃねぇのか?」
 「さてなぁ………。」

  マッドの答えは、なんとも答えをはぐらすものだった。
  眼に見えてむっとしたキースに、マッドは苦笑した。

 「あいつらが保安官時代に知り合いだったとしても、俺も流石にそこまでの交友関係は知らねぇよ。
  それにジェフリーが保安官だったのはかなり前の話だしな。俺もまだひよっ子の時だ。まあ、調
  べりゃ分かるだろうが。」
 「調べるのか?」

  キースは、当然調べるものだと思っていた。
  賞金稼ぎが行方不明になっている町の保安官が賞金稼ぎ嫌いで、その保安官が泣き出しそうな顔
 をするという元保安官。調べれば、何か分かるかもしれない。そう思うのが普通だろう。 
  だが、マッドは軽く首を傾げたままで動かない。何処か遠くを眺めたマッドは、しばし黒い眼を
 見えもしない遠い地平線へと向けていたが、やがてにっこりと笑った。

 「キース。俺は明日、ちょっとばかり他の町に顔を出してくる。」

  賞金稼ぎが消息を絶ったのはこの近辺。そしてこの近くには他にも町がある。マッドはその町に
 も別の賞金稼ぎを潜り込ませていた。その賞金稼ぎ達の様子を見に行くと言う。

 「まあ、未明に出れば明日中には戻ってこれるだろ。それまで大人しくしてろよ。」
 「は?俺も行くんじゃねぇの?」

  置いてけぼりだと告げられたキースは、待て待てとマッドに反論する。

 「なあ、お前分かってんのか?お前は俺を追いかけてきた男を殺したわけじゃないだろ。あいつま
  だ生きてるだろ。お前がいない間にまた襲ってきたらどうすんだ。」
 「安心しろよ、余程の馬鹿でもない限り、この俺様の男に手を出そうなんて奴はいねぇよ。この町
  の連中にしたってそうさ。俺がいない間にお前が死んだり行方不明になったら、即座に自分達に
  疑いがかかるだろうからな。」

  マッドの疑いの牙から逃れられる奴などいない。疑いをかけられれば、この町が更地になるまで
 徹底的にあらゆる事象が掘り返される。
  だから安心して良いとマッドは言う。

 「とは言え、挑発的な行動は避けるべきだな。だから大人しくしてろよ。」
 「この町の人間が、そんな事も分からねぇくらい馬鹿だったらどうすんだよ。」

  この町の人間ではなくても、あの男にそんな理屈が通じるとは思えない。
  だから、とマッドは笑みを崩さずに繰り返した。

 「大人しくしてろって言ってんだよ。」

  俺が戻ってくるまでの間なんだ、出来るだろ。
  マッドはキースの声など、それ以上聞くつもりはないようだった。おそらく、キースが懇願して
 も連れて行ってはくれないだろう。
  マッドは賞金稼ぎ達と情報交換に行くのだ。その場に、部外者のキースを連れていくのはまずい。
 それはキースにも分かる。だが、キースは金を払ってマッドを雇っているのだ。確かにマッドは一
 度はキースの身を守った。しかし、脅威はまだ去っていない。
  けれども、これ以上は何を言っても無意味だ。
  少しだけ歯を食いしばって、キースは勝手にしろ、と呟く。マッドの膝の上からボトルを一本奪
 い取って、一気に飲み干した。
  その様子を、相変わらず微笑んだままのマッドが眺めていた。





  散々飲んだにも拘わらず、マッドは宣言通り、太陽の欠片もない未明に起き上がった。
  キースに声をかける事さえせずに、さっさと身支度を整えると床を軋ませる事もなく、ジャケッ
 トの裾を一つ翻して扉から出ていった。