マッドとキースの予想は半ば外れ、半ば当たったようなものだった。
当たった半分のほうは、キースを追っている男が遂にこの町の事を嗅ぎつけた事である。マッド
とキースが大人しく――マッドは予断なく周囲を見回しているらしかったが――二人でカードゲー
ムに興じているところに、姦しい音と共にねじ込んできた男がいたのだ。
薄汚いジャケットを羽織った、見るからに見苦しい男は、一見しただけでキースにイカサマをさ
れた男であると気が付いた。
いや、キースは男の声を聴いた途端、それが誰であるのか気が付いて、咄嗟に顔を伏せたほどだ
った。
キースは、この男にほとほと閉口していた。
一目見てカモだと思った。だからイカサマを仕掛けて金を巻き上げてやった。一度はそれで良か
った。一度やってみて、どうもイカサマに気づかれていないようだとキースは思ったのだ。だから、
その後、何度か会ってゲームをして二度、三度とイカサマで金を巻き上げてみた。
それでも、男はヘラヘラとして何も言ってこなかった。
それで調子づいたのがいけなかった。
いつものようにイカサマを仕掛けて金を巻き上げた夜、男が唐突に豹変したのだ。いや、端から
そのつもりだったのか。
金を巻き上げたキースを、舌なめずりするかのような厭らしい視線で嘗め回した男は、そろそろ
こちらにも美味しい思いをさせろと言ってきたのだ。
一瞬、キースには何を言っているのか分からなかった。
確かにこれまでの間、美味しい思いをしてきたのはキースだった。だが、カードゲームという勝
負事で美味しい思いをするのはゲームの腕――或いはキースのようなイカサマが必要だった。それ
もなく、美味しい思いなど出来るはずがない。
だから、キースは冷ややかに、だったら俺に勝てば良いんだ、と答えた。
すると、男はにやにやとした口元を隠さずに、イカサマで美味しい思いをしただろう、と告げた
のだ。
ばれていたのか。
キースは眼を見開き、同時にそれならば何故見過ごしていたのか、と思う。イカサマをされてい
て金を巻き上げられて、それを黙っていたのなら美味しい思いなど出来なくて当然だ。むろん、イ
カサマをしたキースにも非はあるが、黙って言いようにされていた男に何かを言われる筋合いはな
い。
しかし、男はキースの言い分など聞こえていないのか、にやつくばかりだ。
そして、こちらはお前に金を払ったのだから、それなりのものを支払えと言ったのだ。
瞠目したキースは、なんて性質の悪い押し売りだと思った。或いは、これは新手の詐欺だろうか。
だが、そんな考えは、男がキースの腰を抱こうと手を伸ばしてきたあたりで吹っ飛んだ。つまり、
男の狙いは最初からキースの身体だったわけだ。
マッドの事を優男だ優男だと言っているが、はっきり言ってキースもどっこいどっこいの身体つ
きをしている。しかも銃の腕で鳴らした実力のあるマッドとは違い、キースには賭博師としての実
績以外には武勇伝は何もない。
だから、顔立ちやら立ち振る舞いやらは多分マッドのほうが上だろうが、高嶺の花には手出しが
出来ないと踏んだ男が、顔立ちはそこそこでも、とりあえずすぐにでも食べられそうな路傍の草に
手を出したのは、理解ができる事ではあった。
理解できる事と、それを受け入れる事には雲泥の差があるのだが。
そういう話を聞いた事がないわけではない。
女の数が少ない、娼婦を買うには金が要る西部の荒野のこのご時世、粗暴で貧乏な男が男で渇き
を凌ぐと言う話は、酒場での世迷い事の中で聞いた事がある。
しかし聞いた事がある、程度であって実際に誰がどか、どうやってとかまでは聞こうとは思わな
かった。それは男としての矜持であったり、或いは誰かに組み敷かれる事に対して男なら誰しもが
持つ恐怖感があったからかもしれない。
とにかく、キースは実際にそんな事を実践しようと――しかもよりにもよって自分で――する輩
を見るのは、初めてであったのだ。
だから、これまた普通の男としては当然の反応で、キースは己を性欲の対象とした男から逃げ出
したのだ。
唯一の誤算は、この男が簡単にキースを諦めなかった事だ。
よほど飢えているのか――しかしそれならば何とかして女でも抱けばいい――それともキースに
狙いを定めていたのか。とにかく、キースが逃げれば逃げるほど、執拗に追いかけてくるのだ。
そして、遂にこの町にまでやって来た。
キースはほとほと困り切っていたのである。
顔を伏せたまま、キースがマッドを見ればマッドはこちらを見ていた。突然顔を伏せたキースを
怪訝に思ったのだろう。そんなマッドの視線からも、もう一度眼を伏せて逸らした耳に、男の濁声
が響き渡った。
「おい!最近此処に若い男が来ただろう!賭博師だ!」
喚く男の声は、残念ながら的確にキースを示している。
ここ最近この町にやって来た若い賭博師は、キース以外にはいない。マッドも若いが、マッドは
知らぬ者のいない賞金稼ぎの王だ。
だから、酒場にいる連中がキースのほうを指差したとしても何ら不思議はない。何せキースが此
処にいる理由も彼らは知らないし、キースを隠す義理も彼らにはないのだ。
あからさまな笑みを、男が浮かべたのが、見ずとも分かった。下品な笑い声とこちらに近づく這
うようなブーツの音と。
マッドがキースと、近づく男を見比べる気配がする。
マッドには近づく男が、キースを執拗に追いかける男と同一人物であると分かっただろう。だが、
マッドはキースが追われている理由を、完全には知らない。イカサマの所為だけではなく、キース
の身体が狙われているのだという事を知らない。キースもそんな事を言うつもりはなかった。
だから、男がねっとりとした口調で声を発した時は、嫌な汗が背中を伝った。
「こんなところにいたのか、キース。鬼ごっこにしちゃあ少し遠出しすぎじゃあねぇのか。あと、
男を焦らすのにもな。優しくしてやろうとは思ってたが、ちょっとばかり足腰が立たないくらい
いかせてやったほうが良いな。」
「何言ってんだ、おっさん。」
下品な男の声を優雅に切り捨てたのは、事もあろうことかマッドだった。いや、確かにマッドは
キースを守ると宣言していたが。
「あんたがこいつに何を期待してるのかは知らねぇが、こいつは俺の男なんでな。勝手に一人で盛
り上がって、こいつを脳内嫁にするのはやめてくれねぇか。せめて、この俺に一言言ってしかる
べきだろうが。」
むぎゅっと抱き付いてくる賞金稼ぎに、キースは別の意味で凍り付いた。
何を言っているんだ、この賞金稼ぎ。
酔ってるのかまさか。酒を飲んでもいないのに。
「それともあれか、こいつを巡る決闘がお望みか?おもしれぇ、受けて立ってやろうじゃねぇか。」
さあ白い手袋をぶつけてみろ、と言っているマッドは、何処かで頭の螺子を幾つか落としてきた
んじゃないだろうか。
男なのに賞金稼ぎマッド・ドッグに抱き付かれるという前代未聞の事態を味わっているキースの
腹の底では、どうしてこうなった、という言葉だけが輝かしく回転している。
「最も、てめぇみたいな小汚いだけのおっさんが、この賞金稼ぎマッド・ドッグ様に決闘を申し込
むだけの気概があるか、甚だ疑問だがな。安心しろ、逃げても臆病だと罵ったりしねぇぜ。相手
がこの俺様なら、誰だって相手が悪かったんだって慰めてくれるだろうよ。」
しかも、とち狂ったような事を言いながらも、さりげなく――いや清々しいほど堂々と相手を小
馬鹿にした言葉を織り交ぜている。此処まで馬鹿にしつくされて黙っているほど、目の前の男は賢
くないと思うのだが。
現に、マッドとキースの抱擁を見せつけられている男の米神には、ひくひくと血管が蠢いている。
ああ、決闘になる。
キースは、何処か遠い世界の出来事のように、来たるべき未来を淡々と見据えた。あと、マッド
の男であると言いふらされるであろう未来も。
というかマッドは、その辺は気にしないのか。男とできてるとか噂されても、血濡れの玉座に座
ってしまえば動じなくなるものなのだろうか。
男の拳が震えているのを眺めて、キースは徐々に現実逃避に近い事を考え始める。
薄汚い荒っぽい拳が白い手袋を投げつけるよりも先に殴りかかり、先程までにやけていてたった
今ひん曲がった口が決闘を申し込むよりも先に、罵声を上げるのを他人事のように見ていた。
マッドは、突進する男を、冷えた笑みを浮かべて迎え撃とうとしている。マッドの意志を反映す
るかのように腰に帯びた黒い銃が、猛々しくぎらついている。
だが、マッドが銃を抜いて、思うさま黒の咢から銃声を吠え立てる事は終ぞなかった。
マッドが凶暴な笑みを剥き出しにするよりも先に、下品な男の声と身体が、一気に地面に叩き付
けられたのだ。男の巨躯が床に倒れる音は、轟音とも言っていいものだった。ただ、それをしたの
はマッドではない。勿論、キースでもない。
こちらをちらちらと窺っていた、怪しい酒場の主人でもなければ、保安官が駆けつけてきたわけ
でもなかった。
凶暴性を一気に拭い去ったマッドが、キースから腕を離し、酷く冴えた視線を巡らせれば倒れて
伸びた男の足元に、厳つい男が立っていた。それは、昨日キースの肩をひくつかせた、あの厳めし
い男だった。
マッドが、もしかしたら雇われたのかも、と言っていた男。
その男が、キースを追ってきた男を問答無用で殴り飛ばしたのだ。
頭皮には剃っているのかと思うほど髪の毛一本生えておらず、顔にも髭一本見当たらない。ただ、
深く皺の刻み込まれた顔と、ジャケットに覆われているが隆々とした二の腕の筋肉が男の厳めしさ
を深めていた。
それを一瞥したマッドは、冴えた視線をすぅと消すと、代わりにひゅうと口笛を吹いた。
「やるねぇ、おっさん。」
「………。」
冴えた視線からは想像できないほど軽い声に、男の視線が鋭くマッドを見た。そして低い声で告
げる。
「賞金稼ぎマッド・ドッグともあろうものが、こんな男と係るか。」
伸びた男をマッドを見比べた言葉に、マッドはしかし、俺の事を知ってんのか光栄だね、と嘯く。
知ってるも何も、自分で名前を連呼していただろうに。
「でも、多分、俺もあんたの事知ってるぜ。今は思い出せねぇが、多分、知ってる。」
賞金稼ぎの王は組んだ手の上から、厳つい顔を見つめた。見透かすような視線に何を思ったのか、
厳めしい視線もマッドを挑むように見た。が、すぐに逸らされる。
「お前の情報網から逃げられるとは思わん。」
「潔いねぇ。どっかの誰かさんも、あんたみたいに潔けりゃあ、俺も少しは楽なんだが。」
マッドは朗らかに笑うと、ふと何かに思い当たったように呟いた。
「ジェフリー。元保安官のジェフリーだな、あんた。」