開かれっぱなしの教会の扉から、長く伸びた影が黒々と阿片畑を貫いた。
死体の山ばかりで、残されたのはキースだけという酸鼻極まる光景を見ても、賞金稼ぎの王は笑
みを浮かべて、少し立ち止まっただけだった。
「よう。無事に生き延びたみてぇだな。」
軽やかなマッドの声に、キースはようやく凍り付いていた世界が動き出したような気がした。
そんなキースの様子を一瞥して、マッドは、それよりもと辺りを見回す。
「あのおっさんは何処に行った?」
恐らく、先程までそこにいたサンダウンの事を聞いているのだろう。猟犬は獲物を仕留めたばか
りだと言うのに、すぐさま次の獲物を探そうとしている。
サンダウンは、ジェフリーが逃げ出した後、しばらくしてから呆けているキースを放り出して、
一人で何処かに消えてしまった。これ以上此処に用はないと言わんばかりの様子で、キースを振り
返りもしなかった。
サンダウンが去った事を告げると、マッドは笑みを消して、代わりに唇を尖らせた。
「あのおっさん、また逃げやがったな。毎度毎度逃げやがって、腹の立つおっさんだ。次会う時は
必ず仕留めてやる。」
何処か子供じみた口調は、しかし何とも間が抜けていて、殺伐とした色は灯っていない。この、
死体の転がる状況に比べれば、どんな事態でも穏やかに思えるのかもしれなかったが。
「ジェフリーは、」
キースは、咄嗟に、既にこの世にはいないであろうと見当をつけている男の事を聞いてみた。本
当ならば、自分を置いて逃げ出した事についても問い質したかったのだが、それはマッドの計画の
一部であった事は既に分かっていたし、聞いて己が駒として扱われた事を再認識するのも嫌だった。
マッドに、何か期待をしているわけではないのだが。
「あの男なら、今頃留置場だ。」
「え、」
マッドの言葉に、キースはまじまじとその端正な顔を見つめた。
てっきり、撃ち落したと思っていたのだが。けれどもマッドは肩を竦めてみせて、近いうちに縛
り首になるだろうが、と言った。
「まあ、さっさと死なせても良かったんだが。でもそれだと癪というか、なんというか。だから、
あいつが一番疎んじた死に方で殺してやろうと思ったわけだ。」
縛り首は不名誉の象徴だ。
元保安官の癖に、その本分を知らなかった男に銃殺刑は温過ぎる。そう、マッドは判断したのか。
「個人的には本当にさっさと死んで欲しいんだがなー。」
「……賞金稼ぎを殺したから?」
仲間を殺された故の義憤か。
しかし、マッドは首を横に振った。
「賞金稼ぎ殺しの癖に、俺を殺しに来なかった腑抜けだからさ。」
俺の所に真っ先に来たら、誰一人として死ななかったのに。
だがジェフリーは結局のところは賞金稼ぎならば誰でも良いなんていう輩ではなく、保身を考え
て、自分の敵う賞金稼ぎしか殺さなかった。
とどのつまり、犯罪者なんてそんなもので、無差別殺人なんていうのも結局は、自分よりも弱い
人間を殺しているだけの話。
「……あんた、最初からジェフリーが犯人だと思ってたのか?」
「いいや?この町に来た時は誰が犯人かなんて分からなかったぜ?」
「じゃあ、いつ?」
「ジェフリーがこの町に来た時だな。」
賞金稼ぎマッド・ドッグがやって来た時に、見計らうかのように姿を現したジェフリー。これま
でマッドの前には姿を見せなかった、賞金稼ぎ嫌いの元保安官を見た時、妙だと思ったのだ。
「おまけにこの町の保安官と兄弟だとかいうし、そりゃ、怪しいと思うだろ。まあ、あいつにして
みりゃ、俺が此処に来た事がよっぽど怖かったんだろうな。」
自分が死体を隠したこの町に、よりにもよって狂った猟犬がやって来た。一度として獲物の首を
食い千切り損ねた事のない男がやって来たのだ。それはそれは焦った事だろう。
「しかも、案の定俺は賞金稼ぎ殺しについて調べてる。俺としちゃ、あれはこの町の連中を炙り出
す言い訳だったんだが。」
「何?」
「ああ、俺は確かに賞金稼ぎ殺しの犯人探しも受け持ってたんだが、この町に関してはどっちかっ
て言うと麻薬絡みの仕事できたんだが。」
それについても、一通り解決したわけだが。
血に染まった阿片畑を見回して、マッドは溜め息を吐く。
「阿片なんてもんが、そうそう隠し通せるわけがねぇだろう。ジェフリーだって気が付いたんだ。
この俺が分からないわけがねぇ。まあ、まさか死体を養分にした阿片を売り捌いているだなんて
思わなかったが。」
キースは、マッドの台詞を聞いて気分が悪くなった。
そうだった。阿片畑の下には、ジェフリーに殺された賞金稼ぎと、この町で始末された名も知れ
ぬ旅人達の死体が埋もれているのだ。この町がいつから死体を埋め始めたのかは知らないが。しか
しそれらを養分にして育った阿片は、一体どれほど市場に出回ったのか。
「それも、今日で終わりだ。こんな場所はさっさと燃やすに限る。」
エリックやジェフリーが口にしたのと同じ台詞を、マッドも口にした。ただし、彼らと違うのは。
「死体を全部掘り起こした後で、な。」
もうすぐ、マッドの仲間達が連邦保安官を引き連れてやってくるという。その時に、この町で成
されていた悪事の全ては明るみに出て、阿片の根に絡まっていた遺体も清められるだろう。その後
で、炎により灰にされるのだ。
阿片畑を見回すマッドに、キースは確かにこの町はマッドの盤上であったのだ、と思う。一方で、
おや、と思う。
「サンダウンは、あんたが呼び出したんじゃねぇのか?」
「なんで俺があんなヒゲを呼び出すんだよ。」
ならば、都合良くあの町にサンダウンがいたのは、本当に偶然なのか。都合よくヴェニスの用心
棒まがいの事をして、都合よくジェフリーと対峙したのか。
すると、マッドは少し苦笑めいた、何が物言いたげな眼差しでキースを見つめた。
マッドは、サンダウンの過去を薄々ながらも知っているから、サンダウンが過去にジェフリーと
接点があったのだろうと理解したのだ。過去が決して麗しい物ではなかった事も。きっと、故にサ
ンダウンはジェフリーの動向に誰よりも敏感に反応したのではないだろうか。また、何かをしてい
るのではないか、と。
賞金首であるにも拘らず、未だに本分を忘れられない男は、だから甘んじてマッドの駒となった。
サンダウンの中には、自分が取りこぼした罪悪を刈り取るマッドに対して、奇妙な感情が渦巻い
ている。
「とにかく、これで俺の仕事は終わりだ。少しばかり手間がかかったし、少々不本意な部分もあっ
たが、まあ良いとしよう。」
「不本意な部分?」
見渡す限りの死体の山を見るマッドの台詞に、人が死に過ぎた事か、と思ったのだが違っていた。
「ヴェニスとエリックを縛り首に出来なかった事さ。」
ひんやりとしたマッドの声は、阿片畑に倒れたエリックとヴェニスの死体を蹴り飛ばしている。
その下には、ジュディの死体が。
「逃げ場は幾らでもあっただろうに。薬の向こう側にある夢なんざ、当てにならないどころか、拠
り所にもならねぇよ。」
しかも手遅れで、マッドが手を差し伸べたところで救い上げられもしない。水母よりも遠いとこ
ろに行ってしまったジュディは、死以外に安寧がなかったのだ。
そしてそこまで追い詰めたのは、ヴェニスとエリックだろう。
キースにしてみれば、エリックにとってはいい迷惑でしかなかっただろうとも思うのだが、しか
しマッドの眼には違うものが映っていたらしい。
「本当に嫌なら、エリックの奴が逃げ出せば良かったんだ。それを金がねぇだとかなんだとか、ぐ
だぐだ言い訳しやがって。」
そんな人間だから、金でころりとヴェニスを裏切ったわけだが。
マッドは上品なジャケットの裾を翻して阿片畑に横たわるジュディの脇に跪くと、その手に未だ
握られたままだった芥子の花を受け取った。
「さて、これで俺の仕事は終わりだ。もうすぐこの町は消えてなくなる。お前もさっさと行きな。」
声には、キースに対する未練のようなものは何処にもなかった。
代わりに、今すぐにでも何処かに駈け出そうとする焦がれのようなものが聞こえた。
「行けって、何処に。」
思わず問うて、何を言っているのかと口を噤んだ。けれども言葉そのものは取り消せず、マッド
が立ち上がり様にキースを振り返る。
「何処にでも行けばいいだろう。俺も、何処にでも行く。」
ただし、一人で。
きっと、マッドと一緒にいれば、嫌でも駒にされるのだ。マッドの仕事とはそういうものだった。
誰彼かまわず自分の手札にしてしまうのが、賞金稼ぎの王だった。
あれは、良く人を惑わす。
賞金首がそう言っていたではないか。マッドの後を追いかけようとした時点で、もう駒になる事
は確定しているのだ。それでも良いと思える人間が、いや、駒にされても尚、駒から脱出できる人
間だけが、多分一緒にいても良いのだろう。
黙り込んだキースを、マッドはそれ以上は詮索しなかった。もしかしたら、マッド自身、自分が
誰かを惑わしているという自覚があるのかもしれない。
マッドは黙り込んだキースの横を通り過ぎ、来た時と同じように黒い影で阿片畑を突き破りなが
ら教会の扉へと向かう。もうすぐ、賞金稼ぎ仲間がやって来るのだろう。その時、マッドは特に必
要ないのかもしれない。後は、誰にでも出来る事後処理ばかりだ。マッドのように突き抜けた力は
必要ない。
教会の開け放たれたままの扉を、マッドは繊細な手で、ぱたりと占めた。
同時に、マッドの影が扉に隠され、キースの前から完全に断たれた。