小首を傾げて微笑むマッドは、場所が場所なら、妖艶に娼婦を物色しているように見えただろう。
けれども二人が対峙しているのは、墓石がぼんやりと白く浮かび上がる墓場であり、マッドの佇ま
いは酷く場違いな物であった。
故に、いや、それ以上にジェフリーの此処に来る軌跡を考えれば、墓場などという場所設定がな
くとも、マッドの登場は心臓を鷲掴みにするようなものであった事は、想像に難くない。
ただ、印象的であったのは、その墓場はマッドが確かに追い詰められた――ように見えた場所で
あった事だった。
思わず後退りをしようとしたジェフリーを引き止めたのは、その心に僅かばかりに残る、元保安
官としての――と言うよりも、己が特別であるという選民思想ゆえの矜持であったのだろう。
そんな元保安官の心中など端から分かっているのか、むしろ興味がないのか、マッドは上品な笑
みを湛えたまま、白い繊手を翻した。一瞬身を強張らせたジェフリーの予想に反して、マッドが指
先に挟んでいたのは、固く詰められた葉巻であった。
甘ったるい、独特の上品な香りが煙に乗って墓場を彷徨う。
「さて、と。とりあえず、俺は一仕事これからするつもりなんだが。」
これから酒でも飲みに行くのだと言わんばかりの口調は、けれどもしっかりとジェフリーを粗点
していた。ずっと前から、マッドはジェフリーを粗点していたのだろうが、それがようやくジェフ
リーにも分かる形で降り注ぐ。
「悪いが、あんたにも手伝ってもらうぜ。」
なにせあんたがいなけりゃ、終わらねぇ仕事だ。
葉巻が、じり、と小さく炎を閃かせた。獣の眼が光るかのようなそれは、ジェフリーの眼には銃
火に見えた事だろう。
とにかく自分の中で消化しきれないマッドという男に対し、ジェフリーはついさっき自分が撃ち
落したエリックのように喘ぐ。
「……俺の事に、お前は関係ないだろう。何故、手出しをする。」
元保安官の呻き声は、牛蛙の鳴き声よりもずっと耳障りだった。しかしマッドは、その声を小夜
鳴き鳥の声を聴いているかのような表情で、聞き取ると、いっそう笑みを深くした。
「なんでって?決まってるじゃねぇか。仕事だからさ。」
「仕事?金が支払われたわけでもないのに、何故お前が動く?あんな連中の為にお前がわざわざ動
く必要など、何処にもないだろう!」
ジェフリーの、随分と好き勝手な想像からくる考えに、マッドは葉巻を咥え直し、少しだけ考え
る素振りを見せる。
ゆっくりと煙を吸い込み、葉巻を口から離し、天に向かって白い煙を吐き出した。
「こっちにも分からねぇ事があるんだが、なんだっててめぇは俺が金を貰ってねぇと思うんだ?賞
金稼ぎなら、賞金があって動くもんだと考えるのが普通じゃねぇの?」
「あの見苦しい愚か者達も、賞金稼ぎだったからだ!」
腰に手を当てて問うマッドに、ジェフリーの回答は一瞬だった。
「奴らは賞金稼ぎだ。この国に蔓延り、金で命を推し量る。人の波から外れた、はみ出した存在だ。
そんな奴らを殺したところで、一体誰が嘆く?精々、同じ賞金稼ぎ仲間が、次は自分かもしれな
いと怯えるくらいだ。奴らの為に、金を支払ってまで復讐を遂げようとする者などいない。」
「何故?」
「何故?一体、俺の言葉の何処に問いかけの必要性がある?」
剃刀色の眼は、マッドという、やはり人の波からはみ出した者を前に、爛々と輝き始めた。その
様は、獲物を前にした獣ではなく、道が一つしかないと信じ込んでいる人間の態だった。
一方、ジェフリーの言葉を聞いたマッドは、今一度、煙を吐き出すと、まだまだ先の長い葉巻を
墓場の固い地面を落とし、硬質なブーツの先で踏み躙った。同時にジェフリーを真正面から見据え
た眼差しは、鋭い獣の光を灯している。
「ああ、よく分かった。」
口元から笑みは消えていない。声も微かに笑い含みだ。ただし瞳だけが笑みからは程遠い、絶対
零度の温度で吹き荒んでいる。
「やっぱり、俺は今から仕事をしなけりゃならねぇみてぇだな。」
がちゃり、と。
音を立てた時には、先程まで葉巻を燻らせていた手が、今度は黒光りする厳めしい銃を構えてい
た。粗点は、ジェフリーの額に合わさっている。
「何故だ!」
「ごちゃごちゃうるせぇよ。申し開きも言い訳もする口は、てめぇにはねぇんだろう。そんな知恵
も持ってねぇしな。他人のやってる事を非難しながら自分が同じ事すれば口を閉ざす知恵はある
くせに。」
悪を許さぬ保安官。
故に町を追われた保安官。
その内面が実は真っ黒な事は、既に明白だった。
本来ならば自分でも気づいていそうなはずなのだが、知恵のないこの男は自分の犯した罪状を読
み上げる口を持たぬらしい。だからマッドは代わりに、罪状を読み上げる。
「ジュディっていう薬物中毒者を撃ち殺したな。」
「薬物中毒者を殺して何が悪い。どうせ、中毒から抜け出せず、悪を振りまくだけだ。」
「キースも駒にしたな。」
「あれは賭博師というならず者だ。それにお前も駒にしただろう。お前はキースどころかエリック
まで駒にした。」
「阿片畑に死体を埋めて、隠蔽工作したのはどうなんだ。」
「この町全体があそこに死体を埋めていた。しかも大量にな。」
「若手の賞金稼ぎを殺したのはなんでだ。」
「命を金に置き換える連中を殺して何が悪い。」
「だったら、なんで今まで俺を殺しに来なかったんだ、ああ!?」
マッドの形の良い唇から笑みが消え、代わりに龍の息吹のような気炎が吐き出された。黒い瞳が
切れるように吊り上がり、稲妻のように光が翻る。
同時に銃声が轟き、ジェフリーが持っていた銃が、いとも容易く弾き飛ばされた。マッドのバン
トラインが吐き出した銃弾が、見事にジェフリーの銃だけを捕えたのだ。
「賞金稼ぎが許せねぇんだったら、まずこの俺の元に来て然るべきじゃねぇのか!てめぇの理屈で
言うと、この荒野で命を金に置き換えてんのは俺だろうが!それをせずに、駆け出しのガキばか
り狙ったって事は、単純にてめぇが殺せる奴だけを殺しただけだろうが!」
賞金稼ぎに嫌悪を示す。命を金で置き換えるから。けれども自分の命を懸けてまで、それを糾弾
するつもりはない。
キースは、ジェフリーを、まるで自分が殺されるなどとは思っていないようだ、と自分は何かに
守られていると思っているようだ、と称した。
実際は違う。
単に、自分が死なない範囲を見極めて、その中で小賢しく立ち回っていただけの事。
「くだらねぇ!何が正義だ!単に気に入らねぇ連中の中でも弱い奴を殺しただけだろうが!ただの
犯罪者と代わりねぇよ!」
「貴様……!俺を愚弄するか!」
「ああ、謝ってやるよ!てめぇは確かにただの犯罪者とは違うからな!何せ、普通の犯罪者が出来
る言い訳も命乞いも出来ねぇんだからな!」
お前の言い訳程、滑稽な言い訳があるか。
誰かも同じことをした。
悪人を殺して何が悪い。
この二つだけ。
「スリのガキでもまだまともな言い訳思いつくぜ!しかも犯した罪の半分以上がてめぇの思い込み
って、嗤うに嗤えねぇ!」
賞金稼ぎなど、賭博師など、薬物中毒者など。
ジェフリーは、荒野の裏の部分をただそう呼んでいる。むろん、それは間違いではない。だが、
それが全てではない事など、誰でも分かるし、知っている。顔を背けながらも、それでも見て見ぬ
ふりをするのが、知恵ある人間だ。間違っても、邪魔だからと言って強制的に排除しようなどとは
普通は思わない。
「あいつらの罪状を一つでも具体的に言ってみろよ!美人局か?詐欺か?黒人を未だに奴隷として
扱っていた?それとも何処かで誰かを殺したか?きちんと言えたら、少しは見直してやるぜ?」
できるわけがない。
マッドはジェフリーの厳めしい顔を、それは厳格さではなく己の欲望を貫く為のものでしかない
と見抜いている。ジェフリーは、ただただ上辺だけの正義を着飾って喜んでいるだけだ。もしかし
たら、中には正しい裁きもあったのかもしれないが、同じくらい自己満足の裁きもあっただろう。
ジェフリーの裁きについて、マッドは特に何かを言うつもりはない。マッド自身、自己満足で賞
金首を撃ち取っているだけだ。
ただ、ジェフリーとマッドの唯一の違いは、感覚がマッドのほうが健全である、というだけだっ
た。
マッドは、己の妄想を正義だと思い込んで振り回すような感性は持っていない。
「大体、俺が金を受け取ってねぇって?なんでそんな自分に都合勝手の良い妄想が出来るんだ。」
マッドはジェフリーの足元に、皺だらけの札束をぶちまけた。ひらひらと舞い上がっては砂の上
に落ちる札束に、ジェフリーは眼を剥く。
「貴様!仲間の復讐にも金でしか動けないのか!」
「てめぇ、大概にしろよ!賞金稼ぎ殺しの復讐の為に金を出す奴はいねぇと言ったくせに、いざ賞
金が懸けられてたらその台詞か!」
言う事がころころと変わるジェフリーに、マッドは瞳の稲妻を更にぎらつかせた。今にも雷鳴が
轟きそうな眼差しで、マッドの声が閃いた。
「仕事で金を受け取って何が悪い!金を受け取った以上、俺はきっちりと仕事をしてやるぜ?てめ
ぇみたいな半端な事はしねぇ。てめぇが悪い奴だから、だとかそんな言い訳もしねぇ。」
殺された賞金稼ぎの為。それは彼らの為に金を出した連中が言う台詞だ。
マッドがジェフリーを撃ち落す理由は、仕事だから。それともう一つ。
「俺は、てめぇが、気に入らねぇ。」
泣き喚く事も言い訳も命乞いも出来ないのなら。
マッドを笑わせる事も何も出来ないのなら。
「精々、このまま一人で、さっさと死ね。」
どうせ、誰も悲しまない。