キースは、ぎょっとして地に塗れた阿片畑を見た。花が咲き乱れる芥子畑は、確かにその発育の
為に肥料を撒いたり、或いは新たな種を植えたりする事があるので、掘り返された跡があっても何
らおかしくはない。
しかし死体を此処に運び入れたらすぐにでも分かろうものだし、そもそも畑を掘り起こしている
最中に死体が出てきたら、大問題ではないか。
いくらジェフリーがヴェニスに恐れられていたとは言っても。それに、ヴェニスはジェフリーが
此処に来た事を知ったのは、つい最近のようであった。それは、ジェフリーと対面した時のあの表
情からも分かる。
「………顔を隠していれば、畑にいるのがジェフリーだとは、分からんだろう。」
サンダウンは素っ気なく言った。
「死体をいつ埋めたのか、は知らんが、どうせ顔を隠してこそこそとやらかしたんだろう……。」
「でも、目立ちすぎる。」
「そうでもない。」
荒野のような乾いた顔は、殊更面倒臭そうに、しかし同時にこんなおぞましい事は口に出したく
ないのだと言うように、吐き捨てた。
「この町の住人も、死体を此処に埋めていた場合、誰が死体を埋めようが同じ事だ。」
サンダウンの口調は淡々としていたが、何処か底冷えするものがあった。それは、語られている
内容が内容であった為、キースがそう感じただけかもしれないが。
ジェフリーが死体を埋める為に作り上げられた出まかせのようにも思えるサンダウンの言葉は、
しかしキースは一蹴する事が出来なかった。そもそも、キースはこの町に最初に来た時に、思った
ではないか。賭博で成り立つ――それは表向きで実際は麻薬で成り立っていたわけだが――この町
が、旅人などを餌食にして、都合の悪い場合は人知れず始末してしまっているのではないか、と。
だから、賞金稼ぎ殺しの嫌疑がこの町に掛けられた事もすんなりと納得した。
それが、事実であったと言うだけの話だ。
もちろん、今のところ、この町の住人が、そしてジェフリーが、阿片畑の下に死体を埋めたとい
う証拠はない。
だが、畑を掘り返せば、一瞬で真偽の程は着く。
「仮に死体があったとしても、それは俺が殺したと言う証拠にはならない。」
「先程、マッドが死体の在処を探り当てたと言った時に、それは嘘だと言い切ったくせに、今更何
を足掻く。」
サンダウンの声には、侮蔑も嘲笑もない。ただただ冷ややかな真実を告げる声音だった。そんな
声音で、ジェフリーの顔に透明な斧を打ち下ろす。
「いっそ、何も語らなければ良かった。何もしなければ良かったんだ。それなら、もしかしたらマ
ッドの牙からは逃れられたかもしれないのに。」
ヴェニスに正義の鉄槌を下そうなどとは考えずに、卑小に生きていたなら、賞金稼ぎ殺しは芥子
畑に埋もれて終わったかもしれない。例えマッドが死体を見つけても、それはヴェニスの仕業だと
思ったかもしれない。
けれども、ジェフリーはそんな事をしなかった。まるでマッドと張り合うように、正義の旗を振
るい、ヴェニスの罪を明るみに出した。その結果、芥子畑を軸と軸として――サンダウンの口から
ジェフリーの愚かさが腐臭と共に露呈してしまった。
いや。ジェフリーが動かなくとも、何をしようとも何をしなくとも、マッドはジェフリーの仕出
かした事などすぐに見抜いたのではないだろうか。芥子畑の下に埋もれる仲間の死体から、この町
以外の何かを嗅ぎ取ったのではないだろうか。
もしかしたらマッドの牙から逃れられたかもしれない、と嘯くサンダウンも、心底そうは思って
いないようだ。
マッドに粗点を定められた段階で、ジェフリーは逃げられなかった。罪を犯していない限りは。
マッドの牙は、ジェフリーのすぐ背後にまで迫っている。
転瞬、分が悪いと感じたのか、それともサンダウンに何か己の良心でも見出したのか、唐突にジ
ェフリーは背を向けた。たった今まで、自分の罪が埋まる芥子畑を燃やそうと堅実に歩み寄ってい
た足が踵を返し、暗がりに埋もれる教会の扉目掛けて走り出した。こちらが追いかけてくるのを恐
れてか、背後向けてめちゃくちゃに銃を撃ちまわりながら。それらは全く以て見当はずれな場所を
撃ち抜いて、甲高い音を立てるだけだったが。
ジェフリーが駆け去った後を、サンダウンは銃を掲げたまま、それ以上追いかけようともしない。
死体の溜まり場に座り込んでいたキースは、キースが去って、ようやくピースメーカーを下した
サンダウンの背中に、小さく呟いた。
「追いかけねぇのか。」
「…………必要ない。」
短い言葉の後に、どうせマッドが捕まえる、という言葉がはっきりと聞こえたような気がした。
一体、いつから、何処から、この男とマッドは示し合わせていたのだろう。示し合わせてジェフ
リーを嵌めようとしていたのだろう。
キースの疑問は、口には出なかった。けれども、サンダウンは賭博師の無言の問いかけに気が付
いたのだろう。ちらりと肩越しに青い視線を向ける。
「あの男は、」
良く、人を惑わす。
「……そう言っただろう。」
惑わされたが最後、知らず知らずのうちに手駒になっている。己の意志で動いているように見え
ても、マッドの思うように動いている。
「あの男が、お前にかかりっきりになっていた所為で、」
存分に惑わされたとも。
苦々しい響きが、はっきりと湛えられた。
呆気に取られてキースが男の青い眼を見返せば、男の眼差しは茶色いポンチョにあっという間に
隠された。
そうとも、サンダウンもマッドの手駒の一つだったのだ。
エリックが、ヴェニスを撃ち落し、ジェフリーの内面を顕在化させる為の駒であったように。サ
ンダウンもまた、動かぬ事態を打開するための手札の一つであったのだ。キースが、動き回って相
手を惹きつけ誘導としての役割を与えられていたように。
「後は、まあ、お前が殺されないように、との配慮もあるだろうが。」
もごもごとサンダウンが呟く声が聞こえた。
その台詞に、キースはマッドは一応、守ると言っていた事を覚えていたのか、と思った。当初は
ジェフリーがその代役かとも思っていたのだが。実際はマッドは端からジェフリーを疑っていたの
か。
腹の立つ男だ、と呟くサンダウンの声の向こう側で、遠く遠く、銃声が一つ響き渡ったような気
がした。
恐らく、今頃マッドは、ジェフリーを捕まえている。
堕落した神の家から逃げ出したジェフリーは、泡を食った馬のように路地を駆けていた。
此処に来るまでに見かけた物乞いも、薄汚れたスラムの住人も、誰もいない。いなくなって当然
だ、とジェフリーはずっと思っていた。こんな掃き溜めに転落する人間など、存在するべきではな
い。何の努力もせず、人に乞うだけの存在など、消え失せてしまえば良い。
だが、今この時、誰もいないという事実が妙に身に迫るような恐ろしさを出していた。
恐るべきものなど何もない。
真は己についているのだ。
そう、言い聞かせても、決してそれが効かぬ相手が確かにこの世にはいる。
サンダウン・キッド。
それは別に恐ろしくない。あの男は、ジェフリーが一度唾を吐きかけてやった男だ。昔、ジェフ
リーが保安官だった頃、ジェフリーを妬んで陥れたような、恐れるに値しない男だ。売春宿を焼き
討ちにしたという事実に対して、銀の星を翳して真鍮の銃口を掲げて、ジェフリーを糾弾した。
たかだか、と思う。
あの時の焼き討ちでは、たかだか五人の売春婦が死んだだけだ。金の為に、嬉々として男を取っ
ていたような女どもだ。姦淫する事なかれ。それさえ守れぬ女どもだ。死んだところで誰一人とし
て悲しまぬ事をジェフリーは知っている。
ならば、もしかしてあの男はあの女どもの客だったのか。それなら、妬み以外にジェフリーを陥
れた理由は分かる。むろん、だからと言って、許容してやらないが。むしろ、娼婦を買っていたな
ど、侮蔑に値する。
ジェフリーはサンダウンを侮蔑し、そうする事で心の安定を得る。勿論ジェフリーは、それこそ
がサンダウンに対する僻みであるとは気づかない。他者を侮蔑できる理由を都合よい理由を見つけ
出し、それで安心するのが、ジェフリーだった。
だが、あの、黒い賞金稼ぎは。
一体何の為にジェフリーに粗点を合わせたのか。一番の理由は金だろうが、賞金稼ぎ仲間を探す
事にどこかから金が支払われているようには見えない。マッドはただただ暇潰しのように行方不明
の賞金稼ぎを探しているようにしか見えない。単純な仲間意識と言うのも、賞金稼ぎ如きに仲間意
識なんてものがあるわけがないというジェフリーの固執した思い込みが、打ち消していた。実際、
マッドにも仲間意識なんてものはないのだが。
しかも、一度逃げ出して、けれどもその銃口は違える事無く獲物を嗅ぎつけていたのだ。
あの男は。
ジェフリーの理解の範囲を、超えていた。侮蔑しようにも侮蔑する為の理由がない。一度は逃げ
た事も、計算しつくされた事だとなれば。
人間は、理解の出来ない物を排除する傾向にある。
それはジェフリーも同じだった。ジェフリーの場合、そこに侮蔑できないもの、という項目も追
加されるのだが。
畦道をひた走るジェフリーに、ぞっとする速さで墓場から声が響いた。
「随分と御急ぎじゃねぇか。何をそんなに焦ってんだ?それとも、何か怖い物にでも遭遇したか?」
うっとりとするほど端正な、甘い南部訛りの残る声が、手招きするようにジェフリーの耳朶を擽
った。
ぎょっとして立ち止まれば、墓場に、突き抜けるように黒い人影が立っている。
そこから現れ、そして一度そこから逃げ出した男が、再びその場所から戻ってきたのだ。
「まあ、何処に逃げようが、どんな理由があろうが、逃がしやしねぇんだけどな。」
マッドが蕩けるような笑みを口元に刷いて、その笑みを湛えたままバントラインの銃口に甘やか
に口づけていた。